12 神官イスマルクは動いた
現在、ドリエータの街で薬師として働いているイスマルクの本来の肩書きは第25神殿長だ。一つの神殿を任される程に偉い第5等神官である。
そして一つの神殿を任される程に偉くても他には見習い神官が三人だけという少人数で、第25神殿は構成されていた。
つまり第25神殿は僻地の貧乏神殿なのである。
だから村人達に寄付などの負担をあまりかけずにすむよう、何でもこなせるイスマルクだ。そんな若き第25神殿長は、しみじみと第7神殿の設備や備品に思うものがあった。
(なんでこんなに良い物ばかりが揃ってんだろな、ここ。普通、閉鎖が決まったら空っぽにしてくもんだろ? 肝心の神殿内はともかく、こっちの神官用宿舎にどうしてここまで物が溢れてんだか。そりゃ神官の私室は片付けられてるが。・・・やっぱりハールカ達が知らないだけか)
第25神殿と比べてかなり切なくなってしまう。同じ神殿とはとても思えないぐらいに何もかもが違う。それを言うなら大神殿もそうだが、あちらは総本山的な意味合いがあるから比較するのも馬鹿らしい。
(いやいや。比べてどうこう思うことが間違いだ。大事なのはこの身に抱く信仰心じゃないか)
自らを戒め、イスマルクは点検を再開していく。
神殿内の生活用エリアやこういった作業場は、まるでつい先日まで使われていたかのように色々な物が揃っていた。
ついでに家畜と畑も完璧だ。食べきれない果物は、遥佳達がドライフルーツにしている程に。
「この武器はどう使うんだ? 戦闘用なのは分かるが、使い方が本気で分からん。けど、・・・やっぱりそういうことだよなあ。子供達が寝ている間、そして学校に行ってる間、お父君と女神様には十分に時間があったってことだ」
聖神殿が崩れた時は大きな衝撃が世界を揺るがしたが、それすら女神と、・・・恐らくその夫である神子達の父親にとっては織り込み済みのことでしかなかったのだろう。
だからこの場所を用意しておいた。可愛い娘達の為の隠れ家を。
生き物は全て死ぬガスに囲まれたこの山中に辿りつけるのは、神子自らが連れてきた者だけ。
神殿内にこれらの武器を置いていないのは、可愛い娘達には触らせたくなかったからだろう。しかし娘達が連れてきた相手には使ってもいい、いや、きちんと使って守れと言わんばかりの怨念を感じる。
そう、怨念だ。
(俺、そこまで戦闘系の成績は良くないんだが。お父君、どんだけだったんだよ)
考えてみればあんなにも可愛い遥佳と真琴だ。残る一人もきっと愛らしいことだろう。
自分が会ったあの黒い衣服の娘がそうだったと教えられても、言われてみれば女性だったなと、その程度のイスマルクである。遥佳や真琴よりも年上のように思えたのだが、その顔などとっくの昔に記憶の彼方だ。
ともあれ、父親なら残していく娘が心配でたまらなかったに違いない。だからって、どんな危険な男を娘達が連れてくると思っていたのか。自分は傭兵でも何でもないのに。
(ま、いいか。何も俺が使わなきゃいけないってわけでもなし。だけどマーコットがまた鉄矛でお手玉しないよう、鍵はもっと頑丈なのをつけておこう。全く、本物のナイフで的当てするなんて、目を離したらすぐ悪戯するんだから)
どちらにしても自分にあるのは、この勘と運と努力だ。戦う才能などはない。
イスマルクは武器庫の扉をきちんと閉めた。そうして作業場へと戻る。
(鉄の鎖にあしらうつもりだったが、まさかこんなのがあるとは)
女神が乗る馬に使われたのだろうか。
金銀をあしらった鞍や手綱、そして馬を飾り立てたであろう見事なタペストリーと飾りを見ながらイスマルクも考えこんだ。
(これを使えば、鉄じゃなくても金や銀でできたグリフォン用の首飾りができる)
黄金に目がないグリフォンだ。きっとヴィゴラスも狂喜乱舞して喜ぶだろう。
しかし、そうしたら神子達が乗る馬を飾ることができなくなってしまう。本当に使ってもいいのだろうか。
イスマルクは悩まずにいられなかった。
そこへ背後から声が掛けられる。
「なに唸ってんの、イスマルク?」
「ああ、マーコット。いや、これを使っていいものかと思ってね。やっぱり君達がきちんとお披露目される時には馬も豪華に飾り立てられるんだ。誰もが一目で君達が比類なき高貴な存在だと分かるように」
「その前にお披露目なんて誰もしないよね?」
「そうかもしれないが、やはりなぁ。いざという時にハッタリをかませるってのは大事なんだよ」
「ふぅーん?」
話を聞いた真琴は、豪華に飾り立てられた馬に乗る遥佳を想像してみた。
「うん。仮病か脱走するね。ということは使われる日は来ないよ。それならいつまでも使われない馬の為に置いとくより、ヴィゴラスを飾った方が格好いいって」
「そうだな。ヴィゴラスはマーコット達が乗る馬みたいなもんだしな。地面を走るか、空を走るかの違いかだ。そう思えばいいか」
イスマルクは、そう解釈することで折り合いをつける。
「ヴィゴラス、なんか馬には凄いライバル心があるっぽいけどね。遥佳が馬に乗る練習するって言ったら、馬なんかより自分に乗れってうるさかったんだよ」
「馬用の鞭でもハールカに持たせとくか。全くハールカの前じゃいい子にしてるくせして、俺の前じゃ全然言うこと聞かない。どんな駄馬だ」
「しょうがないよ、ライオンだから。馬と違って本能しかない、野生の王国で生きてるんだよ」
そこで真琴はグリフォン用首飾りの材料を手に取る。
「欠片はこの箱みたいな中に入れちゃうんだ?」
「ああ。欠片は美しさというよりも女神様の息吹を感じる為だからな。だから周囲の六面を、宝石を嵌めこんだ金のプレートで完全に囲って落ちないようにして真ん中に吊り下げる。マーコット、どの石がいいか、そこから五つ選んでおいてくれ」
「うん」
大きさを揃えた石が幾つか置かれていたので、その中から真琴は全く違う色の石を五つ選ぶ。違う色の方が楽しいだろうと思ったからだ。
「ヴィゴラスには選ばせないの?」
「選ぶどころか、見るや否やどれもばばばばっと取って隠すだろう。グリフォンは宝を前にすると人格が変わると言われている。だから入ってこられないよう、裏の出入り口以外は鍵を掛けといたんだ」
「道理であんな小さなドアしか開いてないわけだよ。ヴィゴラスは頭だけでつっかえちゃうね」
元々あった金の小さな直方体みたいなものに宝石を嵌めこみ、そして多少のことでは宝石が落ちたりしないように上から枠を重ね、更に幾つか爪をつけて溶接する。
危ないから離れておくように言われた真琴は、作業場の隅っこに移動して、イスマルクの手元を興味深そうに見ていた。
「そこまで頑丈に固定するもんなんだ?」
「普通はしないが、大空を駆ける上、時にはあの脚で建物や岩をも蹴り倒すんだ。宝石の見える部分が一回り以上小さくなってしまうが、外れて落ちるよりはマシだろう」
「ふーん。だけどヴィゴラス、宝石好きは宝石好きなんだろうけど、神殿にある宝石を使った小物とかは欲しがらないね」
「神殿にある物は女神シアラスティネル様の物だ。ヴィゴラスもそこは敬意をはらっているんだろう」
「けど神殿にあったのを私達につけてくるよね?」
「・・・何なんだろな、あれは」
第7神殿にいる時の遥佳は、視界を隠すフードを取っている。
そんな黒髪に宝石が映えると、ヴィゴラスは神殿にあった額飾りなどをつけさせ、遥佳を自分の近くに置いて愛でているときたものだ。
「そういえばさっき、『裏切り者―っ』って声が聞こえたが」
聞こえはしたが、どうせじゃれているのだろうと、イスマルクも見に行かなかった。
「うん。遥佳につけた首飾りは上から見下ろすよりも下から見上げた方が煌めくよって言って、それでヴィゴラスが遥佳を両手? で持ち上げた隙に、私につけられてたアクセサリー、全部外して逃げてきたんだ」
「つまりハールカを人身御供にしてきた、と」
道理でいつも遥佳にべったりな真琴がイスマルクの所にいるわけである。
「二人揃ってグリフォンに鑑賞される苦痛に耐えるより、一人で鑑賞されてくれればもう一人は助かるってことなんだよ」
「そうか。苦渋の決断だったんだな」
「うん。涙を飲んで決行したんだ」
全く悪いと思っていない真琴は、同じところでずっといるのが苦痛なタイプだ。
内心では適材適所だと、そんなものだった。
「ヴィゴラスを騙すのはハールカの方が得意そうだと踏んでたんだが、これまた意外だったな。逃げてくるとしたらハールカで、マーコットが置き去りにされると思ってた」
「それって私の方が単純だから? だけどさあ、イスマルク。騙すってのもね、頭が良かったり、人の心に入りこみやすかったりすればできるってもんじゃないんだよ?」
「へえ?」
真琴が少年ではなく少女だと知った時からイスマルクはかなり過保護になっている。
おかげで今度はちょっとカッコつけたい真琴だ。
「そこで実行に移す勇気と行動力が勝負を決めるんだよ。同じことを遥佳がしようとしても、ジャラジャラつけられた宝石をさっと取り外して床に散らばせ、それに気を取られたヴィゴラスを尻目に逃げるどころか、もたもたと外している途中に捕まるんじゃ意味ないよね」
「なるほど。つくべくしてついた勝敗だったと」
「うん。勝負の世界は時に非情なんだよ。だけどヴィゴラスがいるなら遥佳を放っておいても安心だしね。あれでお手伝い幻獣だし」
「そうだな。マーコットは偉いな。ハールカの周りを安全な存在で固めようってずっと頑張ってたんだ」
「えへへー。遥佳を乗せる時には飛ぶんじゃなくて歩くことって、ヴィゴラス躾けたしねっ」
この第7神殿の裏側に広がる畑や牧場は広い。
真琴の場合は空を飛ぶが、遥佳を背中に乗せている時のヴィゴラスはてくてくと歩いていた。
「そう言えばさぁ、お父さんの首飾りもあったのにイスマルクは飾らなかったね、ヴィゴラス」
「やめてくれ。そんな恐れ多いこと。大体、何なんだ。宝物を置くのは黒髪じゃなきゃ嫌だの、男の黒髪は最低だのと、あいつは」
「こだわりがあるのかも? 柔軟な思考はあるっぽいよね。だって今まで生肉しか食べない生活してたのに、遥佳に分けてもらった途端、ステーキ大好きになってたんだよ? 普通、生肉を食べてたら、その生肉ならではの甘みとかに慣れてるわけでしょ? 焼いた肉なんて受け付けるものなのかなぁって、びっくりした。そりゃ私もお肉なんて生で食べないから詳しくないけど」
人間でさえ牛肉のステーキをミディアムレアで食べたい人が、ベリーウェルダンで出されたら悲しくなるだろうにと、真琴は首を傾げる。
三姉妹それぞれ食事の好みやスタイルが違っていたからこそ、そこが不思議になったのだ。
「そこなんだよなぁ。野生の動物には人間の食事なんて刺激が強すぎる筈なんだが」
「胡椒とか塩まで遥佳に舐めさせてもらって舌をぺっぺしてたけど、それでもう味を覚えたって、遥佳言ってたよ。今日なんてスープも飲んだよね。普通の幻獣ってそこまで学習するもんなの?」
「よく分からないんだよ。食い意地が張ってるだけだと思うが、本当に他大陸のことってのは不明なんだ。幻獣の生態も本で読む程度で、レイノー達が言っていたように個体差なのかもしれんが、あの嘴でどうしてスープを飲もうとするのか、その気持ちが分からん」
「遠いもんねぇ。他にもグリフォンがくれば比較できるんだろうけどさ」
そうこうしている内に、イスマルクは作業を終える。
気づけばかなりの時間が経っていたが、イスマルクは満足そうにそれを確認した。
「これなら元が馬用だけあって完成されてるからな。こうして取り付けてあげれば、ほら、見事なもんだろ」
出来上がったグリフォン用首飾りは、中央に宝石を嵌めこんだ金の箱が下がっていて、その両側にはそれぞれ、赤、橙、黄土色と、楕円形の宝石を嵌めこんだ長方形のプレートが順に下がっている。
「なんだかそこらの王様の首飾りよりゴージャス?」
「・・・言うな。俺もそんな気はしている。どんだけここはいい物が揃ってるんだ」
「それでも作り上げてしまうイスマルク」
「しょうがない。なんで幻獣にここまでしてやらなきゃならないんだとは思うが、それでもあいつはマーコット達に懐いてるからな。マーコット達専用の馬だと思えば妥協範囲だ」
二人は分かっていないようだが、グリフォンが背中に誰かを乗せるだなんて破格の扱いをしたのは有史以来、初めてのことではないか。
だからイスマルクにも下心が生まれる。
(いざという時に二人をヴィゴラスが守ってくれるなら、一騎当千の味方だ)
その為ならばかまわない。神殿の財産は、今となっては女神の神子達のものだ。
彼女達を守る為に何を惜しむことがあるだろう。
「イスマルク?」
彼が自分をとても愛しげな目で見ているのに気づき、真琴が不思議そうな声になる。
「何でもない。さ、これをヴィゴラスに持っていってあげてくれ。俺はここを片付けてから戻るよ。これを渡してあげれば、あのお宝大好きグリフォンもハールカを解放してくれるだろう」
「うん。きっと喜ぶね。遥佳も許してくれるかなっ」
特大サイズな首飾りを抱えた真琴を笑顔で見送り、イスマルクは使っていた火を丁寧に消火して片づけた。
それから第7神殿へと戻れば、てっきりその首飾りをつけて喜んでいると思われたヴィゴラスはつけていない。
「ヴィゴラス。お前なぁ、・・・お前って奴は、なんで女神様の額飾りや耳飾り、腕輪だけじゃなくお前の首輪までハールカにつけるんだ」
朝から苦労してそれを作りあげたイスマルクは脱力して床に手をついて座りこんだ。
というのも、ヴィゴラスはせっかく作ったそれを、遥佳にかけて前脚の中に抱え込んでいたからだ。遥佳には大きすぎて、二重にしてもゆるゆるな胴飾りになっている。
「いつまでハールカにジャラジャラつけてるつもりだ。宝を眺めたいなら床の上に広げとけ。ここでは誰も盗らん」
「クェッケケッ、キューイ、クルックー、キィーエ(床は白いだろ。お前はそんなことも分からんのか)」
真琴はちゃっかり距離をとってソファに座っている。
「あ、あのね、イスマルク。ヴィゴラスってば何だか宝物を見るこだわりを貫きたいみたいなの。宝石が映えて見えるのは黒なんだから、白い床に置きたくないって言ってる」
「黒い布でも用意すればいいのか、ヴィゴラス? 黒髪はともかく、ハールカが着ている服は黄色だろうが。その腕輪のどこが黒を背景にしてるというんだ。もうお前には黒い布を一枚やるから、そこに広げて永遠に見てろっ」
「クゥー、クイックゥ。キキーェ、コル、ココッ、キャーキカ、キェ、クルックー(布ではすぐ破れてしまうではないか。そうだな、黒曜石でハルカを彫ってくれればいい)」
岩をも切り裂く爪を持つグリフォンは、布では不満だと主張した。
「えーっと、あのね、イスマルク。ヴィゴラス、布だとすぐに千切れちゃうから、できれば黒曜石でお人形を彫ってほしいみたいなの。それに宝石を飾りたいって」
「何故そこで材質と形まで指定してくるんだ、ヴィゴラス。人形では表面積が小さすぎるだろうが。加工賃だって馬鹿にならない。それなら真っ黒な岩板でいいだろう。いや、見るだけなんだから黒く塗った板で十分だ」
イスマルクはとても現実的な考え方をする神官だった。
その光沢も美しい黒曜石指定という時点でどこまで図々しい幻獣なのかと、呆れ返る。
身の程をわきまえやがれと、イスマルクは一蹴しようとした。
「グルー、クェック、クィ、キェーココッ、クルグー(ただの人形じゃない。ハルカの人形だというのに分からん奴だ)」
「えーっと、あのね、なんかヴィゴラス、そのお人形、できれば私達に似せておいてほしいみたいで」
「さっさと帰れ、ゲヨネルに」
「グィギャッ!?(何だとっ!?)」
先程までの下心などより、こんな宝石ヘンタイに大事な二人を近づけてたまるかと、イスマルクの本音がさらっと出てしまう。
「ほら、いいかげん放せ。同じ体勢でずっといるのは体に悪いんだ、全く」
イスマルクは遥佳をヴィゴラスの脚の間から助け出すと、遥佳につけられていた特製首飾りをヴィゴラスの鷲の首にかけた。
「な、似合うだろ。石だってグラデーションになってるし、とってもいい感じじゃないか」
「本当。素敵だわ、ヴィゴラス。とっても似合ってる。威厳たっぷりよ。ね、真琴?」
「私がその石、選んだんだよ。ヴィゴラス、そうしてるとグリフォンの王様みたいだよ」
「キュイ? クルルル、クルー、クイックー(そうか? まあ、俺様がカッコいいのは当然だがな)」
褒められればやはり嬉しいのか、ヴィゴラスも自分の首にかけられたそれにご満悦だ。
さすがに重さも凄かった額飾りや腕飾りなどを外して近くのテーブルに置くと、遥佳は首を左右に倒して肩凝りをほぐす。
「さ。宝石遊びは終わり。畑に行きましょ、ヴィゴラス。ピーマン、気に入ってたものね。ピーマンはおめめにいいのよ。トマトスープも飲んでみたいって言ってたわね」
「キュイキュイ、クルックー、クィー、クッコー(ピーマンはロマンだ。スープというのも悪くない)」
やっと立ち上がることのできた遥佳がウーンと言って腰を伸ばし、畑へと籠を持って出ていく。
鷲とライオンの体を持つ幻獣は、まるで飼い犬のように後をついていった。
「おかしいな。グリフォンって本当は人懐こい生き物だったのか? 俺の常識がガラガラ崩れてくんだが」
「私が読んだ本の中にも、宝石大好きでプライド高くて、全部のお宝を差し出した上でおだてていい気にさせないと全部をぶち壊す幻獣って書かれてたよ?」
「うーん。・・・まさかこのままずっと居つくんじゃなかろうな」
「なんかそんな感じだよね。ヴィゴラス、性格も可愛いから私はいいと思うけど」
「俺としては、短期的に役立ってくれればいいと思ってたんだが」
「腹黒さが滲み出ちゃってるよ、イスマルク」
遥佳が楽しそうならいいかと思う真琴は楽観的だ。
あの宝石をつけられて愛でられるのは勘弁してもらいたいが、遥佳が引き受けてくれるならどうでもいい。
(けど遥佳、怒ってるなぁ。自分だけ見捨てて逃げたとか思ってるよ、あれ。その証拠に畑に行くのに私を誘わなかったもん。なんか恨んでそう。しょうがない。イスマルクにお菓子作ってもらえば、遥佳、機嫌直すかなぁ)
真琴はそんなご機嫌取りを考え始めた。
「そりゃここだけで暮らすんならいいだろうが、やはり街の人に溶けこむなら程々でいなくなってもらわないとな」
けれども神子達の撹乱情報を流す間の用心棒であってくれればいいと思うイスマルクは、ある程度のところで悪目立ちする幻獣には故郷へ戻ってもらいたい。
(人と全く関わらないで生きていくならこの第7神殿だけで十分だ。しかし神子様方は三人が三人共、人に混じって暮らしていた。ならばそのお気持ちを尊重してさしあげるべきだろう)
追跡や捜索の手を逃れてひっそりと暮らすなら、目立たないことは大事だ。
「あんな大食らいだ。ちょっとジェルンまで肉の買い出しに行ってくるよ」
「一緒に行く。お菓子買ってきたら、遥佳も機嫌直してくれるかなぁ」
「なら荷馬車で行こう」
イスマルクは真琴と二人で出かけることにした。
「馬一頭で引くならこのくらいかな。馬に負担をかけないよう帰りは歩きだが平気か?」
「へーきへーき」
ついでにと、イスマルクは牧場にいた牛と豚も連れて行く。屠所に持ち込めば、食肉用に処理してくれるのだ。
豚ぐらいは自分で処理できるイスマルクだが、怖がりの遥佳は近くで豚を屠殺されるのも嫌だろうと、手数料はかかるがそちらを選ぶ。
(マーコットは肉の血抜きしている横でも平気で焼き肉を食べそうだが、ハールカはな)
それともグリフォンは豚の頭や内臓など跡形も残さず食べてくれるのだろうか。食べられない筈がないが、あの骨を吐きだしていたことといい、ちゃっかり遥佳に普通の食事までもらっていることといい、無駄に舌が肥えているような気がしてならない。
それこそ舌触りが悪いから豚の産毛まで焼いてから出せとか言われた日には、こっちがブチ切れて豚の丸焼きどころかグリフォンの丸焼きを作ってしまいそうだ。
(いや。あいつは煮ても焼いても食えそうにない)
そこまで考えてしまうイスマルクだった。
単に遥佳が、グリフォンでも骨は食べられないだろうと思いこんでいたから、
(食べ物をもらったことだし、ここは骨を食べずに礼儀正しくしてみるか)
などと、ヴィゴラスが気を遣ってみただけなのだと思い至らない。
ヴィゴラスは食べられる骨を残してまで、礼儀正しくしていたつもりだったのである。
イスマルクは出したお金の元を取るタイプの神官である。
女神様がお乗りになる馬を飾る為の飾りを流用しておいて、無償などとはあり得ない。
だから、
「お前にはとても素敵な首飾りを作ってやっただろ? あんな素敵な首飾りが他にあると思うか?」
と、恩を着せて、イスマルクはヴィゴラスに二人乗りの鞍と二人を固定する革ベルトをつけることを了承させた。
「これなら二人が一緒に乗れるし、手で持つベルトと固定するベルトで大丈夫だろう。だが、絶対にスピードは出すんじゃないぞ、ヴィゴラス。人間は、怖さに気を失うことだってあるんだからな」
「グルルル、クオーク、ココココ、コキーキェッ、クェックー、キルルル、クェッ、クー(お前は宝石磨きをするグリフォンのようにしつこいな。俺が二人を落とす程、間抜けなグリフォンだと思ってるのか、失礼な)」
「えーっと、・・・ヴィゴラス、大丈夫だって言ってるわ、イスマルク」
「コッコー、クィ、クィクィクィクィ、キェーキャキャッ(それよりもちゃんと二人を乗せるんだから、俺の宝石に黄金をつけるんだぞ)」
「あのね、その代わり、ヴィゴラスの宝石にきちんと金で枠をつけてくれって」
「分かった分かった。きちんと磨いてからな」
イスマルクの作った首飾りに満足したグリフォンは、自分が隠し持っている宝石もそういった金の枠をつけて鎖仕立てにしてほしいと言い出したのだ。そのままだとばらけているので、やはり宝物は連ねてある方がいいと思ったらしい。
絶対に盗らないという誓いを三回はさせられた上でそれらを見せてもらったイスマルクは、研磨して形を整えてからそれを仕立てる約束をする羽目になった。
(どうしてこう人の足元を見て要求してくるんだ、このトリ犬は)
一緒に戻ってきた日の翌日は休みだったが、その次からは再び治療院に泊まりこみのイスマルクである。勿論、第7神殿に寝泊まりするスペースはあるが、誰もが近づかない場所を馬で頻繁に訪れるような不審な動きはすべきではないだろう。
だからヴィゴラスと共に二人は第7神殿まで毎日戻らせるとしても、自分は休みの日以外は治療院で寝泊まりすると、イスマルクは言い出したのである。
問うまでもなく、ヴィゴラスがイスマルクをその背中に乗せるとは到底思えなかったこともあった。
「俺がいなくてもヴィゴラスは一人で風呂に入らせるんだぞ、ハールカ。それができないような馬鹿な幻獣じゃないんだから。甘えられても嘘だと思っていい」
「グェッ、クゥーキャ、ケッ、クェッ(お前にグリフォンの何が分かるというのだ、おい)」
「う、うん」
「それからマーコット。寝るときはちゃんとヴィゴラスは違う部屋で寝かせるんだ。元々、屋外でも平気な幻獣なんだから。ヴィゴラスが寝返りしようものなら二人なんてぺちゃんこになっちゃうんだぞ」
「グッ、クェッ、クルリックー、キャッカカッ(おい、イスマルク。俺の寝相は輝く宝石のように静かなもんだぞ)」
「だから徹夜で見張ってたんだ、イスマルク」
初日は、先に寝てしまった遥佳と真琴だ。
それを見て一緒に寝ると主張するヴィゴラスをどかそうとしたイスマルクだが、人間の力ではどうしようもできず、あまりそれで騒ぐと既に寝入っている遥佳と真琴を起こしてしまう。
だから諦めてイスマルクはソファで休みながら、ヴィゴラスにロープを巻きつけて見張っていたそうだ。
さすがの真琴にも、どこまでイスマルクは苦労人なんだろうと、そんな思いがよぎる。
そうして遥佳と真琴は、第7神殿と治療院をグリフォンで往復出勤する日々に入った。
そんな騒ぎはあったが、二人がヴィゴラスの背に乗って治療院まで行けば、ハミトとレイノーは苦笑して、
「おはよう。ある意味、誘拐の危険性は消えたな」
「幻獣が空飛ぶ愛馬かよ。もう何も言えんわ」
と、それを受け入れた。
「おはようございます。なんかヴィゴラス、ここで見るもの全てが楽しいらしくって」
「えへへへー。二人乗りの鞍をつけてもらったんだよ。僕と一緒ならハールカも落ちないしねっ」
「クルックー」
そうして遥佳が治療院での手伝いをしている間は、裏庭の畑で真琴と遊ぶヴィゴラスだ。真琴がイスマルクと山まで薬草を摘みに行く時は同行し、遥佳への土産に鹿や猪を狩った。
「ありがとう、ヴィゴラス。今日はお洗濯物が多くて重かったの」
「キュイ」
遥佳が洗濯物を干す時は、その洗濯物が入った籠を持ってあげたりもする紳士的なグリフォンである。
同時に、患者の家族達が洗濯物を干す時はそっぽを向いていたりもする紳士的ではないグリフォンでもあった。
だが、そんな存在が噂にならぬ筈もない。
――― あそこの治療院に行くと寿命が延びるそうな。
――― 珍しいグリフォンが祝福に訪れるとか。
――― どんな寒い日もあの治療院だけは暖かく、どんな暑い日も涼しいらしいぞ。
――― あそこの先生方の熱意に、グリフォンも感じ入ったに違いない。
やがてこの大陸にはいない幻獣を一目見ようと、ドリエータ近辺に住む人がやってくるようになる。
けれども、イスマルクとハミトとレイノーこそは近寄らせても、ヴィゴラスはそれ以外の人間を近寄らせようとはしなかった。見慣れぬ人達が来ている間は、ハミトも遥佳と真琴をグリフォンの傍には行かせない。
そうなるとヴィゴラスも他人が裏庭までやってきた時点で、
「キエエエーッ」
と、凄まじい叫び声をあげて翼を広げ、威嚇し、後ろ脚で土を蹴りつけるようになった。
「なるほど。泥をぶつけられて怪我したと。まあ、10ヶ所程度の打撲ですんでよかったですよ。岩をぶつけられたら即死ですからね」
「ですが先生。お宅のグリフォンで怪我をしたんですよ。しかも服だって駄目にされた。裏庭を覗いただけじゃないですか」
「うちが飼ってるわけじゃありません。うちの野菜と家畜を勝手に食べに来ている幻獣です。うちは被害者ですよ。あの幻獣にどれだけのものを食べられたと思いますか」
狂暴すぎる幻獣という噂が十分に出回ったところで、ハミトとレイノーは看板を立てた。
『グリフォンは危険な幻獣です。指輪や首飾りを少しでも見せたら襲われて殺されます。その時は牛や馬を犠牲にしないと人間が食べられます。近寄らないでください。とても危険です』
やがてドリエータの上空を悠々とグリフォンが飛ぶ様子が目撃されることも多くなる。人々もそれを見上げるだけで満足するようになった。
(入院してる患者は、ヴィゴラスがハールカとマーコットだけは背に乗せると分かっているが、それはもう特別なんだと思ってるからいい。薬草も多めに補充しておいたし、しばらく留守にしても大丈夫だろう)
イスマルクはハミトとレイノーに、大事な用があるからしばらく留守にすると告げ、姿を消した。自分の身元を証明する神官のメダルや正装を、遥佳に預けて。
「イスマルク、無理はしないでね」
「無理なんてしないよ。何も心配しなくていい。必要とあれば俺のメダルは好きに使ってくれ。ここの神殿程度なら俺の方が位は上だから、
『文句があるなら大神殿まで話を通せ』
って言えば、時間稼ぎはできる。その間にヴィゴラスを使って逃げればいい」
「ねえ、イスマルク。どこ行くの? 何しに行くの? なんで遥佳、そんなに心配そうなの?」
「ハールカは心配性だからね。旅は安全じゃないこともあるから、それだけだよ。だけど心配しなくていいよ、マーコット。これでも一つの神殿を任されている身なんだ。たまには様子を見に戻らないといけないのさ」
「ああ、他に神官は一人もいないという神殿を」
「そう。他には見習いしかいない神殿・・・って、それでもお参りしてくれる村人はいるんだよっ」
戻ってきたら枠を作ってあげようと言って、一度ヴィゴラスに戻された宝物は、イスマルクの夜なべにより綺麗にカッティングされて磨き終えられていた。
声がよく似た幼い女の子を三人選ぶ。そうして同じ色に髪を染めて同じ髪型にしてしまえば、よほど違う顔でない限り、似たような印象になるものだ。
その際、瞳の色が見えないように前髪は長めにして。
薄い金髪にする必要はない。というのも、変装ならば髪の色を変えているのはあり得ることだからだ。
そうして濃い金髪の幼女を三人と成人男性一人を用意したイスマルクだ。
「一つばかり国を挟んだ先になるが、この箱を届けてもらいたい。この子供達も連れて」
「へい、旦那。しかしこんな小せぇ子連れってのはなぁ、かなり足手まといになんですがね」
「そうだろうが、あちらは三人の子供とこの荷物を望んでるんだ。ちゃんと連れて行ってくれ。ただ、怪しまれないよう、道中は親子を装ってほしい」
「へい」
その一つ国を挟んだ先には、やはりイスマルクが雇った人間がその場所に待機している。そうして三人の幼女を受け取ったら男に報酬を払い、そうしてこの三人の幼女を、今度はそこで待ち受けていた男が違う場所に連れて行くのだ。
そうして連れて行かれた先では、やはりイスマルクが雇った人間がいて・・・。
それを繰り返すようになっている。
それから、この男と子供達が出発して数日後、わざとそれを追うような行動を見せる男達をイスマルクは用意した。
三人の幼女を連れた男を追う男達。それは人の記憶にかなり強く残るだろう。
たとえその三人の幼女が月の光をした髪を持っていなかったとしても、人の記憶はその頃にはいい加減でおぼろげなものになっている。もうちょっと濃い色だったと思っても、もしかしたら光の加減でそう見えたのかもしれない、本当はもっと薄かったかもしれない、もしくは染めていたのかもしれない、そんな疑惑が生まれてしまえばそれに流される。
(さて、次は・・・。今度は子供の一人が茶色の髪だったりするし、三人とも茶色の髪に染めるか)
イスマルクは同じような三人の女の子と成人男性一人という組み合わせを複数用意し、様々な街から出発させるよう手配した。
金で買った幼い子供達を、旅という過酷な環境下におくことは分かっている。それは自分がやったことだ。言い訳するつもりもない。
けれどもそれで国外に出たと思わせられる。三人の女の子というので、色々な場所でもしやと思われるだろうが、恐らくそういった欲が絡んだ人間は瞳の色が夕焼け色ではないことや、そして顔立ちが良く見たら違うことに気づき、すぐに興味をなくすだろう。
けれども、後からそれを追いかけてきたり、調査する人間がやってきたとしても、そういうことを自分から言う人間はあまりいない。何故ならそこで金が手に入る可能性を失うからだ。
それぐらいなら勿体ぶって、少しでも情報を金に換えようとする。
欲が絡めば、人はどこまでも身勝手になれる生き物なのだから。
(こういう依頼は、まともなルートには出せない。ああいう裏稼業の奴らじゃないと、様々な隠れ道を知らないからな)
彼らはまともな関所を使わない。途中までは街道を使っても、肝心な領土の境では山越えや川などを使い、痕跡を残さないようにするのが当たり前になっている。だから追跡が遅れる。
同時に、子供連れのくせにそういったまともな道を通らないなら、やはり・・・と、思わせることができるのだ。
(本来、我ら神官はあなた方の為にいる存在。決して女神シアラスティネル様の権威を利用しようとする神殿上層部の為にいるわけではない。ハールカ、マーコット。君達が憂いなく笑って暮らせる為なら、俺は喜んで大神殿を裏切り、打てる手は全て打つだろう)
だから構わない。誰を欺こうと、裏切ろうと、どんな目に遭わせようと。
その暗く蒼い瞳に決意を湛え、イスマルクは更に自分も隣国などへと旅立った痕跡を残す。自分とよく似た色合いの男を雇い、それが街道を使って旅立ったようにする小細工も幾つか重ねて。
それは神殿上層部が自分の動きを調べたとしても問題ないようにする為だ。その通過地点に決して遥佳達のいるドリエータ方面を使わなかったのは、言うまでもない。
(さて、と。大神殿へ報告に戻るまでの間、色々な場所の美味しいものでも見繕ってくるか。あの二人が喜びそうなものを)
海産物はドリエータではあまり出回らないのだが、干物なら日持ちもするだろう。
(高価な衣装はあったけど、やはり今時の女の子が喜びそうな物だって欲しいよな)
ちょっとした可愛らしい物を喜ぶのが女の子だろう。高ければいいというものではなく。
そう考えたイスマルクは目についた店で十代の女の子が喜びそうな物を買い求めることにした。スカーフやリボンに使えそうな絹や木綿、彼女達は喜んでくれるだろうか。
ああ、本当に、できるならこういったものでくるんで大事にしまっておきたいものだ。
「人気なのはこの淡い黄色なんですよ、お兄さん。うっすらと黄緑っぽい光沢があるでしょう? それからこっちの紫も光を当てると赤い光沢が浮かび出るの。お値段も張るけど、これは特別な方に贈るものですからね」
「へえ。綺麗なもんだな」
こんな細い布なのに高いだけはある。緻密な模様が浮かび出る布は光沢もあり、美しい。
聞けば、夜会の時に髪飾りとして使われたりするのだとか。ヘタな宝石よりも目立つそうだ。
「ええ。お目当てのお嬢さんにはぴったりですよ。絶対に喜ばれる。お幾つぐらいの方?」
「えーっと、15か16ぐらいだったと思うんだが」
「あらあら。まだお若いのね。それならこっちのピンクはどうかしら。光にあてると濃いローズピンクの陰ができるのよ」
「ならその黄色とピンクを二つずつ」
「あら、二人いらっしゃるの? もしかして妹さん?」
「・・・ああ。とても大事な妹なんだ」
「まあ。だけどこのシルク、婚約者とか、そういった特別な女性に贈るものよ」
「特別に可愛いからいいんだ」
イスマルクは堅実な経済観念を持っているが、神子達に関して全くそれは機能していない。特殊な織り方で地模様を浮かび出させたそれを買い、大切そうにしまった。
あんなにも可愛い神子達なのだ。それこそ普段使いでいいだろうと、そんなことを思いながら。
そうして次の店では衣服を見る。
「この寝間着、かなり生地が滑らかなんだな」
「ええ。それは木綿でもかなり細い糸を織りこんで作ってますからね。だから手間もかかるし、美しい滑らかな生地に仕上がってるんですよ。けれどもこれでできた寝間着を着慣れたら、もう二度と普通の木綿の寝間着には戻れないぐらいに気持ちがいいんですよ」
「へえ。そうなのか」
真琴は少年の格好ばかりしているが、寝る時なら可愛らしいネグリジェだって着るのではないか。
「じゃあ、この寝間着を二つ。十代の女の子だが、サイズはどうなるかな」
「こっちのネグリジェならサイズはあまり関係ありませんよ。ゆったり作ってありますし」
「そうか」
十代の女の子というのはほとんど壊れ物だと思っているイスマルクだ。土壇場になるとやはり粗雑な作りのものよりも繊細なものを選んでしまい、結局高い買い物ばかりしていた。
やがて。
「すみませーん。こちらの治療院宛てでハールカさんって方にお届けものです」
「は? 何だ、運び屋か? そんな高いもんで何の荷物が・・・」
治療院で遥佳宛ての荷物を受け取ったレイノーは、受取証にサインし、それを遥佳に渡した。
「イスマルクから? 何かしら? こっちにも宅配便ってあるのね」
「宅配便? 運び屋だろ?」
そう言いながら、わざわざ高い運び屋に依頼してまで何をイスマルクは送ってきたのかと、皆が興味津々でそれを見守る。
そうして箱を開けた遥佳達は、無言になった。
「どこのお姫様だ? いや、似合うだろうが、かなり高そうだな。なあ、レイノー。これ、シルクじゃないのか?」
「だな。しかしこれって嫁入りとかで着飾る為のもんじゃないのか? まさか嫁に行くのか、ハールカ?」
「行かない行かない」
ぷるぷると、首を横に振る遥佳だ。
下の方に入っていた魚や貝の干物は有り難く料理に使うことにしたし、お菓子も皆で食べることにしたものの、リボンが沢山ついたネグリジェなどを見た日には、さすがのハミトも、
「まさかイスマルクの所に嫁に行くわけじゃなかろうな」
と、そうも言い出す。
「そんなことないから」
どう見ても普段使いのものではなく、特別な婚礼の夜などに使われる高級品だ。
イスマルクは現地で買ったからそこまでではなかったが、この辺りではまずそんなものは流通しておらず、ゆえにハミトもそう判じたのである。
同じ物が二つずつあっても、真琴は男の子と思われているので、遥佳一人にだけ贈られてきたようにしか見えなかった。
「ハールカだけにこれというのは、やはりそういうことじゃないのか?」
「別に私にだけというわけじゃないと思うんだけど」
「だが、女の子用ばかりだろう」
「マーコットにもってことだと思うの」
「いや、いくらお金持ちの坊ちゃんでもこんなフリルひらひらな寝間着は幼児の間しか着ないぞ?」
「今度、イスマルクが戻ってきたらそう言っとく」
肝心の真琴は一人で買い出しに行っている。
というのも、人が集まってくるのにストレスがたまったヴィゴラスは、遥佳達の行き帰りにだけ送り迎えをして、それ以外の時間はどこかに飛んでいくようになったからだ。
さすがにあそこまで人がやってくるようになったら逃げ出したくなる気持ちもわからないわけではなく、遥佳と真琴もそれは諦めている。まだ送り迎えをしてくれるだけでもかなり有り難いことだろう。
「あのな、ハールカ。男が女の子にこんな寝間着とかを贈ってくるなんて、それは恋人相手ということだ。その気がないならちゃんと断った方がいい」
ハミトにそんなことを真面目に言われた日には、遥佳も何も言えなくなる。
(なんでイスマルク、こんな高そうなネグリジェを送ってきたのかしら)
子供の頃から神殿に入ったイスマルクは、男女のそういった暗黙の了解にかなり疎かった。
普通、下着や寝間着を贈るのは、そういう間柄の場合だけということも知らないぐらいに。
「と、とりあえずしまっておくから」
赤くなりながらそう言って、遥佳は第7神殿にそれらを持って帰ることにした。
だが、戻ってからそれを見た真琴も、
「可愛いけど、お腹めくれるしなぁ。それ、遥佳が使えばいいよ」
と、大の字になって寝る自分を知っていればこそ、ネグリジェはちょっと遠慮したいと言い出す。
「なら、こっちのリボンは? とっても綺麗よ」
「だけど私、リボンなんて使わないし。髪、それだけの長さないし」
(別にいいではないか。宝ではないが、その布もキラキラしてるぞ)
グリフォンが集めるのは黄金や宝石だが、キラキラしているガラスも嫌いじゃないと知った遥佳達は、第7神殿のリビングルームの床にヴィゴラス用のガラスを転がしている。そうしていると一人でも遊んでいてくれるのだ。そうじゃないと自分達を脚の間に抱えたまま解放してくれない。
今日も色とりどりのそれを転がしながら光るのを楽しんでいたヴィゴラスだが、いつの間にか寄ってきて布地を覗きこんでいた。
「気に入ったの、ヴィゴラス?」
(気に入った。ハルカやマコトもその首につければいい)
遥佳や真琴の首にその鷲の前脚で器用にリボンを結んだヴィゴラスは、それもそれで悪くないと、自分の脚の間に二人を抱え込もうとする。
(ここは素敵だ。俺にとって楽しいものが溢れている。ジンネル大陸に来て良かった)
「ちょーっと待った待った。ヴィゴラス、気に入ったんなら遥佳だけにしといてっ」
「真琴。あなたねぇ、どうして私ばかりを生け贄にするの」
(なんだとっ。一つより二つの方がいいに決まってるではないかっ)
「一つじゃ足りないって言ってるわよ、真琴」
「うー。じゃあ、じゃあね・・・」
そうして。
次の日から、ヴィゴラスの首にかけられた鎖部分には光沢のある黄色いシルクのリボンが通され、更にその首飾りが目立つようになった。
第7神殿に戻るとお揃いのリボンを遥佳につけて、ヴィゴラスは機嫌よく脚の間に抱えている。
裏の取引市場だけではなく、表の流通市場にも情報収集を徹底させていたギバティ王宮である。
その日、定期報告で受け取ったドリエータ地方からのそれには、こんな内容が書かれていた。
「黒一色でスケッチされただけの女神様と神子姫様方の絵を見かけたという情報がございました。
ですがそれは売りに来たのではなく、街角に貼られている絵を見て真似して描いたものだそうです。その絵を持ち運びできるよう裏打ちを発注していったとのことでした。
十代の少年が憧れて描いたものだった為、報告するまでもないとは思いましたが、どんなことであってもとの指示でございましたのでご報告申し上げます」
ギバティ王宮から、街角に貼られていた絵の元となったスケッチが盗み出されたことは公にされていない。
また、元の絵が黒一色のスケッチだったことも民には知らされていない。
けれども街角の貼り紙とは別に描かれた絵があったならその情報を集めるようにと、そう指示はしてあった。
さすがに王宮でも、たかが地方に暮らす庶民の子供が盗み出せたとは思わないし、あの絵を盗み出した人間によって既にそれは誰かの元へ届けられ、それこそどこかの城か豪邸に飾られているだろうと思ってはいる。
しかし。
「わざわざ彩色もしないスケッチに革で裏打ちとは・・・。そこまで手間をかけるなら彩色ぐらいするのではないか?」
そんな意見が一人の口から出る。
「そうですな。コードバンとはあまりにもバランスのおかしい話です」
その少年はスケッチの裏打ちに、コードバンを使わせた。
コードバンとは馬の臀部の革だが、他の部位と違い、とても質のいい頑丈な皮革がとれる。それこそその革の美しさは他の追随を許さないと言われている希少な部位だ。
店に置かれていた革を色々と説明されながら見比べ、その少年は一番綺麗で高価なものを選んだ。
「街で貼られている絵に比べて粗雑だったということですが、・・・街角に貼られているのはそれこそ宮廷画家の手によるもの。ですが・・・」
集まっていた人々の間に、どうしても浮かぶ疑念がある。
コードバンは、たかがラフスケッチ如きに使うものではない。そこらの牛革とは違うのだから。
普通の革よりも値が張る上、あの手触りと質感は、使い道を選ぶものだ。何でもかんでもに使おうとしたら、野暮天扱いされるだろう。
「その少年を捕らえ、そのスケッチを押収するのだ。盗んだ者が、疑われぬよう地方にいる少年を使って店に行かせただけで、とっくにどこかへ渡された可能性もある。もしもそうであれば、・・・全て吐かせろ」
ギバティ国王ブラージュが命じる。
「かしこまりました」
その命令はドリエータ地方を治める伯爵家へと連絡された。
大神殿へと戻ったイスマルクは、複数の第1等神官達を前に膝をついていた。
「まだ見つからぬのか、イスマルクよ。まさか手ぶらで戻ってくるとは」
「申し訳ございません。ちょうどこちらの近くを通る予定がございましたので、経過報告までにと立ち寄った次第でございます」
深々と頭を下げるイスマルクだ。神官であることを示すメダルなどは遥佳に預けてきたが、どうせ大神殿では顔だけで通過できるので問題なかった。
今まで第1等神官達から重宝されてきた歴史がそれを可能にさせている。
「で、どうなのだ?」
「はい。現在、神子姫様方を連れ去ったと思わしき男を追跡予定でございます。国外に出ておりますので今後の追跡はかなり困難になり、更に長引くかと存じます。どうぞ、私めにその追跡をお命じくださいますよう伏してお願い申し上げます」
「なんと・・・。国外へ出たと?」
イスマルクが渡した調査内容を、彼らがぱらぱらとめくる。
それには三人の幼女を連れ去った男の目撃談が細かく記されていた。
「疑いを持ったのは、その男が通常の街道を通らなかったことでございました。普通は領地の境にある関所を抜けるというのに、その男はどの関所も通っておりません。後ろ暗い稼業の者と推察しております」
ざわっと、その場の空気が揺れる。
「私も国外へなど出たことのない身。ですが幼い神子姫様方がどれ程にお心細く怖い思いをなさっていらっしゃるかと思えば、どうしてここで引き下がれましょうか。ましてや神子様方はその髪をも染めさせられている可能性があるのでございます。一刻も早く後を追いたいと考えております」
「よくぞ言った、イスマルク。それでこそ女神シアラスティネル様にお仕えする神官である」
満足そうに一人が大きく頷く。
「ですが他国ではどんな勢力が神子様方をかどわかしたとも分かりません。もしも国際問題、もしくは神殿の弱みを掴まれてしまうことがあってはならぬとも考えております。どうぞ私の第25神殿長の職をお解きくださいませ。神子様方を見つけずして戻るつもりはございません」
膝を床につきながら第1等神官達を見上げてくるイスマルクの蒼い瞳には決意が漲っていた。
それを感じ取れぬ人間はいないだろう。
己の決意に殉じる覚悟を決めた者の瞳だった。
「その覚悟や良し。今日を限りで第25神殿長の職を解こう、イスマルクよ」
「はい」
優雅にイスマルクは首を下げてその命令を受け入れた。
「だが、しばしここで体を休めるがよい。まずはこの追跡に人を雇って出しておく。放浪の旅で体もがたがたになっている筈だ。そうして五日後、発つがよい。その先で情報を受け取り、それからはそなたが神子様方をお救いするのだ」
「かしこまりました」
「また、第25神殿長の職は解くが、イスマルクは本日をもって第3等神官へと昇格させる」
さすがのイスマルクも大きく目を瞠った。そうして叫ぶように言う。
「それは・・・っ。なりませんっ。私はまだ若輩の身。第3等神官となればそれこそ・・・っ。どうぞお考え直しくださいませっ。他国を彷徨う身には過ぎたるものにございますっ」
もう二度と戻ってくるつもりもないのに、ここで出世などさせられても困る。
それがイスマルクを必死にさせていた。なぜなら第3等神官になどなってしまえば、世界的に捜索願いが出せてしまうのだ。はっきり言って迷惑である。
「だからだ。第3等神官ともなれば、他国の王侯貴族への謁見すらすぐに叶おう。ゆえにその身分をくれてやるというのだ。だがイスマルクよ。分かっていようが、第3等神官の権利を行使できるのも戻ってきてこそである。決して神子様方を取り戻すことなく、この大神殿に帰れると思うな」
「なんという有り難きお言葉でございましょうか」
イスマルクの声が震えた。
(あー、なるほど。つまり馬の鼻先にぶら下げた人参か。俺に第3等としての甘い汁を吸いたけりゃ何が何でも結果を出せ、と)
ならば受けるしかあるまいと、イスマルクも判断する。
「お心、しかと肝に命じまして」
緊張に顔を強張らせたような風情で、イスマルクは深く頭を下げた。
できればその給料を今すぐもらえたなら、遥佳達にもっと沢山のお土産を買っていってあげられるのにと、そんなことを思いながら。
第3等神官のメダルは、次の日にはもらうことができた。
一応は外国への探索に出ることになっているのだしと、イスマルクは旅に出る用意をしているかのように見せかけて、ハイキングが好きな真琴の為に色々な野外調理器具や寝袋などを買いこんでいた。
(山に薬草採りに行くのも楽しそうだったしな。手が痛くならないように、いい手袋も買っていってあげよう。運動が不得意そうなハールカも、歩きやすい履き物があれば行くかもしれない)
自分ならそこまでの物は必要ないが、遥佳と真琴を連れて行くなら体が痛くならないように最上級の物がいいだろうと、清貧に生きていた筈の元第25神殿長はそれまでに貯めたお金を遠慮なく使っている。
しかし、誰かに見られたらやっぱりまずいと思うので、どう見ても自分が使わなそうなそれは運び屋に依頼してドリエータの治療院まで運ぶ手配をした。
そうして色々と簡易な保存食なども買いこんだようにみせかけてお土産も揃えていたイスマルクだが、大神殿にある寮へと戻ってきたところで、大騒ぎしている様子に気づく。
「おい、何かあったのか?」
「なんだ、イスマルクじゃないか。あのド田舎から戻ってきてたのか。やっと位を下げて都に戻って来たか? いくら出世したくても、あそこまで嬉しくない出世があるかって感じだよな」
「おかげさまで。生憎とすぐ行かされるよ。もっと辺鄙なとこにな。それより何があった?」
イスマルクが僻地にある第25神殿を押しつけられていたことは皆が知っている。さすがに解任されたことまでは知らされていないにしても。
「いや。あのな。何でもドリエータの街で、女神様と神子様方が描かれた本物の絵を盗んだ少年が逃走中だとか・・・」
持っていた荷物が、ガコンッとイスマルクの手から落ちた。
「あっ! おいっ、イスマルクっ!?」
そのままの格好でイスマルクは大神殿にある馬小屋へと走る。そこで馬に飛び乗ると、イスマルクはそのまま駆け出そうとした。
広い大神殿とはいえ、門から出るまで馬に乗ることは許されていない。
「止まれーっ」
「どこの所属だっ」
制止する声を無視し、門までイスマルクは馬を走らせる。
「見つけたぞっ、イスマルク殿っ。第1等の方々がお呼びだっ」
「敷地内は騎乗禁止だぞっ、イスマルク殿っ」
「緊急事態だっ、今すぐ来るようにとのご命令だっ」
その門には、どうやらイスマルクを探していたらしい第4等や第5等といった神官達がいた。イスマルクは裏の作業用の扉から戻ってきたから出会わなかったのだろう。
「止まれっ、イスマルクッ!!」
「どこへ行くつもりだっ!」
「ドリエータに参りますっ! そこをお退きくださいっ」
その言葉と気迫に、神官達もイスマルクの本気を見たのだろう。
「行かせろっ。第1等神官様のご命令だっ」
「道を開けよっ。彼は第1等神官様のご命令で動いているっ」
誰もが門の両脇へと寄り、馬が通るスペースを広く開ける。
本来は他国へ捜索の旅に出る筈だったが、どちらにしても単独で動かすならイスマルク以上の人材はいないのだ。
女神と神子達が描かれた絵が盗まれていたということ自体、寝耳に水の話だった。
大神殿としては出遅れたことに苛立ちもある。
イスマルクが行くなら、それ以上のことはなかった。
(この噂が届くのにどれぐらいかかったのか。マーコット、どうか無事でいてくれっ)
逃走中ということは、真琴は追われているということだ。どんな思いでいることか。
この世で一番大切にされてしかるべき存在がそんな目に遭わされているなど。
(殺してやりたいっ。どこのどいつがそんな真似をしやがったっ。ハールカは無事なのかっ。ヴィゴラスは何をしていたっ。・・・何があろうと助け出す。どうか二人とも無事でっ)
首に提げているメダルは第3等神官のもの。
全ての関所を最優先で通過し、替え馬も次々と差し出させたイスマルクは、不眠不休でドリエータへと向かった。




