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135 真琴はキースヘルム達と山道を進んだ


 キースヘルムは急いでいた。何故ならばとっくにラースと真琴は出発しているからだ。


「ボスッ、本当に行くんですかいっ」

「ったり(めえ)だっ。黙ってついてきやがれっ」


 ジェルンの街で、優理が来たら知らせるようにと言われて待機していた二人も合流し、キースヘルムは五人の手下達を従えて馬を走らせている。


(くそっ、思ったより調達に時間くっちまったっ)


 遅れたら置いていくと言われている。だから慌てて必要な物を買いこみ、荷物をまとめて出てきたのだ。


(まともな道を使わねえとか言ってやがった。ぜってぇ遅れられねえっ)


 キースヘルムは、その朝のことを思い出しながら、教えてもらった合流地点を目指していた。




 まず、その日の朝はキースヘルムにとって思いもかけぬ出来事から始まった。

 ヴィゴラスを連れた真琴が馬でやってきた時から、それは開始されたと言ってもいい。


「あ。おっはよー、キース。ラースもおはよう、みんなもおはよう」

「今日も元気そうだな、マーコット。昨日は留守にしててすまん」

「おはよう、マーコット。今日はマントなんて羽織ってどうした?」

「おはようございます、マーコットさん。今日はなんか大荷物ですね。どうしたんです?」

「何かあったんですかい、マーコットさん?」

「そうしてっと、顔をフードで隠したら男にしか見えんですぜ。可愛いのに勿体ねえ」


 そこでキースヘルムはヴィゴラスに向かって爽やかに笑いかけてみた。


「久しぶりだな。ヴィーと呼べばいいのか?」

「誰だ、お前?」

「・・・・・・」


 知らない人に愛称を呼ばれたヴィゴラスがスパッと名前を尋ねたものだから、まさか忘れられているとは思わなかったキースヘルムが凍りつく。


「おはよう、ヴィー。こっちはキースだ」

「おはよう。で、お前も誰だ?」


 ラースが気をきかせて固まっているキースヘルムを見ながら紹介すれば、ちゃんと挨拶できるヴィゴラスはそう(のたま)った。


「えーっと・・・」


 昨日、自己紹介した覚えはラースにもちゃんとある。


「あ。ごめん、ラース。ヴィゴラス、興味ない人って全く覚えないんだよね。なんか(アリ)の群れみたいな感じにしか思えないらしくって、どれも覚える価値なし扱いしちゃうんだよ」

(あり)の群れ・・・」

「そう。誰も彼もが同じに思えるみたいなんだ。あ、仲良くなれば別なんだけどね。悪気があるわけじゃないから、物覚えが悪いだけなんだなって思ってあげて」

「・・・そうか」


 今までそんな扱いを受けたことのないラースはかなりショックを受けた。


「それよりいつまで馬に乗ってるんだ?」


 それでも気を取り直してラースは笑ってみせる。

 しかし真琴は馬から降りず、首を横に振った。


「あ、ごめん。私さ、ちょっと行かなきゃいけない場所ができたんだ。色々とありがとね、みんな。一応、挨拶だけしておこうと思って来たの」

「何かあったのか、マーコット? 行かなきゃいけない場所ってどうしたんだ?」

「うーん、それがね・・・」


 キースヘルムが尋ねれば、真琴は困った顔で説明する。


「私の妹、こっちに向かってる筈だったんだけど、どうも変な人に目をつけられちゃったみたいで、それを助けに行こうかなって。だから、さよならなの」

「どういうことだ、マーコット? お前の妹がどうしたって?」


 こっちに向かっているという真琴の妹は、優理のことだ。

 そうと知っているキースヘルムは、その黄緑色の瞳に鋭い光を宿して問いかけた。


「んー、それがね。うちの妹、リンレイで偉い人に目をつけられたみたいなんだ。武器を持った男の人達に囲まれて連れてかれちゃったみたいなの。なんか少年にしか興味のない人がいて、男の子の格好ができる女の子が必要だったみたい」

「・・・・・・なんだと?」


 低く問い返したキースヘルムよりも、ラースが身を乗り出す。


「ちょっと待て、マーコット。リンレイの誰がそんなことを?」

「んー、そこはよく分かんない。なんだかね、その人、お役人さん達に命令できる偉い人だったらしいんだ。子供を産ませる為に、男の子の格好ができる女の子が必要だったんだって。うちの妹、男装したら少年にも見える顔立ちなんだよね。

 それを教えてくれた人と今から合流してリンレイに行くんだけど、急ぐから裏道を行こうと思って。じゃあね、キース、ラース。そしてみんなも色々とありがとう」


 説明を終えて馬首を翻し、真琴は元来た道を戻ろうとした。そこへラースの声が追いすがる。


「待つんだ、マーコットッ。そういうことなら俺も行くっ。俺もリンレイには詳しいっ。そんな非道を許せるかっ」

「え? だけどラース。私達、結構飛ばしていくよ? ついてこれるの?」

「勿論だっ。少し待ってろ、すぐに用意するっ」


 すごい勢いでラースは別荘の中に駆け込んでいった。自分の荷物を持ってくる為だ。


「うーん。やっぱりラースってば正義感がある人だよねぇ」

「マーコット。どの道を行くって? 俺達も行く」


 しょうがないなと、真琴がラースを待つ為に馬をその辺りで足踏みさせれば、キースヘルムが怒りを押し殺しているような声で尋ねてくる。


「えーっと、山道だからどの道って言われても,道なき道って奴かなぁ。だけどキース達も行くの? 関係ないのに」

「これもまた何かの縁だ。どうせ例の件はストップしたしな」


 優理がジェルンに来ないのならば、キースヘルムがここに留まる理由はなかった。


「すぐに用意してくれるの? 私達、それを教えてくれた人とこれから合流して山道に入るんだけど、あまり時間がないんだ。合流する前に買い出しもしないといけないから」


 人里が全くない道を行くのだから全ての食料を持っていかないといけないのは当然である。

 キースヘルムは頭の中でジェルンにいる手下二人を回収することを考え、即座にポケットから金貨を取り出して真琴に渡した。


「その合流地点はどこだ? 悪いが俺達の食料も一緒に買っておいてくれ。六人分だ。ある程度の携帯食料はあるが、足りねえなんてことにはなりたかねえ」

「六人分ね、分かった。えーっと、・・・ちょっと待ってね。地図、地図っと。・・・あのね、ここで三つの鐘が鳴る時に待ち合わせなんだ」

「そうか。それに間に合うように向かう。だから俺達も連れていけ。これでも役に立つぜ」

「だけどさぁ、本当にいいの? うちの妹、監禁されてる筈だし、そうなるとかなり荒っぽいことになるよ? そーゆーの出来るの?」


 真琴に問われ、キースヘルムは冷笑する。


「任せとけ。そういうのは得意だ。・・・そいつに、手を出すべきじゃねえ相手に手を出したこと、後悔させてやる」

「私としては有り難いけどね。じゃあ、間に合うようにそこに来てくれる? ラースには私達、ジェルンの街で先に買い出ししてるって伝えといて。時間がもったいないから」

「おう」


 優理達一行がなかなか来ないと思ったら、そんなことで足止めされていたとはと、キースヘルムも怒りがこみあげていた。


(俺がここでのんびりしてる間に、クソがあいつに目ぇつけたってかよっ)


 真琴に買い出しを頼んだキースヘルムは、自分も別荘内へと駆け戻る。話を聞いていた手下達三人も、この状況を理解していた。

 即時にこの別荘を引き払い、出立するということだ。


「ボスッ。ここにはもう戻ってこねえんすかねっ?」

「ああ。ユーリを取り戻したら、ギバティールに戻るっ」


 リンレイの地でそれなりに権力を持っている人間を相手にするなら、優理を取り戻した後はすぐに逃げた方がいい。そんな時に包囲されやすい田舎へ行くのは馬鹿の極みだ。

 逃げるなら人が多くて栄えている都市に限る。


「斧とかも拝借してきますぜっ」

「他にも使えそうなもんはもらってけっ」


 あまりおおっぴらには言えない人生を歩んできた彼らは、監禁されているであろう人間を助けるとしたら破壊道具が必要なことも分かっていた。

 バタバタと別荘で荷物をまとめ始めたら、私室から荷物を担いだラースがやってくる。


「ラース、マーコットは先にジェルンの街で買い出ししておくそうだ」

「そうか。キース達も行くんだな」


 それは問いかけではなかった。だからキースは凄みのある笑みを浮かべる。


「ああ。ユーリ(あいつ)は俺のもんだ。他の男にくれてやる気はねえ」


 その言葉に、ラースも薄く笑ってキースヘルムの肩をぱんっと叩いた。

 やはりリンレイで捕まったというのは、キースヘルムの思い人である妹の方だったかと、ラースは不思議な運命の巡りあわせに思いを()せる。

 駆け落ちしたいと願う程に恋焦がれた相手とならば、幸せになってほしい。


「きっとマーコットも見直してくれるさ。その妹ともそれで大団円だな。先に行くぜ」

「ああ、後で会おう」


 互いに瞳と瞳で語り合い、ラースはまだ今ならジェルンの街までに追いつける筈だと、別荘を出て行った。






 優理の大事だというので、きちんと聞いていなかった自分が悪いのだと、キースヘルムも分かっている。

 落ち着いて考えれば、十分に考えられる事態だった。それを確認しなかった自分が悪かったのだ。

 そう、「優理の危難を誰から聞いたのか」ということを、キースヘルムは尋ねていなかった。


「なんと、こんな所で会うとは奇遇だな。ギバティールにいると思ってたが、神出鬼没なことだ」


 キースヘルムを見て目を丸くして問いかけてくる顔は、初対面のものではない。


「あれ? ディーと知り合いなの、キース? もしかしてニッカスさんも知ってるとか?」

「・・・・・・まあ、な」


 何とか待ち合わせ時刻までに合流場所に到着すれば、そこにいたのはディッパとヴィゴラス、そして真琴の三人だった。ニッカスとラースは、更に追加の買い物に行ったそうだ。

 色々と(やま)しい覚えのあるキースヘルムは、ディッパがどこまで聞いているのかと思い、背中に冷や汗を垂らしながらそれを確認しようとする。

 そう、たとえばファリルの買収だとか。

 そう、たとえばファリルから優理の宿泊ルート情報ゲットだとか。

 そう、たとえばその情報を使って優理を拉致し、監禁して手に入れる予定だったとか。


「あ、あのよ、・・・えーっと、他の奴らはどうしたのかって・・・」

「ん? ああ、置いてきたが?」


 ディッパは、なんでもないことのように答えた。


「うちの者達がどうかしたか? ちょうどギバティールでやってたことが終わってな、せっかくだからユーリ殿と合流しようと思ってニッカスとやってきたのだ。

 そこでユーリ殿の危難を知り、まずはマーコットに会いに来たのだ。やはりギバティのことは俺では分からんからな」

「い、いや、何でもない。そういうことなら何でもないんだ」


 どうやら自分が優理の情報をファリルから流してもらったことはばれてないようだと、キースヘルムは安堵する。

 それはいい。それはいいのだが、問題はそればかりではない。


「ちょ、ちょっとこっちへっ」

「ん?」


 キースヘルムはぐいっとディッパの腕を取り、真琴達から少し離れた場所まで連れて行った。

 そうして小さな声で頼み込む。


「すまんっ。俺のことはキースでっ。マーコットにはキースって名乗ってんだよ」

「別にキースだろうがキースヘルムだろうがどうでもいいだろう?」


 自分もディーと名乗っているディッパは、ヴィゴラスのこともヴィゴラと呼んでいるし、そんなことを頼まれても意味が分からず問い返した。


「あいつ、変なとこ潔癖そうだから騙してたなんて思われたかねえんだよ。頼む、キースって名前でっ」


 キースヘルムも馬鹿ではない。

 優理にもそういう所はあるが、真琴はそれ以上に騙されることを嫌うことには勘づいていた。

 人を見る目を持たずして、人を束ねることはできない。

 例えばこれが、

「キースヘルムという名前だが、キースと呼んでくれ」と、言ったのならば問題はなかっただろう。だが、最初から違う名前を名乗っていたとなると、

「え? それ、どーゆーこと? 私には嘘つく気だったの?」などと言い出すタイプだと、キースヘルムは真琴をみていた。

 つまり真琴はお子様で我が儘なのだ。


「この俺に頼みごととは高くつくぞ。まあいい。貸しだからな」

「ああ、ああ。何でもいいから頼む」


 貸しと言われても、たかが名前をどう呼ばれるか程度のことだ。

 だからキースヘルムは、こくこくと頷く。

 優理がどんな状況におかれているにせよ、それを助けだすのに真琴の身体能力は心強く、外せない。ましてや同行しているヴィゴラスの腕っぷしは最強レベルだ。

 変なことをこじらせても意味はないと、キースヘルムは優先順位をいち早く把握して行動した。


この男(ディー)のお供らが一緒だったら面倒なことになったが、いないなら何とでもなる)


 ディッパが優理に対して恋愛感情を抱いていないのは、十分に分かっている。

 レイスは厄介だが、状況的に仕方がないとはいえ、権力者とやらから優理を守りきれなかったのだ。

 そこで自分の姉(マーコット)と共に救いに現れるキースヘルムがいたら、優理にとってどちらが頼もしく映るかなど、火を見るより明らかだろう。


(安心しろよ。ユーリ、てめえを汚したってぇ奴はちゃんと殺してやるさ)


 その下手人はヴィゴラスということにしておけばいい。

 世の中、物事はうまく立ち回った奴が得するようにできている。

 傷ついた優理を慰めながら、自分は全てを手に入れるだけだ。


(あれでユーリもこすっかれえところがある。うまくすりゃ、まだ無事だろ)


 焦る気持ちがないわけではない。それでも冷静さを逃して仕損じることは多い。

 大切なことは場を読み、冷静に勝てる要素を積み重ね、一気に荒っぽくやることだ。

 それはまさに風林火山 ※ の極意だった。



― ※ ―

 風林火山:有名すぎて知らない人はいないであろう戦国時代の甲斐の武将、武田信玄の旗印

「疾如風 徐如林 侵掠如火 不動如山」を縮めて呼んだもの。

 

 その(はや)きこと風の(ごと)く、(しず)かなること林の(ごと)く、(おか)(かす)めること火の(ごと)く、(うご)()ること山の(ごと)


 武田信玄は戦の傷を癒す為の温泉を愛したことも有名だが、それらは「信玄の隠し湯」として知られている。

 様々な逸話が多すぎて、どれが本当でどれが誇張でどれが創作やら分からない程に人気な武将の一人。

― ※ ―



 自分の獲物に手を出したやつを出し抜く気満々なキースヘルムだが、そんな優理の婚約者という触れ込みのディッパは、害意のない笑顔でのんびりと尋ねてくる。


「ところでキース殿はどうしてこんな所に?」

「いや、ちょっと商売のことでな。本当に偶然だったんだ。で、ラース達は何を買いに行ったって?」


 ディッパにとってキースヘルムは、ドレイクの口利きで契約している医師の仕事場などを見せてもらっただけの知人だ。

 わざわざ人間関係を悪化させる必要はないので、キースヘルムは慌てて話題を変えた。


「ん? 買い出ししてきた物を照らし合わせて人数を確認したら、今の鍋では小さいということになってな、だから買いに行った。椀も足りなかったらしい」

「・・・そ、そうか。そりゃすまなかった」

「いや、いいさ。普通はそこまで民家や店がない道を行くことは考えないからな」


 キースヘルムとて、自分達が増えたからこその買い増しだとすぐに察する。


(時間がねえと焦ってやってきた俺らは何なんだ? てか食器や鍋なら別荘から取ってくりゃよかったぜ)


 真琴に六人分の食料を頼んでおいたキースヘルムだが、素直な真琴は食器まで考えていなかったらしい。

 キースヘルムは思わず天を仰いだ。






 山の日暮れは早い。それは、周囲に灯りがないせいだろうか。

 優理はそんなことを思った。


「同じ焚き火でも、街道筋の野宿と違って、山の中だと周囲が本当に真っ暗に思えるものなのね」

「ははっ。怖けりゃ俺と一緒に寝るか、ユーリちゃん? いつでも添い寝は受け付けてるぜ?」

「怖くないからそれはお断りするけど」


 フォルナーの軽口にそう返しながら、優理は荷物の中からコーヒーを見つけ出す。


「あ、これこれ」

「じゃあ寄越(よこ)しな。煎ってやるからよ」

「はぁい」


 ()いてあるコーヒー豆はデューレ達にあげてしまったので、優理達の手元に残っているコーヒーは焙煎前の豆だ。それはデューレやウルティード達の手間を省く為でもあったが、優理にしてみれば焙煎挽き立ての方が美味しいという思惑もあった。

 フォルナーが手際よくコーヒー豆を煎り始めるのを見ながら、優理は少し離れた場所でしゃがみこんでいるレイスに声をかけてみる。


「レイスもコーヒーにお酒入れる? それともミルク?」

「俺は香り程度の酒でいい。フォルナーにはそれなりに入れてやってくれ。お前はミルクに少しコーヒーを入れる程度にしとけ、ユーリ」

「別に私、コーヒーくらいで眠れなくなるお子様じゃないんだけど?」

「夜泣きされても困る。お子様はホットミルクを飲んでいい夢を見ろ」

「・・・・・・お子様じゃないもん」

「自分の体形を見下ろしてよく考えろ」


 そんなレイスが何をやっているかといえば、洗濯だった。

 フォルナーが、

「レイスは綺麗好きすぎて困る」と、ぼやくぐらいに、レイスは水浴びや洗濯をよくしている。

 優理には高評価な一面だった。

 洗濯した衣類にミント系の香りまでつけるので、虫除けと爽やかさの維持効果まである。

 そこには全く文句がない優理だが、レイスの言い草にだけは色々と思うものがあった。


「何故かしら。もう少し女の子に対する優しさがあってもいいと思うの」

「優しくしてやってるだろう。何が不満だ」


 水気を絞った洗濯物をまとめて立ち上がると、レイスはそれを広げて木々の枝や葉の上に置いて干していく。

 ミントの香りが広がって、優理はその中にレモンのような香りも混じっていることに気づいた。


「そこはカイトさんを見習って、もうちょっとお姫様扱いしてくれてもいいんじゃないかって思うのよね。ああいう思いやりのある言葉とか」


 レイスがしばし考える様子になる。


「あれはお姫様扱いでも思いやりのある言葉でもなくて、ただの幼児扱いだろう? 敬語を抜かして考えれば、誰がどう見ても小さな子供に対するそれだったぞ」

「・・・うっ」


 気づいてはいた。何となくそれには気づいていた。

 だけど初対面だったくせに、どうしてレイスはもうカイトを理解しているのか。


「いつの間にカイトさんとそこまで仲良くなったの? なんか分かり合ってる感じだったけど」

「分かり合ったというより、・・・恐らくだが、最初、俺がフォルナーをあっちの殿下と行かそうとしていたのに、お前の守りが減るとみたら即座にフォルナーをお前につけようとしたことで評価されただけだろう。俺達もそうだが、あの男も優先順位がはっきりしてるだけだ」


 洗濯物を手早く干し終えたレイスが火の所に戻ってくる。


「こういうひとときがほっとするな」


 いい具合に焙煎しているフォルナーに向かい、レイスはぽそっと呟いた。


「そうだな。夜の焚き火ってのぁ、なぁんかずっと見てたくなるよな。しっかしそこまで俺を評価してたのかい、あのカイトって奴ぁ」


 強い男に強いと評価されるのは気分がいいものだ。

 だからフォルナーは確認を入れる。


「多分な。誰に対してもにこやかに愛想よく振る舞っちゃいたが、あの瞳を見りゃ分かる。あれは自分しか信じちゃいないが、仕事なら妥協するって奴だ。俺達と同じだな」


 レイスとフォルナーがつくなら優理は安全だと、カイトは判断したのだ。

 そして救出には自分の方が適役だと判断して、一人でリンレイへ向かった。


「なるほどな。だが、傭兵っぽかなかったぜ?」

「そういう前歴がないってだけだろ」


 その会話についていけない優理は黙ってそれを聞いているしかない。

 こういう時、体で感じ取る能力というものを突きつけられる。それは自分にないものだ。

 データ収集としてならば比類なき能力をもっている自分だが、それは完全ではないと、実感せずにはいられない。


(だけど仕方ないわ。私は筋肉自慢じゃないんだもの)


 色々と考えるからこそ、優理は全てにおいて迷い悩む。迷いのない彼らを羨ましく思うこともないわけではないが、迷う自分でいいのだとも感じている。

 生き方が違うとはそういうことだ。


「どうした、ユーリ? 疲れたか? ミルクだけじゃなく砂糖も少し入れておくといい」

「ん」


 黙りこんだ優理に気づき、レイスがその頭を撫でてくる。

 こてっと、優理はレイスの肩に自分の頭をもたれさせた。


「どっちにしてもユーリちゃんにはみんなが甘いな。大体、お前ばっかり添い寝してるってのはどうかと思うんだが」

「お前だと寝ぼけてユーリを襲うだけだろう、フォルナー。一人が寂しいなら卵でも抱いて寝てろ。きっと立派なヒヨコが孵化するさ」

「しねえよ」


 パチパチと、くべられた枝が焼け焦げながら火花を弾けさせていく。ごく近くしか照らさない炎は、周囲の闇を更に暗く感じさせた。


「カイネさんとエミリール、無事かしら」


 様子を探りたくても、山の細い道を進む以上、昼間に寝込むわけにもいかない。

 レイスに頼めば眠りこんでいても運んでくれるだろうが、その場合、どれ程の負荷をかけるかと思えばできなかった。


「大丈夫だろう。あの男が一人で行くと言ったのは、俺達と行くよりその方がやりやすいからだ。こういう時に格好をつけるのは騎士だの何だのだけだ。

 残ったカイネにしてもその方がいいと思ったから残ったし、エミリールもそうだろう。俺達もそうだ。カイトも同じタイプなら、黙って任せておいた方がいい」

「だけど私が・・・」

「どうでもいいことだ」


 くしゃりと、優理の黒い髪をレイスの指が梳いていく。


「そうそう。そんなのどうでもいいことなんだぜ、ユーリちゃん。

 あの時、ユーリちゃんを差し出した方がいいと判断したら俺達だってそうしたさ。逃げた方がいいって判断したから逃げたんだ。

 いざとなりゃあ俺達はギバティールに戻ればそれなりのコネもある。心配しねえで女の子は守られてな」


 フォルナーも、明るい調子で焚き火の向こうから声をかけてきた。ゴリゴリと煎り終えた豆を砕きながら。


「それで、いいのかしら。だって、私のことで・・・」

「それでいいんだ、ユーリ。お前はそんな小さなことを考える必要はない」


 レイスが低く静かな声で断言してくる。その力強さに戸惑って、優理は横にいる男を見上げた。

 炎に照らされた赤茶色の瞳が焦げ茶色に見えて、自分とお揃いの色だなと、そんなことをふと思う。


「お前はもっと大きな目で見るべきことがある筈だ。他の奴が対応していることで悩むのは時間の無駄でしかない。お前が、傷つく必要など何一つないんだ」

「・・・だって」


 無事にエミリール達が逃げられるのならいいのだ。

 だけどもしものことを考えると罪悪感が疼いた。

 その気になれば自分は彼らを守れたのではないかと思うから。その時にはもう、自分の正体を隠すことはできないとしても。

 優理達は誰に対しても権力を行使できる立場であることを知っている。

 だけど今、様子を探ってきてくれるシルフはいなかった。カイトについていってしまったから。


(私の様子を見に来ているシルフもいるみたいだけど、あれ、真琴の所にいるシルフよね、きっと。私の無事を確認したらすぐに戻っていっちゃうし)


 自分の為に妖精達を使役するだなんて、ずるのようでしたくなかった。だけど自分の周りにいる人達の為ならばできると思う自分が、ただ(かたく)なで意地を張っているだけなのか。

 真琴は思いっきり使いまくっている気がしてならないけれど。

 思えばカイトと再会した時、その周りにいた風の妖精(シルフ)達は、何の為にいたのか。


(私達の為にしか動きたくないって思う妖精を、カイトさんの為に動かそうとする真琴が無神経なだけな気もするわ。それでも真琴が喜ぶなら、シルフ達もいいのかもしれないけど)


 甘えん坊で感情的な自分の姉妹。

 優理や遥佳と違って、真琴には自分の持つ力をセーブしようと思う気持ちはないだろう。

 真琴のことだ。きっと「え? だってシルフ、してくれるんだよ? 何が悪いの?」と、けろっとした顔で言うに違いない。


(いいわ。だってもう疲れてる)


 優理はそれ以上考えるのをやめることにした。


「ほれ、コーヒー入ったぞ。ユーリちゃんは薄めておいた方が良さそうだな」


 フォルナーが声をかけてくる。


「はい、フォルナーさん。あんまり入れすぎちゃ駄目よ。酔っ払っても知らないんだから」

「その程度で酔わねえよ」


 優理が度数の強い酒を渡せば、にかっと笑ってフォルナーがいなした。


「ユーリ、お前はミルクだ。飲んだら早めに休め」

「うん」


 レイスが温めたミルクをカップに注いでくる。

 だからもう考えていたくない。

 甘いカフェオレを口に運びながら優理はそれを自覚する。


(やっぱりずるしてても疲れてきてる。根本的な体力が違うのね、私じゃ)


 大きな眠気がやってきて、優理は歯を磨きに行くことにした。

 歯を磨いてうがいして、そうして寝てしまえばいい。

 レイスは火の番をしながら自分と一緒にいてくれるだろう。

 フォルナーも朝になったら優理が体を洗いやすいように目隠しを作ってくれる筈だ。


「ユーリ、何も気に病む必要はない。お前は何も悪くないんだ」

「・・・うん」


 レイスの言葉に甘えてしまいたくなる。

 

(カイネさん、エミリール・・・)


 早く戻ってきてほしい。ウルティードも戻ってきたなら、きっとドリエータの治療院がどんなものだったかを語ってくれるだろう。

 そうしてみんなで仲良く帰りたい、ギバティールにあるドレイク達の所へ。


「ちゃんと足を伸ばしてゆっくり休むといい。おやすみ、ユーリちゃん」

「おやすみ、ユーリ」

「おやすみなさい」


 レイスが作ってくれた寝床に潜りこみ、優理は目を閉じた。

 自分を攻撃されるより、自分の周りの人達を攻撃される方が辛い。

 そして自分の醜さも強く突きつけられる。

 もしもカイネやエミリールでなく、連れていかれたのが遥佳や真琴だったなら、自分は正体がばれようが何しようが、力づくでも取り戻しただろう。

 それなのに、連れていかれたのが自分の姉妹じゃないというだけで、こうして人任せにしようとするのだ。

 そんな浅ましい自分は何者なのか。


(レイスやカイトさんはそれでいいって言ってくれる。だけどもし、遥佳や真琴ならどうしたのかしら。真琴は実力で戦いそうだけど。・・・お母さん。私達は何の為に、こんなにも違うの)


 その問いに答える声がある筈はないが、孤独が辛くて優理はレイスの方へと体を向ける。

 

「大丈夫だ。全てはいい方へと転がっていく。安心しろ」


 自分を撫でてくる手の持ち主は、いつでも自分を見捨てることはないと知っているから。






 ドリエータ地方にあるドリエータ伯爵の城では、思いがけぬ混乱が生じていた。

 リンレイ城から駆けつけてきた軍勢を迎えたからである。

 一体何事かと、その知らせを受けたドリエータ伯爵も、それが自領を攻めてくるものではなかったことに安堵はしても、話を聞けば困惑せずにはいられない。


「なんと! 神子姫様が再びこちらの方へっ? ですがそれをお連れせよとは・・・」

「反論は許されません。これはミネルタ様の御命令です。神子姫様をお見つけ次第、何があろうともリンレイ城へお連れせよとのことでございます」


 その猛々(たけだけ)しい武装した騎士達を見れば、まさに力づくという言葉がぴったりで、ドリエータ伯爵以下、ドリエータ城にいる者達は不安そうな表情を浮かべずにはいられない。


(飾り立てた馬車を仕立ててお迎えにあがるというのならばともかく、これは何としたことか)


 それでも前国王妃にして現国王の母ミネルタの名前を出されて、地方の伯爵が何を言えるだろう。


「この地方全ての神殿にも協力させよと、ミネルタ様は(おっしゃ)っておいでです。この国に住まう以上、王太后様の御命令に逆らうこと、まかりなりません。ドリエータ伯爵におかれましては、その旨、きちんと各神殿へお伝え願います」

「かしこ、・・・まりました」


 他にどんな言葉が言えたというのか。

 このギバティ王国において神子姫に矢をかけるような真似をしたというので、一気に非難を浴びたドリエータ伯爵である。

 既に貴族としての力を失っていた。


「また、リンレイの兵士達がドリエータ地方を駆け巡ることにつきまして、快くご了承たまわりますようお願いいたします」

「兵士達が駆け巡るとは。まさかと思いますが、その武装した状態で神子姫様を捕らえるようなことをなさるのでは・・・」

「そんなことはございません。我らはあくまでお迎えにあがるだけのこと、武装しておりますのは神子姫様をお守りする為でございます」

「・・・・・・そうですか」


 だが、その言い分をどうして信じられようか。どう考えても神子姫は迎えなど望んでいないだろう。

 ドリエータ伯爵の背中に冷や汗が伝っていく。


(今度こそ神子姫様に何かあっては・・・。我がドリエータは終わりだ)


 あの時に当たった矢はどの兵士のものか分からなかったものの、それこそが幸いだった。

 あの捕り物に参加していた兵士のほとんどは神殿に駆け込んで懺悔し続ける騒ぎとなったからだ。指揮をしていた騎士も同様だ。

 もしも誰の矢なのかが判明していたら、その兵士は自殺していたに違いない。


(ミネルタ様の御命令・・・。だが、ラルース殿下はどうなさったのか。そして国王陛下はご存じなのか、このことを)


 それでもドリエータ伯爵はミネルタの性格を知っている。ここで逆らえば、どんなことになるかを。

 王太后ミネルタは、自分への侮辱を決して忘れず、許さない。


「リンレイ軍の通行を許可いたします。ですが我がドリエータとしてもそれとは別に探させていただきます。それはお互いのやり方もあるということで、別に行うことをご理解ください。栄えあるお迎えはそちらにお任せし、我らは地道な聞き込みからさせていただきます」

「承知いたしました。ならば神子姫様をお見つけ次第、こちらに報告するように要望いたします」

「かしこまりました。必ずお知らせいたします」

 

 むざむざと他領の軍勢に自領を闊歩(かっぽ)される口惜しさを押し殺し、ドリエータ伯爵はリンレイ軍を率いている男を見送った。

 恐らくすぐに見つかると思っているのだろう。自信満々で戻っていった今の男は、たしかどこかの伯爵の息子ではなかったか。


(恐らく、かつて神子姫様が暮らしていらした場所に行けばやってくると思っているのだろう。ミネルタ様に取り入ることで軍を任せられたか)


 国王直轄地のリンレイだ。貴族の誰かが率いることがあってはならない。だが、それができる程にミネルタの意向が全てにおいて反映されているのだろう。

 そうと悟り、厄介だなと、ドリエータ伯爵は嘆息した。


「皆を集めよ。体の空いている騎士や兵士達全員をだ」


 ドリエータ伯爵は、城の中庭に騎士や兵士達を集めて指示した。


「よいか。決してリンレイの軍勢とは事を荒立ててはならぬ。だが、・・・神子姫様をお見つけした者は、まずはこの事態を神子姫様に報告し、そのご指示を仰ぐように。また、神殿にも事の次第を伝えるのだ」


 その意味を考えれば誰もが顔を見合わせ、ついに一人の騎士隊長が発言する。


「ですが閣下。それがリンレイに知られましたらどうなるのでしょう」

「・・・リンレイにおわすお方に歯向かえば、ドリエータは今後、悲惨な運命を辿るだろう。

 だが、リンレイにおわすお方に従って神子姫様を差し出せば、我がドリエータは世界の非難を浴びるのだ・・・! 今現在、このドリエータの名が地に落ちているようにっ。

 その際、ギバティ王国は救ってくれぬっ。先だって王城の指示に従っただけのドリエータのみを地に落としたように・・・!」


 その意味を痛感しない騎士や兵士はいなかった。


「リンレイ軍に逆らうことはできぬ。だが、神子姫様の指示を頂戴してのこととなれば、話も違ってこよう。

 行くのだっ。今度こそドリエータの名を挽回する為にっ!!」


 ドリエータ伯爵の気持ちを理解しない者はいない。


「ははっ」


 大きく拝命する声が大気を揺らした。


(どんなことになるのか。ギバティールの国王陛下に早馬を飛ばさねばならぬ)


 恐らくミネルタの独断であろうと、それは伯爵にも分かっていた。だが、いざとなった時にはミネルタのそれは他の者の責任となってミネルタ自身は無傷で終わる。

 それが身分というものだ。

 ドリエータ地方をその肩に背負う伯爵は、次の指示に向かう為、足早に執務室へと戻っていった。






 山を駆けていく真琴の馬術に舌を巻いているのは、キースヘルム達だけではなかった。

 ラースにしても、そしてディッパとニッカス主従にしても、先頭を行く真琴のそれには別格のものを感じずにはいられない。

 ましてや地図を見ることもなく道なき道を駆けていくそれは、努力では追いつけぬ天性のものだ。


「ここの石橋、一頭ずつ渡ってっ。一気に二頭とか渡ったら崩れるからねっ」


 真琴は、普通ならば渡るのも躊躇う崩れかけた石橋なども器用に渡っていく。そして真琴の言葉を疑う理由はなかった。

 彼女がそう言うのならばそうなのだ。


(ちっ。なんてぇ統率力だ。いや、そうじゃねえ。あの圧倒的な能力が反論を許さねえ)


 僅か数十センチしかない幅の道を通ったこともある。あそこでよくぞ落ちなかったものだと思うが、先頭を行くのが誰よりも年若い娘とあれば、誰もが怖じ気づくわけにはいかなかった。

 先頭を真琴、ディッパ、ニッカス、そしてラースが続き、キースヘルムと五人の手下達、最後尾をヴィゴラスだ。

 何故、ヴィゴラスが一番後ろかというと、何かあればヴィゴラスは空を飛んでどうにでもできるからである。

 ついでにサボリでどこかに飛んで行ってもバレないという、そんなことも影響していた。


(本来、崩れている石橋を水圧で押し上げているだけだから、せいぜい一頭ということか。ウンディーネも一人しかいないのでは仕方あるまい。シルフの指し示す道を通る為に、かなり無茶をやらかしてるな、マコトは。・・・・・・だが、腹が減った)


 そんなことを思いながら、お腹を悲しく押さえる。

 真琴からは、

「ヴィゴラス、お腹がすいたら勝手に馬を走らせておけばいいよ。で、適当に狩りに行って食べてくればいいでしょ?」と、言われていた。

 こうして考えてみると、ちゃんと大量のご飯を作ってくれておやつもたっぷり用意してくれる遥佳はなんて優しいのだろう。

 やっぱり遥佳が一番素敵だと、ヴィゴラスは思った。


(マコトはどうもカイトと他の奴らをかなり差別しているような気がするぞ。俺に対して手抜きがすぎる)


 しかし、こういう遊びもたまにはいいかもしれない。

 ヴィゴラスは馬だけ走らせておいて、自分はグリフォンの姿に戻り、適当な獣を狩りに行った。

 問題はない。どうせ自分が乗っている馬はグリフォンに怯え、前を行くキースヘルム達の手下にくっついて走っていくだけなのだから。




 ヴィゴラスは休憩時間が少ないと不満に思っていたが、真琴はちゃんと休憩を取っている。

 馬だって疲労困憊させたら可哀想だからだ。


「凄いな、マーコット。全く地図を見ることなくここまで進めるとは。で、ここはどこなんだ?」

「んー、分かんない。だけど大丈夫、リンレイには向かってるから」


 そんなディッパと真琴のやりとりに、ラースはそっと視線を逸らした。

 分からずに馬を走らせてどうする。だが、それを言えないのは、恐らく間違っていないからだ。


「なあ、今の聞いたかよ、ラース。とんでもねえ所に連れてかれたらどうすんだろな、俺ら」

「・・・大丈夫だろう。方角としては間違ってない。だから俺もここがどこだかは分からんが、リンレイにはちゃんと向かっている筈だ」


 ひそひそと話しかけてくるキースヘルムにそう答えながら、ラースは山の道なき場所を平然と駆けていくだけの土地勘を持つ真琴に感心せずにはいられなかった。

 だからニッカスが火を熾してご飯を作ってくれるのを、まだかなまだかなと、じーっと見つめている真琴に近づいていく。


「なあ、マーコット」

「なぁに?」

「これだけ地理を把握できる能力があってその馬術・・・。お前、それをどこで身につけた?」

「ほぇっ?」


 ラースに訊かれ、真琴はきょとんとした顔になった。

 その横にあるもう一つの焚き火で、キースヘルムの手下達が飲み物の為の湯を沸かしている。


「どこで・・・」

「そう、どこでだ? 第一級の教えじゃないと身につかないだろう。かなり名の知れた人に師事したのではないか? 考えてみれば全てにおいてかなりの達人じゃないか、お前」


 真琴は考えこんだ。

 自分は地理なんて把握していない。ただ、風の妖精(シルフ)が教えてくれる所を通っているだけだ。

 馬の乗り方は、以前、貸し馬屋で練習していたし、こういう障害物が多いところでの乗り方もやってみたらやれているといった具合だ。


「うーん、別に教わったなんてのはないかなぁ」

「嘘つけ。あれだけの強さで独学ってのはないだろう」


 こてんぱんに負けまくったのはラースだけではない。キースヘルムと二人がかりどころか、五人がかりでも敵わなかったのだ。

 その道の達人が教えたとしか思えなかった。

 ただ、その戦闘能力は、所詮は個人のものだ。だが、ここまで普通じゃない移動までこなせるとなると話が違ってくる。

 真琴一人を手に入れれば、戦いの際にどれ程役立つことか。


「うーん。強いて言うならお父さんかなぁ。小さい時から遊びながら教わってたんだよね」


 そこでディッパが面白そうな顔になって参加してきた。


「お父上が? それは凄いな。ユーリ殿はそこまで運動は得意じゃなかったようだが、マーコットだけにお父上は教えられたわけか?」

「うん、そう。優理はそういう体を動かすの、あんまり得意じゃないんだよね。だから私だけ。お父さん、人は自分が得意なことをやればいいって考え方だったし」

「なるほどなぁ。誰しも向き不向きはある。いいお父上じゃないか」


 父親を褒められると真琴も嬉しい。

 何よりディッパはとても親切で、買い物の時にも真琴が気づかなかったことを色々と教えてくれた。

 おかげでカイトからも褒められたし、その礼を言えば、「参謀を揃えられるのも実力の内だ」と、真琴の頭を撫でてくれたのである。

 こんないい人がいてくれていいのだろうか。いいのだろう。全ての出会いは運命なのだ。


「えへへー。ありがとう、ディー。うちのお父さんね、とっても楽しい人だったんだよ。ちょっとお間抜けさんな所もあったけど」

「最高じゃないか。緩急(かんきゅう)をつけられる時点で、その実力も抜きんでていると分かるものだ」

「うんっ」


 後から参加してきたくせに、ディッパが真琴に浸食してきているようでラースはかなり面白くない。

 だがラースはディッパが少々苦手だったので、文句など決して言えない。

 こほんと咳払いしてから、ラースは話を元に戻した。


「そのお父上を紹介してもらえないか? それだけの人材、惜しすぎる。もしくはやはりマーコット、働いてみる気とかないか? かなり悪くない給料を出せると思うぞ?」

「あ、ごめんね。お父さん、人がまず辿りつけない遠い場所にいるから紹介は無理。あとね、私、働くのは向いてないと思う。運び屋とかならできると思うんだけど」


 真琴は自分を知っている。

 カイトと一緒に運び屋をやるのならできると思うが、カイトと離れてお仕事だなんて寂しすぎて耐えられない。


「いや、運び屋だなんてそんなの勿体ないだろう。マーコットならかなりの高給を出せると思うぞ?」


 いい人材は宝だ。

 性別に(こだわ)らずに評価する精神を、ラースは持っていた。


「お金の問題じゃないもん。大体、私を高く雇うだなんて物騒なことに決まってるじゃない。私が危ないことするの、カイト、絶対嫌がるから駄目。それに、そんなこと私がしようと思ったら、ラーナ達、何があっても全てぶち壊しちゃうよ」

「別にあの性格ドブス女じゃなくても、俺がぶち壊すが」


 けぷっと満足そうな顔で、ヴィゴラスが合流してくる。


「ラーナは性格ドブスじゃないよ、ヴィゴラス。ついでにラースは本気じゃないからぶち壊しちゃ駄目だよ」


 はぐれたのかと、実は安堵していたキースヘルムの手下達が一気に残念そうな顔になった。

 その点、面白い奴だとしか思っていないディッパは笑顔になる。


「なんだ、ヴィゴラ。馬だけになっていたから振り落とされたかと思ったぞ。マーコットが大丈夫だというから半信半疑だったのだが、やっぱり無事だったか」

「俺が馬などに振り落とされることはない。ちょっと気晴らしに行っていた」

「・・・そうか。普通は馬に置いていかれたら、もう合流はできないんだがな」


 しかしディッパは柔軟な思考の持ち主だ。


「まあいい。もうすぐニッカスの炒め物も出来上がるだろう。ヴィゴラの分もちゃんとあるから安心しろ」

「そうか。お前はいい奴だ」

「その言葉はニッカスにかけてやってくれ」

「いや、俺は遠慮したいですね。ヴィゴラさん、その後で下僕第何号にしてやるとか言い出すんですから。冗談じゃない」


 思いっきり嫌そうな顔で、ニッカスは首を横に振った。






 どんな時でも情報は大切だ。だから真琴は、風の妖精(シルフ)達に頼み、分かる限りの情報を集めてもらい続けていた。

 風の妖精(シルフ)達は、真琴の道案内をする役割と、リンレイで情報収集してくる役割、優理の様子を見てくる役割とに分かれて天手古舞(てんてこま)いだ。

 馬上でそれらの情報を聞き分けながら、真琴は皆の先頭を走っていく。

 本来は通れないぬかるんだ沼地すら、水の妖精(ウンディーネ)のおかげでただの柔らかい地面と化していくのだから、圧倒的に移動時間を短縮することができていた。


(遥佳は、何でもかんでも知ってしまうのはいけないことだって言うけど・・・。別に知ることができるなら知っちゃってもいいんじゃないかなって思うんだよね。

 遥佳もその気になれば、スパイ王国の女帝で天下無敵だってのにさぁ。優理もその気になったら失敗知らずの最強軍団のボスだもん。いいなぁ)


 その点、自分はほとんど無力だと、真琴は少し寂しい。

 体を動かしたり、色々な姿になれたりはするが、それは自分だけのことであって、誰かのことを知ったり物事を理解したりだなんてできない。

 世の中だって人の心だって、全ては分からないことだらけだ。


(きっと私、三人の中でも最後だったから、余りものな能力しかもらえなかったんだね)


 だけどそれでもいいやと思えるようになった。

 お願いしてみたら、妖精達は喜んで協力してくれる。

 色々な姿に変身してみれば、みんなが可愛いと言ってくれる。

 役に立たなくても、カイトはいてくれればいいとキスしてくれる。


(何より、今は私が二人のお姉ちゃんだしっ)


 やっぱり末っ子としては笑いが止まらない下剋上なのである。

 今や偉そうにしていた姉妹二人は、自分の妹なのだ。つまり、自分の方が偉いのだ。


(えへへー。今度、優理と遥佳に、「お姉様」って言わせてみようっと)


 そんな野望を抱きつつ、真琴はリンレイに向かって移動していた。

 だが、日暮れを考えればそろそろ休憩にした方がいいと、風の妖精(シルフ)達が伝えてくる。


「はーい、止まって止まって。ゆっくりでいいからねー。うん、いい子いい子」


 よしよしと馬の首を叩いて、その(ひら)けた場所をゆっくりと速度を落とす感じで少し歩かせれば、横に並んだディッパが声をかけてきた。


「休憩か、マーコット?」

「うん。ここなら小さな川もあるしね。今日はここで休んだ方がいいと思うんだ。この先はあんまりいい野宿できる場所はなさそうなんだよね。ディーは大丈夫? 疲れてない?」

「大丈夫だ。・・・ちょっと待て。ちゃんと水は沸かしてから飲んだ方がいいからな」

「はぁい」


 ニッカスが真っ先にその周辺を見回って確認している。


「じゃあ、馬はこっちに連れてきてください。枝に繋いでおけばいいですし、水や草もありますから」


 真っ先にニッカスは馬を休ませる場所を決めたようで、皆を誘導した。


「天幕を張るなら、ここらがいいんじゃないっすかね」


 キースヘルムの手下達も馬に乗ったまま見回り、少し高い位置を提案してくる。


「そうだな。この地形だともう少し上がいいんじゃないか? 夜に雨とかが降ったらそこでは危険だ」


 それに対してラースが風に含まれる湿度をたしかめながら、そのぼさぼさになった黒髪を掻き上げた。

 良くも悪くも、真琴は皆の能力を引き出すのが上手いのだ。山道の先導を一手に引き受ける真琴の姿は、それ以外を補おうとする男達の能力を引き上げていた。

 てきぱきと皆が手分けして段取り良く決めていく。


(だけど結構みんな体力あるよねー。平然とこれについてこられるんだから)


 そんなことを思う真琴は、こういう時は役立たずな人間だ。何故なら、野宿や調理に対する技能は全く身につけていないからである。

 だから皆がしてくれるのをおとなしく待っていた。

 ここで手伝おうと全く思わないところが、真琴の真琴たる所以(ゆえん)だ。


「本当に困った奴だな。またもやヴィゴラはどこかに行ってるのか」

「馬だけだからそうなんだろうね。だけどヴィゴラス、どうせご飯の時間になったら戻ってくるよ。ニッカスさんのご飯気に入ってるから」

「おい、マーコット。よく考えろ。それはこんな寄り道なしの馬移動より、あいつの足が早いってことだろ? それをおかしいと思わねえのか」


 ディッパは呆れているだけだが、キースヘルムは自分で走る方が馬よりも早く移動できるというヴィゴラスにこそ脅威を覚えている。

 こんな奴を出し抜いてどうやって優理を手に入れればいいのか。

 ちゃんと優理を奪還した際には犯人としてあちらがヴィゴラスを捕縛してくれればいいのだが、そんな奴を捕縛できるのだろうかと、そこが案じられた。


「別に・・・。誰だって得意なことの一つや二つ、あるんじゃないの? それにヴィゴラスに馬に乗り続けてろだなんて、可哀想で言えないよ。だって退屈するだろうし。

 そんなことよりキースだってちゃんと休んでおいた方がいいよ。どうしても外で寝るのって家の中で寝るのより眠りは浅くなるもん。だけど到着してからばててたらしょうがないでしょ?」


 ヴィゴラスだけならリンレイだなんてとっくに往復何回できているやらだと、真琴は知っている。だから取り合わずにいたら、ディッパが面白そうに笑った。


「いいじゃないか、キース殿。そういうヴィゴラがいるから、マーコットの恋人殿も安心して留守にできるというものだろう。ああ、せっかくの水場だ。目隠しを作るから少し待ってろ、マーコット。水浴びしている間に、ニッカスが何か作ってくれるだろう」

「ありがとう、ディー。ディーって本当にとっても紳士だよね。どこに行っても女の人にもてそうな気がする」


 真琴に恋人がいると分かっていても親切を崩さないディッパは、真琴の中でかなりの高得点だ。

 それを知ったニッカスは、

「単に外面(そとづら)がいいだけでしょう、ディーは」と、ぼそっと呟きもしていたが、

「そっかぁ。マーコットに恋人がいなければ俺も立候補したのになぁ」

「えへへー、そーお? 私もカイトがいなければディーを好きになったかもぉ」

と、ディッパと真琴による仲良しさんの前に無視された。

 パッパルート国王は暫定婚約者ユーリ姫を放置して、売約済みの娘がお気に入りだ。

 なんにしても真琴は、このディッパならどんな女の人にも好かれるだろうと信じて疑わない。


「そうでもないなぁ。それならラース殿とかキース殿の方がもてるだろう」

「そうかなぁ。三人いたならディーが一番好かれると思うよ」


 さくっと、真琴はひどいことを言った。


――― 普通、本人の前でそんなこと言うか?


 少し離れた場所にいたものの、その会話が聞こえていたキースヘルムとラースは、全く同じことを思う。

 だが、真琴に悪気はないのだ。見ていれば分かる。真琴は本気でそう思っているのだと。

 礼儀知らずという意味で他の追随(ついずい)を許さない小娘なんだなと、最近では諦めが先行していた。

 年長者である自分達が大人になるしかないのだ。


「ははっ、ないない。ラース殿やキース殿ならお断りするので忙しいだろうがな」


 貧乏国の王族は、色々と大変なのだ。それを理解している姫君はまず避けるといった立場のディッパはカラカラと笑ってみせる。


「それはない。俺なんてなぁ、みんなの前で女に『大っ嫌い』とか言われたこともあるんだぞ」


 するとラースが、過去を振り返ってぼやいた。


「へぇ。ラース、俺様はもてるんですオーラ出しすぎてるもんね。それはしょうがないよ。じゃあ、キースは?」

「え?」


 正直な真琴はラースの心を、

「うっ」と、突き刺しておいて、キースヘルムを見上げた。


『もうサイコー。マーコットさん、本気で言ってますよ、あれ』

『わ、笑うな、ニッカス。失礼すぎるぞ』

『ディーこそ失礼ですよっ』


 ディッパとニッカスはラースの後ろへ下がって、声を出さずに地面をどんどんと叩いて笑い転げている。

 何となくその気配を察しながら、ラースは振り向かないことで耐えた。

 だが、真琴にとって気になるのはキースヘルムのことだ。大事なことなので再び尋ねる。


「キース、どれだけもてるの?」

「・・・え?」


 言うまでもなく真琴は優理の姉妹だ。だからキースヘルムは違う方へと視線を逸らせた。

 しかし真琴は見ている。真琴はじーっと見ている。真琴はあくまでじーっと見続けている。


「い、いや、俺はそんなに・・・だな。そういう数を競うってのは、意味がないって言うかだな。・・・それは寂しくて虚しいことなんだぜ、マーコット」


 キースヘルムは、普段の自分に言われたら鼻で笑うようなことを、苦しまぎれに言ってみせた。


「そうですぜ、マーコットさん。うちのボスはあくまで純情派なんで」

「そうそう。真面目な恋愛しかしないってポリシーがあるんすよ」


 キースヘルムの五人の手下の内、真琴とそれなりに交流のあったベルントが助け舟を入れれば、ローマンも追従する。


「まあ、もてないわけじゃないっすけどね。それでもボスはあくまで真剣にお付き合いするタイプなんでさぁ」


 ホルガーも嘘じゃないとばかりにフォローした。

 

「そーなの? なんかキースって、来る者拒まずって感じ全開なんだけど。キース、女の人に不自由している気配、全くないよね? ガツガツしなくても余裕っていうのかなぁ」


 真琴は自分の勘が外れているとは思えないのである。


「なるほどなぁ。たしかにキース殿にはそういった余裕がある。女性の勘は侮れないと言うが、マーコットもそうなんだな」


 笑いから立ち直ったディッパが、真顔でキースヘルムを見た。


「へぇ。マーコットさん、さすがっすねぇ」

「女の勘ってのはそこまで見通すもんですかい」


 ローマンが感心すれば、ベルントもさすがだと言わんばかりで呟く。


「うーん。女の勘って言うよりさぁ、キースってば、なんかその気になればいつでも調達できますって空気がぷんぷんしてない? ねえ、男のディーから見たらどう?」

「そうだなぁ」

「ほら、マーコット。日が暮れねえ内に水浴びしてえだろ? さ、ちゃんと目隠ししてやるからさっさと浴びてこい。な?」


 この話を続けても己に全く利はないと踏んだキースヘルムは、ディッパを押しのけるようにして今日は自発的に真琴の為の目隠し布を張りに行くことにした。


「手伝いますぜ、ボス」

「こっちの枝から布を下ろした方がいいっすかね」


 それを手伝う手下達だが、色々と思うことはある。

 だから小さな声で呟いた。


「しっかしよぉ。少しは風に揺れて見えねえもんかなぁと思うのに、そういうのがないのがなぁ」

「言える。しかもあのディーさんとラースさんが見張りに立ってくれるしよぉ」


 せっかくの美女だというのに、彼等も下心が完全に滑って(むな)しい。

 ディッパは男ばかりの集団では恐ろしかろうと、真琴が水浴びする時は目隠しの布を押さえるようにして見張りもこなしていた。

「勿論、ラース殿も手伝ってくれるのだろう?」

 そう言われて、ラースも手伝わされている。

 その間、ニッカスはご飯作りを担当しているのが常だった。


「ボス。少しは布と布の間に隙間を作っておいちゃいけないもんすかね。やっぱりそういうご利益(りやく)の一つもあってもいいんじゃねえかって思うんすけど」


 小声で尋ねてくる手下の言葉を聞くまでもない。それはキースヘルムも思わないわけではなかった。

 だが、やはり優理の姉だと思うとそれもできかねる。

 同時に、そんな小細工を見逃すディッパや真琴にも思えなかった。


「るせえぞ、てめえら。少しは紳士になりやがれ」

「・・・ボスが言いますかい」


 たとえ目隠しの布などなくても、真琴が水浴びする時、その周囲には局地的に濃霧が立ちこめて全く見えないようになっている。

 そんなこととは知らずにキースヘルムはせっせと布を張ることで、今も疑惑の目を向けてくる真琴から視線を逸らし続けた。


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