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128 小猫は男の気持ちを学んだ



 最初は第7神殿への道を風の妖精(シルフ)達に案内させていたカイトだったが、デューレとウルティード、そしてレイスとフォルナー、デューレを守る騎士達がついてきていることから、それを取りやめた。


「悪いがシルフ、誰も追いかけてこなさそうで、水があってそれなりに木々や草もある場所を案内してくれないか? 人がいない道を使ってほしい」


 小さな声で空中に語りかければ、風の妖精(シルフ)達も手分けして周辺を見回り、いい場所を探してくる。

 そしてカイトの視線の先でキラキラと煌めいてみせた。


(なんでついてきたんだろう、こいつら)


 あの数多くの検問を突破してきた以上、優理の引き渡しを要求してきた男達が役人なり領主なりと繋がっているのは間違いない。

 となれば、厄介事のタネとして彼らの目的である優理とは別行動すべきだ。

 それが処世術というものではないのか? 一体、こいつらは何を考えているのか。

 

「すっげぇな。こんな獣道(けものみち)、カイトさん知ってんだ」

「はあ。いえ、勘で進んでるだけです」


 ウルティードの賛辞(さんじ)にそう誤魔化(ごまか)しながらも、カイトはカイトだった。やはり面倒見の良さが出てしまう。


「殿下。それからティード様でしたね。こういう所はどうしても道が細い。もう追手は()きましたから、ゆっくり進みます。はぐれないようについてきてください」

「お任せします、カイト殿」

「別に『様』はいらないんだけど。ティードって呼んでくれない? どうせ愛称だしさ」


 ジンネル大陸の王族にしては気さくだなと、カイトはウルティードの人懐っこさに戸惑わずにはいられなかった。


(そういうタイプなのか? 物怖(ものお)じしないというのか、人見知りしないというのか・・・。ジンネル大陸の特権階級ってのは、自分達を尊重しないとすぐにブチ切れる奴らばかりの筈なんだが)


 何よりウルティードからは自分への好意が感じられる。だが、好かれる要素などあっただろうか。自分達はほとんど話してもいないのに。

 基本的にカイトは、自分しか信じられないタイプだ。だからそこを(いぶか)しんだ。


「そうですか。・・・あとの皆さんも、この道を外れずについてきてください」

「分かった。悪いが任せるぜ、兄ちゃん」


 フォルナーが(ほが)らかに笑って一任してくる。

 勿論、フォルナーとて残ったカイネの心配をしていないわけではなかったが、恐らくエミリールの従者を演じる筈だと、見通してもいた。


「ところでさ、この道ってどこに続いてんの? カイトさん、あいつらに包囲される前に逃げられる自信ある?」

「そうですね。まずは逃げることしか考えてませんでした。この後はぼちぼち、・・・どうにかしないといけないですかねぇ」


 優理が、自分の姉の婚約者としてカイトを紹介したばかりに、ウルティードは好奇心を掻き立てられている。


(へえ。じゃあこの人が三人目の神子姫の・・・。三人目はマーコットって名前なのか)


 優理や遥佳と違う、もう一人の神子姫マーコット。それは一体どんな少女なのだろう。

 そしてこの銀髪のカイトと名乗った男性は、その婚約者が女神の娘だと知っているのだろうか。それとも自分のように、ディリライトの姪姫だとか、そんな嘘の素性を聞かされているのだろうか。

 あの時、優理を自分に預けてきたことから、まるで信頼されているような気がしたのもあって、ウルティードはかなりカイトに対していい印象を抱いていた。


「そりゃそうだ。ところでカイトさんってどこの国の人? 俺はキマリー国なんだけどさ」

「このギバティ王国ですよ」


 基本的にカイトはそう答えるようにしている。


「ならヤバいんじゃねえの? キマリーに逃げるなら協力すっけど。あ。だけどこの後、俺達、パッパルートに行く予定なんだけどさ」

「ちょうどそのパッパルート王国から来たんです、俺達は」

「あれ? だけどキマリーの島って言ってなかったっけ?」


 カイトは苦笑した。

 自分達の会話をしっかり聞いていたようだ、ウルティードは。


「そうなんですが、それからパッパルートにも行きまして、そこで殿下とお会いしたんですよ」

「だからデューさんと一緒にいたんだ。それってユーリのお姉さんも一緒に?」

「・・・ええ」


 そこでカイトは話題を変えようと、優理に話しかける。


「ところでユウリ様。どちらに行かれる予定だったのですか? 逃げるなら安全な所までお送りしましょう。それともどこかに行かねばならない理由があるなら、まずは身を隠せる場所を見つけなくては」

「そうね。やっぱり第7神殿(あそこ)はまずいかしら」

「まずいでしょう。マーコットがどう思うか」


 第7神殿は、真琴にとって家族の思い出の場所の筈だ。いくら友達でも正体を明かしていないデューレ達や見知らぬ人々に押し掛けられた日には、きっと傷つくに違いない。

 カイトは真琴が黙って涙ぐむ様子を想像してしまい、やや唇を歪めた。


(マコトはどうしても繊細なところがある。これ以上泣かせたくない)


 更にカイトとしても、これ以上の面倒はご免である。砂漠の国の王子様が真琴の正体を知ってしまったなら、どう出てくるだろう。

 デューレのことだ。それこそ、「なんてことでしょうか。ならばもっとおもてなししなくてはなりませんね」などと言って、可愛らしいスカンクに眠り薬入り菓子を仕込んでお持ち帰りしかねないではないか。


(やる。この王子ならやる。やらない筈がない)


 デューレは王子の割に気さくな人だが、そういう点においてカイトはデューレを信じていない。

 だが、カイトとは違う視点でもって、優理も同じく真琴のいる第7神殿には行くべきではないという結論に達していた。


「言えるわ。あの子、基本的に心が狭いし、嫉妬深いんだもの。連れてったら絶対()ねる気がする」


 優理とて本気で彼らを連れて行こうなどと考えていたわけではない。

 第7神殿に彼らを連れていったら、即座に自分の正体がバレる。

 更に言うのなら真琴のことだ。もしも自分がこんな男達をぞろぞろと連れていったら、どう出ることか。

 それこそ、「どうせ優理は私といるより、他の人といる方が楽しいんだよね。普通、お父さんとお母さんと遥佳と過ごした場所に、関係ない人連れてくる?」などと、盛大にブーブー文句を言うに違いない。


(遥佳がヴィゴラスやイスマルクを連れていっても、自分はカイトさん連れていっても、そんなのは全く気にしないくせに、私の時は拗ねるのよ、どーせ。自分がその決定に関与してなかったってだけで。結局、真琴って自分が中心じゃないと気が済まない我が儘・身勝手・自己中心人間なのよね)


 その鬱陶(うっとう)しい流れが、姉妹だけにまざまざと優理は予測できた。

 だというのに、そんな優理の気持ちにカイトは寄り添ってくれない。


「そうですか? マーコットは誰とでも仲良くなれる、とても優しくて我慢強い子ですよ。あの子が拗ねたりなんかしますかね。ただ、とても繊細な子だから傷つくかもしれません」


 真琴は何かと年長者から可愛がられるタイプだと、カイトにしてみればそんなものだ。

 それに、かつては真琴を寝かしつけてから出ていっても、夜中に目を覚ましてカイトが帰ってくるまで寂しがって涙ぐみながら、それでも心配をかけまいと寝たフリをしている子だった。

 当時のことを思い出せば、カイトにしてみればあんなに一途で健気な子がいるだろうかと思う。


「二人ともマーコットの話をしてるんですよね? マーコットは臆病だけど可愛らしい、とても素直な子じゃないですか。だけど、そうでしょうね。未婚のお嬢さんのおうちに男ばかりが押しかけては、周囲にもあらぬ疑いをかけられ、心無い噂が立てられかねません。彼女の評判を傷つけない為にも遠慮しておくのが男として当然の配慮でしょう」


 黒い尻尾もチャーミングなスカンクは、お菓子をあげたらさっきまでのことは忘れてくれるか、心が広くなるかしてくれる、とても単純な子だ。

 走りたい時は走っていて、好奇心が刺激されたらじーっと見ていて、眠くなったらお昼寝している、とても分かりやすい獣人なのである。

 だからデューレが、(あんな分かりやすいタイプを、二人共あまりに深読みしすぎてませんかね)とばかりに、つい口を挟む。


「へー。じゃあ、そのマーコットさんって人、どっちかっていうと家にこもってるタイプなんだ」


 心が狭くて嫉妬深くて、すぐ人と仲良くなって、優しくて我慢強くて、更に臆病だけど可愛い素直な子だと言われたら、ウルティードも全く想像できないのだが、ならば家にひっそりと暮らしているタイプだろうか。

 その三人目の神子姫は、遥佳のように優しく微笑むのか。少し粘着質なのかもしれないけれど。

 しかし、三人は首を横に振った。


「ごめんなさい、ティード。マーコットはあまり家にいない子なの」

「誰かが出かける時にはすぐ一緒についていきたがる、甘えん坊なんですよ」

「好奇心旺盛で、思い立ったらすぐ行動という感じでしょうか」

「・・・ごめん、余計に分からなくなった」


 どうやら遥佳とは違うタイプらしいと、ウルティードは悟った。


(じゃあユーリに近いタイプなのかな。なら残念。・・・だけどハールカ、不思議だよな。それを聞いて俺はちょっとほっとしている。君がこの世界で何があろうと唯一無二なんだって思えるから)


 カイトというこの銀髪の青年が三人目の神子姫の恋人だとして、いつかは遥佳も誰かと恋をするのだろうか。

 その時には知りたくないなと、ウルティードは思った。

 それでもここで遥佳の話題は出せない。自分の名前は神子姫ハールカの名と共に有名になりすぎた。

 だから話題を変える。


「それよりさ、これからどうする? あいつら、ユーリ、諦めてくれるのか?」

「さあ。どちらにしても残った彼らのことも考えねばなりませんし、まずはどこか落ち着き先を決めないと」


 カイトはそこで横を向き、声を出さずに口の動きだけで風の妖精(シルフ)に語り掛けた。


「さっき街道に残った男達の移動先を突き止め、ユウリ様に報告してくれ。できれば周囲との会話内容も」


 空中にいた風の妖精(シルフ)達がそれを聞いてリンレイの方向へと消える。

 カイトには分からないが、優理ならば風の妖精(シルフ)の言葉も分かるだろう。

 肝心の追われている当事者・優理は、興味深そうな表情で周囲の木々を眺めていた。


「可愛らしいって罪なのね。私の愛らしさが世界共通だとしても」


 そう呟いてみる一方で、改めてカイトと風の妖精(シルフ)達について考える。


(ふぅん。シルフってばカイトさんと仲良くやってるんじゃない。カイトさんにシルフの言葉は分からないっていうのに、それでも使いこなしてるだなんてね)


 優理がその場にいても、風の妖精(シルフ)達はカイトの言葉に協力し、優理に選択を尋ねてこなかった。

 勿論、風の妖精(シルフ)にとって優理がカイトに劣るわけでは決してない。

 風の妖精(シルフ)達も人間の世界で何をしたらいいか、ベストな方法が分からなかっただけだ。

 訳も分からずに優理を守ろうとするより、具体的に、

「土や砂を巻き上げ、彼らの目に叩きつけてくれ」と、指示される方がその力を発揮できる。

 ゆえにカイトに協力したのだった。


(私は自分から攻撃しようとは思わないもの。防御はしても、自分からはやりたくない)


 そんな優理には、真琴の姉妹に残酷な場面を見せるのも可哀想だし、さりとて相手の戦意を(くじ)かねばならないしと、そんな苦悩をしていたカイトの気持ちは全く伝わっていない。

 だけど優理も能天気に周囲を眺めていたわけではなかった。


(カイネさんとエミリール、どうやって落ち合えばいいかしら。エミリールの素性を名乗れば、すぐに解放してくれるだろうけど、尋問が行われないと話すこともできないのよね)


 ああ、どうしてここにヴィゴラスがいてくれないのだろう。

 彼がいてくれれば、カイネやエミリールが捕らえられたにしても、牢屋ごと破壊して助けてくれるだろうに。

 理由?

 そんなの、牢屋の屋根に宝石が輝いていたことにすればいいのだ。

 

(私が牢屋を壊すのはまずい。誰か、壊しても不思議じゃない人はいないかしら)


 やるなら他人に責任を押しつけて、自分は安全な場所で高みの見物、いや無関係を貫いていたい。

 そう思ってしまう優理だった。






 キースヘルムは手下の内、二人をジェルンに滞在させて、優理達が来たらすぐに知らせるよう手はずを整えていた。

 だが、優理達はまだやってこない。

 そんなわけで、勝手に拝借(はいしゃく)している別荘で、今夜もキースヘルムはラースや手下達と共に飲む。それしか長い夜を過ごす手段はないからだ。

 そうなると話題のネタは、昼間の真琴の様子になることが多かった。

 だが、真琴は戦闘能力こそ高いのに、生活能力はあまりないことにキースヘルムとラースも呆れかえらずにはいられないところだ。

 毎日、野菜や果物や生きた鶏とかを持ってきてはくれるが、処理や調理は全てキースヘルムの手下達が担当している。

 それなのに美人とは得なもので、かえってキースヘルムの手下達は真琴が気に入っているようだった。

 こうして男同士、酒が入ればそんな話にもなる。

 別荘にある大きなリビングの部屋で、それぞれソファに座って寛ぎながら、彼らは幾つかのつまみを前に楽しく酔っていた。


「いや、正直なとこ、あのボスが気に入ってる小娘よりはるかにマーコットさんの方がいいじゃないっすか。同じ素人娘なら、ああいう竹を割ったような性格の方がいいってもんですぜ、ボス」

「言えまさぁ。そりゃ恋人はいるようだが、どうも遠くに行ってるようだし、口説けば落ちるんじゃねえですかね。マーコットさんならいい姐さんになりますぜ」


 キースヘルムの手下であるベルントが、優理よりも真琴の方がよほどいいではないかと勧めれば、ローマンも同意する。


「何よりあの強さだ。いざってぇ時にどんだけ頼もしいことか」


 ホルガーもまた、それを後押しした。

 くくっと、ラースも笑い出してしまう。

 窓を開け放しているせいで、入ってくる夜風も心地よい。こういう乱雑な空気が、彼は嫌いじゃなかった。


「たしかにマーコットは可愛らしいよな。それに強い。どうだ、キース。口説くだけならタダだぜ?」


 ふざけんなと、キースヘルムは思う。

 強い女は嫌いじゃない。だが、自分より強い女なんぞ世界から絶滅すればいい。


「ぬかせ。俺はマーコットみてえなくそ生意気な娘は(きれ)えなんだ」

「ボスがご執心の娘っ子の方が、もっと生意気だと思いますがねぇ」

「全くですぜ」

「ついでに疫病神(やくびょうがみ)だ。あの娘っ子が係わって、うちが大損こかなかったことがねえ」


 どこまでもトップを裏切った発言を重ねてくる手下達に、キースヘルムは本気で嫌そうな顔になった。


「ほっとけよ」


 そうなるとラースも好奇心を刺激される。


「そうなのか? それでも気に入ってるだなんて、よほどキースにとっては可愛い娘なんだろうな。どんな感じなんだ?」

「・・・別に。金儲けが三度の飯と同じぐらいに大好きな単純娘だ。それよか、そんなにマーコットが可愛いってんならラースが口説けよ」


 不貞腐(ふてくさ)れた顔でキースヘルムが言い返せば、ラースは肩を竦めてみせた。

 誰もが一人掛けのソファに座っているせいか、互いの距離もあって何となく気だるげな空気が漂う。


「いやあ、さすがにそれはちょっとな。それこそマーコットじゃ別れ話になった途端に殺されそうだ。俺だって命は惜しい。普通に話してる分には少年みたいなもんだし、このまま可愛がっとくさ」

「言えるな。あの手のタイプってのは情が深いっていやぁ聞こえはいいが、ヘタに自分の女にしたら大変なだけだっつーの。てめえらは分かってねえんだよ。マーコットみてえな奴は男の浮気なんざ絶対(ぜってぇ)許さねえし、どこまでも男を追っかけてくタイプだろうが」


 つまみにサラミを齧りつつ、キースヘルムは吐き捨てた。

 ああいうプライドが高い女は厄介だ。耐え忍ぶようなことは絶対しない。たとえ男に(めかけ)が必要な状態になっても、絶対受け入れないだろう。


「いいじゃないか。マーコットは恋人とうまくやってるようなんだし」

「けっ。よくある話じゃねえか。そうやって自分達は愛し合ってまーすとか言って、そのまま男の所へ行ったら浮気の()最中(さいちゅう)だったとかっての。所詮(しょせん)、浮気しねえ男はいねえよ」


 それに手下達は反論してみせる。


「いやいや、ボス。マーコットさん、美人だし、いい体じゃねえっすか。あれなら浮気なんてする必要ねえですって」

「そうそう。胸はあるしケツもあるし、腰だってあんなにくびれてて、それこそ俺だってお願いしてえぐれえですぜ。ま、俺なんぞ半死半生にされそうだから言えませんがね」

「いや全く。仕草も愛らしいし、あれなら男の方が浮気されねえように鎖をつけて家に縛っておきまさぁ。俺だってあんな美女だったら外に出さず家に閉じ込めますぜ」


 三人にキースヘルムのような視点はなかったからだ。

 面白そうに三人だけで盛り上がっていく。


「おいおい、外に出さねえで何してろっつーんだよ」

「出して、お貴族サマなんぞの目に留まってみろ。すぐ連れてかれちまうだろうが」

「言えるな。そんぐれぇなら婆さんでも雇って家事させとくってもんだ」

「まぁな。綺麗な娘っ子だからって連れてかれて幸せになった奴ぁいねえよ」

「けっ、てめえで幸せになれるかって話だろうよ」

(あめ)ぇな、男は強さだけじゃねえ。俺の女になりゃあ幸せいっぱいってなもんさ」

「嘘こけよ」

 

 げらげらと笑いながら、そんな話になっていく三人だったが、キースヘルムとラースは複雑そうな表情で瞳を見交わした。


「とか言ってるぞ、キース」


 ラースは世間知らずな真琴に対して庇護欲が出ていたので、そういう値踏みをするつもりはない。

 お鉢をキースヘルムに回した。


「冗談。マーコットなんざ両手両足、鎖で身動きできねえぐらいに縛りつけて、口にも(くつわ)()ましとかなきゃ危なくて俺の女扱いできるか」

「・・・そこまでする時点で恋人扱い未満だろ。どこの猛獣だ」


 その前提は何なんだと、ラースが白い目になる。


「けっ、あんな生意気娘。恋人どころか泣かせるチャンスがありゃあ泣かしてやるよ。あいつぁ従順っつー意味を分かってねぇ」

「その割には可愛がってるようだが?」

「そりゃお前だろ。何だかんだと一緒に仲良く山に入ってるじゃねえか、ラース。そこで隙を見て襲ってこねえか。男だろうが」

「その言葉、そっくり返してやるよ。俺はマーコットにそんな真似をしようとは思わないんでな。あれだけ綺麗で無邪気な娘だ。見てるだけで楽しいじゃないか。襲ってどうする。だが、口説くのなら邪魔もしないぞ?」

「野生の山猫を娘扱いする趣味はねえんだよ。手に入れようってんなら殺して剥製にするしかねえ」


 ぐいっとジョッキを(あお)るキースヘルムの咽喉仏が大きく動き、ラースは不思議な思いでキースヘルムを見つめた。


(よく分からん奴だ。あれほどマーコットに色々と買ってやって世話してるのに)


 そんなラースの戸惑いが分かったのか、キースヘルムの手下の一人、ローマンが訳知(わけし)り顔で口を挟む。


「うちのボスは何だかんだ言っても強いのが好きなんですよ。だからマーコットさんを気に入っているんでさぁ。気に入ってんのに手に入らねえから憎まれ口を叩いちまう」

「そうそう。本気じゃありませんぜ。つまりは女なのにボスより強いのが許せねえんでしょうよ。せめてボスよか弱けりゃ、自分の傍に置いて大事にしてたと思いますぜ」


 ベルントもまたお見通しだと言わんばかりの解説だ。


「るせえぞ、てめえら」


 低い声で恫喝(どうかつ)するキースヘルムに、ぴたっと手下達は口を(つぐ)んだ。

 そこへ、窓の外から声がかかる。


「そーなんだ? だけど私、浮気はしないからキースの気持ちには(こた)えられないや。ごめんね?」


 聞き覚えのある声に、一気にその場が静まり返った。

 恐る恐る、誰もがその窓の方へ目をやる。思った通り、そこには黄金の巻き毛をした娘がいた。


「あ。ここの窓から入ってもいいよね? 玄関にまわってくるの面倒だし」


 そう言って真琴が両手に何か箱のようなものを持ったまま、窓をひょいっと飛び越えて室内へ入ってくる。

 いつも夕食を終えたら帰宅する真琴だ。

 とっくにいなくなった筈の真琴が現れるとは思ってもおらず、彼らは先程までの会話が聞かれていないことを心から願った。

 そこでキースヘルムがコホンと咳払いする。


「どうした、マーコット。何かあったのか? その荷物は何だ? 家出か?」

「ううん。家出なんてしてないよ。・・・あのね、妹がね、いつもご飯食べさせてもらってるなら、たまには持っていってあげた方がいいからって、挽き肉のパイとか作ってくれたの。だから持ってきた」



 夕方過ぎに真琴が第7神殿に戻ったら、室内が片付けられていて、更に遥佳の手作り料理が並んでいたのだ。しかも置手紙付きで。



『真琴へ。

 いつもご飯をご馳走になっている人がいるんですって? たまにはあなたも何か持っていってあげた方がいいと思うの。

 良かったら幾つか作っておいたから持っていってあげてね。

 それからね、私達がよく入っていた温泉の一番深い場所、あそこに黒龍さんの聖地へ繋がる通路があるの。カイトさんとのんびりした旅をしていたいなら使わなくていいけど、早く移動したい時には使うといいと思うわ。

 私、今、マジュネル大陸の玄武さんの所にいるけれど、ラーナさん達も一緒よ。それからね、私、マジュネル大陸で新聞作りのバイトをしてるの。それであなたに相談したかったんだけど・・・。

 とりあえずカイトさんと戻ってくる時には、ゲヨネル大陸にも顔を出してね。守り人をしている青い鳥さんがあなたに会いたがってるの。よろしくね。遥佳』



 それを読んだ真琴は、朝になったら遥佳の手料理をキースヘルム達の所に持っていけばいいかと思って、カイトの手紙を待っていた。

 すると今日のカイトは手紙を書く余裕がなかったのか、シルフが可愛らしい草花を届けてきたのである。


(もしかして手が離せないのかな。お花、カイトが摘んでくれたんだよね)


 それもまた嬉しくて、だから届いた花達を水に浮かべれば、ウンディーネが、

「お任せくださいませ、姫様。花を浮かべたこのお水、決して私が腐らせませんわ」

と、胸を張って請け負ってくれた。

 だけど手紙を書ける状態にないカイトに手紙を送るのも芸がないような気がしたので、真琴はシルフに頼んで、遥佳が置いていってくれた焼き菓子等を幾つか届けてもらうことにした。

 きっとデューレ達も喜んで食べるだろう。

 だけどカイトの手紙を読めないのは寂しい。

 だから遥佳の手料理を持ってキースヘルム達の所へやってきたのである。

 


 そこで妹がいたという話に、キースヘルムは怪訝(けげん)そうな顔になった。真琴に姉妹がいるとしたら、てっきり姉の方だと思ったのだ。

 こんな甘ったれた性格の娘がどうやって妹の世話をみることができたのか。いや、姉が駄目すぎて妹がしっかり育ったという奴か。


「お前、妹がいたのか。妹は料理できんのか? 食えるもんなんだろうな」

「文句あるならキースは食べなくてもいいよ。えっとね、食べる時に温めた方が美味しいって」


 遥佳が作ってくれていた包みピザや肉入りのパイは冷めているが、鉄のプレートに載せて温めれば美味しく食べられると書かれていた。

 金属製の重箱のような物に入れられていた軽食や菓子だが、その蓋を開ければ、キースヘルムがチョコ入りクッキーやブルーベリーパイを見て、眉を寄せる。


「もしかしてお前の妹はちゃんと料理できんのか。どれもこれも食べられそうな形なんだが」

「分かった。キースは食べなくていいから。ラース達は食べる?」


 そう言って、真琴はラースにクッキーを差し出した。


「いただこう」


 できれば酒の肴になりそうな方が良かったが、ラースが受け取って(かじ)ればふんだんに甘みもつけられている焼き菓子である。


「へぇ。こりゃ美味い。キースも憎まれ口叩いてないでご馳走になったらどうだ? まあ、酒に合うのはそっちの料理だろうが」

「そうなんだ? じゃあそれ、先に温めるといいよ」


 ソーセージやポテトやチーズが沢山入った包みピザはトマトソースも濃厚だ。それでも温めるのは自分でやらない真琴である。


「あ、じゃあ温めるのは俺達がやりますから」

「マーコットさんは座っててください」


 ホルガーとベルントがいそいそと立ち上がれば、ローマンは酒瓶を掲げてみせた。


「良かったらマーコットさん、一緒にお酒でもどうです?」

「お酒は飲んじゃ駄目って言われてるからいらない。だけどそこのお茶ならもらう」


 ベルントが軽食の入っていた容器を受け取れば、ホルガーがその内の幾つかを選んで温めに行く。

 さすがに量と種類が多すぎるので、今は人数分だけ温めておいて、後は明日の朝にでも食べればいいだろう。

 真琴は空いていたソファに座って、ローマンから出された茶を口に運んだ。


「ふん」


 そう言って、キースヘルムは焼き菓子の一つを勝手に取って口に運ぶ。咀嚼(そしゃく)して、目を見開いた。


「へえ。いい材料使ってんじゃねえか」

「そーなんだ?」

「・・・本当におめえ、料理できねえんだな」

「うん」

「褒めてねえよ」


 料理や菓子に使う甘味料も、様々な種類がある。手間がかかったり希少だったりするものは高くなる。それは当然のことだ。

 蜂蜜ですら、その蜂が集めてきた花の種類によって価値が変わってくるように。

 その辺りの値踏みはキースヘルムも優れていた。


「ボス。とてもいい香りがしてやすぜ。こいつぁ美味(うま)そうだ」


 やがて温め直された熱々の包みピザが運ばれてきた。普通のピザは生地の上に具を載せて窯で一気に焼くが、これは生地の上に具を置いた後、餃子のように半分を折り返し、口を閉じて焼き上げたものである。サイズは小ぶりだった。

 だからナイフを入れたら皿の上に(とろ)けた具がたらりと零れ落ちてくる。それを熱い内に食べるのが美味しい。

 男達はそのチーズをフォークで掬うようにして、あっという間に平らげてしまった。


「すんません、ボス。もう一つ頂いてもいいっすかね」

「別にマーコットが持ってきてくれたもんだ。俺ももう二つ頼む。いや、多分、こっちのハーブやサラミっぽいのが上にあるってなあ、味が違うんじゃねえか? なら、俺はこれとこれで」


 ローマンが尋ねれば、キースヘルムも違う包みピザを指定する。小さい数口サイズだったので、一個では物足りなかったのだ。

 それならばと、ラース達も同じようにその温めなおしを頼んだ。


(ユーリも似たような味つけのものを作ってたな。変なもんを上に乗っけて悶絶してたが)


 形が違うから別物なのだろうが、なかなかいけると、キースヘルムは思った。

 まさか遥佳にそのレシピを書いて渡したのが優理本人と知る筈もない。

 だが、同じピザでも手を抜いて普通のピザを作るのが優理、色々な人が食べるだろうから個別にしておいた方が食べやすいだろうと考えて手間をかけてでも一人分ずつ包んだものを作るのが遥佳、出されたらどれも美味しくいただくのが真琴である。

 一緒に包みピザを一つだけ食べた真琴は、そこで立ち上がった。


「じゃあね。明日の朝はパイを温めてもいいと思うよ。おやすみ」

「おい、マーコット。今から帰るのは暗くて危険だろう。泊まっていった方がいい」

「ううん、大丈夫」


 ここまでよく無事に月明かりだけで来られたものだと思いつつ、キースヘルムが純粋な厚意だけで言えば、真琴は窓から身を乗り出した姿勢で振り返った。


「だってここに泊まったら、私、鎖でグルグル巻きにされて襲われちゃうんでしょ? それはイヤだもん」

「・・・うっ」


 次の瞬間には、真琴はもう暗闇の中に身を翻していた。

 後には動きの止まった男達が残される。

 

「どこから聞いてやがった、あいつ」

「さあな。俺はセーフだろ」


 蒼白になったキースヘルム達をよそに、ラースだけはのんびりと菓子を摘まみ、いいバターを使っているなと、そんなことを思った。






 真琴は遥佳が大好きだ。

 だからいくら遥佳がカイトに気兼ねしたとしても、真琴を連れて帰ってくることになるだろうと、イスマルク達は思っていた。

 それなのに遥佳一人で戻ってきたものだから、ゲヨネル大陸の守り人である青い大鳥、イスマルク、ヴィゴラスはそれぞれ落胆せずにはいられない。

 遥佳一人でも可愛らしいが、一人よりは二人の方がいい。三人いればもっといい。

 それだけのことである。


「えーっと、ごめんなさい、イスマルク。真琴ってば遊びに行ったばかりで、夕方まで帰らないって、お留守番していたウンディーネが言ってたの。一応、幾つか差し入れを作って置いてきたから遅くなっちゃった」


 青い大鳥にセクハラされた恨みを遥佳は忘れていなかった。純粋に兄のような気分で真琴のことを案じていたイスマルクにそれをまず伝える。


「そっか。だけど元気に遊べているなら良かった。マーコットは好奇心が旺盛だからな。そのカイトさんって獣人も、そこはよく分かってるんだろう」

「あ、それだけど違うのよ。カイトさん、真琴がお友達になった人を放っておけないからって、その人の出向いている先に同行してあげてるんですって。だから真琴だけ第7神殿でお留守番してるらしいの」

「なんだと? それではマコトが一人ぼっちということではないか。あのシルバータイガーも何というひどいことをするのだ。早速マコトは連れて帰ってこなくては」

「落ち着いてちょうだい、ヴィゴラス。真琴だけ連れて帰ってきたら、カイトさんが困っちゃうじゃないの。通路は私達の誰かがいないと使えないんだから」

「大丈夫だ。あのシルバータイガーはしっかりしている。一人でもどうにかするだろう」

「・・・真琴を引き離して、カイトさんに一人で何をどうしろというの、ヴィゴラス」


 とてもカイトを高く評価しているかのような言い草だが、遥佳には分かった。

 ヴィゴラスはただ真琴を連れて帰ってきたいだけで、カイトのことなど何一つ考えていないのだと。

 何故だろう。心を読まなくても、ヴィゴラスの思考が分かってしまうのは。


(ヴィゴラス。あなたって子は、あなたって子は・・・)


 ヴィゴラスは自分の欲望に忠実なグリフォンだ。

 ここ最近、遥佳の周囲にドラゴンやペガサスがいるというので不満が積み立てられていたことに、遥佳も気づいていた。


「駄目よ、ヴィゴラス。それに真琴は真琴で、どうもジェルンで知り合った人が、好きな女の子と駆け落ちをするのに協力する約束をしてしまったみたいなの。だからその駆け落ちが終わるまで、真琴はあそこを離れられないわ」

「駆け落ちとは何だ?」

「えーっと、駆け落ちってのはね、恋人同士の男の人と女の人がいて、だけど二人が結ばれるのを周囲が邪魔する場合、その二人だけで違う場所に逃げて、そうして逃げた先で結ばれて幸せになりましょうってことよ。真琴、その二人に同情してお手伝いをすることになったらしいの」

「なるほど。つまり、グリフォンが岩山の上に相手を連れていくのと同じことか」


 ふむふむと、ヴィゴラスが得心(とくしん)する。

 そこで青い大鳥が冷静に突っ込んだ。


「グリフォンは強引に誰も近づけぬ、そして連れていかれた相手もまず下山できぬ山頂へ連れていくだけだろう。あれを駆け落ちとは言わん。誘拐と言え」

「あのね、ヴィゴラス。それ、ただの拉致だから。駆け落ちってのは好きな人同士、双方の意見が一致した上でやることなのよ?」

「つまり好きな二人が一緒にいなくなるのが駆け落ちなのだな?」

「・・・・・・えーっと、ヴィゴラス。あなた、どんな着地点を目指して、私に同意させようとしてるの?」

「純粋な疑問なのだ」

「・・・不純な疑問しか見えないのよ、ヴィゴラス」

「俺には分からないから尋ねているのだ」

「うっ」


 遥佳は、心の底から、

(答えたくない。絶対に答えたくないわ)と、そう思った。

 心を読まずともこの先の流れが見える。

 それこそ、

「ええ、そうよ」と、言おうものならば、このヴィゴラスのことだ。

「ならハルカと俺は好き同士だからこれも駆け落ちなのだな」とか言って、自分を岩山の上に連れていきかねない。

 答えを待ちわびる幻獣と遥佳の、じりじりとした見えない攻防に対し、そこで割り込んできた声があった。


「おい、ヴィゴラス。言っておくが駆け落ちってのはほとんどの場合の最終手段で、その結果は幸せになるというよりも、苦労と悲劇に繋がることの方が多いんだぞ。

 協力者がいても不幸な結末に至るのが一般的だ。それが分かっていてもやらなくてはならないぐらいに追い詰められた恋人同士の苦渋の決断ってものなんだ」


 かつては人々を導いていた元第25神殿長・イスマルクが、一般的な駆け落ちについて説明し始める。

 ヴィゴラスはその黄緑色の瞳に不可解そうな思惟(しい)を浮かべた。


「なんだと? それではマコトが協力するだけ損ではないか。不幸になるならやらん方がマシだ」

「仕方ない。だが、ちゃんと幸せになるケースもある。それに賭けるしかないだろうな。・・・大抵は、その駆け落ちは誰かに予測されてて、二人は捕まったり連れ戻されたりして、不幸になることの方が多いんだ」


 神官として生きてきた中で、そういったことを見聞きしてきたのだろうか。

 イスマルクはやや目を伏せながら、周囲の木々に視線を向けて何かを思い出しているようだった。


「マーコットが傷つくようなことにならなければいいんだが。あの子は優しい子だから」

「・・・イスマルクが心配する程、真琴、繊細なんかじゃないと思うんだけど」


 姉妹として生きてきた経験が、遥佳にそれを言わせてしまう。

 何よりも、その駆け落ちカップルの片割れに毎日ご飯を食べさせてもらっている時点で、何かが違うような気がしてならない。

 あの真琴がついていて、駆け落ち失敗なんてあるのだろうか。どちらかというと失敗した方がいい案件が、真琴によって成功しかねないのではないか。


(真琴って、基本的に思いこんだら一直線すぎるのよね。猪突猛進(ちょとつもうしん)って言うのかしら)


 それだけに頼もしいこともあるのだが、優理や自分という理解者が傍にいない真琴が何をやっているかなど、分かったものではない。

 ウンディーネ達は論外で、真琴の抑止力にはなりえないだろう。


(ああ、だけど・・・。真琴のことよりも問題なのは私なのよ)


 何の為に自分は第7神殿へ行ったのだろう。

 それは自分の代わりに真琴にやってもらいたいことがあったからだ。

 だけど真琴はジェルンを動けない。だから自分がやるしかない。

 遥佳はとても深く、そして大きな溜め息をついた。


「どうしたのだ、ハルカ。具合が悪いのか? やはり一人で行って疲れたのだな。休んだ方がいいのだ」

「大丈夫よ、ヴィゴラス。ちょっとこれからのことを考えて憂鬱になってただけ」

「本当に往生際の悪いことだ。ハールカ、お前はいささか考え過ぎなのだな。やってから悩めばよかろう」

「やってから考えるのは優理の専売特許なのよ。私はやる前に悩む、常識的な人間でいたいの」


 青い大鳥にそう言い返しつつ、何も考えずにやった後で全てを忘れるのが真琴だと、遥佳は思う。

 どうして自分達はこう誰もが違う個性を持っているのだろう。

 きっと誰もが少しずつお互いの個性をも持っていたら、もっと楽に生きられただろうに。






 とてもいい具合に乾燥した洞窟があり、近くには清水の湧き出ている小川があった。そうして反対側の場所には小さな温泉がある。

 素晴らしい立地だ。

 カイト達はそこに落ち着くことに決めた。


「夜というのは暗い意見になりがちです。朝が来てから考えましょう。今日は皆さん、ゆっくり休んでください。そしてそれぞれ、皆さんの目的をも擦り合わせて、明日、いい方法を話し合いましょう。ここはちょうど岩が目隠しになっているのでまず見つかりません」


 かなり大きな洞窟は湿気もなく、カイトは枯れた枝葉を探してきてそれを敷いた。その上に布をかぶせれば、いいクッション性のあるベッドになる。

 その辺りはフォルナーやレイスも分かっているようで枯れ木拾いなどにも協力してくれた為、すぐに居心地は良くなった。

 誰もが野営に慣れているのか、すぐに落ち着ける空間が出来上がる。


「ごめんなさい、カイトさん。迷惑かけちゃって」

「迷惑なんて全くかかってませんよ。残った人達が心配なら俺がどうにかしましょう。だからまずはゆっくり休んでください」

「うん」


 やっぱり真琴と同じ顔立ちはカイトにとって有効らしいと、優理は思った。本人は無意識なのだろうが、カイトは何かと優理の頭を撫でてくる。

 フォルナーとレイスは優理の護衛をカイトに丸投げすることで、殿(しんがり)や支援に務めていた。


「煙の出口も見えないようにしてあるので、まず気づかれることはないでしょうが、ちょっと俺は見回りに行ってきます。帰りが遅くなっても気にしないでください。近くにどこか他にも休める場所がありそうなら見てきますから」

「だけどカイトさん、一人なんて危険よ?」

「俺は夜目がききますから。どちらかというとあなたの方が心配です。ちゃんと皆さんと一緒に静かに休むんですよ、ユウリ様。殿下、すみませんが彼女が抜け出さないよう見張っておいてください。大事な方なんです」

「マーコットの妹さんなんでしょう? 勿論ですよ」


 色々と優理には聞きたいことのある王子様である。逃がさないのは当然のことだった。


「なあ。だけど一人で平気なわけ? 俺、ついていこうか?」

「大丈夫ですよ、ティードさん。俺はこういうの、慣れてますから」


 誰かを連れていく方が、よほど手間がかかる。だから簡単な夕食をすませた後で、カイトは見回りに出た。

 適当な場所で虎の姿になって、夜陰に乗じて周囲の様子を探り、ついでに何か獲物を狩ってきてもいいだろう。

 

(街道はかなり篝火(かがりび)が焚かれている。そもそもあの男装だのといった理由も本当かどうか、聞きだしておく必要がありそうだ)


 そんなことを思いながら、虎となったカイトは兎や猪を仕留め、ちょうど流れていた川で内臓を洗い、血抜きする。

 人の姿に戻ってシャツを羽織り、岩に腰掛けながらカイトは溜め息をついた。


(一番いいのはあの王子様に戻ってもらうことだよな。パッパルートの王子なんだから全てを有耶無耶(うやむや)にできるだろうし)


 デューレをあちらに向かわせて、あの堂々とした態度でどうにか事を済ませてもらえないだろうか。

 その為にはどうするべきか。

 そんなことをつらつらと考えていたカイトは、それを運んできた風に振り返った。


「マコト?」


 ディリライトの島でいつもカイトの傍にいた縞模様(タビー)の小猫が、いきなり背後に出現していたのである。


「なー」


 小猫は、ごろごろと咽喉を鳴らしながら近寄ってくる。


「何だ、どうした? 今夜は手紙を書かなかったから寂しかったのか? 花は嫌だったか? なんで猫なんだ?」

「だって服着てないもん」


 キースヘルムの所に遥佳お手製の差し入れを持っていって第7神殿に戻った真琴だったが、温泉で泳ぎながら色々と思い返していたら、うーんという気分になって風の妖精(シルフ)の姿となり飛んできたのだ。

 悩める小猫にカイトが手を差し出せば、ぴょんっとカイトの胸に茶色い毛玉は飛びこんでくる。


「困った子だな。こんな夜に出歩くもんじゃない。危ないだろう」

「カイトだって出歩いてる」

「俺はいいんだよ」


 小猫は近くにある猪と兎を見て、小首を傾げた。


「あれ、全部食べるの? 街道にお店ないの?」

「さすがに兎だけじゃ足りなかったのさ。ユウリ様と会ったよ。その連れとも一緒になって人が増えたんだ。厄介な奴にユウリ様が目をつけられたらしくてな、山に逃げこんだところだ。第7神殿にお連れしようかと思ったんだが、他の人がいるのがなぁ」

「優理だけならいいんだけど」

「そうだな。デューレ王子にも知られたくないんだろ?」

「うん」


 小猫は知っている。自分達の素性が知られたら、みんなの見る目が変わるということを。


「大丈夫だ、分かってるから」


 小さな茶色い縞々の背中を左手で撫でながら、カイトはその小さな耳も右手の指でくすぐるようにして撫でた。

 そうすると、小猫は嬉しそうに目を細める。


「くすぐったいよ、カイト」

「お前もユウリ様に会いたいだろ? 猫でもスカンクでもそれ自体は問題ないだろうが、あの状況下でお前には来てほしくないな」

「私、いない方がいいの?」


 それは自分が邪魔だということなのか。

 小猫はそんな気持ちを隠して尋ねた。


「ああ。逃げる際にユウリ様を守って、更にお前も守るのはな。どうしても俺はお前の方が大事だから、ユウリ様に対して手薄になる。だが、ユウリ様に何かあったら取り返しがつかない。だからお前にいてほしくない」

「・・・うん」

「ごめんな。お前だって本当は一緒にいたいだろうに」


 優理には申し訳ないが、小猫はちょっと嬉しい。

 どんなに自分達が同じ顔だったり、同じ母の娘だったりしても、カイトにとって特別なのは自分なのだ。

 自分はカイトにとって、一番目(ファースト)であり、唯一(オンリー)であり、絶対的存在(アブソリュート)なのだ。


(やっぱりカイトにとって、私だけがナンバーワンなんだよねっ)


 小猫は誇らしげに胸を張ると、自分の頭を撫でてくる手に自分からも頭をこしこしと擦りつけた。


「いいの。優理は私を放ってったんだから。優理から私に会いに来るべきなんだよ」


 今や天狗になった小猫は、誰よりも偉いのだ。

 ゆえにツンとお澄ましして主張してみる。


「そりゃな、本人もそのつもりらしいからいいんだが。ああ、そうだ。お前が届けてくれた菓子、ユウリ様が喜んで食べてたぞ。懐かしいとか言って」

「あれは遥佳のお手製なの。だからだよ。遥佳、昔からお菓子作り好きなんだもん」

「そうか。ハルカちゃんがいらしてたのか?」

「うん。なんかね、第7神殿には守り人さんがいない通路があるんだって。教えてもらったけど温泉の底なんだよ。ひどくない? 玄武さんと同じで迷惑すぎる場所設定だよね?」

「ハハ」


 カイトの心がかつての出来事を思い出してズキズキッと痛んだ。

 反対に解決済みな出来事は忘れる小猫は、カイトの膝の上に座って撫でられているだけで心が落ち着いていく。

 キースヘルムはあんなことを言っていたけど、こうやって自分がいきなり押し掛けてもカイトは浮気の真っ最中なんかじゃなかったし、夜でもみんなの為に狩りをしてくれている優しい人なのだ。


(結局、キースがだらしない生き方しているだけなんだよね)


 小猫はそんな結論に至る。

 ほら見たことかと、鼻高々な気分になった。

 だけど気弱になる心だってまだちょっぴりあって・・・。


「ねえ、カイトぉ」

「なんだ? 眠くなったか?」

「ううん。あのね、カイトね、・・・カイトも男の人だから、私を鎖につないでおうちに閉じ込めたくなるの?」

「は?」


 自分の聞いたことの意味を把握しかねて、カイトはまじまじと小猫を見下ろした。


「カイトも私、鎖でぐるぐるにしたくなる?」

「・・・そんなことしたら重いし、痛いだろう」


 もしかしてこの小猫は、どこかで大変な悪戯をしてきたのだろうか。だが、悪さをしない()い小猫だと、ディリライト島では皆に可愛がられていた筈なのだが。

 カイトは小猫の前足の脇下に両手を差し入れて抱き上げると、瞳を同じ位置に合わせた。


「なんか悪戯(いたずら)をしちゃったのか、マコト?」

「してないよ」

「なら、どうしてそんな言葉が出てくるんだ」

「だって・・・」


 盗み聞きしたなんて言ってもいいものなんだろうか。そんなことをするだなんてと、カイトに思われるのはちょっと悲しい。

 小猫はしょんぼりと項垂(うなだ)れた。

 自分がいない時だからこそ、キースヘルム達も本音が出たのだろう。となると、カイトだって実は同じようなことを考えているのかもしれない。

 カイトが望むなら、そしてカイトがずっと傍にいてくれるなら、家の中に縛りつけられていても構わない。だけど自分は浮気なんてしないのに。


「なんだ、ハルカちゃんと喧嘩したのか? お仕置きで、鎖でぐるぐるするぞって言われちゃったのか? だけどどうせ次に会ったらお互いに忘れてるさ。な、そうだろう?」

「・・・遥佳じゃないもん」

「じゃあ、誰なんだ?」

「カイトの、・・・知らない人。窓の外にいたら聞こえてきたの。男の人はそうしたいもんなんだって」

「あのなあ。そいつ、どんな趣味だよ」


 それでも小猫が落ち込んだままなので、カイトはその額にキスした。


「そいつがおかしかっただけさ。お前にはピンクの貝殻も似合ってたし、赤色のリボンも可愛かった。それでいいじゃないか。だけどそんな鎖で縛りつけないと女に逃げられるような男には近づくんじゃないぞ?」

「カイトは? カイトは私に逃げられてもいいの?」


 別に他の人なんてどうでもいい。小猫にとって大事なのは一人の気持ちだけだ。


「逃げられたくはないが、・・・それでもお前に鎖なんて論外だ。つけるような奴がいたら、そいつを噛み殺してでも阻止する。当たり前だろ?」

「そうなの?」

「ああ。高いマストの上に登ってたら、縄でぐるぐる巻きにしちゃうけどな」

「それはイヤ」

「なら危ないことはするなよ」


 小猫は黙ってカイトを見上げた。

 カイトは自分を縄でぐるぐる巻きにしても、おやつは食べさせてくれたし、ごめんなさいしたらすぐに解いてくれた。

 あの時だって、おやつを取りに行っている間、こっそりとまたマストに登りに行かないようにと縄でぐるぐる巻きにしただけで、いつだってカイトは自分の安全を考えてくれていたのに。


「小猫の時だってスカンクの時だって、お前に鎖は似合わないよ、マコト。人の姿なら尚更だ。だが、その左腕に嵌めているオレンジの輪っかはよく似合ってる」

「あ、これ、サラちゃん」


 小猫の左前足に嵌められているオレンジ色の輪っかは山椒魚をくるりと巻いたかのようなデザインだ。

 小猫はひょいっと左の前足だけを持ち上げてカイトに見せる。


「サラちゃんって、空から落ちてきたオレンジ色の山椒魚だろう? それ、なんか燃えてないか?」

「そうなの。だからいつもは小指に嵌めてるの。ウンディーネと仲が悪いんだけど、連携プレイは凄いんだよ。きっとお互いに意地っ張り屋なんだね」

「・・・そうか。サラちゃんは妖精だったか」


 カイトは、真琴が手紙に書いてきた山椒魚のサラちゃんが、火の妖精(サラマンダー)であることを知った。

 小猫に似合っていると褒められて嬉しかったのか、オレンジ色の輪っかは、更に炎の輝きを増して闇の中で光る。

 火の妖精であるサラマンダーは、炎の中に浮かぶ山椒魚の形をとるとされているが、まさか炎の中から出てきているとは、カイトもびっくりだ。

 そういうもんなのか? と、思うしかない。


火傷(やけど)したりしないのか?」

「うん。サラちゃん、私には熱くないようにしてくれてる」

「そうか。さすがだな」


 カイトは小猫の咽喉を指先で撫でた。


「お前にはそういうものの方が似合うよ、マコト。お前を縛りつけるものより、お前を守るものに囲まれていろ。シルフやウンディーネ、そしてそのサラマンダーは、お前を鎖で(いまし)めようとする奴らからきっと守ってくれるだろう」

「・・・カイトも?」

「ああ、勿論」


 カイトは小猫の唇に触れるだけのキスをした。


「いつも幸せに笑っていろ。安全な場所で、自由に。それだけが俺の願いだ。三つの妖精がいるなら、お前を傷つけられる者はいないさ。俺も安心だ。お前だって寂しくない」

「うん」


 小猫はかなり嬉しい。

 やはりキースヘルムやその手下達の言葉に意味はなかったのだ。

 カイトはいつだって自分のことを大切に思ってくれている。


(つまりキース達がダメ男だっただけなんだね)


 全くもって矛盾(むじゅん)瑕疵(かし)もない、満足な結論に小猫は達した。

 だから、にゃごにゃごとカイトの胸に顔を擦りつける。


「ん? どうした? もうご機嫌は直ったのか?」

「えへへー」

「全く、変な奴の家の傍なんて通るなよ。目ぇつけられたらどうするんだ。普通の男は女を大事にしても、鎖に繋いだりしないぞ。そいつはおかしい」

「うんっ。変態って奴なんだよね」

「それ以前の犯罪者の思考だ。考えてもみろ。お前のお父君や、イスマルクさんってお兄さん代わりの神官が、そんなことをお前や愛する相手にしようとしたと思うか?」

「しないよ、お父さんもイスマルクも。絶対やらない」


 父のタイガにしても、イスマルクにしても、そんなこと考えつきもしないだろう。

 小猫は首を横に振った。


「そういうことさ。お前はちゃんと愛されてきたんだ。だから愛されるってことを、本当の部分で分かってる。何か男のことで迷った時には、お父君が女神様に対してそういうことをするかどうかで考えてみろ。そうすれば答えは見えてくる」

「そっか。そうだね。うん、たしかに犯罪者の思考だよ。男の人ならそういうもんなのかなって思っちゃったけど、お父さんもイスマルクもそういうの絶対軽蔑するし、そんなことされてる女の人がいたら助けるもん」

「そうだろ」


 元気になった小猫は、父やイスマルクの顔を思い返す。


「つまりお父さんやイスマルクよりもかなり下劣な人達だってことなんだね」

「ただの異常者だ」

「そうかも。私としたことがあんなのを真に受けてしまうとは一生の不覚」


 なんてこったいと、小猫は反省した。

 それこそ傷ついている子供がいようものなら助けて世話してあげるカイトと、傷ついている子供がいようものなら拾って売り飛ばすか、親から謝礼を巻き上げるであろう人達とを、男という性別だけで一緒くたにしようとしていたとは。

 あの場にいたラースだって、自分を襲うような真似はしたくないと、ちゃんと言っていたのに。


「異常者に限って自分に自信は無駄にあるもんだからな。説得力はあるのさ。そういう奴の思考に呑みこまれるな、マコト。俺だってお前に鎖なんかつけるより、花を飾る方がいい」

「うん」


 小猫は頷いた。


(やっぱりキース達って犯罪者思考なんだね。最初っからそうだったもん。所詮、更生なんてありえないってことなんだよ。私はカイトがいるからいいけど、駆け落ち予定の女の子ってばそんなキースでいいのかなぁ。やっぱり同類なのかな)


 だけどいいのだ。キースヘルムには、駆け落ち予定の女の子と幸せになってもらえば。

 全ての疑問と悩みは解決した。きっと今夜は幸せな気分で眠れるだろう。

 後はおやすみなさいのキスをして、第7神殿に戻ればいい。


「カイト、大好き」

「俺も愛してるよ」


 遥佳のピザは具沢山でチーズはとろとろ、お菓子だってサクサクで美味しかった。

 カイトの所にいきなり来ても浮気の真っ最中なんかじゃなかった。

 何よりカイトは優理や他の誰よりも自分を愛してくれている。


 つまり、世界は全てにおいてパーフェクトだ。

 小猫はそれを知っている。



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