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127 遥佳は真琴に呆れ、優理はカイトと合流した



 ジェルンの第7神殿で寝泊まりし、そうしてご飯はキースヘルムが暮らしている別荘へ行って食べさせてもらっている真琴は、なんだかんだと彼らに馴染(なじ)んでいた。

 

「マーコットさん。今日も稽古、つけてもらってもいいっすか?」

「うん、いーよ。このトウモロコシ、食べ終わったらね」


 トウモロコシを火で炙り、チリペッパーで味つけしたものだ。

 ラースが教えてくれた料理法を、キースヘルムが手下達にトウモロコシを買ってこさせて作ってくれたわけで、真琴は完全に食べることが専門である。

 唯一の女性として皆に手料理をふるまうといった思考は、真琴の中に存在しない。


「じゃあ、待ってますんで。あ、手が汚れたなら、これどーぞ」

「ありがと」


 水を絞った布を渡され、真琴は礼を言って受け取った。

 この中で一番の年少者ながら、誰よりも強いとなればさすがにキースヘルムの手下達も腰が引けようというものだ。

 だが、強い人間に相手をしてもらう程の上達法はない。

 キースヘルムとラース、そしてキースヘルムの手下達3人の同時5人を相手にして勝った以上、誰もがもう真琴に対して何をしようとも思わなくなっていた。


「だが、すげえ身体能力だな。指の力だけで天井に張りつけるたあ、どんな訓練しやがった」

「うん、凄いでしょ。訓練はしてないけど、まあ、努力の積み重ねって奴?」

「お前のどこに努力の積み重ねを見ろってんだ」


 真琴は強いが、しかしキースヘルムがずっと観察していたところ、毎日やってることは、食べているか、遊んでいるか、昼寝しているか、といったものである。

 キースヘルムは、これだけの強さを持つ真琴を雇えないかと思い始めていたが、同時にこんな危険な人間を引き入れたら、誰かに担ぎ上げられて自分が追い落とされる可能性もあると危ぶまずにはいられない。

 

「まあまあ。キースもそうマーコットに絡むこともないだろう。女性の身でここまで鍛えているとは素晴らしいもんじゃないか。ここまで強ければ上級の女騎士だってなれるだろうに」

「えー。見るのはカッコイイけど、私、そーゆーのしたくないんだよね。だって騎士になっても面白くなさそうだし」


 勿論、ルーシーが女騎士の格好をしてくれるならきっと似合うだろうなと思う真琴だ。やはり兵士よりは騎士の格好の方が、彼女の魅力を高めたに違いない。

 けれども騎士や兵士は、あまり面白くないお仕事のようだと、ディリライト島でしみじみ感じていた。


「面白いかどうかでお前は決めるのか。まさか、その技能を活かして泥棒稼業に勤しんでんじゃねえだろな」

「えー。何の為に?」

「何の為って、・・・そりゃ泥棒すりゃ金が簡単に手に入るだろ?」


 不思議そうに問われて、キースヘルムも問い返す形となった。


「手に入れてどうするの?」

「どうって、・・・贅沢できっだろ?」

「ふーん」


 最後のトウモロコシの粒を齧ってしまうと、真琴はぽいっとトウモロコシの芯を草むらに投げ捨てて、ごしごしと濡れた布で口元や手を拭く。

 まさにどうでもいいといった仕草だ。


「マーコットはそういうの、興味ないんだな」

「ラースはあるんだ?」

「どうなんだろうな。金銭を抜きにして生活はできんだろう。金銭を馬鹿にする人間は、現実を見ていないだけだ」

「難しいこと考えてんだね、ラースってば」


 だけど自分がお金について考えたとして、あのカイトやドラゴンやペガサス達がそれに係わらせるだろうかと、真琴は首を傾げた。

 カイトは、真琴を自分の群れの子だと思っている気分が残っているせいか、おねだりしなくても勝手に色々と買ってくれる。働いてお金を稼ごうと思ったこともあるが、途中で寝てしまったのでカイトが続きをしてくれた。

 ドラゴンやペガサス達はそれこそお小遣いどころではない。


「まあ。マーコットの為の予算など幾らでもありますわ。金も宝石もお金に換えればいいだけなんですもの」

「もっと贅沢をおっしゃってくれて構いませんのよ、マーコット。あなたが必要とするのはせいぜい毎日の食べ物と着る服ぐらいではありませんか」


 そんな感じで、甘やかしてくるのだ。わざわざ泥棒に行ってお金を盗ってくる必要がない。


「お前は贅沢すんのとか、いいと思わねえのか? それともそこまでしなくても金は有り余ってますってか?」

「どうなのかなぁ。いいと思うかって言うと、泥棒はよくないと思う。だけど贅沢って、・・・別に普通に暮らしていけたら十分かなぁって思うし」

「そりゃ恵まれてる奴のセリフだ」


 金に困ったことがない、空腹に飢えたことがない、だから言えるセリフなのだと、キースヘルムは断じた。


「はは。いいじゃないか。マーコットはそれだけ愛されて育ってきたんだろう。そういうギスギスしたものがないってのは幸せなことだぞ」


 キースヘルムの不快そうな顔を、ラースがそれを苦笑しながら宥める。


「そっかもね。だけどお金って私、持ってないんだよね」

「は?」


 今の時点で、衣服は全て第7神殿にあり、ご飯はキースヘルムとラースの(おご)りなので、銅貨一枚たりとも使う必要のない真琴だ。

 勿論、第7神殿に行けば金貨も銀貨もあるが、持ちだす必要がなかった。


「だってお腹すいたらお魚()って焼いて食べればいいし、山には色々な果実があるし、ここんとこずーっとキースやラースがご飯出してくるから別に何かを買う必要もなかったし。・・・だからさ」


 さて、ではキースヘルムの手下達に稽古をつけてあげようと、真琴は立ち上がる。


「キースやラースもそうやって私みたいに生きればお金ってあまり使わないと思うよ?」

「・・・・・・」「・・・・・・」


 尚、自分だけではなく手下達を食べさせなければならないキースヘルムは同意などできない。それはラースも同様で、二人は目を見合わせた。


「お前は幸せでいいな」

「うん、ありがと」

「褒めてねえ」


 疲れた声になるキースヘルムだが、真琴は元気いっぱいだ。

 トウモロコシを食べてお腹は膨れたし、昨日だってカイトからの手紙が第7神殿に届いていた。何回、読み返しても幸せになれる。

 毎晩、カイトにその返事を書くのが日課だ。


「お金が足りなくなったら野菜でも作って売ればいいだけだし。それに誰かがお金に困ってるのも、空腹に飢えているのも、私が何かしたわけじゃないでしょ? そーゆーのって私、関係ないと思う。それに私がお金に困ってないのだって、私が悪い事したわけじゃないもん」

「そりゃそうだろうが・・・」


 そこまではっきり言われると、キースヘルムも二の句が継げない。

 そうと見てとり、ラースが代わりに尋ねた。


「だが、普通はそういう人達がいるのに自分だけ・・・って罪悪感が生まれたりもするものだろう。マーコットはそういうのはないのか?」

「なんで罪悪感なんて持たなきゃいけないの?」


 セピア色の瞳をくりっとさせて、真琴は尋ね返した。


「その人達が生きている中でそういう貧困とか経済格差が生まれているとして、それはその人が生きる社会の問題でしょ? 私は為政者でも何でもないんだよ? 罪悪感なんて、その状況を作り出した原因の人に帰属(きぞく)するもんでしょ。私、関係ないよ?」

「なるほど。・・・何も考えてないように見せかけて、実はかなり賢いな、マーコット」

「そうかなぁ。誰だってそう言うと思うけど」


 基本的に真琴は、この世界の為に父と母を失ったと思っている。

 母が女神でなければ、もっとずっと両親と共にいられた筈なのに。

 そして自分達が自分達でなければ、姉妹は同じ場所に暮らすことだってできた筈だ。

 

「キースやラースは、私が大事にされて育ってきたって思ってるんでしょ?

 だからそうじゃない人達がいるのだから、それだけ恵まれて暮らせたことを感謝しろって言いたいんでしょ?

 だけどそんな風に私に甘えられても迷惑。だって私が幸せに育てられたのって、お父さんとお母さんの努力があったからだもん。私の為に指一本動かしたことのない人の為に何かを思ってたら、そっちがおかしいよ」

「すごい身勝手な理屈だな」


 さすがのキースヘルムもそうとしか言えない。


「そんなことないよ。だって私が恵まれてたのって、それだけ私が愛されていたからでしょ? みんなは私を愛していたからこそ、それだけ色々なことをしてくれてたんであって、全ては私が受け取るべき愛情なの。

 それなのに、恵まれている私が羨ましいから分け前を寄越せって妬むような人、私を愛してくれていた人達の気持ちを踏みにじる敵でしょ? 敵の為に私が犠牲になるなんて、私を大事にしてくれている人達への裏切りだよ」

「なるほど。たしかにその通りだ。だがな、マーコット。さすがにそれを口にしたら反感は凄まじいことになりかねないからな。思うのはいいが、あまり人に言うんじゃないぞ。嫌われたら厄介なのが女の世界だ」


 ラースは、真琴が女性社会の中でちゃんと生きていけるだろうかと、そっちが心配になった。


「うん。だけど嫌われたって、どうせその人達と一緒に生きないから大丈夫。私が大事に思って、大切にするのは、私が大好きな人だけで、他の人なんて要らない。それでいいと思ってる。だってみんな、それでいいって言ってくれるもん」


 なんという傲慢なセリフなのか。

 赤みがかった金の巻き毛を束ねた娘の小指で、太陽光を反射して橙色の指輪が煌めく。

 軽く剣を振って肩慣らしをしている真琴は、まさに誰かに頭を下げたことなどありませんといった雰囲気だけがあった。

 

「お前さんなぁ、嫁に行ってもそんなセリフが吐けると思うなよ。女なんてなぁ、男の稼ぎで食わせてもらうもんなんだからよ」


 悔し紛れにキースヘルムが、真琴の未来を暗く予言する。

 けれども真琴は真琴で、今日もカイトからの手紙で幸せいっぱいなのだ。そんな予言はへっちゃらである。


「だからキース、駆け落ちしてどこかに連れていかないとハッピーエンドにならない人なんだよ。私のカイト、見習ったら?

 カイトなんて私が気に入った場所におうち建ててくれて、私に似合うお洋服も仕立てに行ってくれて、私が食べたいご飯も作ってくれるし、いつだって優しいよ?

 私が眠くなったら寝つくまで手を握ってお話してくれるし、寝てる間に全部の家事をすませてくれるし、生活費だって十分に稼いでくれてるし。私の周りに他の人達がいても、

『お前がそれだけ大事にされてるならいいさ』って言ってくれるもん。

 思うんだけど、キースが甲斐性なしで器が小さいだけなんじゃない?」

「「「「「・・・・・・・・・」」」」」


 キースヘルムとラースばかりか、キースヘルムの手下達も黙りこんだ。

 尚、カイトがそこまでできるのは、獣人の体力と、獣人らしからぬ性格があればこそである。


「も、いい。てめえにゃ何を言っても通じん」


 いくら美人でもこんな勝気な娘をそこまで甘やかす男はどうなんだと、キースヘルムは言いたい。


(ちっ。どうにかこうにか言いくるめようにも、こいつはこっちの思い通りにはならんタイプだな。強さでねじ伏せようにも気配を読むのがうまいばかりか、凄まじい身体能力だ。なら精神力はどうかと言えば、全く弱みがねえ)


 そのカイトという男とやらを人質にとれば、この娘は言いなりになるのだろうか。

 これだけの手練れである真琴をむざむざと見逃すのも惜しくて、キースヘルムはそう考えずにはいられなかった。


「うん。まあ、カイトみたいにカッコいい男の人はいないから仕方ないよね」

「そうかよ。さぞそいつは強いんだろうな」

「うん。カイト、強いよ。たしかドモロールの精鋭さん達と競わされて優勝してたもん」


 運び屋としてドモロール王国で就職活動しようとしたカイトは、いきなりそういうテストを受けさせられて神子姫誘拐の任に就いたのである。

 その話を思い出し、真琴はへらっとそう答えた。

 だが、そこでラースが目を丸くする。


「なんと。あのドモロール王国軍の精鋭とか?」


 つい、真琴の腕を掴んで確認してしまったのは、ドモロール王国軍の軍事力は有名だからだ。


「へ? うん。あそこ、能力主義なんでしょ? カイト、なんか軍とか関係ないのにいきなり推薦されて、何も説明されずに体力と技能試験されて、優勝したらいきなり王国軍に組み込まれて迷惑だったって言ってたもん。

 どうしたの? ラース、もしかしてあそこの軍に入りたいの?

 やめといた方がいいよ。あそこに行くと、毎日、海辺で岸壁工事させられちゃうんだよ。足腰が辛いよ?」


 かつてディリライト島に派遣されたドモロール王国軍は、神子姫が現れるまで毎日することもなく、ディリライトに対する敵対意識がないことを示す為、岸壁工事を請け負っていた。


「なるほど。あの強さの秘密の一端は、そういった岸壁工事で足腰を鍛えることにあるのか」

「どうかなぁ」


 そんなこと、真琴は知らない。本国にいた軍隊の様子までは未確認だからだ。

 だが、ラースはうんうんと頷いた。

 さすがは軍事大国。生半可(なまはんか)な鍛え方などしていないのだろう。

 感心するラースとは別に、キースヘルムは苦虫をかみつぶしたような顔になる。


(駄目だ。ドモロール王国軍の精鋭に勝つような男じゃ人質にならん。こっちが反撃食らうだけじゃねえか)


 きっとそのカイトという男は筋肉だるまの上にちょこんとした顔がついている、まさにヒグマのような奴なのだろう。


(ま、筋肉しか取り柄のねえブサイクって奴だな)


 そう思うことで、キースヘルムは溜飲を下げた。






 青い鳥が守る通路を使って黒い龍の所へ出れば、実は黒い龍の所から第7神殿へ繋がっている通路がある。

 第7神殿は死のガスに包みこまれた場所にあるので、第7神殿に通路の守り人はいないが、それはとても面倒な場所に置かれていた。


「って、第7神殿のそれがこんな場所なんて聞いてなーい」


 黒い龍に頼んで第7神殿への通路を通らせてもらったら、いきなり出口は温泉の中だ。

 遥佳は、息をプハッと吐き、コポコポしながら犬かき状態で水面へと浮かび出ると、岸に上がってそうぼやいた。

 なんということだろう。

 自分達がお風呂代わりに利用していた温泉の一番深い場所が、まさかパッパルート王国の聖地へと繋がる通路の出入り口だったとは。

 着ていた服ばかりか、自分も頭からびしょ濡れだ。


(この通路の場所変更のやり方も聞いてくるんだったわ。なんて油断できない守り人達なの)


 元々、女神や神子がいなければ使えない通路なのだから、守り人なんて不要な気がしたものの、それこそ女神や神子が本意ではなく使わされることも考えてのことがあるらしい。

 だが、こんな温泉の底にあるとしたら・・・。


(そりゃね。脅されて使わされる・・・前に、潜る前にはぐれちゃうわね)


 とりあえず着替えは第7神殿の中にあるだろうが、カイトと真琴はどこにいるのか。

 そう考えた遥佳に、声がかけられる。


「まあ。その輝かしき穏やかな気配は姫様ですの? もしや、ユーリ姫様かハールカ姫様ではありませんか?」

「え?」


 温泉の近くにある泉から顔を出していたのは、一人の水の妖精(ウンディーネ)だった。






 その水の妖精(ウンディーネ)は、遥佳が暮らしている家の前にある湖に生息するウンディーネ達よりも(にぎ)やかな性格をしていた。


「ハールカ姫様でいらっしゃいましたか。今、マーコット姫様はお出かけ中なのですが、夕方過ぎには戻っていらっしゃいます。きっとお喜びになりますわ。カイトさんがまだお戻りにならないので、やはりお寂しい思いをしておいででしょう」

「夕方には・・・って、真琴ったらそりゃ今は前と違う姿だから出歩いてても全く問題はないんだろうけど。一人で朝から夕方まで出歩いてて寂しいとかってあるの?」


 今は朝である。

 普通、昼には戻ってくるのではないかと、遥佳は空を見上げずにはいられない。

 自分の姉妹はどうしてこう、あちこちへと出かけてしまうタイプなのだろう。


「それはまあ、別に寂しそうなご様子はありませんけど」


 正直な水の妖精(ウンディーネ)は、あっさりとそれを認めてしまう。

 遥佳を神子だと判断したウンディーネは、即座に濡れた遥佳の全身から水を吹き飛ばした為、びしょびしょだった遥佳も完全に乾いていた。


「だと思ったのよ。あ、そうそう。カイトさんって出かけてるの? 何か用事でもできたのかしら」

「はい。マーコット姫様がお友達になったパッパルートのデューレ王子がリンレイという街に行く用事があるそうで、それに同行なさっていらっしゃるのです。マーコット姫様はスカンクのお姿になっていらしたので、デューレ王子は姫様をスカンクの獣人だと思いこんでいるのですが、王宮滞在中、毎日姫様の為にご馳走を用意し、音楽を奏で、とても大事にしてくださったのですわ」

「真琴ってば、どこに行っても可愛がられるタイプなのね」


 毎日遊んでいるだけなのに、何故か要領のいい姉妹である。

 思えばドリエータの治療院でも自分はせっせとお医者さん達のお手伝いをしていたのに、真琴は畑で山羊や鶏達と追いかけっこしていたり、イスマルクとお出かけばかりしていなかっただろうか。


(パッパルートのデューレ王子って、私を優理と勘違いした挙句、国王代理を押しつけてルートフェン国に行ってしまった人よね)


 自分には外交から王宮内の雑務までを押しつけておいて、自分の姉妹にはご馳走と演奏のおもてなしをしているデューレ王子。

 なんだかとても理不尽な気がしてならない。


「だけどここで夕方まで遊べるような場所ってあるの? 真琴、かなり遠くまで出かけてるの?」

「いえ、すぐ近くですわ。何でもマーコット姫様は、近くの山中でラースという男と知り合いになられまして、その後でキースという男達と知り合いになりましたの。そうしてキースという男が好きな娘と駆け落ちを考えているというので、協力することに決めたそうですわ。そのキース、謝礼の一部として、毎日の食事を姫様に用意しておりますの」

「・・・真琴って、どこへ行っても食べはぐれないタイプよね」


 遥佳は、

「食べることは大事なのよ」と、力説する優理に比べ、

「お腹が膨れたらそれでいいんじゃないの?」と、そこまで根性を見せない真琴の方が、食べ物運に関しては恵まれているのではないかと思わずにはいられない。

 パッパルート王宮でも、冷えた食事にストレスを募らせた優理が国王を(そそのか)して逃亡したというのに、三つ子の姉妹でありながら真琴だけはおもてなしされているときたものだ。

 しかし、まさか駆け落ちの手伝いとは・・・。


「その駆け落ちって、すぐに終わるのかしら?」

「どうなのでしょう。何でも相手の娘さんは、もうすぐ兄妹でジェルンにやってくるそうで、その兄達の隙を見て妹と駆け落ちするそうですの。姫様はその兄達に、違う方向を教えて混乱させるのと、必要に応じて駆け落ちしたキースという男達の痕跡を隠してあげるのだそうですわ」

「情熱的なのね」


 兄達の制止を振り切って駆け落ちする妹。

 あの真琴がそれに手を貸すということは、きっとその愛に感動して・・・、感動して・・・・・・?


(あの真琴が?)


 他人の恋愛なんて、「へー。そうなんだ」ですませる真琴が、駆け落ちに手を貸す程にキースという男性の愛情に感動して協力を・・・。


(そんなこと、あるのかしら)


 遥佳はしばし考えこんだ。

 何かと人に可愛がられるタイプの真琴だが、基本的に自分の感情に忠実な分、人の抱く愛情や感情には鈍感である。


(きっと、あの真琴ですら仕方ないなって思うぐらいに頼りない人だったのね、そのキースさん)


 真琴が、仕方がないなぁと思ったのは、自分に優しくしてくれたラースの方だったのだが、そんなことまで遥佳にだって分からない。

 そうなると真琴は今、手が離せないということだ。


「ハールカ姫様。よろしければその小瓶に水を入れて私をお連れくださいませ。せっかくですもの。マーコット姫様がお戻りになるまで、神殿内でごゆっくりなさっていただければ・・・」

「ごめんなさいね、気を遣わせて。だけどウンディーネがこんな場所にいるとは思わなかったわ」


 泉の傍にあった幾つもの可愛らしい小瓶やグラスの中から、ピンク色のワイングラスを選び、遥佳はそれに泉の水を汲む。すると水の妖精(ウンディーネ)は小さくなってそのグラスの中に入りこんできた。


「それが私、ひょんなことからロードニア島で姫様と出会いまして、姫様がゲヨネル大陸に連れて帰ってくださると(おっしゃ)ってくださいましたの。それでカイトさんやドラゴンやペガサス達とご一緒させていただいたのですわ。そうして姫様がカイトさんと一緒にこの第7神殿でお過ごしになるというので、赤い虎の守り人様から供をするように命じられましたの」


 なるほどと頷きつつ、ワイングラスを持って遥佳は第7神殿へと歩きだす。

 ピンクのワイングラスから顔を出している小さなウンディーネ。話し方も、とてもおしゃまな女の子っぽくて可愛らしい。

 自分が暮らしている湖にいる水の妖精(ウンディーネ)はどこか大人びた人達だったけれど、やはり個性があるのだろうかと、遥佳は思った。


「そのドラゴンとペガサスって、ラーナさん達よね? 今、マジュネル大陸の聖地に戻ってるわよ。ゲヨネル大陸に戻りたいなら私と一緒に帰ればいいかしら」

「あ、いいえ。私、マーコット姫様にご一緒できるならどこでもいいのですわ。姫様は、

『一人は寂しいよ』と、仰ってくださいますけど、我ら妖精にとって姫様方のお役に立てることこそが喜びなのでございます」

 

 それが嘘ではないと、遥佳の心に流れ込んでくる感情がある。


「そうなのね。ありがとう、真琴といてくれて」

「とんでもないことでございますわ、ハールカ姫様」


 本当はいつだって真琴の傍にいたい水の妖精(ウンディーネ)だ。

 けれども今の真琴は男達に剣の稽古をつけている。その際に水の妖精(ウンディーネ)の入った小瓶が割れたら大変だからお留守番をしているのだと、ウンディーネは遥佳に語る。


「本当に真琴ったら危ないことばかりしてるんだから」

「ご心配いりませんわ、姫様。マーコット姫様の上空ではシルフが控えております。そして私にははるかに劣る存在ながらも忌々しい火の妖精(サラマンダー)もおります。仮に姫様が身動き取れないような状態に置かれようものならば、あの山椒魚が姫様以外の全てを焼きつくすことでしょう」

「・・・そうなの」


 妖精にも相性があるのだなと、遥佳は思った。

 だが、そんな遥佳も第7神殿に一歩踏み入れれば、

「何よ、これは」と、目が点になる。

 リビングとして使っていた部屋の床には書きなぐった紙が散らばっており、机や、どこかから持ってきたらしい布団の上には手紙がぐしゃぐしゃになって置かれていた。


「えーっと、姫様はお戻りになったら、そのままお風呂になさって、カイトさんからのお手紙を読んで、それからお返事をお書きになってお休みになるので・・・」

「だからって散らかしっぱなしはないでしょーっ」

「・・・・・・」


 洗濯物は全て水の妖精(ウンディーネ)が綺麗に洗い上げてしまうし、お掃除も風の妖精(シルフ)がしてしまう。

 だが、さすがに真琴がカイトの手紙を読みながら寝てしまったり、色々と書き損じたものとかを散らかした物は片付けていいのかどうかわからずに、妖精達も放置するしかなかったのだ。

 尚、真琴は別にそんな物が散らかっているからといって、気にするタイプではなかった。言われれば片付けるけれど、言われなければどうでもいいと思っている。

 そして真琴は寝室で休むのではなく、カイトの手紙が届けられるリビングで寝起きしていた。


「真琴ったら、真琴ったら・・・」


 考えてみれば真琴は身体能力こそ優れているものの、家庭内のことはあまりできないタイプだったのだ。


(こんな状態でカイトさんの所にお嫁になんて出せないじゃないのーっ)


 なんということだろう。

 世界でも比類なき高貴な姫君の正体は、単なるモノグサ人間だっただなんて何の自慢にもならない。

 真琴の正体を知ってしまったというカイトは、一体そんな真琴をどう思っているのか。


(獣人なんだからあまり気にしていないかもしれないけど。元々、真琴にそんなこと期待もしていないかもしれないけど)


 遥佳は、散らばっているそれらを拾い上げ、ゴミ箱に入れていくものと、ちゃんと取っておくものとに分けていく。

 その際、読むつもりはなかったものの、分類する為にカイトからの手紙を見てしまい、

(なんだか真琴ばかりが幸せのような・・・?)と、思わずにはいられない。



『マコトへ。

 そっちは猿が温泉に入るのか? だけど毎日が楽しいなら良かった。ウンディーネも本当はお前と一緒にいたかっただろうから、余計に張りきっているだろう。

 それは王子も同様のようだ。お前がいないとつまらないらしい。一緒に来なくて良かった。あの王子ならこっそりとお前をパッパルートまでお持ち帰りしかねないからな。

 ちゃんと食事はしてるか? 自分で作ったりして火傷したら大変だから、ちゃんと食べに行くんだぞ。その金は全部使いきってかまわないんだから。カイト』



『マコトへ。

 今日はちょっと慌ただしくてあまり書けそうにない。すまないな。

 だが、いつもお前を想ってるよ。おやすみ。いい夢を。カイト』



『マコトへ。

 おはよう。昨夜は近くで喧嘩があったんだ。

 やはり王子に何かあっては困るし、巻きこまれないようにしようと思ったら、距離を取るのが一番だからな。

 だが、夜の移動だったもんだから、『これが夜逃げというものでしょうか』なんて王子は言うときたもんだ。

 ・・・どうなんだろうな。

 お前は楽しい夢を見られたか? ウンディーネがいれば洗い物は全部してくれるだろう。手が荒れるからお前は無理するなよ。今日も愛してる。カイト」



 別に遥佳だって覗き趣味があるわけではない。

 だが、捨てていいのか悪いのかを考えたら、読むしかないのだ。


(なんで真琴ってばここまで過保護にされてるの?)


 大体、真琴は手荒れなんてしたことがあっただろうか。そんな真琴は水泳も得意である。

 しかもちょっと離れているからといって、風妖精(シルフ)を使ってまで手紙を毎日やりとりする必要があるのだろうか。

 自分がイスマルクのことで人知れず悩み、ヴィゴラスのことで気が遠くなりそうな思いをしているというのに、真琴だけ必要以上に皆から大事にされるハッピーライフを満喫しているような気がしてならない。

 とりあえず遥佳はカイトからの手紙はまとめて机の上に重ね、そうして真琴の書き損じは全てゴミ箱に放りこんだ。


「ねえ、ウンディーネ。真琴ってば朝ごはんもそのキースさん達に食べさせてもらってるの?」

「はい、そうですわ。毎朝、姫様は起きてお風呂でひと泳ぎしてからお出かけなさるのです。ちょうどそれぐらいで、あちらの朝食時刻にぴったりなのだそうですわ」

「あら。真琴って朝風呂派だったかしら」


 どちらかというと、夜に入るタイプだったと思うのだが。

 遥佳が眉間に皺を寄せれば、その理由はとても単純だった。


「夜にもお入りですわ。ですが、姫様がそうやって泳いでくだされば、私が温泉を使って姫様の御髪(おぐし)を整えられますもの」

「・・・・・・真琴」


 どうやら髪を梳くのも乾かすのも水の妖精(ウンディーネ)が担当しているらしい。

 どこまで横着に生きているのだろう、自分の姉妹は。


「ですからご心配はいりませんわ、ハールカ姫様。マーコット姫様、色々と動きまわっておいでのようですけれど、ちゃんと髪も綺麗にまとめておりますし、お召し物もいつだって綺麗に洗っておりますし、見苦しい格好などしていらっしゃいません」


 あんないるだけしか能がない、オレンジ色の山椒魚とは格が違うのである。真琴の傍にいて役立てるのはやはり水の妖精たる自分しかいない。

 その誇りにかけて、ウンディーネは胸を張った。


「そしてご飯は男の人達に作ってもらってるのね?」


 ご飯を食べないウンディーネは意味が分からず、可愛らしくちょこんと首を傾げる。

 男女関係なく、神子に食事を作らせようと思うゲヨネル大陸の住人がいる筈もない。・・・名前をつけられた図々しいグリフォンを除いて。


「普通はそういうものなのではありませんの? たしかカイトさんも、いつもそんな感じでしたわ」

「・・・そう」


 なんて恥ずかしい姉妹なのだろう。

 そう思う遥佳を慰めるかのように、焦って水の妖精(ウンディーネ)が言葉を継ぐ。


「だ、大丈夫ですわっ、ハールカ姫様っ。マーコット姫様、ちゃんとここで実った果物とか持っていってらっしゃいますもの。あちらだってこれだけ美味しそうな果物や野菜を持ってきてもらっているのですから、気にしてないと思いますわっ」

「ありがとう、ウンディーネ」


 たしかにあれで真琴は気を遣うタイプだ。自分が食べさせてもらっているなら、それなりに果物や野菜を持っていっていることだろう。


(だけど真琴。その野菜を調理するのも果物の皮を剥くのも、その男の人達じゃないの? あなた、一緒に食べるだけよね?)


 確認するまでもなく、まだ朝だ。

 すぐ帰ると約束した以上、夜まで真琴を待っていたら、あのヴィゴラスがどれだけ騒ぎ立てることか。


(しょうがないわ。だけどお昼までぐらいなら大丈夫よね)


 だけどどうすればいいのだろう。まさか真琴が駆け落ち実行の手伝いなんてものをしているだなんて。

 マジュネル大陸にちょっと戻ってきて一仕事してもらいたかったのに、そうなるとかなり難しい気がする。

 まさか真琴をマジュネル大陸に行かせて、自分がその駆け落ちを手伝うわけにはいかないのだから。


(私に、そんな駆け落ちカップルの痕跡隠しなんてできる筈ないもの)


 真琴にはメッセージだけ残しておくしかないだろう。

 そう思って遥佳は溜め息をついた。






 リンレイにある優美な城の中では、かなりの騒動が起きていた。


「なんということだっ! どうしてもっと早く報告してこないっ!?」

「申し訳ございませんっ」

「ですが、・・・もしも人違いであればとんでもないことになります。追跡させてはおりますが。顔はよく似ておいでには見受けられますが、間違いでしたらとんでもない恥となりかねず、対応に苦慮しております」


 いくらドリエータの治療院にいた神子姫ハールカにそっくりな顔立ちをしているとはいえ、他人の空似かもしれず、またもしも三人の神子姫の一人であれば失礼な対応はできかねたのだと、彼らも言い訳するしかない。


「そんなことはどうでもいいっ。まずはその娘をここへ連れてくるのだっ」

「ですが、その娘は何人かの男達と一緒におりまして・・・。その男達から話を聞きだすべきかと、わざと無頼の男共を雇って絡ませましたが、どれも返り討ちにあったのでございますっ」

「そうなのでございますっ。騒乱を起こしたということで引っ張ってこようとしたのですが、その前に誰も彼もがあっけなく彼らに叩きのめされまして・・・」


 その言葉に怒り狂ったのは城にいた貴族や高位役人達である。


「ええいっ。もしも本物だとしたら、そんな男達に囲まれている方が危険ではないかっ。何故そのような状況で保護せぬっ。人違いであれば放り出せばよかろうっ。本物であればそんな場所にどうして神子姫様を放置しておけると申すのだっ」

「はっ」

「申し訳ございませんっ」


 ものは言いようである。

 結局は、真偽などこちらで見極めるから捕まえてこいと、そういうわけである。


「案内だけせよっ。兵を動かすのだっ」


 元より、神子姫を捕まえる為ならば軍兵を動かしてかまわぬと、前王妃ミネルタの内意が伝えられている。

 ましてや神子姫ハールカは、自分達が期待をかけていたラルース王子を不遇の身に落とす原因となった存在だ。


(所詮は国の運営など何一つ分からぬ小娘っ。我が国の栄えある歴史を何と思っておられるのかっ)


 かえってドリエータ伯爵が治めるドリエータ地方では、よりによって神子姫マーコットに矢を射かけてしまった上、神子姫ハールカを地下牢に幽閉し、更にその神子姫達は治療院で兵士達の治療を手伝ってくれていたことが判明している。

 ドリエータの騎士や兵士達は、

「いくら上官の命令だったとはいえ何ということをしてしまったのか」と、かなり士気が落ちていた。

 言うまでもなく、盗み出されたとされていた絵は、神子姫達こそが本来の持ち主である。

 だが、リンレイの街にいる騎士や兵士達は違う。

 所詮は伝聞であり、紳士的に対応しようとしたラルース王子に恥をかかせてグリフォンで飛び去り、聖なる国とされていたギバティ王国を無視して、あてつけのようにキマリー国第二王子やディリライト首長一族と親しく交流する厭味ったらしい行動をしてくれた存在でしかない。


(いくら人知を超えた存在とはいえ、グリフォンがいなければただの小娘にすぎぬ。たしかに空に広がった奇跡は素晴らしかったが、そういうことはできても戦う力は持たぬのだ。ならば何とでもなろう)


 たかが世間知らずな小娘。そして手に入れてしまえば、まさに全ての国がギバティ王国に(かしず)くのである。何としてでも手に入れなくてはならない。

 

「ドリエータ伯爵からも兵を借り受けるのだ。絶対にその娘、この城にお迎えせよっ」

「ははっ」


 リンレイの城にいる貴族や高位役人の命とあれば、もう市街地の警備を担当する彼らに反論は許されない。

 一気に城では緊張が高まった。






 馬や駱駝(らくだ)を乗りこなし、徒歩でも砂漠を歩きまわる国王ディッパ達は足腰が強い。こういった平地の馬だって乗り慣れたものだ。

 彼らは順調にキースヘルムを追っていた。

 そうして今日もディッパとニッカスは馬を並べて進ませている。その前後を走らせる8人もまた、時折、位置を交換しつつ、ディッパを常に中心にして守っていた。


「何なんだろうな。どうしてどいつもこいつも、移動が早いんだか。普通、馬に負担をかけぬ為にももっとゆっくりいくものだろう」

「それを言ったら終わりですよ、我が王。・・・やはり色恋沙汰が絡むと男は理性を失うんですかねえ」


 ニッカスにしてみれば、どうせ優理達と合流できた時点でキースヘルムとやり合うことになるだろうと思っている。

 もしも戦うとなれば、その際はディッパを安全な所まで連れて行ってもらう為、残りの8人は失えない盾でもあると考えていた。人数が多い程、機動力は地味に落ちるが、大事なのはディッパなのである。

 それはニッカスにとって絶対的な真理だ。


「その前に進んでいるレイス殿達はどこまで急いで走らせてたんだか」

「ティード様のノリに合わせて進んでったんじゃないですかねえ」

「かもな」


 優理達一行とキースヘルム一行のどちらを追いかけているのか分からなくなりながら、こうして何日も馬に揺られていると、ディッパも飽きが出てくる。


「どうせキースヘルムがユーリ殿を手に入れたところでギバティールに戻ってくるわけだろう。それから取り返してもいいんじゃないのか? 大体、娘なら貞操問題もあろうが、男と気づいたらそこでもう話は終わると思うんだがな」


 そう呟いてしまうあたり、ディッパもいささか薄情なところがあった。


「ですが本当に男なんですかねぇ。そりゃ胸はありませんでしたが。いや、我が王の眼力を疑うわけじゃありませんがね」

「言ってくれるじゃないか、ニッカス。だが、ユーリ殿に月のものがなかったのは確かだ。それはずっと観察していたから間違いない。まあ、毎月に一回ではなく半年に一回しかないといったものならば別だがな」

「そういうものはよく分かりませんが、・・・そういうもんなんですかねえ」


 ディッパとニッカスでは、そういった知識が圧倒的に違うのだ。ニッカスはあやふやな顔で相槌を打った。


「まぁな。18才になってもまだそういった性的な成長を迎えていないという、とても珍しい個人差の可能性もある。だが、何にせよ月のものがない以上、仮に娘だとしても子は孕めぬ。ならば男と変わるまい。男女の差とはどこに現れると思うか、ニッカス?」

「へ? そんなの、見りゃわかるじゃないですか」

「外見は問題ではないのだ」


 ディッパは、軽く首を横に振った。どうしても前後の警戒と馬を走らせているが為にその様子を見そびれても、長年の付き合いの為、ニッカスもそうと察する。


「子宮があるかないか、それによって男女の性差を見るのだ。ゆえに幼い女児もまた、月のものがないならば女ではないと、こういった時にはそう捉える。女として扱うのとは、別次元となるのだ」

「つまり妊娠できるかどうかが大事だと?」

「それを言い出したら、また違う話になるのだがな。実際、男の方が孕ませる能力を失っていることの方が多いのだ。男が女に受胎させる能力がない場合でも男と考えるかどうかということになる。だが、これは男の方が受け入れたがらない話でな」

「・・・はぁ。まあ、そういう難しい話はどうでもいいんですがね」


 そんな面倒なカテゴリーを考えて、男女を区別する人がいるのだろうか。

 ニッカスはげんなりした顔になった。

 そんなことを言っている内に、やがて街道が二手に分かれる。


「こっちがアッソーネ経由でジェルンに向かう道で、ユーリさん達の進んだ方向の筈です。もう一つの道を行くと、リンレイという街を通過し、ドリエータに出るそうです。キースヘルム達もこのジェルンに向かっているのは間違いないようです。ただ、・・・もしかしたらユーリさん達は本来の予定を外れてリンレイに向かったかもしれません。どうしますか、我が王?」


 先程の聞きこみで、キースヘルムがジェルンに向かったのは間違いないだろうが、取りこぼしを防ぐ為にユーリ達についても尋ねていたのが良かったのだろう。


『そういや、あの男達もその一行のことを尋ねてたね。あん時ゃ、思い出せずに「知らんなぁ」って言っちまったんだが、その後で思い出してよ。多分、その前にいたあの女の子一人に男ばかりの一行なら、リンレイに向かった筈だぜ』


 そんなことを聞いてしまったのだ。


「リンレイか」


 ディッパはそう呟いた。

 ここは優理の通った道を追うべきだ。何故なら先に危険を知らせることができる。

 分かっている。分かってはいるのだ。だが・・・。


「前王妃が好んで使う城がある街か」


 言うまでもないが、ディッパは古き国の王族として様々な国を訪れている。勿論、ギバティ王国の前王妃とも顔を合わせたことはあった。

 

「我が王?」

「なあ、ニッカス」


 澄みきった青い空を見上げて、ディッパは語りかけた。


「大事なのは、キースヘルムの動きを阻止するということだ」

「・・・はあ?」

「だからな、大事なのはキースヘルムの所へ早く辿り着くことだ」

「はあ」

「その折々で、最適な行動を選び取る。それが大事なことではないか」

「えーっと」


 長いつきあいだ。ディッパの考えることはニッカスにもお見通しである。

 だから彼はぼそっと言った。


「つまり敵前逃亡ですね、我が王」

「・・・・・・」


 ディッパの返事はなかった。カッティム達8人も口が挟めない。

 だから誰にともなく、ニッカスは言った。


「そう言えば、ギバティの王族って結構クセがありましたもんねぇ」

「・・・・・・」


 ニッカスはディッパの護衛として常に傍にいた存在だ。

 だからディッパと同じものを見聞きしている。


「あの前の王妃様なら、我が王に自分の身内の売れ残り姫を押しつけるぐらいしてくるかもしれませんよねぇ」

「・・・・・・」


 今日の空はとても清々しく晴れている。


「分かりました。アッソーネ経由の街道を進みましょう」


 ディッパの聞こえないフリは、ニッカスが諦めてそう言い出すまで続いた。






 ギバティールにおけるティネルの街。

 そこは、今となっては崩れ去った聖神殿のお膝元として栄えている街だ。


「そりゃ無茶っちゅーもんや。あんキースヘルムや。自分、留守しとった言うたかて、うちが勝手な事しくさった聞いたらどない思うよ。

 勿論、同情はすっわ。

 けどなぁ、そんでお()んら助けた挙句、その助けたお前んらがキースヘルムと一緒んなってうちんとこに殴りこみかけてくんやろ?

 冗談やない。うちかてほなことになった日にゃ俺信じてついてきてくれた奴らに申し訳たたへん。誰かてそう()うわ」


 キースヘルムの手下達から、キースヘルムに連絡が取れないから、捕らえられた幹部達を助けてもらえないかと泣きつかれたドレイクだったが、一度はそう断っていた。

 そんなことはないと、約束したところで、キースヘルムが戻って、

「俺のしたわけじゃない約束をどうして俺が履行しなきゃならねえんだ」と、言ってしまえば終わりである。

 捕まったキースヘルムの幹部達を助けてもらうための金をドレイクに貸してほしいというのであれば、その金を持っているキースヘルムが約束するのでなければ、出し損ではないかと、ドレイクはそこを譲らなかった。


「ですがドレイクさん。ボスはドレイクさんとはかなりいい関係を築いてます。だから、ドレイクさんから言ってもらえれば・・・」

「アホか。あいつがそんな上品なタマかい。俺かて自分が約束したもんでない借金押しつけられたら、『知るか』()うてケツまくるわ」


 その通りである。だが、キースヘルムの手下達とて、他の一家(ファミリー)には泣きつけない。何故なら助けてもらえることなく潰されるからだ。

 ドレイクはあくまで、「程々でええんや、うちはな」と(うそぶ)き、特に積極的に打って出ないが、他所(よそ)は違う。隙を見せれば食いついてくる。

 たしかにキースヘルムのことだ。自分が介在しないそんな大金の取引を、「しょうがねえな」などと言って受け入れてくれるとは思えない。

 必要な金だったことは分かっていても、それこそ自分には返済義務はないとばかりに踏み倒すだろう。

 それはそれ、これはこれと割り切って。

 勿論、キースヘルムの手下達もそれは分かっていた。だが、ドレイクならばどうにかキースヘルムを宥めてくれるのはないかと期待していたのだ。


「どんな世界にも義理っちゅうもんはあるけどなぁ。これはそれを逸脱しとんのや。うちかて自分の手下()でもない奴を助けることぁでけへん。・・・それこそ捕らえはったお役人に交渉した方がええわ」


 彼らならば、まだキースヘルムが戻ってから支払うといった形でもどうにか受け入れてくれるのではないかと、ドレイクは勧めた。

 

「それでもドレイクの旦那、彼らは今、払わなきゃ兄貴達を痛め続けるだけなんです。そんな金なんざ・・・」


 彼らの弟分としては、役人に賄賂を渡してこっそりと差し入れや面会を頼みながらも、どんどんと(やつ)れ、傷ついていくその姿に耐えられないものがある。


「金か・・・」


 ドレイクは、痛ましそうに呟いた。勿論、演技である。


「やけどキースヘルムん気に入りの女らおるやろ? ええ宝石とかもらっとん違うん? それらを売ればどうにか助かる金ぐらいはでけへんか?」

「え?」


 ドレイクは考える顔になって提案する。


「あんなんは小さいけん、パッと見高いか安いか分からん。けどなぁ、あんキースヘルムや。そこまで安物(やすもん)渡しとらんのと()ゃうか? それを売りゃ金はでける。そりゃ全員は無理かて、まずは大事なんから助けたり」


 ばっとキースヘルムの手下達が顔を見合わせる。キースヘルムが手をつけた女達は多い。もしもそれらから巻き上げることができたなら・・・。

 そして、そういうことならば後でどうにでもなるかもしれない。

 普段はそういう女達は、キースヘルムのお手付きとして、「姐さん」と、それなりに丁寧に対応していた彼らだが、今、助けなくてはならないのは彼らの兄貴分だ。

 どちらが大切かだなんて、言うまでもない。


「行くぞっ」

「おおっ」


 元々、キースヘルムの手下達は、同業者と相対する時には形ばかり取り繕っていても、荒っぽい稼業の人間ばかりだ。

 ドレイクに見せる顔と、弱者に見せる顔は全く違う。

 

「失礼します、ドレイクの旦那」

「ああ」


 ざざざざっと去っていく彼らを鷹揚な態度で座ったまま見送ったドレイクは、その姿が完全に見えなくなってから薄笑いを浮かべた。


「ドレイク。何なら酒でも出しますか? どうせ今日は貸し切りです」

「せやな。せっかくや、一緒に皆で飲もうや。けど久しぶりにウォーレンの菓子食ったら美味かった。まだあるか?」


 ウォーレンが声をかければ、ドレイクが撫でつけていた髪を手櫛でぼさぼさにしながらそんなことを言う。


「大丈夫です。つまみは用意してますから」

「分かっとるやんけ」


 普段は菓子しか作っていなくても、その程度は簡単に作れるウォーレンだ。あらかじめ用意していた酒のつまみは、棚にすぐ出せる状態で準備してあった。

 そんなドレイクに、壁際の椅子に座っていたヴィオルトが近寄ってきて苦言を呈する。


「一体、何を考えてるんです、ドレイク? 別にキースヘルムの女なんてどうでもいいですが、こういう時、奴らはエスカレートする。女達が可哀想な目に遭うだけじゃないですか」

「別にかまへん」


 ドレイクは両肩を竦めながら、冷たい眼差しを彼らが出て行った扉に投げた。


「女の足を引っ張るんは女や。んでもってユーリかて女や。キースヘルムがいくら睨んどっても出る杭を打とう思う奴は出てくる」

「・・・あのお嬢さん、少年だったのでは?」


 たしかディッパがそう言っていたなと、ヴィオルトが思い返しながら言えば、ドレイクもそこはちょっと不安そうな顔になる。


「まあ、そこらはよう分からん。やけど男やろうが女やろうが、どっちかてどっちの役にも立たへんから見た目で考えてええやろ」


 さりげなく優理を役立たず扱いのドレイクである。

 手際よくウォーレンとそのサブマネージャーがワインとつまみを並べていくものだから、ドレイクはヴィオルト達に、

「ま、こっち来て座りや」と、手招いた。

 ウォーレンに注いでもらった赤ワインを一口飲み、ドレイクはその味を楽しむ。


「キースヘルムが首尾ようユーリを手に入れるんかどうかは分からん。レイスらもおるしな。やけどな、本人、自覚しとんのかどうか知らんが、そこまでキースヘルムが調子狂わされとんのは初めてやろが。それを忌々しぃに思うとる女はおる筈や。・・・女の嫉妬は損得抜きでえらい事しでかすよってな」

「どこまで気に入ってんだ、ドレイク。あのお嬢ちゃんの露払いかよ」


 呆れてマイルートが、

「自分も十分に調子狂わされてるって分かってるか?」と、首を横に振りつつ、ドレイクに探るような視線を向ける。


「ええやろ、別に。キースヘルムは分かっとらんのや。あんなド素人娘に入れあげるっつぅことが、どんだけ女イラつかせんのか。カラダ張っとる女にしてみりゃムカつくだけや」

「それで、その女達をあのお嬢さんがいない間に痛めつけておくんですか。ドレイク、あなたは・・・」


 ヴィオルトのいささか非難がましい声に、ドレイクは、

「当たり前やろ」と、焦げ茶色の瞳を大きく見開いた。


「守るっちゅうんはそういうことや。そんなんもでけへん奴が、何を守れる言うんや」

「まさかとは思いますが、エスティスだって好意的にならなければ同じようなことをするつもりじゃなかったんでしょうね」


 今、ここにエスティスもオールグもいない。

 だからヴィオルトが確認すれば、ドレイクは、

「それはどうやろな」と、ぽりぽりと頭を掻いた。


「エスティスはユーリに嫉妬しとるわけやない。ただ、見とったら(つろ)うなるだけやった筈や。けどま、上手(うも)ういきそうやし、別にええやろ」

「どうなんでしょうね。あれでエスティスも色々と気難しい。オールグが苦労しなければいいんですが」

「知らんわ、んなこと」

 

 そもそもオールグが苦労しているとはとても思えないドレイクだ。

 未だにエスティスと組んでいるのだから()れ鍋に綴蓋(とじぶた)なのだろう、きっと。


「そんなんどうでもええ。うちは問題ないよって。・・・やけど、キースヘルムんトコはどうやろな。何人か搔き集めた金で助けられたとして、あいつらはどう出るやろな」


 問題はこれからだろう。

 ふっとマイルートが鼻で笑う。


「さぁな。自分は助けられたからって、他の仲間が痛めつけられているのを見過ごした日にゃ、弟分達に失望される。だが、キースヘルムはいない。けれども金を作らないと他の奴らは助からない。・・・助かったが為に、今度は身動きがとれなくなる」


 ドレイクの目論見(もくろみ)は、どうせ皆、分かっている。

 だからロドゲスがククッと笑えば、ヴィオルトも静かに赤ワインを口に運ぶ。


「キースヘルムに反旗を翻してでも、そいつは仲間を助けなけりゃこの世界で生きてけねえ」


 そんなマイルートの言葉を聞きながら。






 基本的に人というのは、歩くよりも馬に乗って移動した方が早い。だから馬に乗るのである。

 そんなことを優理は思いながら、馬を走らせていた。

 と言っても、優理はカイトの馬に乗せてもらっているので座っているだけだ。

 あくまで手綱を取っているのはカイトである。

 優理が馬を上手に走らせていたことにカイネ達は驚いていたが、さすがに山道となると勝手が違うのである。


「舌を噛まないように布を噛んでてくださいっ」

「はぁいっ」


 優理が早く馬を走らせることができたのは、単にその重さを馬が感じることなく走ることができるからで、そして馬は周囲の馬たちに合わせて走っているだけだった。

 突発的な何かに対応するような馬術を、優理は持たない。

 だから大人しくカイトの指示に従っている。

 つまり、「黙って座ってカイトにつかまっていること」だ。


(全くもうっ。何で私がこんな目に遭うのよっ。信じらんないっ)


 そこで往生際が悪い優理は、全てにおいて自分が悪いのではないかという思考からは目を逸らす。

 何故なら自分のやることにミスなどある筈がないからである。あってはならない。そうではないか?

 だから自分にミスはない以上、リンレイの人達が悪い。そうに違いない。

 そういう結論に達するのである。

 かくして。


「本当に人生は不条理なことだらけだわ」


 アンニュイな雰囲気を漂わせて、優理はそう呟いてみた。


「どちらかというとあなたが原因で不条理な目に遭っているのは私達なのですがね。あなたが誰に求められていようが知ったことじゃありませんが、ここまで熱烈な求愛を受けている方だとは思ってもみませんでしたよ」

「求愛された覚えはないわね」


 自分は可愛らしすぎて目をつけられただけなのだ。求愛以前の問題である。

 だから優理は誇り高く却下してみせた。


「いやホント、ここまでくると感動するしかないふてぶてしさですね。これだけ追跡される程のことをしておいてそう言ってのけられるとは、いっそ彼らの前に放り出してやりたいくらいですよ」

「その前にあなたを放り出すわよ。きっと喜んで受け取ってもらえるに違いないわ」

「あの、・・・ユウリ様も殿下も、その辺で」


 カイトと並んで馬を走らせているデューレと、カイトに抱きかかえられるようにして同乗している優理との舌戦に、カイトは、

(これは俺が止めなきゃいけないもんなのか?)と、そう思いながら口を挟んだ。


「けどよぉ、そのカイトさん、えらい強さだったよな。すっげぇって思っちまった」


 カイトより少し後ろを走らせているウルティードが、そこで違う話題を提供してくる。

 とっさの判断で、エミリールの制止を振りきり、ウルティードは優理を連れたカイトを追ったのだ。


「そうでしょ、凄いでしょ。カイトさんってば強いのよ」

「いえ、あの・・・。それは誇張ですから」


 自分は優理だけ連れて逃げるつもりだったのに、何故ここでデューレとウルティードが同行しているのかと、カイトも困り果てずにはいられない。


(そもそもデューレ王子は逃げなくても全く問題はなかっただろ? ついでにこの王族らしい奴もそうだろ? 今からでも後ろの二人に、この王族二人を引き取ってもらえると有り難いんだが)


 優理と一緒にいた男達の内、フォルナーとレイスも少し遅れて続いている。エミリールとカイネは、追跡を止める為に残った。

 デューレと同行していた騎士達も、カイトの強さを目の当たりにしたことで、自分達の国王ディッパの暫定的婚約者ユーリ姫を逃がすことを最優先すべきだと判断したのだ。

 彼らにしてみれば、デューレも残るだろうと思っていたのに、まさかついて行ってしまうとはと、今頃ほぞを噛んでいるに違いない。

 慌ててレイスとフォルナーに続いて、何人かが続いてきているが、それでも荷物回収の為、取り残されてしまった騎士がいる。

 そもそも古き王国パッパルートの直系王子たるデューレは、その身分を明らかにすればギバティ王国の役人如きが何かを言えるような存在ではないのだ。


「あの、ところで殿下。お付きの方々、大丈夫なんでしょうか」

「大丈夫ですよ、カイト殿。エミリール殿が残られたでしょう。あれでも彼はキマリー国伯爵の跡取りですし、キマリー国王太子妃の弟です。国際問題になりかねない以上、そこらの役人如きでは手を出せません。うちの騎士達と適当に口裏を合わせてくれることでしょう」


 そこで優理は首を傾げた。


「そんなもんなの? なら、あなたとティードが残った方がよっぽど効果的だったんじゃない?」


 他国の貴族で国際問題になるなら、もっと重要な存在(VIP)がここに二人、いるではないか。

 優理は自分こそが最重要人物であることを棚に上げて、そんなことを思う。


「と言いますと? そちらのティード殿は一体どんな?」

「あ、(わり)い。どこかで名乗ろうとは思ってたんだけど、こんな騒ぎになっちまったからさ。馬上からで申し訳ない。キマリー国のウルティードと申します。どうぞティードとお呼びください」


 身分を名乗らなくても、その名前でデューレもウルティードの正体を察する。


「ご丁寧に恐れ入ります。では、私のことも呼び捨てでかまいませんので、デューレと」

「ありがと。だけどそっちの騎士さん達、みんな『デュー様』って呼んでたから、デューさんでいいよな。俺、お宅の兄上もディーって呼んでるし」

「兄と面識が?」

「ギバティールに残ってるけど? 俺とエミリールはユーリについてきただけで、後で合流して一緒にディーとパッパルートに行くんだ」

「そうでしたか。歓迎いたします」


 その会話を聞きながら、

(話がまとまったところで、ならこの二人、そのまま外れてくれないかな)と、カイトは思った。


(ユウリ様だけなら第7神殿がある。だがこいつらがいるんじゃ連れてけねえだろ)


 大体、どうしてこんなことになったのだろう。




 それは、天幕を広げてそれではという時のことだった。

 いきなり、リンレイの方から馬が大勢駆けてきたのだ。

 それを見たカイトは、咄嗟(とっさ)の判断で繋いでいた馬の手綱を解いた。それは周囲の男達も同じことだ。基本的に彼らは、生きるか死ぬかの状況に何度もおかれている。

 馬の手綱を持ったまま、カイトは優理を背に庇った。


「俺の後ろから出ないで」

「うん」


 それを見ていたカイネは、

「おいおい、レイス。ユーリちゃん、取られちゃってるぞ」と、面白そうに囁いたが、

「別にかまわん。大事なのはそこじゃない」と、レイスは取り合わず、

「穏やかじゃねえな。あの動きはよ」と、フォルナーも呟いた。


「そこです。ここの天幕の奴らと合流したんですっ」

 

 案内役らしい男が、その武装した男達の先頭にいた騎士らしき男に大声で告げる。


「そうか。案内、ご苦労」


 その言葉にピンと来たのは、ウルティードだった。エミリールに、

「俺の名前、出していいぞ」と、囁く。


「ですが、それは・・・」

「いいって。こういう時、どさくさに紛れて取り返しのつかねえことが起こりやすいって常識だろ」

「分かりました。では、いざという時には出させていただきます」


 全くもって嬉しくない理由で自分の名前は大陸中に広まったが、それだけに優理を逃がす時間稼ぎはできるだろう。何と言っても、自分はキマリー国王位継承権第二位の存在だ。

 ウルティードはそう思い、周囲の様子を探った。

 こういう時、どちらに逃げるかを先に考えておくのは大事なことだ。


(誰が目ぇつけられたにしても、ユーリだけは逃がさねえと。何かあったらハールカに申し訳がたたねえ)


 遥佳といた、そして優理といるウルティードだからこそ分かる。彼女達は自分の意思で、自分達の素性を明らかにしていないのだと。

 ならば協力するのは当然だ。

 ウルティードにとって、それはもう当たり前のことでしかない。

 はたして、彼らは馬を降りて話しかけてきた。


「そこにおいでの令嬢を出していただきたい。お迎えに参った」


 その言葉に反応したのはデューレだ。

 ゆったりとした動きで進み出る。


「待て。どんな理由でそれを要求するのか。いきなりやってきて名乗りもせず、要求だけ突きつけるとは何事か。このような非礼を、まさかギバティ国王が許しておられると?」

「・・・貴殿は?」

「名乗りもせぬ者に名乗る名などない。元よりそなた如きに名前を要求される身に成り下がった覚えもない。その無礼を咎められたくなくば、礼儀というものを思い出すがよい」


 素晴らしいとしか言いようのない威厳でもって、デューレは静かに侮蔑の瞳を向けた。

 そのデューレの周囲には、まさに隙のない騎士達が控え、鋭い視線をやってきた男達に向けている。

 エミリールのちらっとした視線に、

(あれが王族のあるべき姿ですよっ。見習ってください)という思惑を感じ取り、ウルティードも空を見上げてしまった。

 さすがはパッパルート王族、としかコメントできない。

 デューレにしてみれば、

(やっぱりこのユーリ殿だけはどうしようもありませんね。どこに行っても面倒ばかり起こしてくれる)

と、うんざりした気分ではあったが、いきなりやってきた奴らに横取りされる気もない。

 何故なら彼女は兄王ディッパの暫定的婚約者なのだから。

 何より、今となっては色々と聞き出したいことが沢山ある相手なのだ。


「こちらの用があるのは、そこにいる令嬢のみ。尊きお方とお察し申し上げますが、お連れではないことは確認済みでございます。どうぞお捨て置きくださいますよう」


 デューレの態度から、かなり高い身分の人間だと判断したのだろう。その先頭にいた男は、当初の目的だけ済ませることに切り替えたらしかった。


「彼女に何の用だ」


 カイトが鋭い声で尋ねる。


「あのね、カイトさん。リンレイでね、私、男の人がかぶる帽子かぶってたんだけど、なんだかそれで男の子と間違えられちゃったらしかったの。そしたらね、男の子しか愛せないお金持ちの男性がいて、その男性、どうも身分が高いのか、子供を絶対に作らなきゃいけないらしいの。だから女の人を宛てがって子供を作らせようってんで、私を誘拐して男装させて相手させようとしてるんですって」


 先程、レイスから聞いた話を、優理がカイトの背後から説明する。

 誰もが静まり返っているだけあって、その声は何事かと注目している無関係の人達にまで響いた。

 そんな嘘を吹きこんだレイスだけが、どこか複雑そうな光を瞳に浮かべていたが、それに気づく者はいない。


(私が可愛すぎるのが原因とはいえ、やっぱりお父さんそっくりの子供ってのがまずかったのかしら。だけどしょうがないわよね)


 たしか江戸時代にもそんな話があった筈だ。

 男性を愛する男性が将軍という権力者になった時、跡取りを作らせる為に色々と周囲が苦労をしたエピソードは、その為に動いた人や金や物といった事実を呑みこんで歴史の中に織り込まれ、そして消えていった。

 どの国のどの時代であっても、それは変わらないのだろう。

 そんなことを優理はしみじみ思う。

 

「は? あなたが男の子で、実は女の子だから更に男装?」


 目を丸くしたカイトだったが、かつては同じ顔をしていた真琴が皆から少年と思われていたのだからと、なるほどと納得する。

 だが、納得するからといって受け入れられるものでもない。


(そんなくだらん理由で、よくも・・・!)


 静かなカイトの怒りに同調するかのように小さな風が周囲で発生し、ヒュー、ヒュウーッと、小さく唸り始めていく。

 だからカイトはウルティードの方へ優理を押しやった。ウルティードは優理を守る姿勢を見せていた上、近くにいたのが理由である。

 そして戸惑った様子の一団に向かって大きな声で言い放つ。


「どんな理由だろうが、誰であろうが、彼女を渡すことはないっ! どうしてもと言うのなら、俺を倒していくんだなっ!!」

「・・・()むを得ん。何があろうとお連れしろと、そう命じられておるのでなっ」


 元々、フォルナーもレイスも、そしてカイネも腕に覚えは十分にある。だが、シルフの協力があるカイトの動きは、あまりにも神業すぎた。

 わざと腕を次々と切りつけて、カイトは前方にいた男達の剣を取り落とさせていく。


「貴様ぁっ! ・・・うわあぁっ」

「ぎゃっ。こらっ、暴れるなあっ」


 だが、後方にいた男達がカイトに向かって行こうとした途端、土埃が風で巻き上げられ、彼らや彼らが乗っている馬の目つぶしと化す。誰もが目を開けられない。

 

「ユーリちゃん、今の間に逃げるんだ」

「駄目よ、エミリール。カイトさん、放っておけない。だって何かあったら・・・」


 優理にしてみれば、カイトは真琴の恋人なのだ。何かあった時、助けられるのは自分しかいない。

 しかも自分の為に動いてくれているのだと分かっていて、どうして置いていけるだろう。他の誰を置いていっても、しれっと適当なところでうまく逃げそうだが、カイトは優理の為ならばどこまでも戦うに違いない。


「いいからさっさと馬に乗れ、ユーリ。でないと彼も逃げられん」


 レイスの小さな叱責に、優理はカイトが手綱を解いていた馬に乗る。

 それを横目で見ていたのだろうか。ある程度の人数をさしあたっての戦闘不能状態にさせたカイトが風のような速さで戻ってきて優理の後ろに飛び乗る。


「逃げますよっ。舌を噛まないように」

「うんっ」


 デューレ王子の案内よりも、優理の方が遥かに優先順位は高い。

 どうせ真琴も、そういう事情となったら納得するだろう。優理と共にいた男達のことは分からないが、誰だって子供じゃないんだから自分でどうにかする。

 そう考えたカイトは空に向かって、

「案内してくれっ」と、小さく叫んで馬を駆けさせ始めた。

 そんなカイトは、優理だけ保護すればいいと思っていたのである。

 けれどもデューレとウルティードという王族が二人もくっついてきてしまうとは、カイトも予想していなかった。

 


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