10 優理は占い師を始めた3(模様替えとネックレス)
ティネルの市場は今日も平常営業だ。黒いローブに黒いヴェールをつけた女占い師がいようがいまいが、市場の活気は変わらない。
二週間も店を休んでいたのは、創作意欲を掻きたてるものを探しに行っていたからだと、そんな大嘘をぬけぬけとついた優理は、少年達に土で捏ねた蝶を見せてみた。
勿論、それはカイネが作ったものだ。
「思うに、招き猫はちょっと時代が追いついていなかったのよ。私の感性が時代を先取りしすぎてたのね」
「いや、姐御。何百年待っても、その時代とやらが追いつく日は来ないと思うね」
「俺もそう思う」
「悪いけど僕も」
自分に惚れこんで集まってきた少年達のくせに、誰もが正直すぎて泣ける優理だ。
「あのね、あなた達。そこで女の子に阿るぐらいじゃなかったらモテないのよ?」
「姐御好みの男を育てようとしていい加減なことを言うのはどうかと思うよ」
「意外だな。ユーリ姐ってイエスマンは好きじゃないって、僕、思ってた」
「俺も。追従とか、ご機嫌取りのおべっかとか、鼻で笑って誇り高く生きてると思ってたよ」
「・・・まあ、そうよね。やっぱり自分の意見を言えることは大事だと思うわ」
気を取り直してコホンと咳払いをし、優理は話を進める。
「そういうわけで、やはりおどろおどろしい占いというイメージを刷新し、これからはファンタスティックでパステルチック、女の子の為の可愛いお部屋といったテーマに切り替えたいと思います」
「どういう風の吹き回しだ、ユーリ姐。あれ程、占いには怪しげなイメージが大事だって言ってたくせに」
「だよな。だからその似合ってない鴉みたいな格好だったんじゃないのか? ただでさえ黒髪なんだから、着るならもっと明るい色にしときゃいいのに」
「気づくのが遅すぎだろ」
「自分が似合うと思ってるのと、他人が見て似合うって思うのとは違うんだよ。ユーリ姐はもっと元気な色の方が似合うよ」
可愛くないコメントが次々とかけられるが、優理も反省したのだ。
「似合わないから路線を変更するんじゃないわ。客層を一新したいだけなの」
「一新する程、客、来てたっけ?」
「お前な、そこは察してやれよ。要は将来有望そうな男でも来たんだろ。そんならユーリの姐御だって、淑女カラーを出したくなるもんさ」
「ああ、そうか」
こそこそと、少年達は頷き合う。
「はい、そこ。いいかげんなこと言わない。・・・そうではなくて、やはり客層としては来てほしくない層がいるってことなのよ。たとえば依頼があれば人を消すのも躊躇わないような人とか、たとえば女の子に勝手にキスするような人とか、たとえば同じベッドに誘われたかと思うと切りつけられるような人とか、そういう人達はまとめてご遠慮願い、健全な占いのお店としてリニューアルしたいと思います」
少年達は、駄目だこりゃといった顔になった。
「いい男が客で来たかと思えば・・・」
「駄目な男の見本市って感じだな」
「うちの叔母さん、男と女は所詮、同じレベルで釣り合うもんだって言ってたけどね」
「ユーリさんのことだ。そんな奴らに自分から突っ込んでったってだけだろ」
そこで往生際が悪い優理は、全てにおいて自分が悪いのではないかという思考からは目を逸らす。
何故なら自分のやることにミスなどある筈がないからである。あってはならない。そうではないか?
だから自分にミスはない以上、キースヘルムやキス男が悪い。そうに違いない。
そういう結論に達するのである。
かくして。
「魅力なんて制御できるものじゃないわ。蝶ばかりか蛾まで寄ってきたとしてもね」
虚無的な雰囲気を漂わせて、優理はそう呟いてみた。
「そう疲れた声出しなさんな、姐御。姐御はすげえよ。俺達なんて姐御を心から尊敬してるんだぜ」
「敬意をはらわれた覚えなんて全くないわね」
さっきからアレコレ言いまくった暴言を思い返すがいい。
だから優理は誇り高くその意見を却下してみせた。
「そりゃあユーリさんが分かってねえだけさ。俺達にしてみりゃ、成功する依頼と失敗する占い。これを見てるだけで自分達の先入観を滅茶苦茶に壊されたんだぞ」
「言える。人間って一つのことだけで全てを分かった気になっちゃいけないんだなって、そして人を決めつけちゃいけないんだって、僕、反省したもん」
「ああ。すげえよ、ユーリ姐。あんたは俺達の人生が育んだ価値観を、完膚なきまでに叩きのめした」
「・・・全然嬉しくない」
ついでにそれは全然褒めていない。
なので優理は、改めてこれからの店内を思い描いた。
(そうね。カラフルな、それこそピンクやオレンジに満ち溢れた、男なら一歩入ったら即座に回れ右したくなるような『可愛い女の子の為にある、可愛い女の子がやってる、可愛い女の子の味方なラブリー・ファンタスティック占い店』にしましょ。後ろ盾も何も、そういうお店なら最初から別世界でいられるわ)
だからぐるりと右手で店内を示しながら、優理は少年達に説明する。
「やっぱりね、この薄暗い煉瓦造りのお店もちょっと落ち着き過ぎだったのよ。だから一度白に塗り替えて、その上から明るい黄緑とか黄色とか水色とか、そういう感じにしていこうと思うの。お花とかも壁に描いて」
いきなりの方向転換だが、少年達もまあいいかと、動き出す。
優理達がペンキの買い出しに行っている間、棚の商品を倉庫に運びながら彼らは話し合った。
「そしたらさ、もっと女の子のお客さんが増えるんだよね。この間の女の子、可愛かったなぁ」
「今までの感じだとなー。入りたくても入れないって子、いたもんな。そーゆーのに限って、なんかすれてない感じで可愛くてさぁ」
「だよな。ロインなんてちゃっかり付き合ってんだぜ。あの恋占いに来た子と」
「道理で最近見ないと思った。その占いの相手はどうなったんだよ」
「遠目に見かけて格好いいと思ってただけみたいだし、忘れちゃったんじゃない? あの日、ロインが暗くなったからって送っていっただろ? それでもうお友達ですねって言って、その日は終わったらしいんだけどさ、ちゃっかり偶然の出会いを演出して友達だからって公園に出かけたんだよ。で、公園でデートしたんだからってお付き合い。ちゃっかりしてるよなー」
「すげえな、ロイン。だけど占いに来る女の子って、そういう純情な子、多いよなー」
「言える言える。だからさ、僕らも頑張ろうよ」
そんな理由で少年達にも改装への熱が入る。
「ふっ、任してくれよ。漆喰塗りなら名匠とは俺のことだ」
「え? お前、こないだペンキすらひっくり返して駄目にしてただろ」
「とりあえず下地を塗る前に全部一度綺麗にしてからだろ。そうじゃないと表に出てくんだよ、暗い色が」
がやがやと騒ぎ立てながら、少年達は店の物全てを裏の倉庫、つまりたまり場に移動させた。
それから念入りに掃いて拭き、埃一つないように掃除する。
「うわぁ、ペンキを買いに行ってた間に綺麗になってる」
「遠慮なく褒めてくれよ、ユーリ姐。俺達って実は優秀なんだぜ?」
「ホントよ、なんて手際がいいの」
下心に突き動かされた少年達は、分担して店内を拭きあげると、今度は白い漆喰を塗りこんでいった。天井から始まって壁や床まで白く塗られていった店内は、とても明るくなっていく。
「ユーリの姐御。これらは下塗りだからさ。どうしても店は休業するけど、大丈夫なのか?」
「構わないわ。いいかげんな塗り方より丁寧に仕上げてくれた方がいいもの。追加の漆喰、買ってくるわね」
「ユーリ姐。テーブル、裏の路地で塗ってくるよ」
「ありがとう、お願いね」
窓も桟を白く塗ったものだから、本当に雰囲気が明るくなる。占いの際に使っていたテーブルと椅子も、白いペンキを塗って乾かした。
「このテーブルのペンキが乾いたら、今度はヒヨコ色を塗って、それから四隅にお花の模様を描いてくれる?」
カントリー調というのだろうか。花をちょこちょこと描くタイプの家具を思い出し、優理は少年達に頼んだ。
ここまできたら優理も意地だ。二度と、奴らのような男が入っていきたくもないと思うような店にしてやると決意している。
可愛らしいパステルイエローのテーブルに、色とりどりの花を描くのだ。男なら居心地悪くて座りたくもないだろう。
「いっけどよ。ユーリの姐御。そうしたら男の客なんて一人も寄りつかなくなるぜ?」
「いいのよ、それで」
椅子もテーブルと同じようにしてもらった優理だ。
「花の絵ってのがよく分からなかったから、姉上の花の絵が描かれた小箱、持ってきた」
「俺も母上のを借りてきた。これらを真似して下書きすればいいんだろ?」
やはり幼い時から様々な美術品に親しんでいる彼らは、そういった作業もセンスよくこなしていく。
白く下塗りがされていた店内も、彼らは優理のリクエストに応えて、天井には薄い水色を流すようにして塗りあげた。
青い空をイメージさせるが、淡いので清潔感のある白に見えなくもない。
そして壁には飛び回る鳥や蝶、そしてポピーやダリアのような花を鮮やかな色彩で描いていく。
おまじないグッズを置く棚も、光沢のあるサテン布を使ってゴージャスに飾りつけられた。
「自分で感動してしまう。俺は天才だ」
「だな。すげえ。あの気持ち悪いどろどろっぽい店がこんなにも変わるとは・・・!」
「だけど俺、この店に客としては絶対に入ってきたくない」
「言える。何、このどこぞのお嬢様っぽい部屋みたいな店って」
「悪いけどユーリ姐。今度から俺ら、裏口から来るよ」
窓にはピンクのレースカーテン。棚に置かれたおまじないグッズは、可愛らしい蝶々や小鳥、ウサギや猫や子ぎつねなどといったモチーフばかりだ。
勿論、招き猫は雰囲気に合わないからと片付けられた。
「ふっふっふ、これで完璧。ええ、これでいいわ。これでいいのよ」
店の外側も綺麗にペンキを塗り直して、優理は可愛らしい雰囲気にしてみせた。
女性でも、ある一定以上の年齢に達していれば恥ずかしくて入ってこられないだろう。
(ふっふっふ。ざまあみなさい。二度と来んじゃないわよっ、疫病神共っ)
少年達ですら客として来るのは遠慮したい店である。大人の男など、まず入れまい。
優理は誰もいなくなった店を見渡し、ホホホホホと高笑いして自分の勝利を確信した。
赤い小花が沢山刺繍された白いクッション。そのクッションが置かれたソファはグリーンのベルベット生地が張られている。
ポプリ付きで売られているおまじないグッズからは、花の香りが店内へと広がっていた。
そうして女店主はロイヤルブルーのローブに、ラベンダー色のヴェールを身につけている。
「おかしいわ。ここは女の子しか入って来られない秘密の花園なお店なのよ。カイネさんだってこの店を見るや否や、回れ右して帰っていったというのに」
「そうだな。この内装は趣味が悪すぎる。まだ前の方がいい」
女店主の疑問に応えるのは、低い男の声だ。
似合わない。全くもって似合わない。何がって、・・・ナニがだ。
「ここはかわゆい女の子の為のお店なのです」
「気にすんな、小娘。それよりちょっと一仕事してくれや」
「気にしてほしいのはそっちにであって、帰れって言ってんの」
どんなに男なら入りたくないような店を作り上げても、それを気にしない神経を持ち合わせた男の前では意味がないのだと、優理は知った。
キースヘルムは、赤い花の刺繍がされたピンクの椅子に平然と座っている。
テーブルには可愛い色とりどりの蝶が入った小物入れが置いて、占い結果を待つ間に購入意欲をくすぐるようにもしておいた。サテンでできたクッションの上には水晶玉が輝いている。
どれも女の子が一目見ただけで「可愛いっ」と言わずにはいられないようにしたつもりだ。
窓のレースカーテンにも小さなガラスビーズをふんだんに縫いつけ、キラキラと煌めかせているというのに。
「悪いけど、そういう危ない仕事はお断りなの。私、犯罪行為とは無縁に生きてるんだから」
「別に犯罪行為でも何でもねえ。ちょっとした占いを頼むだけさ」
「何がちょっとした占いよ。そんな可愛らしいものを信じるようなガラじゃないでしょ」
「なんなら占いじゃねえ依頼をくれてやってもいいだぜ? そん時ゃ、俺らの下に入ってもらうがな」
「占いでしたわね、それでは引き受けさせていただきます」
ささっと優理は水晶玉を覗くフリをする。
「えーっと、それでは・・・」
「そっちの寝言じゃねえ。占ってほしいのはこっちだ」
ぱさっとキースヘルムがテーブルの上に何枚かの紙を出した。
「こんなの占いって言わないわ。何なの、この人達の情報」
「だから占いさ。良いか悪いか、そいつらを占うんだ」
ざっと目を通した優理は、そこに書かれた男達の情報をどう判断すべきか迷う。
「今回、俺の側近を決めようと思うんだが、どれにすべきか迷ってな。ちょちょいと占ってくれや。俺に相応しい奴をよ」
「そんなの・・・。分かるわけないじゃない。私の占いなんて嘘八百よ?」
「分かってるさ、そんなもん。どんな結果が出てもお前さんのせいにゃしねえよ。半月後にまた来る」
名前と住所と特徴が書かれた紙を置いて、キースヘルムは出ていく。
「待ってよっ」
「頼んだぜ」
追いかけようとした優理だが、大柄な男は素早く市場の雑踏に姿を消した。
(半月もかかる占いなんてあるかぁーーーっ!)
それは占いとは言わない。そう、占いではない。キースヘルムは情報屋としての優理に依頼をしていったのだ。
優理はグリーンのベルベット生地が張られたソファに座りこんで考えた。
(どうすればいいのかしら。断りたいのは山々だけど、あの男、形だけは占いを頼んだってことにしてるし、責任は問わないと言いきった。それでも断ったなら、最初から譲歩してきたあの男の顔を潰すことになる。変な恨みを買いたくないのは山々だけど、内容が内容だけに、これはあの男しか知らない依頼。秘密裏だからこそ恨みは発生しない)
改めて羅列された名前を眺めれば、簡単な依頼でもある。
(私が彼らを探るだけなら、数日引きこもればいいだけよ。だけどきっと、私の動きをキースヘルムは見張らせている筈ね。情報屋の情報源を知りたいのは当然だもの。だからここはみんなを使って情報を集めたってフリをした方がいい。彼らには危険のない尾行をさせて)
一度は請け負った優理にまつわる依頼を断ったことで、キースヘルムにはそれなりの損害も出ていた筈だ。
(カイネさんが言ってたもの。私程度を見逃したってことで、かなりあの人の集団は荒れたって)
たかが占い師如きに怖じ気づくとはと、かなり部下達にも反感を持たれたらしい。
それでも頭目の言葉は絶対だ。キースヘルムがそれでよしとしたなら、それがまかり通る。だから見逃されている。
(しょうがないわ。断れる話じゃなかったもの。まだこの程度の依頼で良かったと思うべきよ。だけど側近には誰がいいかって、・・・私にこんな情報を教えていいの? 自分の部下でしょうが。それを私に知らせて、私がこれを密告したらどうする気なのかしら)
いや、優理はやらないと分かっているのだろう、キースヘルムは。
けれどもこの情報を、それこそカイネに渡されたらどうなるかとか考えないのだろうか。
(分からないわ。私、人の心だなんて読めないもの)
不思議な力を持たない人々の方が自分達より遥かに決断する力があると、こういう時、感じずにはいられない。彼らは、見えない場所で進むでき事が怖くなったりしないのだろうか。
他人なんて何をやるかも分からないというのに。
(ああ。あんなに頑張って、こんなに可愛いお店にしたっていうのに)
この、男は全て排除しますと言わんばかりのインテリアが、言外に、
「二度と来るな。顔も見せるな。存在ごと失せやがれ」
と、伝えていたのが分からなかったのか。
(ううーっ。次回はもっともっと来にくくなるように、更に可愛くしてやるんだからっ)
だが、かえって可愛くしたせいで、まだ守ってくれる立場にいるカイネが来られなくなっているだけではないのかと、そう思わないわけでもない優理だった。
三日に一度は来てくれていたカイネの顔を、自分はもう何日見ていないだろう。
店の方はパステルカラーでキラキラ小物が輝いているが、裏にある倉庫、つまり休憩室は普通である。
そこで優理は少年達を前に、調査について指示をしていた。
「普通、調べるとなったらその人間を尾行することが多いですが、それは警戒心の強い相手にはすぐ気づかれてしまいます。というわけで、これが待ち伏せテクなのです」
人はそれなりに決まった行動を繰り返す。使う道も決まっていることが多い。
だから最初からその人を尾行するより、ある程度のルートを絞り込んで通り掛かるのを待ってから追跡した方が見つかりにくいのだ。
「また、道路で待っているよりも、高い位置から見下ろすようにして張りこんでいた方が見つかりにくい上、自分はきちんと相手を観察できます。その為に必要なのは外階段のある建物です」
ターゲットと顔を合わせることもなくチェックできるから、それもまた観察するには持ってこいの位置取りである。
「そして、途中で追跡者を交代することも大事です。同じ人間がずっと相手の後ろを尾行していたら胡散臭いとすぐにばれます」
何かあった時には誰かが知らせに走ることができるよう三人一組で、そして続けて同じ人間を追跡しないなどといった小細工を多用し、優理と少年達は渡された対象者達の行動を全て記録していく。
やがて、十二日間程の張り込みによって、対象者達の行動はかなり詳しく把握された。
その記録を分かりやすいようにまとめたものをパラパラとめくり、少年達が口を開く。
「で、姐御。こいつら、どういう奴らなんだよ。なんだかすっげえ店に出入りしてたぞ。うっふーん、あっはーんな感じの」
「こっちは賭博系の店だったな。すっげぇガラ悪い感じの」
「そうなんだ? こっちはかなり高そうな店に入ってってたよ。お貴族様ばかりが利用してますって感じの」
「だけど誰もが毎日のように色々な所に出入りしてんな。どれも何だか危なさそーな雰囲気があんだけどよ。なあ、ユーリ姐」
「それについては黙秘します。知らない方がいいことは世の中にたくさんあるのです。あなた達はただそこを散歩していただけで、彼らのことは何一つ知りません。ゆえに無関係。・・・そうよ、一生、そんな奴らに近づかなくていいから」
最後のぼそっとした声に、全ての思いをこめている優理だ。
対象者の雰囲気や行動からも、まずまともな稼業ではないだろうと踏んでいた少年達は、その言葉で一気に脱力する。
「もしかしてさぁ、ユーリの姐御ってば断りきれずに引き受けちゃったクチ? やっぱどっかぬけてんだよなぁ」
「だよなぁ。なぁんか危なっかしいっていうかさ、所詮はそこでお育ちの良さが出ちゃうんだよ」
「ノーが言えない人間はダメだぜ、ユーリ姐」
ぐぅっと優理は黙りこんだ。
否定できない自分が悲しい。どうして自分がこんな目に遭っているのか。
決まっている。こんなラブリーな店でも気にせず入ってくる無神経な金髪男のせいだ。
「あーあ。お前ら、あんまりきついこと言うなよ。姐御はそれなりに頭はまわるものの、その間抜けた性格が可愛いんだからさ」
「そうだよ。それに転んでもただじゃ起きないというか、どんな状況でもお金はしっかりふんだくってくるんだから凄いもんじゃないか」
「・・・それ、全然フォローになってないわよ」
それでも少年達によりある程度の行動の裏付けは取れた。だから自分で探った情報も、それによって導けたものだとすれば全く矛盾がない。
「とりあえずお疲れ様でした。今回の報酬は後日ということで。・・・これから五日間程は、ここには近づかないように。この依頼者とバッタリ会おうものならとんでもないことになるから」
その言葉に、少年達も大きく目を見開いて優理を見る。
「とんでもないって・・・、どんな依頼者なんだよ」
一人が、優理はまさかとんでもないことに巻き込まれているのではないかと、僅かに震える声で尋ねる。
重々しく優理は答えた。
「その男は男が好きな男なのです」
少年達は、動きを止めた。
「ついでに、法律など何とも思っていません。力づくでやったもん勝ちと思っています」
少年達は、不安そうに顔を見合わせた。
「更に言えば、筋肉もムキムキで、そこらの男なんて軽く押さえこめる程に強いです」
少年達は、両手で自分を抱きしめて身震いした。
「だから絶対に近づかないように」
返事はなかったが、少年達は五日間程、優理の店には全く近づかなかった。
更にバージョンアップして濃淡それぞれのピンクや、もこもことしたぬいぐるみなどを増やした店へ、平然と入ってきた男は満足そうに頷いた。
というのも、ぽんと彼に戻されたそれぞれの紙には、優理のコメントが書かれていたからだ。
グンター:『軍部との繋がりの可能性あり。わざと間違った情報を与えることで利用できる』
幼少時より付き合いのあった騎士が現在、順調に出世中。互いに交流を明らかにしてはいないが、使用人同士が隣の家に住んでおり、情報があれば伝え合っている。会う時は、居酒屋「六角亭」。
騎士の為に手柄を立てられるような情報を流し、反対に騎士が流してきた情報については違う人間を罠にはめることで共栄してきた。
友情というよりも義兄弟という仲に近い。それにはグンターの亡くなった姉の関与が考えられる。
テオフィル:『思いこみの激しいタイプ。ナンバー2には不向き。しかし役立つ』
思い込みが激しいので間違っていても気づかず行動する。ゆえに補佐としては使えない。だが、その思い込みの強さも、間違っていたと気づけば全力で謝罪し、更にそれを行動で示すので恨まれにくい。また、その為の努力も厭わない為、人には好かれやすく、にくめない性格と受け取られる。
メリット・デメリットを考えずに動くことが彼の持ち味と言ってもいい。あまりにも権限を与えるととんでもない失敗をして凄まじい損害を引き起こしかねないが、同時に低く評価することで周囲から軽蔑されることも考慮すれば、程々に引き上げ、程々に権限を持たせながらも持たせすぎないバランスを心がけた方がいい。
ジルヴェスター:『頭は悪いが部下の人望はある。使いようによりけり』
難しいことを考えるのが嫌いなタイプだが、面倒見はいい。何があろうと自分についてきた人間は最後まで面倒をみようといった気概があるが、誰にでもそれを発揮するわけではない。そして手下ならば誰でも守るというわけでもない。
考えなしに賛美されるのは嫌いだが、たまにちょっとしたおだてを喜ぶ。
手下であっても命を預け合ったり、気骨のある行動でもって、己の男を見せてからやっと「大切な手下」と認識される。単純なので、男を見せたデモンストレーションを行うことにより、ここぞという時には頼りになる。
どこかで一緒に遭難して、協力し合って奇跡の生還をしたら一生の絆を作ることができる。
アロイス:『裏切りを重ねて生きてきたタイプ。繰り返す可能性あり』
裏切りを重ねたといっても、生き残る為に誰についた方が得かどうかを見抜いてきた結果であって、彼の目的は自分自身が生き残ることに尽きる。その為、破滅しそうにならない限り、裏切られることはない。反対に破滅しそうになったら裏切られる。
その為に様々な人脈を機会があれば作っている。何かある時には、そういう分野に知り合いはいないかと尋ねるだけで、思いがけない伝手を出すことができる。
メリット・デメリットを考えてばかりだからせこせこした人物かと思いきや、変なところで純情で素直なところがある。それが分野を問わず友人知人を作ることができる秘訣にもなっていて、家族構成や記念日などには贈り物を欠かさないこまめさを持っている。
せっかくの人脈を潰されたなら二度と出してこなくなるので、その辺りのすり合わせをきちんとすることで、長く便利に使える。
ゲルト:『有望株。ゆえに、いずれ下剋上される可能性あり。けれども味方なら誰より信頼できる』
以前、ある場所でナンバー2をしていたことがある。その時、愚かなトップのせいでグループは壊滅した。それで失った手下達のことが忘れられず、今も自分がさっさと見限らなかったせいだと悔やんでいる。彼は常に人を観察している。遊んでいても心の奥底は冷え切っていて、同じ過ちをするぐらいならば下剋上をも辞さないという覚悟がある。
その代わり、トップがどんな汚いことをしようとも、これは信頼できると見込んだならば裏切らない。何をどうすれば信頼されるかは不明。
そんなコメントに一つ一つ目を通したキースヘルムだが、目の前にいる優理はとてもつまらなそうな顔をしている。
「悪いけど、側近に誰がいいかなんて占っても分からなかったわ。・・・ってことにしといてあげるわよ。どうせそんなの、考えるのは自分だって思ってるんでしょ? 私に決めてもらいたいなんてこれっぽっちも思ってないでしょ? 自分の知らない情報が欲しかっただけなんでしょ? さあ、どうぞお引き取りを」
「ふん。本当か嘘かは分からんが、納得できるもんが多々ある。ありがとよ、これは駄賃だ」
可愛らしいチューリップが描かれたヒヨコ色のテーブルに、通貨が入っていると思わしき小袋がポンと投げ出された。
ガチャッと音を立てたから、複数枚、入っているのだろう。
「いらないわよ。前に金貨もらってるしね。だから二度と来ないでちょうだい。調べるの、大変だったんだから」
できることなら塩も撒きたい優理だ。
けれども塩を撒く意味を彼が理解してくれるとはとても思えず、これ限りにしてもらいたいと、その要望を不満げな顔つきに託して伝える。
「まあ、そう言うな。お前みたいな色気のないタイプは俺も好きじゃないが、これはこれでな。ま、もうちょっと色気が出て楽しい会話ができるようになったら相手してやるよ」
「最初から最後までお断りよ。さっさとそれも持って帰ってちょうだい」
だが、キースヘルムは渡された紙だけ懐にしまうと、
「更に悪趣味になったな、この店。居辛くてかなわん」
と、ぼやいて立ち上がる。
「そのお金も引っ込めてよ。ついでに、居辛い場所になんて二度と来ないでちょうだい。こっこっはっ、可愛い女の子の為だけのお店なのですっ」
そっぽを向く優理は、今日は明るいオレンジ色のローブに黄色のヴェールである。アクセントに菱形や水玉模様の刺繍までされている。
「またな、小娘。素直になれたら少しは可愛がってやる」
「・・・っ!! 誰がよっ!」
むきぃっと反射的に立ち上がった優理だが、にやっと笑うとキースヘルムは片手をあげて出て行った。残されたのはヒヨコ色のテーブルにある小袋。
(持って帰れと私は言った。だけどあの男は持って帰らなかった。ああいう男の性格として、一度渡した物を返せとか、ケチなことは言わない。あの音からして金貨。そして一枚ではない)
優理は、ちらっとその小袋に目をやる。
「持って帰れって言ったのに仕方がないわねっ。まあ、お金に罪はないしねっ。もらってあげてもいいけどっ。・・・・・・嘘。何よ、このネックレス」
中に入っていたのは金貨ではなく、黄緑色の宝石をあしらった黄金の首飾りだった。
優理の店は、十代の少女なら見た途端に笑顔になるような可愛らしい物を揃えている。
たまに店員として働いているのも、育ちの良さそうな清々しい少年達で、それもまた人気に一役買っていた。
可愛らしい恋の悩み相談なんだか、恋のおまじないなんだか、恋占いなんだかを繰り広げる店内は、乙女の為にある聖域だ。
な・の・に。
ある日、いきなり店内へずかずかと入り込んできたのは、出るところはボイーン、締まるところはキュッ、膨らむところはプルンとした体つきの、色気に満ちた女だった。
「いらっしゃいませー」
爽やかな少年達が笑顔で迎えるが、女は全く彼らに目を向けない。
そして。
「このっ、泥棒猫―っ」
大きな音を立てて、バッチーンと引っ叩かれた優理だった。
「なっ、・・・なにをっ」
あまりのことに呆然とする優理は、叩かれる覚えなんてない。
自分が優理の頬を平手打ちしたのに、その女は床に座りこんで泣き始めた。
「ひ、ひどいわ。こんな化粧もドヘタクソで色っぽさの欠片もないような小娘に・・・。結局はそうなのっ。どんだけ尽くしても、最後にはこういう素人に戻るわけっ!?」
店内にいた優理と少年達は唖然として、その床に座りこんでさめざめと泣いている女を見下ろす。
「あ、姐御。いつの間にあんた、人の男を・・・」
「それって、・・・ユーリ姐が略奪愛?」
「え? ユーリ姐さんがか? それ、おかしくないか?」
叩かれた頬が熱い優理だが、全く心当たりはなかった。
「あのー、人違いだと思うんですけど」
そもそもお付き合いしている人もいないというのに、誰が泥棒猫だと言うのだ。
それこそ「交番はあっちですよ」気分で、店内の出入り口を指差したくなる優理だ。
(なんで勘違いで私が叩かれなきゃならないのよ。相手の確認ぐらいしなさいよ。大体、化粧もヘタクソって失礼ねっ。あんたが濃すぎるだけでしょうがっ)
じろじろと優理と女を見比べる少年達の目が、何かを語り合っている(気がする)。
(ああっ。私を見るみんなの目が冷たい。誤解だってのにーっ)
しかし、女は蹲ったまま、キッと優理を睨みあげた。
「嘘言わないでっ。あんたでしょっ、占い師のユーリってのはっ」
「ええ。ですが私、お付き合いしてる人なんていませんし」
ふっと、暗い笑みを落とすと、女はゆらりと立ち上がった。まるで幽鬼のような動きで。
後に、それを見ていた少年達が、
「まさにゾンビが墓から立ち上がるような、緩慢でありながら恐ろしい何かを感じさせる立ち上がり方だった」
と、証言する動きである。
「よくも言ったわね」
女の唇から、恨みをこめた物憂げな言葉が掠れた声と共に流れ出る。
「その何も知りませんってお綺麗なツラが手管なの? 無垢を装って、大した性悪女もいたものね」
「性悪女だなんて、私以外はそういう女しか世間にいないわよ。・・・いえっ、おほほほっ。失礼しました。ええ、うちは乙女の為のお店ですので、そういう男女のあれこれはまだ早いお店なんです」
殺気に気づき、すぐに優理が言いかけた言葉を取り下げる。
「ふふ、ごまかしても分かってるのよ。あんたがキースヘルムさんの新しい女だって。あんた、黄金細工の首飾りもまきあげたそうじゃない。あんな高級品を贈られた女、今まで一人もいないわ」
脳がその言葉への理解を拒否した優理だ。
――― キースヘルムの新しい女?
――― キースヘルムの、新しい、女?
――― キースヘルム、・・・新しい、・・・女?
――― 新しい女って、・・・どういう意味だったかしら?
――― 女って、・・・女って?
何度も何度もその言葉を自分の中でリフレインさせて、やっと意味を理解すると、優理は叫んだ。
「誰がよぉっ!! あんな疫病神、二度と来んなって追い返したばかりじゃないのっ! あんな両刀遣いな男のっ、誰が女になるですってぇっ!?」
あまりの怒りが優理の血を逆流させる。
後に、それを見ていた少年達が、
「まさに冬眠から目覚めて腹を空かせた熊が、目の前で食べ物を奪われたかのような凄まじい怒り方だった」
と、証言する叫びである。
「ふざけんじゃないわよっ、このド畜生バカ女がっ! 手切れ金代わりの依頼を果たしてやって、それで縁切りしたってせいせいしてたところなんだからねっ! 言うに事欠いて、誰があんな奴の女になるっていうのよっ!! あんな危ない奴に近づくぐらいなら、まだ畑の案山子の方がマシってもんよっ! あんたがあんなのを好きなのは勝手だけど、私を巻き込まないでちょうだいっ」
その気迫に、やってきた女も後ずさりする。
「私はねぇっ、不誠実な肉欲愛ってのがっ、大っ嫌いなのよぉっ!」
その焦げ茶の瞳を爛々と底光りさせ、低く這うような声で優理は女を見据えた。
「二度と見当違いのそれで、無実の人間に悪趣味な疑惑をなすりつけに来るんじゃないわよ? 今度、あんたの顔を見たら、バケツの水をぶっかけるからねっ」
「はっ、はぃっ」
バケツの水どころか、テーブルをがしっと掴んで投げつけようとするかのような動きを、優理の手は既に示している。
いや、とっくに優理が掴んでいるテーブルの脚は持ち上がっているではないか。
「お、落ち着けっ。落ち着け、姐御っ」
「そうだよっ。引っ叩かれたからって、テーブルを投げつけるのはまじいだろっ」
「水晶玉ならいいってもんじゃないからっ。死ぬからっ」
「お前っ、それ持ってけっ。姐御に何も触らせるなっ」
これはまずいと思った少年達が、背後から優理を羽交い絞めにする。
「あんた達は黙っててっ。私はねっ、そういう不誠実な男女関係ってのが許せないのっ!」
両親は出会ったその時から離れがたい何かを感じて二人の時間を重ねた。父の立場を考えて一度は別れを決めた母。それを追いかけた父は、全てを捨てた。
そんな両親に育てられた優理は、欲得絡みの男女関係というのを生理的に受けつけない。
(こんな女共と一緒くたにされただなんてぇっ!! 侮辱もいいところよっ!)
いくら誤解とはいえ、それでもあんな男の愛人と思われたことこそが腹立たしかった。
「お、おい。そこのボインな姉ちゃん、さっさと行けよっ」
「そうだよっ。うちの姐御はそこらへん潔癖なんだっ」
「大体あんたみたいな女を気に入ってる男が、うちのユーリ姐に手を出すわけねーだろっ」
「そうだよ。ユーリ姐、ペチャパイなんだから」
「俺達だってユーリさんに女を感じることなんてないんだぞっ?」
「あんた達っ。一体誰の味方なのよっ!」
その日、局地的な嵐が市場の一店舗を襲った。
数日後、かなり久しぶりにやってきたカイネは店内を見渡して言った。
「あの凄まじくも可愛らしい店にしてたのはやめたのか?」
「・・・思うに、招き猫のご利益が去ったのがまずかったのよ」
やはりキースヘルム避けにカイネを来させた方がいいと優理は判断したのだ。
何故なら、キースヘルムの女は一人だけではなかったからである。
(あの男っ、何人の愛人がいるのよぉーっ。最低っ、本気で最低っ)
そうして店はまた黒を基調としたおどろおどろしいものに戻った。
「まあ、いいけどな。さすがにありゃあ男は近づけん」
「そうね。それでもやってきたあいつは男じゃないわ。ただの疫病神よ」
「何がだ?」
泥棒猫呼ばわりされたのがよほどムカついたのか、同じ猫繋がりで厄除けになるだろうと、優理は招き猫を復活させていた。
優理が占い師として営業している店には、様々な客がやってくる。
その中には、いささか毛色の変わった客もいて、彼らの職業は様々だ。
その一人であるカイネは、盗品売買や表のルートに出せない品を扱ったりする男だった。
そんなカイネは、買い取りを頼みたいという依頼を受ける。
「これをお金に換えたいの」
そんな話は今までもよくあった。
現金を搔き集めなくてはならない状況に置かれた人間は、いつでもそう言って査定を頼んできたものだ。
「普通のお店で買い取りを頼むわけにはいかなくて」
よくある話だった。
金に困っても家宝の品を普通の店に持ち込むことなどできない立場の人間は一定数いる。
普通の店に持っていこうものならすぐ噂になるからだ。だからこっそりと、裏の闇市場で手持ちの宝飾品を金に換えるのである。
「なるべく早急に」
それもまたよく聞くセリフだ。
問題は、だ。
カイネは深く大きな溜め息をついた。
「あのな、ユーリちゃん。これを金に換えろって、俺にキースヘルムと殺し合いやれって言ってる?」
ぎくっと、優理の体が大きく跳ねる。
「な、なぜ、それを・・・」
「誰だって見りゃ分かるさ。これはキースヘルムの特別な持ちもんだってな」
真っ黒に塗られたテーブルの上に置かれているのは、黄緑色の宝石がついた黄金の首飾りだ。それだけなら買いとるのに全く問題はないが、そのネックレスの意匠が問題すぎる。
キースヘルム集団のしるしが、さりげなく入っているのだから。
「だぁってぇっ、どこも買いとってくれないのよぉーっ」
がばっと優理はテーブルに突っ伏した。
「ひどいのよっ。こんな縁起の悪いネックレス、さっさと処分してしまおうって持ってったのに、どのお店も買い取り拒否したのよーっ」
「縁起が悪いって何がだ?」
「そのネックレスがあるだけでっ、あの男の愛人女達が絡んでくるのぉっ」
「・・・ああ、そりゃまあな」
やっと自分の状況を理解する人間ができたとばかりに、優理は言い募る。
「私っ、言ったのよっ?
『別に石の値段は無しでもかまわないんですけど。ええ、安くてかまわないの』
って。なのにどのお店もひどいのっ。
『お客様。これはとても素晴らしいものですから手放すものではございません。こちらではお引き受けいたしかねます』
で、慇懃無礼に追い出したのっ。
素晴らしいって思ってるなら買うもんでしょうがっ。なぁにが手放すものではございませんよっ。それならお引き受けしなさいよっ。どうしてこれを見て、みんなで首を横に振りまくってんのよぉっ」
なのに理解者であるべきカイネは、店主の味方をした。
「そりゃそうだろ。こんなの買いとれるか。後で難癖つけられる。どこの店だって追い返すさ」
こんな暗い室内では内包物もよく分からないと、窓際までそれを持っていってカイネが太陽光で宝石や細工をチェックする。
「なるほど。よく光ると思ったらやっぱりペリドットか。こんな夜会用の首飾りを贈ってくるなんざ、いつの間にそんな仲になってたんだ、ユーリちゃん? おじちゃんは悲しいよ。女の子が色気づくのは早ぇもんだ」
「何が色気づくってのよっ。だっれっもっ、そんな仲にもどんな仲にもなってませんからっ」
「けど、文字まで入ってるじゃないか」
「何それ」
「ほら、この脇のところ」
どれどれと近寄っていった優理に、カイネは内側で見えにくかったその箇所を指し示した。
「我が最愛の女にって、そう彫られてるぜ?」
「・・・・・・あんのクソ野郎」
「わあぁっ、投げるなぁっ」
ネックレスを引っ掴んで壁に叩きつけようとした優理を、カイネが慌てて取り上げることで阻止する。
しかし、優理も諦めない。完璧に叩き壊してやるとばかりに、手を伸ばして取り戻そうとした。
「返しなさいよっ。それっ、まだ私のでしょっ」
「ぶっ壊すと分かってて渡せるかっ」
カイネも大きく手を上にあげて死守する。
「何よっ、あの男に味方する気っ!?」
「なわけねーだろっ。後でやっぱり修理するとか言われても、宝石なんざ割れちまったら終わりだっ。加工だって粘土細工じゃねえんだぞっ」
「持ち主の勝手でしょっ」
「一時の激情で取り返しのつかねえことすんじゃねえっ」
優理にとってただの綺麗なネックレスは、女が押しかけた時点で「縁起悪い加算」され、連続で買い取り拒否された時点で「不気味さ加算」、そして今や「名誉を汚された加算」された代物である。
これはもう跡形もなく壊し、なかったことにするしかない。
「永遠に葬り去られるべきなのよっ」
「あいつが加工させた事実が消えるわきゃねえだろっ」
手加減していられる余裕はないと、優理はそれを奪還しようと全力で飛びかかった。カイネは引っ掻こうとする優理の爪を避け、怪我をさせないようにしながらもその蹴りを阻止する。
熾烈な攻防戦を繰り広げるどころか、カイネにとって優理の攻撃は児戯だった。
途中からは、ホイホイと指先だけで対応する手抜きぶりだ。
「おおっ、角度はいいパンチだ。けど、もう少し体重は乗せないと軽すぎだなぁ」
「誰もそんな指導してほしいわけじゃないーっ」
自分よりも背が高くて動体視力や身体能力も優れているカイネから取り戻すことは不可能と悟った優理は、疲れきって床に座りこんだ。
穏やかでのんびりした風貌だが、これでカイネはかなり体も鍛えられており、優理程度が体重を乗せて圧し掛かったところで揺らぎもしないのだ。
「カイネさんは私よりもあの男の味方をするのよ。どうせ私のことなんて何とも思ってないのよ」
潤んだ瞳で恨めし気に見上げられたカイネは、床の上の優理を片手でひょいっと椅子に座らせる。
「まあ、落ち着け。壊すのはいつでもできる。な?」
自分のポケットにネックレスを隠したカイネは、優理の小さな両肩をぽんぽんと撫でて落ち着かせた。
「一体全体、何がどうしてこうなった。大体がお前さん、キースヘルムの好みと正反対だろうが」
「知らないわよ。初めて会ったのはあの時で、それから一度来てちょっとした占い頼むって言われて、断ったけど断りきれなくて、そうして引き受けたらその占い代でそれ置いてったの」
「あのキースヘルムが占いぃ?」
カイネがとても疑わしそうな顔になる。
「なあ。じゃあ、あの女難の相が云々って奴をキースヘルムにもやらかしたのか?」
「違う」
「そんじゃ今年、大きな運命が訪れますって奴か?」
「違う」
「なら、運命の出会いが現れますって奴か?」
「違う」
「じゃあどんな占いを? ユーリちゃん、その三つしか持ちネタないだろ」
「う・・・」
パターンを把握されているのがちょっと辛い優理だ。しかし、カイネは追及の手を緩めない。
「それを聞かないと分からんのだがな」
「えっと、あのキースヘルムって人の部下の、・・・誰が頼りになるかとか、そんな感じのことを占いで決めてくれって、そんな感じだったかなぁー・・・って感じかなぁー?」
「そうだなぁ。感じかなー? てのを繰り返せば繰り返す程、深刻さが薄れる感じかなぁ。・・・だといいねぇ、ユーリちゃん」
「えーっと、だって、だって、そこまで深刻な感じじゃなかったし?」
「深刻な感じじゃなくても、あのキースヘルムの手下らを調べたか。勇気あんな、おい」
二人の間に沈黙の川が、ざぶざぶと流れていった。
神妙な顔になった優理が縮こまる。
カイネは床にしゃがみ、優理と新鮮を合わせた。
「あのな、ユーリちゃん。そりゃあ占いって言わん」
「占いだもん」
「誰がどう見たって占いじゃねえだろ」
「占いだもん。だってあの人、占いの依頼って言ったもん。だから占いだもん」
苦しいと自分でも分かっている。
それでも優理は自分が失敗した事実を受け入れたくないのだ。
「手下どもの査定に係わったってか。そりゃ参謀のすることだろが」
「占いだもん」
そうだ、占いなのだ。それ以外のなにものでもないのだ。
けれどもカイネとてそんな言葉遊びに乗る気はない。
「で、言いなりになって調べ上げたんだな?」
すっぱりと尋ねる形をとって決めつけた。
「占っても分からなかったって言ったもん」
「なんでそこまで往生際が悪いんだ、ユーリちゃん」
カイネも呆れ返って、ならばと質問の形を変える。
立ち上がって椅子に座った。
「じゃあ、何も教えなかったのか?」
「・・・・・・」
「何をどこまで教えた?」
カイネのくすんだ青い瞳が決して笑っていないことに気づいたのだろう、渋々と優理は口を開く。
「誰がどういう性格で、人望がどうだとか、裏ではどこの誰とこういう繋がりがありますよ的な・・・」
「あのなぁ」
ぐったりと椅子の背にもたれて、カイネは嘆息した。
世間知らずな少女のくせに、優理は有能すぎる。
「まさか一度会ったきりのユーリちゃんをそこまで信用して手伝わせるなんざ、やってくれる。さっさとツバつけに入ったか」
「へっ?」
カイネは真面目な顔になった。
「あんなふざけた野郎でも集団のアタマ張るってこたぁ、人を見抜いて従わせてナンボって奴だ。あの初回で、面白い人材と見抜いたんだろう。いや、たかが小娘如きにキースヘルムがわざわざ出てきたのがおかしい。こんな店、下っ端にめちゃめちゃにさせて、生意気な店主は奴らのオモチャにくれてやりゃあ良かったんだからな。最初から見極める気だったか」
「・・・それは犯罪です」
「それが何か?」
優理は心の底から、この世界の在りように異議申し立てをしたくなった。
こんな奴ら、とっとと刑務所に入れてこいというのだ。この国の法律はどうなっている。
「ユーリちゃんは誰がどう見ても素人のお嬢ちゃんだし、俺らの世界には入れねえマトモさがある。それでも自分の内に取りこみたけりゃ、男と女の仲にすんのが手っ取り早い。真実がどこにあろうとな」
「じょっ、冗談っ」
「じゃねえよ。キースヘルムが好むのは自信たっぷりで精力的、酸いも甘いも噛み分けた明るく楽しいタイプだ。そのポリシーを覆してまで、好みとは真逆のユーリちゃんの為にマーク入り首飾りを特注し、最愛の女とまで彫らせやがった。んな加工、誰に贈るのかと蜂の巣をつついた騒ぎになったろうよ。女共が絡んでくるわけだ。ぽっと本妻が出てきたんじゃな」
「手を繋いだことすらないわよーっ」
思いっきり鳥肌を立てて優理が叫ぶ。
やっぱりなと、口には出さずにカイネは思った。
(偽物の胸を作ってるようなぺたんこに、あのキースヘルムが手を出すかよ。色っぽい女にも床上手な男にも不自由してねえ奴が。さて、これは俺に対する挑戦状か? 共有の申し込みか? それとも何かに噛ませろってか? ちょっと今絡んでる奴を見直させねえと)
優理と違い、カイネが文字通りに受け取ることはない。
この考えなしな子犬は、のこのこと肉食獣の檻へ自分から入りこんでいたのだ。
「安心しろ。言えばおててぐらい繋いでくれるさ」
「繋ぎたいなんて言ってないっ」
まぁそうだろうなと、カイネも思う。
キースヘルムがどうこうではなく、生きる世界が違うという意味で、優理にとって自分達は対象外なのだ。
ただ、そこまで拒否されると、そういう世界にこそ生きている自分もちょっと拗ねたくなる。
「大丈夫だ。好みじゃなくても男は女を抱ける」
思った通り、がちょーんと優理の顔が蒼白になる。
きっと考えたくない領域にクリーンヒットしたのだろう。
「冗談じゃないわっ。いいわ、カイネさんっ。それ、無料であげるからっ。私、そんなのもらってないからっ。二度と手にしないからっ」
脅かしすぎたかと、カイネも少し反省した。
「こらこら。そう慌てなくても、どうせユーリちゃんに本気で手は出さないさ」
「そーゆー問題じゃないのよっ」
「いや、考えようによりけりだって。これを持ってるユーリちゃんに裏社会の奴はまず手出ししねえぜ? キースヘルムはかなりでかい集団を率いてる」
「そもそもが無縁で生きてたいのっ」
がるるるっと唸り声をあげる程に、優理は拒否感を示している。
ポケットに入れた首飾りを、さてどうするべきかと、カイネは思った。
今、この首飾りを返そうものなら、きっと優理は煉瓦で打ち砕いてでも破壊することだろう。
「信じらんないっ。なんて捨て身の嫌がらせなのよっ」
「いや、嫌がらせとはちょっと違うと思うんだが」
むしろ、かなり高く評価されたものだと言っていい。
この首飾りをつけて出向けば、キースヘルムの息がかかった場所では常に優理は顔パスだろう。
何と言っても彼らの頭が、自分の色としるしで飾った女だ。
どこまで通用するのか、カイネとてこれが優理でなければ試したいところだった。
「嫌がらせよっ」
聞く耳持たない優理に、やれやれとカイネは両方の掌を天井に向けて広げてみせる。その左手はもう普通に動くようになっていた。