112 ギバティールに戻った優理は大忙しだった
ギバティ王国の首都ギバティールにある自宅へと戻ってきた優理は、自分の小さな家には多すぎる客を迎えてしまってはいたものの、泊まっていくわけでなし、お茶やお酒を飲むだけなら特に問題はないと、判断した。
キースヘルムという招待していない客までやってきたが、どうやらみんなが協力してか弱い女の子を守ってくれる様子である。
(よくよく考えたなら、キースヘルムだって私を騙してたんだからおあいこよね。うん、そうよ)
そういうことで都合よく金貨200枚の件を自分の中でチャラにした優理は、なあなあで終わらせてしまおうと、決断した。
一般常識に照らし合わせて、家族でも夫婦でも恋人でも親友でもない男女がいたとして、その男の方がどんな女性とどんな性的関係を結ぼうが、女に口出しする権利はないと、100人中90人以上の人が言うだろう。
そして自分を心配する男から金貨200枚を一芝居打って騙し取った女がいるとなれば、やはり100人中90人以上の人が女を非難することだろう。
だが、そういう客観的視野を無視できるのが優理だ。
「ところでドレイク、夕ご飯はどうする? 買い出しなら今の内に行ってくるけど」
「せやなあ。今日は皆で食べ行こか思っとったんやけど、・・・うちで作れはるか?」
「勿論よ。あそこ、大鍋とかも揃ってたし、竈も大きかったし、窯まであったしね。キースはどうする? おうちに帰る? それともドレイクの所で一緒に食べてく?」
人は自分を基準に考える生き物だ。優理はキースヘルムにご飯を出すことで誤魔化そうとした。
だってタダ飯が食べられるのだ。普通はそれで機嫌を直す。そうだろう? そうに違いない。
(けど執念深かったら面倒だもん。そこでやっぱり頼りになるのはドレイクよね)
本当は自分ひとりだけは自宅でゆっくり休みたかったが、こうなるとドレイクの所が安全だ。
優理は、夕食一回で金貨200枚の出来事を完全に闇に葬る気である。
「・・・・・・」
そこでのこのこと調子よく食べに行くとは言えないのが男だ。キースヘルムは押し黙った。
同時にこんなにもわらわらと得体の知れぬ男達が優理の周囲に浮上してきているのが気にかかる。女など、手を出してしまえばそれまでだ。
「無理に誘うことはないだろう、ユーリ。キースヘルムだって忙しいんだ。今夜の約束をした女とかな」
「え・・・」
「レイスッ、お前はどうしてそういうことを言いやがるんだっ!」
一気に優理の視線が冷たくなったのを感じ、キースヘルムはレイスを怒鳴りつけた。
「違うのか? お前が孤閨をかこつタイプじゃないのは誰もが知る通りだ。それとも独り寝してたとでも?」
「う・・・」
「そうだろう。お前は相手に苦労するタイプじゃない」
おだてているようでありながら、確実にレイスはキースヘルムの株を下げていく。
「へぇ。ま、押し出しもいいタイプだもんな。確かに色っぺえ姉ちゃんにもてそうな感じ。けどなぁ、女の子の幸せは遊び人に求めるもんじゃねえって、俺は思うんだなぁ」
「ティードはいいこと言うな。ユーリ殿、やはり女子の最終的な幸せは信頼できる男と共にあると思うぞ?」
ウルティードに追従したディッパだが、二人は結構いいコンビだ。
物事に対する視点が似ているからかもしれない。
「女の数を競う男は、いずれ心変わりする。それぐらいなら自分だけを求めてくれる男を選ぶべきだ。そうだろう、我が婚約者殿?」
ディッパは、優理に対して穏やかに微笑みかけた。
「ディーさんもそう思う?」
「ああ。愛という言葉は誰もが使うが、その重みを知る男は決して女を粗末にはせぬものだ。愛を司る女神シアラスティネル様の御名にかけて真摯な想いを捧げる男こそ、女の真心を受け取るに相応しい。それ以外は愛というものに見せかけた紛い物だ」
「・・・・・・ディーさん」
これでもディッパはパッパルート国王。もっともらしい、一般民衆の支持を得るような言葉の一つや二つは簡単に出てくる。家庭において影響力のある女性の支持は侮れないからだ。
そんなディッパは知らずして、両親の愛こそ最上だと思っている優理の心のど真ん中を、スパーンと射抜く発言をしてしまった。
「どうした、ユーリ殿?」
優理の指先が震えていることに気づき、もしかして寒いのだろうかと、ディッパは怪訝そうな顔になる。
別に気温は低くないが、風邪でもひいていたなら休ませねばなるまい。
旅先や旅から戻った途端、体調を崩すのはよくあることだ。
「ディーさんって、・・・なんて立派なの」
そんな優理は、頬を紅潮させてディッパを見た。焦げ茶色の瞳は、紛れもない感動に潤んでいる。
「そ、そうか?」
優理が本気で感心してくることに気づき、ついディッパは照れてしまった。
少し赤くなりながらそのベージュ色の後頭部をぽりぽり掻いてしまう。
「そうよ。世の中にはディーさんみたいに誠実で素敵な、正しい愛の重みを知る人もいたのね。きっと私、この世界で一番尊敬できる男性を訊かれたら、ディーさんの名前を真っ先に挙げるわ」
そこには世辞ではない、紛れもない本音だけがあった。
相手が真面目な顔ならば、即座に自分も真面目な態度になれるのがディッパだ。相手によって態度を変えるのは当然である。
「過大評価だな。だが、俺は嬉しく思う。そしてユーリ殿の心に恥じぬ自分でいたいと願うだろう。何故ならユーリ殿こそ真の道を知る者だからだ」
「ディーさん」
「ユーリ殿」
パッパルート王宮で意気投合した時もそうだったが、二人は周囲の無理解に悩み、孤独に戦う同志であった。
だからお互いに手を取り合って見つめ合う。
心の友として認め合う何かが、二人の間を流れていった。
「なあ。どうでもええねんけど、キースヘルム可哀想な顔しとるさかい、そろそろこっちん世界に戻ってきたり」
ティーファの宮で一度似たような場面を見ていたレイス、カイネ、エミリールは、またかと思っていただけだったが、面白くなさそうな顔でドレイクが水を差す。
「誰が可哀想なツラなんだ、おい」
「鏡、見てみぃや」
女神様女神様と連呼して勝手な言い分をぶちまける輩は多い。たとえば神官とか、たとえば神殿とか、たとえば王族とか、たとえば国とか。
けれども女神様の名は軽々しいものではなく、まさに真実の愛を誓う為にあるのだというディッパの持論に感銘を受けた優理は、それまでのことをすっかり忘れていた。
「あら、ごめんなさい。そういえば何の話だったかしら」
優理は、ん? という顔で振り返る。
彼女にとっての優先順位は、全てにおいて自分の家族にあった。
「キースヘルムが飯どうすんかって話やろ。ま、女が待っとるんならしゃあないわ。ほな」
「勿論、ご馳走になろう」
ドレイクが話を片付けようとしている気配を察し、即座にキースヘルムが滑りこむ。
「せやけどな」
「ちょうど色々と話したいこともあるしな。留守してた後なら、お前も知りたいことは多いんじゃないか、ドレイク? カイネもそう思うだろ?」
「へ? いや、キースヘルムの旦那。ここで俺を持ち出さんでくださいよ。そもそも俺ぁ、いつだって可愛いユーリちゃんの味方ですぜ」
「そのユーリの招待だからな。勿論、夕食の席は共にしようじゃないか」
そこでレイスに同意を求めない程度の判断力はちゃんとキースヘルムも持ち合わせている。
レイスは敵と書いてゴミと読む存在なのだ。
「それにユーリ。買い物に行くなら飯を作らせるんだし、俺が代金ぐらいは出そう。何なら一緒に買いに行くか?」
「え? 材料費、キースが出してくれるのっ?」
「勿論だ」
当然とばかりにキースヘルムは頷いた。
正直、そんな買い出しなんぞかったるくてやってられるかというものだが、優理に効果的なのは分かっている。
「市場ももうすぐ閉まるだろう。今ならお前が好きな安売りもしてるんじゃないか?」
「だけど材料費って、人数多いから結構高くつくわよ?」
ドレイクのあの建物に戻れば、パッパルート王国人の8人ばかりか、ドレイクの仲間達もいる。
「それぐらいかまわん。久しぶりにお前がギバティールに戻ってきたんだ。好きな菓子も買ってやる」
ぴくっと優理が反応する。
まさに包容力のある笑みを浮かべて、キースヘルムはとどめを刺した。
「お前、角のチーズ屋が出してるケーキが気に入りだったんじゃないか? あれをワンカットと言わず、ホールで買ってやる。どうだ?」
「用意してくるっ。キース帰らないでねっ、そこいてねっ」
ぱたぱたと優理が上着と買い物用バッグを取りに行ってしまう。
「なんや、お前も情けのうなったもんやな。小娘を菓子で釣るんかい」
「ほっとけ」
札束で頬を叩けば言いなりになる女とは違うのだ。本当に思うようにならないと、キースヘルムは溜め息をつく。
安上がりと言えば安上がりだが、その代わり手間がかかる。
するとウルティードが立ち上がった。
「しょうがねえ。じゃあ、俺も荷物持ちでついてってやるよ。そのキースヘルムさんがいくら力持ちでも大変だろうからな」
「ちょっと待ってください、ティード。俺も行きますからね」
第二王子を放置などできないエミリールも立ち上がる。
「ティードとか言ったか? どいつもこいつも、自分が邪魔なことも分からんのか」
「そりゃあなぁ。俺だって二人で出かけたい気持ちは分からんでもないけどさぁ、そのままユーリを変な連れ込み宿に連れてかれたんじゃたまらねえよ。あんた、それぐらい平気でできるクチだろ?」
「言ってくれるじゃねえか、クソガキ」
「オッサンの考えることなんざワンパターンって決まってんだよ」
少しぐらい年下だからと子供扱いされれば誰だってムカつく。しかしウルティードはそれを逆手にとってやり返した。
優理は遥佳の姉妹なのだ。どうして自分が彼女の危機を見捨てられるだろう。
(まあ、あんまり危機っぽくもねえけど)
ウルティードとて馬鹿ではない。優理がキースヘルムの支払いと、チーズケーキに釣られたことぐらいは分かっている。
やれやれと、ディッパも加わった。
「やはり婚約者殿を他の男と二人きりで出かけさせるわけにはいかんだろう。まさかティードとエミリール殿に先を越されるとは」
「貴様もかよ」
なんだかげんなりしてくるキースヘルムだ。
何なのだろう、こいつらは。市場で優理の店に入り浸っている少年達より鬱陶しい。
「まあまあ。皆で出かけた方が楽しいでしょう。キースヘルムさんも大人げないことを言うもんじゃありませんよ。ユーリさんはまだまだ子供じゃありませんか」
五才も離れていないくせに、ニッカスが優理を子供扱いすることでにこにことその場をとりなせば、仕方ないとカイネも立ち上がった。
「こうなったら仲良くみんなでお出かけしてくるさ。さすがにキースヘルムの旦那に、ディーさん達を置いてかれちゃ困る。それともレイス、行くか?」
「いや。カイネの方が適任だろう」
この街に初めてやってきたディッパ、ニッカス、エミリール、ウルティードでは、迷子になった時が危険すぎる。
しかしこの家の戸締りをする人間が必要だろうと、レイスはカイネに譲った。
「おっまたせー。あれ? もしかしてみんなで行くの?」
「そう。キースヘルムさんが是非って誘ってくれたんだ。いい人だね。やっぱりギバティールは初めてだしさ。ユーリちゃんのお気に入りの店も見たいな」
如才なく、エミリールがそう答えてしまう。
キースヘルムに彼らを誘った記憶は皆無だったが、ここでそれを言い立てれば男を下げるだけだ。
「・・・ぐっ」
そういう意味で、エミリールはやり手だった。相手を持ち上げて、しっかり自分を通す。
それは貴族として当然のたしなみである。
キースヘルムからげっそりと気が抜けていった。
「任せてっ。エミリールも見たら納得のお得なお店、ちゃんと教えてあげるからっ」
やがて不本意だと顔全体でアピールしているキースヘルムとそれに気づかない優理、そうしてギバティールの市場にも興味津々な一団が家を出ていく。
それを見送って、ドレイクは呟いた。
「なあ、レイス。わざと挑発したろ?」
「ああ。道中、何かとユーリは食べ物の話をしてたからな。期待してる奴も多いだろう。今夜は高くつくだろうなと覚悟していたんだが、飛んで火にいる夏の虫だ」
空になったカップや皿を回収し、レイスは手際よく洗っていく。
キースヘルムはがめつく稼ぐが、使うときは使う男だ。
きっと優理を喜ばせようと、優理が買おうとしているよりも高めだったり多めだったりする食材を買ってやることだろう。
「せやからキースヘルムに嫌われるんやで」
ドレイクは、今更なことを言ってみた。
「だがな、好かれてるお前を羨ましいと思ったことは一度もないんだが」
「思い出させんとってっ」
しかし、今のキースヘルムはドレイクよりも優理に執着している。
「良かったじゃないか。ユーリが防波堤になってくれて」
「そっちもあかんやろが。やけど俺が襲われんのも嫌やし、どないすりゃええの」
「ユーリ以上にやらかしてくれる奴を用意しないと無理だろな」
なんちゅー厄介な男なんやと、ドレイクはぼやいた。
ギバティールを根城としているキースヘルムは、かなり強引な男ではあるが、同時に人好きのするところも持ち合わせている。
元々が気前もいいし、豪快なところがあるから男としては楽しく付き合える相手なのだ。ただし、敵に回らない限り。そして搾取される相手にならない限り。
(面倒だから今夜はピザにしたけど、やっぱりそれで良かったわね)
沢山の人間がいたら、簡単にできて誰もが嫌いじゃない食べ物を出した方がいい。今日は戻ってきたばかりだし、優理は手抜きをすることにした。
しかしキースヘルムが材料費を出してくれるというので、ちゃっかり明日の肉や野菜などを沢山買ってもらった。明日は買い出しに行かなくてもいいだろう。やはり荷物持ちと財布が同行する買い物は最高だ。
(キース、そういう時は多めに買ってくれるんだもの)
窯に火を入れて、ピザ生地を丸く伸ばして適当に具材を載せて放り込めば、すぐに熱々なピザができあがる。
チーズたっぷり、ピーマンやソーセージやトマトソースもたっぷりで、焼けたすぐそばからハーブを散らせば皆がかぶりついていく。ビールの消費量も激しいようだが、優理は果汁のスパークリングワイン割りと、さりげなく一番高い物を飲んでいた。
勿論、キースヘルムに買ってもらったスパークリングワインだ。
同行していたカイネが、ズキズキするらしいこめかみを揉んでいたものである。
『なあ、ユーリちゃん。そのキースヘルムの旦那に買ってもらい慣れている様子を見ちまうと、なんかもう涙がちょちょぎれそうになるんだけどな。それで拉致された被害者というのはちょっと・・・』
『あら? これ、カイネさんがお気に入りだったビール。キースもこういうの好き? あんまりお酒飲まなかったわよね』
『ああ、嫌いじゃねえな。ついでに皆の分、買ってけ』
カイネの嘆きが周囲の喧騒で聞き取れなかったフリなど、優理にはお手の物だ。優理の前だから飲まなかっただけのキースヘルムだが、そうやって自分のことを覚えているところが可愛いと思ってしまった。
かくしてキースヘルムは優理の財布と化したのである。
精肉加工店も、キースヘルムは高い店で買い物をさせてくれたから、優理の好感度は一気に上がった。
『ソーセージって美味い店なら血が入ったのが美味しいんですよね』
と、エミリールが言えば、
『いやあ、あの臭みって結構鼻につかねえ? せめてニンニクを使ってくれ』
と、ウルティードが希望を出す。
『それならハーブであっさり爽やかなソースを添えればいいんじゃない?』
と、優理はそんな折衷案を出したものだが、その新鮮さが大切なソーセージは、皆が最初にかぶりついていた。
明日は腕の太さぐらいあるソーセージを使って煮込みスープを作ろうと、優理は考えている。
ああ、なんていい言葉なのだろう、「無料」。
だから優理はとても機嫌が良かった。
「なあ、ユーリ。このピリッとした辛いのがうめえんだけど、もう一枚同じの作ってくれっか?」
「いいわよ、ティード。なんか男の人ってそういうチリソース系、好きよね。他にもいる人、いる?」
「あ、それなら俺も欲しいな。ユーリちゃんは辛いのは苦手?」
「少しなら美味しいなって思うけど、みんなみたいに辛くはできないわ。大体、額から汗を流してまで辛くする意味が分かんないもの」
「あ、俺ももらえるならいただこう。辛いのがいいんだよな、やっぱり。なあ、ニッカス」
「気のせいでしょうかね? 三人でどれ程辛くできるかを競ってるだけに見えるんですが」
ディッパとエミリールとウルティードは何かと三人で明るく競っている。お育ちがいいせいだろうか。程々に楽しめる競争をしつつ、誰が勝っても負けても後に恨みを引かない一線を心得ていた。
そんな上流階級出身組とは別に、パッパルート王国からやってきた青年役人達はキースヘルムやドレイク達のテーブルである。
興味深そうにドレイク達の話を聞いていた。
「てかよ、どうも景気が悪くなってきてるような気がすんだよな。特に何も変わってはいねえんだが、僅かな違和感があるってぇのか。ミザンガはどうだった?」
「ほんなん感じへんかったな。キマリーのあれで揺れたんも特に影響せえへんかったし。・・・どや、お前ら。こっちん方は?」
キースヘルムの言葉に、ドレイクもギバティール居住組を見る。
「それがドレイク。そっちのキースヘルムさんの言う通り、特に変わりはないんですが、いきなり顧客がそうじゃなくなったりとか、・・・いや、そんなんは珍しい話じゃないですし、特に売り上げも変わっちゃいねえんですけど、どこか違うんすよ。そう、少しずつ明るさが落ちてきている感じがするというのか」
「ふぅん。ほな、ちょい明日ゆっくり聞かしてもらうわ。何なんやろな。そういう勘は馬鹿にしたらあかんのや」
さすがのドレイクも、部外者がいるテーブルで詳しいことを聞く気にはなれなかった。それはキースヘルムも同じだったらしい。
「てかよ、そっちの髪の色ってやっぱりパッパルート人か? 久しぶりに見たぜ。ここまで揃ってっと、まさに砂漠の色って言われるのも納得だな」
「ええ、田舎者でしてね。ドレイクさんのご厚意で色々と見学させてもらってるんですよ。ああ、俺はメッティ」
「キースヘルムだ。ドレイクの客人ならうちの客人だ。是非ギバティールを楽しんでってくれ」
「どうも」
「ま、ギバティールの思い出にいい女が欲しくなったらうちに来な。ユーリの知り合いなら特別にいいのをまわしてやる」
何なら今からでも・・・と、いつものノリで言おうとして、ハッとキースヘルムは優理のいるテーブルの方を窺った。
(あ、良かった。あいつ、窯に薪入れてやがる)
どうやら今度は鶏肉を散らばせたピザを作ろうとしているらしい。淡泊な味の鶏肉は、その辛い味付けをダイレクトに伝えてくる。
『いやあ、白身魚だとガツンとくんだぜ。いやホント』
『ここだとお魚より肉の方が新鮮なのよね。胸肉が淡泊だと思うの』
『ユーリちゃん。食べられなかったら勿体ないしね。一応、小さめにしといた方がよくないかな』
どうやら誰が一番辛いのが平気なのか、それに挑戦する様子だった。
そんなキースヘルムの思考はばればれだったのか、隣に座るドレイクがぽんと軽く肩を叩いてきた。
「あんなペタンコ娘、いつまでも執着するもんやないで?」
「・・・それでお前が手に入れようって魂胆じゃねえのか?」
「俺ぁいつでもレイスん味方や」
そんなドレイク達の様子を、ディッパとニッカスは視線を向けぬままに聞き耳だけ立てている。
パッパルートからついてきた役人達があちらにいるのは、ディッパから変な言質を彼らが取っていかないようにだと、分かっていたからだ。
『なあ、ニッカス。まあ、油断したら食われそうだがよ。距離を置いてる限りはいい奴そうだな』
『それをいい奴って言うんですかね』
『あれだけの買い物を文句ひとつ言わずに支払う奴はいい奴だ』
『その特別扱いは一人だけのようですがね。他の人間にはどんな顔を見せているやら』
だが、もしもパッパルート王国の緑化計画が成功し、街道もきちんと整備できたなら、こういった手合いも入りこんでくるのだ。
金が集まる所には、様々な人間が集まってくる。
『カッティムとメッティが行ったか』
『ちょうどいいと思ったんでしょうね。砂漠に出る賊とは違う、ああいう奴らを知る気なんでしょう』
どうやら治安維持関係の業務についているカッティムとメッティが、キースヘルムに接触している様子だ。
ドレイクは優理に対する義理もあってか、全く阿漕な真似をしてこないが、そういう行儀のいい奴らばかりではないと、二人はこの先を見据えているのだろう。
(やはり国を出てきて良かった。この経験は決して無駄にならん)
そして出来上がってきたピザはチーズもとろとろで美味しそうだが、その下に隠れている辛みは凄いものだろう。
だが、男には進まねばならぬ時がある。
どんなに厳しいと分かっていても、やらねばならぬ時があるのだ。
だから覚悟を決めて、パッパルート国王ディッパはかぶりついた。
「かっらーっ! 辛すぎるぞっ、ユーリ殿っ」
「私を責めないでよっ。入れろって言ったのはティードなんだからっ」
水をがぶ飲みしてから、ディッパがウルティードを見れば、既にウルティードは白目をむいてぴくぴくと手の指先を震わせて悶絶している。
「食べ遅れて良かった」
一番賢いのは、慎重なエミリールだった。
思えば色々とありすぎて、かなり月日が経過していたような気がする優理だ。市場にある自分の店がまだ残っていたのは、借り賃を先に年払いしてあったからだろう。
昼から店へ行ってみれば、懐かしささえ感じてしまった。
「ユーリの姐御っ、生きてたのかっ」
「良かったぁっ、ユーリさん。本当に心配してたんだぜ」
「いつもいつも、どうしていきなりいなくなっちまうんだよっ」
「ま、俺は信じてたけどな。ちゃんと姐御は戻ってくるってよ」
「嘘こけ。お前、あんだけおろおろしてたじゃねえか。ユーリ姐、本当に心配さすなよ」
久しぶりに市場の店に行き、せっせといなかった間にたまった埃を掃除していたら、少年達が集まってくる。
優理もやっと同世代の仲間達に会えた気分だ。
「ごめんなさい。色々とあって、何も言えないままギバティを離れてたのよ。ま、その代わり見てちょうだい。ちゃんと今度こそはガッパガッパ売れる物を仕入れてきたから」
それはででんと積まれた物を見れば分かる。
彼らとて、あまりにも商売下手な優理を見かねて手伝っているのだからチェックしていないわけがない。
だからこそ、不在だったのはひどいことが起きたわけではないと察して安堵したのだ。
「何だか本気でユーリ姐って儲けることしか考えてねえな。ま、それで失敗し続けるところが可愛いんだけど。けどさ、本気で可愛くなってねえ?」
「あ、それは俺も思った」
「僕も。なんか僕達と同い年ぐらいになった感じ?」
「だよな。俺、もしかして姐御によく似た妹かなって何度も見ちまったしよ」
そこで少年達が顔を見合わせる。
長い髪を切って肩ぐらいのボブカットにした優理は、大人びた雰囲気からどこか可愛らしさを感じさせる雰囲気になっていたからだ。
まさに化粧と髪型で20代を演出していた優理は、それこそ実年齢の18才の娘と言われても納得の、
「いや、だけどその胸のなさは15才ぐらいじゃないか?」程度になってしまっていた。
(あ、まずい。鬘と胸パッドとお化粧、忘れてた。ここんとこ、全然必要なかったし)
そんな優理は、ただのうっかりさんだ。久々すぎて、かつて自分が変装していたことを忘れきっている。
そうとも知らず、一人がおずおずと尋ねてきた。
「あのさ、ユーリの姐御。もしかして若返りの薬でも手に入れてきた、とか?」
「マジかっ」
「げっ。それならめっちゃバカ売れするぜ、おい」
「あ、ならうちの母上が買うかも」
「うちのババアもな」
どうしようと思い、優理は迷った。
(そもそも年齢誤魔化してたのって、単にトラブル防止だったのよね)
しかしドレイクとここまで仲良くなり、キースヘルムにもご飯を買ってもらえる仲になった今、子供だからと言ってトラブルに巻きこまれることはないような気がする。
違う意味でもっとハードに目をつけられ、取りこまれている事実には目を瞑り、優理はそう考えた。
(あの人達、どうせ私の素顔知ってるから、今になって化粧したところで騙されてくれないもの。それならもう、本当の年齢を言ってもいいのかも。だって今更、毎日お化粧するのってめんどくさい。化粧品代金だって無料じゃないし)
そうして「ユーリの姐御」とか「ユーリ姐」とか呼ばれている状態から、「ユーリちゃん」と呼ばれるようになったら、こんな可愛らしい自分にもロマンスの神様が降臨するのではないか。
そんな途轍もなく図々しいことを優理は考える。
今はまだ小粒でも、彼らはそれなりの名門学校に通うエリート学生達。つまり青田買いするには十分な資質があるではないか。
社会の裏街道に生きてる年上の男達より、やはり手付かずな青少年をじっくり育ててみた方がよほどいい。
「そこまでして若作りすんなよ。どんなにババアっぽい感じでも、ユーリ姐はそのとぼけたところで相殺されるんだしさ」
とりあえず、彼らの中で一番出世しそうなのは誰だろう。
あまり気苦労が多い職種に就かれるのは困る。毎日毎日、愚痴ばかり聞かされるのはご免だ。
「そうだよ。もしかして若作りの秘術か何か受けに行ってたの? ユーリ姐、そんなことの為にためたお金を使うだなんて悲しいことだよ」
たとえ出世とはみなされなくても、がっぽがっぽ稼いでくれるならそこは目を瞑ろう。
だって世界一の出世を既に遂げている自分にとって、男の出世など臍で茶を沸かすレベルだ。大事なのはそこではない。
「いるんだよな。その皺一本一本を見つける度にわなわな震えて、これでもかこれでもかって無駄な努力する奴。・・・けどな、ユーリの姐御。大事なのはそんなことじゃない。そういう自分を受け入れて生きていくことなんだ」
そう、大事なのは自分をいかに楽させて、左団扇で優雅な生活を送らせてくれるか、なのだ。
天に咲く花の如く崇め奉ってくれれば良しとしよう。やはりそれが自分に対する正当な評価というものだ。
「いいこと言うじゃねえか。そうだよ、ババアで行き遅れたからってそんなことに無駄な金と時間を費やすべきじゃない。なあ、ユーリ姐。大事なのは若作りじゃないんだ」
そう、大事なのは・・・。
ん? 何が若作りだと?
そこで優理はハッと気づいた。
「ちょっと待ってちょうだいっ。あなた達の中で、私は一体どんなバカ女認定されてるのよっ。まさか稼いだお金を全て化粧品とか若返り美容術に費やしているとでも思ってんじゃないでしょうねっ?」
色々と彼らの中で一番お得な物件は誰だろうかと、捕らぬ狸の皮算用をしている間に、話がとんでもない方向へ行っていたことに気づき、優理がストップをかける。
けれども彼らはとても優しい眼差しをそれぞれに宿して、優理の肩をぽんと叩いた。
「悪かった、ユーリ姐。誰にだって人には知られたくない秘密の一つや二つ、あるもんだよな。だが、忘れないでくれ。そんなまやかしじゃなく、真実のユーリ姐を理解しているのは俺達だけだと」
「既にそこからして、誤解されていると思うんだけど」
真実の優理とは何なのだろう。
そこが聞きたい優理だ。
「すまない。そんな言い訳をさせるつもりはなかったんだ」
「言い訳じゃなくて、ただの事実だからっ」
どうしてだろう。何だか自分が思い描いていたそれとどんどん離れていく。
(ここはっ、今まで気づかなかった私の可愛さに感動して、恋に落ちる場面じゃないのっ!?)
遥佳だって真琴だって、あんなにも熱愛されているのだ。
人間関係を手抜きして生きている姉妹達よりも数多くの少年達に囲まれている自分は、それならもっと多くの青年や少年から求められることこそ当然であり、真理である。
誰だってそう言うだろう。
いい男は待っていても手に入らない。自分から狩りに出かけて撃ちまくるからゲットできるのだと。
優理は話を戻そうと、ばんっと机を叩いた。
「言っておくけどねっ、私はババアでも若作りでもなくっ、正真正銘のっ、18才だからっ!」
その場に沈黙が満ちた。
まるでそこは私語が許されぬ場所だというかのように。
ただ、その場には沈黙だけがあった。
「だから、・・・わ、分かった? 私、別に・・・」
なんでいきなり静かになるんだろうと、ちょっとドキドキしながら優理はそうまとめようとする。
「ごめん、ユーリさん。そこまでむきにさせる程、俺達、追い詰める気は・・・」
「人の話を聞きなさいよっ!」
優理の堪忍袋の緒は、すぱっと切れた。
一方、キースヘルムが毛色の違う客人達を連れてきたものだから、手下達は怪訝そうな顔になった。
「あのう、ボス。一体、あのご一行さんは・・・」
「いいから案内しとけ。うちの医者ン所へな」
「はあ」
キースヘルムの命令だ。従うしかない。
だが、あまりにも自分達とは相容れない世界に生きている人々のような気がしてならない手下達だ。
ディッパ達パッパルート王国人10人に、ウルティードとエミリールを足して12人。
彼らにはまさに氏素性のしっかりした素人と分かる、そんなピンと背筋の伸びる空気が標準セットされていた。
(なんでこんな奴らがやってくるんだ?)
本来は、
「おい、兄ちゃん。来る場所間違えてんじゃねえよ」と、恫喝する筈が、
「じゃあ、案内しますんで」などと言わなくてはならないとは。何とも不条理な話だ。
けれども仕方なく、自分達が契約している中絶や性病、そして喧嘩等における治療を専門で受け付ける医者の所へと案内し始める。
彼らの顔には、ありありと、
「何をボスはトチ狂ったんだ?」という疑問が大きく書かれていた。
さて。
どうして彼らがキースヘルムの縄張りにある治療所を見学させてもらうことになったか。
それは昨夜、ピザを食べながらドレイクが、
「なあ、キースヘルム。こちらさんはパッパルートでも福祉言うんか? そういった救済ん仕事しとるそうなんや。でな、女やあいつら診る医者んこと知りたい言わはる。お宅はんが抱えとう医者んとこ見せたらんか?」と、言い出したからだ。
「その場でぶっ倒れる貧弱な根性ならどうしようもねえぞ?」
「そこは覚悟しとうやろ。泣いて逃げ出すんやったらそれまでや」
そしてキースヘルムが頷いた、というわけである。
勿論、キースヘルムとて素人集団に土足で踏み込まれたくない気持ちはあった。
(だが、ユーリが動いている。あいつはでかいことと縁がある小娘だ)
どこでそういう人脈を築いてくるのか分からないが、やはり場末の占い師ではあり得ないものが優理にはある。
どんな時でも金を手にしようと思うならタイミングは重要だ。乗り遅れては何も掴めない。
どうせその程度、大した手間でもない。
そう考えるキースヘルムの様子を窺いながら、ドレイクは気づかれぬように小さく笑った。
(乗ると思たわ。いつでもでかい自分を演出する男やからの)
勿論、ドレイクにもギバティールでの馴染みの医者はいる。
だが、自分達のやり方ならもうザンガで見せた。ならばギバティールでは違うやり方を見せた方がいいだろうと思ったのである。
まだ手厚いといわれる自分達のやり方は他所では通じない。それは当たり前だ。よそが抱えている治療所はもっと厳しい。
(それに、うちも思うたより人が少のうなりすぎた。他ん奴と組むか、新しい奴を多めにいれんと)
ドレイクも、キースヘルムなんぞ危なすぎると思わなかったわけではない。同時に排除したところで優理がいる限り絡んでくるだろう。
(気づいとるか、キースヘルム? もうユーリには譲るんが当然になっとう自分を)
自分達もギバティールに戻ってきたら色々と報告を受けたり指示したりすることは山積みだ。ディッパ達や優理に割くだけの余裕は少ない。
ならばキースヘルムを取りこんだ方がいい。
そんな計算があった。
(全くなぁ。俺らは何処へ流れ着くんやろな)
それでも違う朝日を見られるかもしれない。
そう思うだけで心が慰められていく。あの時に見た朝日には失望しかなかったけれど。
だからドレイクはキースヘルムに右手を差し出した。
「なあ、キースヘルム。すぐに返事せぇとは言わへん。けどな、俺らと一緒に河岸変えへんか? 儲けられるたぁ約束でけへんし、後悔させへんとも言えんわ」
それをレイスやファルナー達は黙って見ていた。
その信頼にいつだって応えたいと思うのは、互いに支え合っていることをドレイクが知っているからだ。
「おいおい。そこにどんなメリットがあるよ」
「せやな。せやけどな、・・・そんかし俺らと一緒っつぅ特典があるんやで。どや、凄いやろ」
ドレイクが胸を張る。
さすがに何を言い出したのかと、キースヘルムがその黄緑色の瞳を見開いた。どうやら冗談ではないらしいと知り、思案深げな感情がその瞳に浮かぶ。
「詳しい話ぐらいは聞かせてもらえるんだろうな」
「いや。詳しい話は全くでけへん。信用してもらうしかないっちゅーとこやわ」
ドレイクはその焦げ茶色の瞳でまっすぐキースヘルムを見てきた。
「そんなもんに頷く奴がいるたぁ思えんな」
「せやな」
「だが、・・・その誘いをかけたのは?」
「お前はんが最初や」
ふんと、キースヘルムは鼻で笑ってみせる。
そうしてがしっとドレイクの手を強く握った。
「すぐに返事はできんが、早急に返事できるように努力はしよう。前から思ってたが、お前は人を見る目がある」
最初というのは特別だ、どんな時でも。
だから茶目っ気を見せて片頬で笑えば、にやっとドレイクも笑い返してくる。
「よう言われる」
「ぬかせ」
しかし、キースヘルムとドレイクがそういう真面目な話をしているのに、少し離れた場所のテーブルでは、全くもってふざけた会話が展開されていた。
「責任もって食べなさいよっ」
「冗談じゃねえっ。こんなん暗殺メシじゃねえかっ」
「ティード達が作れって言ったんじゃないっ」
そこで代案を出すのが貧乏国家の王様だ。
「たしかに食事を無駄にするのは良くない。・・・細切れにして、違うピザに少しずつ混ぜたらいけるのではないか?」
「なんだかみみっちさに泣きたくなるようなこと言わないでくださいよ」
護衛のニッカスはちょっと切ない。これでも国王にひもじい思いをさせたことはないつもりだ。
砂漠で食料が限られる時を除いて。
「いや、刻むのはいいアイディアでは? この際だから、それから刻んだアボガドとかと混ぜ合わせてピリ辛なサラダを作ればティードも食べると思うんですよ。ほら、懲りない性格だから」
「あのなぁ、エミリール。誰がそこまでして食うんだよ。結構俺、もう腹にたまってきてっぜ」
喧しい騒ぎはどこまでも脱線していた。
(なんでユーリってのはああなんだろうな。全てにおいてお子様っつーのか)
キースヘルムがそんなことを思えば、周囲の男達も同じことを思っていたらしい。
互いに呆れた顔で苦笑していた。
(ドレイク達はどうも甘ぇところがある。だが、あの空気は嫌いじゃねえ)
そんな昨夜のことを思い出しながら、キースヘルムは動き回っている手下達の様子を眺める。
考えてみれば自分も裸一貫からここまで来たわけだ。
(河岸を変えるなんざ冗談じゃねえ。そうだ、その筈だ。だが・・・)
何かが引っ掛かる。
ドレイクは何を考えているのか。そしてあの根暗男がそれを止めていないことが何を示すのか。
しかも、もしもドレイクの提案に頷いた場合、どちらがどちらの上に立つというのか。
――― 断るべきだ。
そう思いながらも、それを実行できない何かをキースヘルムは感じていた。それは自分の勘という、とても頼りにならないものだ。
けれどもその頼りにならない勘によって、九死に一生を得たこともある。
ドレイクの顔を思い出しながら、やはり聞き出すなら優理からだろうか、それともこの一行の内、まだまともな話ができそうなディッパだろうかと、キースヘルムは考えていた。
ギバティ王国の頂点に君臨する国王ブラージュ。
黒髪に青みがかった灰色の瞳を持つ彼は、何かと胃の痛い日々を送っていた。
今まで貯めてきた分があるとはいえ、財源は有限である。このままではとんでもない借金大国になってしまう。
それについて様々な見直しを命じてはいるが、永続的な効果は薄いと判断せざるを得ない。
「様々な知恵を出し合い、政策を決定せよ。この国の未来が我らの方に掛かっておるのだ。先送りなど許さぬ」
国王の命令を受けてギバティ王城では、今日も高官達が集まり、事態の解決に頭を悩ませていた。
「今まで税を低くできていたのはそれだけ我が国が潤っていたからでございます。ここは他国並みに上げねばなりますまい」
「ですが、いきなりの増税とは反発も大きいことでしょう」
「無い袖は振れぬのです。早急に財源を確保せねばいずれ国が破綻いたします」
「出ていくものを更に抑えればどうにかなりますまいか。増税するにせよ、せめて段階的に上げるなどしてみてはいかがでしょうか」
既に今年は新調せずにリメイクといった形で安くすませた物も多い。だから思ったよりは予算の減りも横ばい状態ながら、いつまでもそんな小手先のやり方は続かないだろう。
「これ以上、抑えることができるのでしょうか。いつまでも去年と同じ物を使ったりといった小細工が続くわけではありますまい」
「その通りです。どうにか根本的な解決をはからねば」
「ならば神殿からも税金をとってはいかがか」
「神殿からっ? そんなことをしては大神殿がだまっておりますまい」
「ですが神殿から税金をとれるようになれば、かなり潤うことでしょう」
「それは、・・・・・・そうでしょうが」
「ですがもしも神殿の反発を招き、この国から出ていかれてしまってはどうなるのですか」
「出ていく? ですが未だに神子姫様は行方知れず。どこに神殿が行くと言うのでしょう」
その場に沈黙が満ちた。
「何でもリヴィール王国の王子が、マーコット様と名乗られる神子姫様と接触したという噂がありましたが」
「それですが、偽者ではありますまいか。神子姫マーコット様は黒髪に焦げ茶色の少年のような少女でいらした筈。ですがリヴィール王国の噂によると金髪に赤茶けた瞳だったとか。ならば騙りでありましょう」
「それは言えますな。リヴィールの国王陛下は熱心な信者でいらっしゃる。それゆえに疑いもしなかったのでありましょう。神子姫様の正確なお姿も知らず、一杯食わされたに違いありますまい」
失笑が室内全体に広がっていく。
「ではミザンガ王国はどうなのでしょう。詳しい事情は分かりませぬが、どうやら神子姫ハールカ様がお姿をおみせになったとか」
「だが、それは確証のない話とも聞いております。ミザンガの王宮は否定しておりますし」
「そのハールカ様はディリライトから連れ攫われたという話ではありませんでしたかな」
「私もそう聞きました」
それはもう古い情報ですなと、何人かがそれを制する。
「いやいや、実はそうではなく、ドモロール国王の退位に関与していたそうですぞ」
「待ってください。それも聞きましたが、ハールカ様はお心も繊細なお優しいお方だった筈。あのような王宮の破壊などはなさいますまい」
「その通りでございますな。グリフォンがしたならばともかく・・・。ま、神子姫様方を知らぬがゆえにどこも騙されたのではありますまいか」
「全くです。そこはやはり知らぬがゆえの詐欺に遭ったということではありませんか」
そういう彼らの中に、一人として神子姫達と会ったことのある人間はいない。
けれども今まで女神に一番近い国の民として生きてきた自負心がそれを言わせる。誰よりも彼女達を理解しているのは自分達なのだと。そうでなくてはおかしいのだと。
数多く出させた報告書に目を通していた彼らは、既に遥佳と真琴のことはかなり見知っている気になっていた。
集まっていた高官の中でも、年老いた男が皮肉のような笑みを漏らす。
「ギバティールの聖神殿でお育ちになった神子姫様方にとってギバティは故郷。どうしてあだやおろそかにお思いになろうか。勿論、不幸な行き違いがあったことは仕方あるまい。だが、神子姫様方はギバティを愛しておられる」
その言葉に、一人がぽんっと膝を打った。
「その通りですな。やはり故郷とは特別なもの。今はまだ拗ねておいでになる神子姫様方もいずれは分かってくださるに違いありません。ギバティ王国は長らく女神様と神子姫様方をお守りしてきた国なのですから」
「その通りでございます。我らがギバティ王国が聖神殿をお守りしていたからこそ、神子姫様方はお健やかにお育ちになれたのではありませんか」
その場に優理、遥佳、真琴がいたら、きょとんとして首を傾げたかもしれない。
何故なら守ってもらうも何も、聖神殿のある山は女神シアラスティネルの力により誰も入ってこられない聖域となっていたのだから。仮にその外でどれ程多くの軍勢が囲もうとも彼女達に傷一つつけることなどできなかっただろう。
更に言うならば、この世界でのことは幼少時のおぼろげな記憶しかない彼女達にとって、故郷はほとんど地球の家だ。
けれどもギバティ王城が調査を命じたドリエータにおける遥佳と真琴の行動は、お育ちのいい子供のものでしかなかった。
買い物に行った先でおまけしてもらえば喜び、お年寄りが荷物をぶちまけてしまえば拾うのを手伝い、家畜と本気で遊んでは笑い転げているような内容を聞けば、誰とて言いくるめるのは簡単だと思ってしまうだろう。
「それは神子姫様が再びお姿をお現しになってからのこと。神殿からの税金はさておき、それ以外の増収を見込めるところはあるまいか」
「金がそれだけ流れるところから取るしかありますまい。・・・歓楽街のそれにも着手してはいかがか」
「だが、・・・ああいう場所は不明なことが多い」
「なればこそ、大金が動いているのではありませんか」
「しかし、自警団ですら踏み込むのを躊躇うことも多いと聞く」
「いえ。いい着眼点に思えます」
また、貴族からの税金も見直すべきではないかとの意見も出た。しかし、それに賛同する声が少なかったのは、誰もが貴族の縁戚にあたるからだ。
ギバティ国王ブラージュとて、王として様々な役割がある。高官達の会議にしても、報告だけを聞くだけのことは多い。
だからその会議には出席しておらず、話の流れを知ることはなかった。
そうして国王ブラージュは彼らの報告を受ける。
「色々と検討した結果、今まで税金をかけていなかったものや優遇してきたそれらを見直そうということで決定いたしました」
「そうか。それしかあるまい。ならばその方向で進めよ」
国王ブラージュも了承して終わった。
聖なる大国ギバティ。
その名に胡坐をかきすぎた選民意識は一朝一夕に消え去るものではなかった。
ギバティールにあるドレイクの建物は、四方を建物に囲まれた造りとなっている。中庭では仲間達が思い思いに寛ぎ、それは外からは決して見えない。
だから遠慮なく武器の手入れもできるし、磨き直しもできる。
夕食を食べに行ったことから知ったその場所を、キースヘルムは目指していた。
何故ならば、そこしかもう優理と接触できる場所が今はないからだ。
キースヘルムとて鈍間ではない。
情報を仕入れようと、ディッパにも話しかけてはみた。
「ははは。俺には全然分からないなぁ。ドレイク殿はミザンガに行って紹介されたんだが、なかなかいいお人だ。キースヘルム殿もいいお人だなっ」
ばんばんと肩を叩かれ、のらりくらりとはぐらかされたキースヘルムだ。若くても一国の王だけあって、ディッパは誤魔化すことにも慣れている。
諦めて、キースヘルムは優理に情報源を切り替えようとした。
しかし優理は優理だった。早速、少年達と一緒に商売に励んでいた。
「いらっしゃいませぇ。とぉっても可愛らしい小瓶に質のいい香水が入荷してまぁす。あ、香りの見本はこちらでぇす」
可愛らしいおねだりポーズでキースヘルムに買わせた精油を薄めてブレンドし、それぞれの香りに、「彼の心がきゅんとしちゃう」「幸せな夢をあなたに」などとキャッチコピーまでつけてあるのだから、優理の商売っ気は衰えていない。
尚、そのキャッチコピーは少年達が考えたものだ。
それだけなら、「けっ、また子供だましなことを」と、言っていられたのだが、今回は資本力が違った為、優理はかなりデザイン性のある小瓶を多く買ってきていた。しかも、ギバティールではまず見ないデザインを中心に。
可愛らしいけれど安物の小瓶は若い娘さん用に。そしてお財布に余裕のある大人の女性には高い小瓶を。
香りも爽やかさを重視したグリーンノート、素朴さを重視したハーブテイスト、甘さを前面に押し出したローズ系、妖艶さを感じさせる甘く複雑な香りと、優理はドレイクやディッパ達、そしてエミリールとウルティードの鼻を使い物にならなくさせてまで感想を聞きながら、上手に組み合わせた。
その香りも高級タイプ、廉価タイプなど、それぞれに幾つかあるわけだから、高い小瓶に安い香り、安い小瓶に高い香りと、組み合わせるのも客の楽しみだ。
少年達もその小分けを手伝わされ、そうして売り子として忙しく立ち働いていた。
「これ、可愛い」
「この小瓶も素敵。小瓶だけでも買えるの?」
「あ、すみませーん。それ、この香水用に仕入れてきたものなんです。香水も量り売りですから、良かったら買っていってくださぁい。売り切れ御免なんですぅ」
そうなると今あるだけの小瓶と香水が売れたら終わりである。
そうと知って、どれにしようと悩み始める乙女の可愛らしさも少年達にとっては目の保養だが、娘や妹の話を聞いて訪れた女性も、思ったより質がいいことを確認し、購入を迷い始める。
どの香りもとても魅力的だからだ。
「あら、キース。ごめんね、今、忙しいの」
「あ、ああ」
少年達ですら、せっせと売れる度に補充し、そしてまだ空の小瓶があれば、
「私、その緑色の小瓶にこの香りを入れてほしいわ」
「はいっ。緑の瓶にセクシーナイトですねっ」
「あら。私はこっちの桃色の小瓶にこの香りね」
「えーと、ピンクの瓶にスウィートローズですね。わっかりましたぁ」
などと、その指定された小瓶に香水を入れる作業で忙しい。優理だって忙しい。
「いらっしゃいませぇ。この可愛らしい小瓶と香り、いかがでしょう」
何故ならこの香水が売り切れたら、今度は違う小物を売るのだから。
(そんなもんより俺の話を聞きやがれ)
キースヘルムだってそう思わなかったわけではない。けれどもそこは、そんなことを言えない雰囲気があった。
「どいてよ、お兄さんっ。早い物勝ちなんだからっ」
「お、おう」
「そうよっ。私だってそっちの紫の小瓶欲しいんだからっ」
「あ、すまん」
狭い店内に女性がひしめき合っているのだ。
いい精油を使い、優理が作りあげた香水は出来がかなり良い。
昨日買って帰って使ってみたらとても良かったものだから今日も買いに来るといった感じで、客が押し寄せているのだ。
「ま、また来らぁ」
「あら、こちらの香りは男性につけてもいいんですよ。レモンの爽やかさがあってクールでしょう?」
キースヘルムの言葉も優理には届かない。せっせと売り子さんをしている。
(しょうがねえ。夜はドレイクんとこに戻るんだし、その時を狙うか)
そうなるとドレイクやレイスもいるのだが、仕方がなかった。
何故なら昨日、優理が店じまいする頃を見計らってやってきたというのに、同じようにディッパやエミリールやウルティード達が迎えに来ていたのだ。
それこそ、彼らは少年達ともすぐ打ち解けていた。
「この市場の入り口から三つ目の角を左に曲がった肉屋ってばよ、なかなかいいハム売ってたんだ。そこでパンに挟んであるのが美味いのなんの。あ、だからみんなに差し入れな。けど、お宅らもよくユーリに付き合ってこんだけ売れるな、感心するわ」
ウルティードは、働く少年達を一度見てから、ディッパと共に買いに行ったのである。
「お疲れ様。ガロンで買ってきたよ、アップルサイダー」
ディッパとニッカスがいるならウルティードも大丈夫だろうと、エミリールは飲み物買い出し担当だ。
「ふむ。朝にはあれ程積み上げてあったのに。やはり売り方が上手いのだな」
ディッパはそこにも感心していた。
「おや、キースヘルムさんじゃありませんか。ユーリさんのお手伝いですか? あ、夕食に障りがない程度の差し入れを買ってきたんです。どうですか?」
「いや。気にしないでくれ、ニッカス殿。俺もまだ用事があるんで」
「あら、キース。帰っちゃうの? アップルサイダー、美味しいわよ」
「気にすんな、ユーリ。まだ仕事が残っててな」
あんな元気な奴らを相手にどう対応しろというのか。
しかも十代の少年達と一緒に、ハムを挟んだパンをアップルサイダーで食べろというのか。
――― このキースヘルムにっ!
レイスやカイネなら同業者ならではの呼吸もあるが、完全な素人の彼らにそれは通じない。
ディッパや優理から話を聞きだすことを諦め、キースヘルムはとぼとぼと退却するしかなかった。
そう、逃げたのではない。戦略的撤退だ。
(ふっ、俺は心の広い男だからな)
あくまでキースヘルムは負けず嫌いだった。
そうして日中にやってくれば、かつては閑古鳥を鳴かせていた店内は、押すな押すなの混み具合。
(仕方ねえ。まさか蹴散らすわけにもいかん)
諦めてキースヘルムは、ドレイクの持ち物である建物へ、夜行くことにするしかなかった。
(何だかなぁ。このキースヘルム様も落ちぶれたもんだぜ)
顎一つをクイッと動かして呼びつければ誰もが即座にやってきたものを。
どうしてあの小娘が絡むことはうまくいかないのか。
けれどもどこか、何かに餓えていたような心が宥められていることにキースヘルムは気づいていた。




