108 三人は18の誕生日を迎えた
その日は、カイトが大きな船を借りてきた。
ロードニア島で借りた別荘。その前にある岸に繋がれた船に乗りこみ、ちょっとおめかしした真琴は船内を歩きながら目を丸くする。
「なんか小綺麗な船だね、カイト。普通、こういう所って漁船とかしかおいてないんじゃないの?」
「あのイアトン王子の為にキマリー国が用意していた船らしい。要は、海に船を出すかもしれないと思ったんだろうな。だが、あの大騒ぎでそのまま使われることなく本土に返還するそうで、担当者が特別に貸し出ししてくれた」
「へぇ。やっぱり王子様って色々としてもらえるもんなんだねー」
海賊退治の立役者であるばかりか、イアトンとも友情を築いていたのが良かったのだろう。かなり格安で貸し出してくれた遊覧船は、過ごしやすさを重視した造りだ。
旅客船と違い、パーティもできる大広間。甲板にはゆったりと寛いで景色を眺めたり昼寝したりできるような、頭のてっぺんから足先まで体を預けてのんびりできる大きな椅子などが設置されていた。
一応、寝台などが設置された客室もあることにはあるが、まさに寝台だけしか入っていない。旅する為の船ではなく、舟遊びをする為だけの船だからだろう。
「外輪用の石炭も積まれちゃいるんだが。動かすのは風の妖精が協力してくれるんだよな?」
「うん。だから石炭、いらないんじゃないかなぁ」
「そこは私にもお任せくださいなっ。シルフばかりではございませんっ。このウンディーネもついておりますっ」
真琴の首に提げられた小瓶の中には小さな女の子が水と共に入っている。彼女はどんと胸を叩いて請け負った。
「それはありがたいんだけど、一人なんだもん。あまり無理しないでね」
「無理だなんて。水とは私達そのもの。水ある場所において、私達は無敵なのです。姫様にはどんな危険も近寄らせません」
「さっすがぁ」
そんな彼女は、海を彷徨ってこの島に辿りついた迷子の水の妖精だ。
(無敵な人間が迷子になるのか? いや、人間じゃないが)
カイトは話半分に聞いておこうと思い、つい石炭のチェックを始めてしまう。
そこへラーナとリリアンが、果物の入ったバスケットやケーキなどを持ってやってきた。
「マーコット。どのお部屋にします? それともお外の方がいいかしら。ですが海の上ですもの。デッキだと眩しすぎるかもしれませんし、お部屋の方がいいかもしれませんわね」
「ふふ。楽しみにしていてくださいね、マーコット。ミザンガのお菓子も買ってきておりますのよ」
「一番広いお部屋がいいなっ。そしたらラーナ達もドラゴンの姿に戻って気楽に参加できるかもしれないし。やっぱりのびのびしたいよねっ」
「ちょっと待て、マコト。さすがにドラゴンが三人、ペガサスが二人となったら、座れる椅子がないだろがっ」
冗談ではないと、カイトが常識的な意見でもって阻止する。
(椅子はどけりゃいいだけだが、ヘタに動かれて備品を壊されたら弁償もんじゃねえか)
彼は慌てて話を強引に変えた。
「そう言えば、ルーシー殿達は?」
「ルーシーは沖の周囲を先に見回りに行きましたの。ガーネットとサフィルスはデッキで炭火焼できるよう金網などを設置していますわ。もう厨房に食材は運んでありますし、こうして最後に今、お菓子を持ってきましたの」
「それはまた早いですね」
微笑むリリアンだが、カイトは他の言葉を見つけられなかった。
借りてきた船をここに係留させたのは先程のことだ。そうして真琴を探しに行き、内部を見せていたというのに。
(いつの間にそこまで乗り込んでたんだ?)
その気持ちが表情に出ていたのか、くすっとラーナが笑う。
「全て用意してありましたもの。ドラゴンに戻って全部を一度にデッキへ運べば、後は定位置に仕舞うだけです」
「なるほど、仕事が早い」
ならばもう出発できるということだ。
「じゃあマコト。シルフ達に頼んでくれるか? そしてウンディーネは、・・・海に入った方がいいのか? 小瓶の中でいいのか?」
「どちらでも構いませんわ。姫様の為なら、この私、海水全てを姫様の為に協力させてみせましょう」
「そうか」
何をどう協力するのだろうと思いながら、まあいいかと、カイトは全ての疑問を呑み込んだ。
(全ての平和は沈黙によって成り立つもんだ。航路の海面近くの水だけでいいってのに、なんで全ての海水ってことになるんだか)
鋭い牙と容赦ない爪と苛烈な性格を持つ姉妹を持っているカイトは、処世術として女性の集団に対しては逆らわずにすませることを既にマスターしている獣人だった。
沖に出た人目のない場所で、真琴の18才の誕生日パーティは行われた。
主役なので、真琴の黄金の巻き毛はルーシーとガーネットがセットしてくれた。頭の左上側で全部をひとまとめにしてから、下へと垂らしているのだが、幾つかの編みこみが混ぜられていて、あまり広がりすぎないようになっている。
その髪のあちこちに飾られているのは、サフィルスの選んだ花々だった。
キマリー国で買ってきた白いレースのついた白いブラウスに、ドモロール王国で買った臙脂色の上着とロングスカート。ミザンガ王国で買った金ボタンは、どれもドラゴン族であるリリアンの見立てだ。
「人間だと18才が成人のお祝いだったんだよな。マジュネルだと12才ぐらいなんだが。そういう時、こうしてその子が女の子なら花を贈るんだ」
少し上質な普段着といったカイトだが、真琴の服に合わせてえんじ色のタイをつけていた。尚、そのタイを買ってきたのはリリアンである。
水の妖精に頼んでおいたからか、花束はみずみずしい状態を保っていた。
「ありがとう、カイト。・・・だけど持ちきれないよ」
それこそ抱えたら顔が見えなくなるぐらいの大きな花束だ。茎の花もあれば、枝についた花も混じっている。普通の人間では絶対によろけて落っことす大きさだった。
白い小さな花、ピンクの可愛らしい花、少し大人っぽい水色の花、鮮やかな橙色の花、艶やかな赤い色の花、しかもさりげなく小さな赤い果実がついた枝も混じっている。
だからだろう。それはきちんと編んだ籠の中に入った状態で渡された。
「別に持つ必要はない。花があれば花、無ければ果実、それもなければ綺麗な布を沢山。成人する子はみんなに祝福されて贈り物をされる。そうしてもらった贈り物をみんなにも少しずつ分けて、大人になることを知るんだ。今まで色々な物を与えられていた子供から、みんなにも何かを与えることができる大人の仲間入りをするわけだな。だからその花はみんなに少しずつ分けてあげればいいんだ」
カイトもドラゴンやペガサスがどんな花を好むのかなど分からない。
ゆえにカイトはジャンル無視で、大きな籠に全て盛ってもらったのだ。小さな果実は真琴の摘まみ食い用である。
「そっかぁ。じゃあ戻ったら、みんなのお部屋に私が花瓶に入れて持っていってあげるねっ」
真琴は張りきった。
(いや。別にそこらに置いておいて、『勝手に持って帰れ』でいいんだが)
カイトはそう出しかけた言葉を飲み込む。
色々な花が混じっているものだから、皆のイメージに合わせて選ぼうとしている真琴が楽しそうだったし、そこでつまらない水を差すのも憚られた。
お祝いをしてもらうといった概念が希薄だったサフィルスが、そこで首を傾げる。自分達だと、特に何を贈るということはしないからだ。
「へぇ。マジュネルだとそういうものなのね。私達だと、成人の祭りって一年に一回、全員まとめてやっちゃうのよ。種族ごとで違いはあるけど、ペガサスはそんな感じ。お誕生日は家族や親友や恋人同士なら特別にすることもあるけど、あまり気にしてないかしら。ね、ガーネット?」
「そうね。お誕生日のお祝いも成人の祭りでまとめてしまうものね。そうして成人を迎えた皆は、特別に朝までお祝いでご馳走を食べ、騒ぎ、走ったり、飛んだりして、・・・・・・楽しむのですわ」
何故か最後の言葉は視線を逸らしたガーネットだ。
「ペガサスはそうなのね」
するとルーシーが、興味深げな光を瞳に浮かべる。ゲヨネル大陸は種族間での差も大きい。
「私達ドラゴンは適当なペースで長老が成人の儀式を行いますけど、それを迎えるドラゴンは毎回それぞれですわ。個体差もある上、色々と諸事情が・・・。成長が早いドラゴンだと十年ちょっとで成人の儀式を迎えて、のんびりさんだと数十年たってからでしょうか」
「のんびりすぎない、それ?」
ルーシーの語るドラゴン成人年齢に真琴も目を丸くする。人間だと成人どころか、還暦を迎えていそうだ。
すると、リリアンが楽しげに笑う。
「ルーシーは早かったものね。私とルーシー、同じ時期に孵化したけれど、ルーシーは8年位前に成人して、私は去年だったかしら」
「あなたはのんびりすぎるのよ、リリアン」
「いいじゃないの。急いでも急がなくても何も変わらないわ」
けれどもリリアンとルーシーは同い年ぐらいにしか見えないわけで、その成人の儀式を迎えるタイミングをどう判断しているのか、そこが不明なカイトと真琴だ。
「ねえ、ラーナ。ラーナはいつ迎えたの? そのドラゴンの成人する基準ってなぁに?」
「私ですか? 私は9年位前でしたかしら。その成人する基準というより、私達の場合、成人の儀を長老が行うことが色々と影響するのですわ」
「? ごめん、意味が分かんない」
「要は、私達の場合は特にお祝いとかお祭り騒ぎをするわけではなく、単に長老が行う儀式あるのみ、なのです。ですから・・・」
どこか言いにくそうなラーナの言葉をリリアンが引き取った。
「その年の長老のタイプで、私達も成人するかどうかが左右されるのよ。だって成人の儀式だって長いとか、短いとか、つまらないとか、面白いとか、色々でしょう?」
いつも柔らかく微笑んでいるリリアンだが、もしかしたら一番要領がいいのかもしれないと、カイトは思う。
するとルーシーが、パチンと片目をつむってみせた。
いつもは少し真面目な空気が漂う彼女だが、今日はちょっと開放的になっているようだ。
「リリアンはそういうところが我が儘なんですの。ラーナはそれなりに可愛がってくださっていた方が長老だった時に、私は厳格で知られる方が長老をしていた時に、そしてリリアンはのんびりした話の分かる方が長老だった時に成人の儀を迎えたのです」
「毎年ドラゴンの長老って違うの?」
そこも疑問な真琴だ。
普通、長老とは一番年長の人がなるものではないだろうか? それとも毎年、長老がご臨終していたのだろうか。
「長老も名誉職と言いますか、雑用係と言いますか、・・・毎年押し付け合って決められるのです」
「なるほどー」
基本的にドラゴンは空も飛べるし、力も強い。
だから何か困った時などに駆り出されたり頼み込まれたりするそうだ。
それらの調整を上手く取り持たなくてはならない為、長老とは血気盛んな若いドラゴンを追いかけまわして言うことを聞かせる必要が出てくるのだとか。
「大変な力仕事なんだね」
どこか同情するような口調で真琴は呟いた。
きっとドラゴンの長老とは、幼稚園の保母さんみたいな人じゃないとなれないのだろう。
「つまり体力勝負なんだな」
どこか疲れたような表情でカイトが呟いた。
きっとドラゴンの長老とは、最年長ではなく監督者として押しつけられる役職名なのだろう。
「そうですわね。だから成人の儀も、ちょうどそこにいたら、
『お前、そろそろ成人しとけ。今から成人の儀をしてやるから』といった感じでしょうか。とても立派そうなことを聞かされて、そうして成人したことになるのです」
「ねえ、ルーシー。それって、つまり・・・」
「ええ。ラーナも私も、ちょうどそこで人手が足りなくてバタバタしていた時に行きあってしまって、そうして人手が足りないけれど子供ドラゴンだと聞こえが悪いからと、そんな理由で成人の儀を迎えたのです。そういうことがなければ、普通に私達も長老の演説の長さを比べたりして成人する年を選ぶのですけど」
大人しいリリアンは住処でいることが多かったので、それを免れていただけらしい。
「ということは、私もドラゴンに生まれていたら、とっくの昔に野原で出会った長老ドラゴンにより成人させられていた、と。なるほどなるほど」
ドラゴンもかっこいいよねと、そう思って頷く真琴だが、そこで皆は顔を見合わせる。
「それでも最低限のそれは見極めますからどうでしょう」
控え目にルーシーが言ったのは、ドラゴン族は何かと頼みこまれる種族だからだ。
つまり、遊んでばかりのお子様では何も片付かない。
「大人ドラゴンは何かと作業を押しつけられるものですから」
リリアンも、言外に成人してもいいことは何もないのだと、さりげなく真琴の意識修正を図った。
間違ってもドラゴンに変身してドラゴンの里に紛れこむようなことをされてはたまらない。
「マーコットは可愛らしいですから長老も成人の儀を伸ばしそうですわね」
恐らくは戦力外通知を出されるであろう真琴がショックを受けないようにと、ラーナは伏線を張ってみた。
「あら、マーコット。そんなドラゴンよりペガサスの方がいいわよ。だってみんな一緒に成人のお祝いだもの。とっても元気で楽しいの。集団お見合い結婚も兼ねてるから、一気に宴会だしねっ。マーコットだったらもうみんなが求婚しまくりよっ」
「サフィルスッ。・・・すみません、カイトさん」
小さくガーネットが叱りつけて、すまなさそうな顔になる。
「いえ。成人については色々と違いがあるとして、肝心の人間の成人なんてほとんどあるんだか無いんだかでしょう。それに体は大人になってもマコトはマコトですしね。・・・後で釣りもしようか、マコト。ここならお前でも居眠りしないだろ」
「うんっ。・・・釣れるかなぁ」
「これだけ沖だし、魚群だっているかもな。それにお前が間違って落っこちそうになっても、誰かが空を飛んで助けてくれるだろう」
「夜になって灯りをつけたらイカも寄ってきそうだねっ」
真琴から目を離すつもりはないのだが、操船に関してはカイトしかマスターしていないので仕方ない。
そのカイトの提案は、釣りをしようとして釣竿を持ち続けている時間に耐えられなくなった真琴が海に飛びこんだことで意味がなくなった。
カイトに可愛いと思われたい真琴だが、その膝の上で甘えているのならばともかく、ただ座って釣竿を持っているだけなんて、すぐに飽きる。
カイトのように弛まず倦まず釣り糸を投げ入れてはその少しの反応で魚の食いつきを知ろうとする時間など、真琴に我慢できる筈がなかった。
(いや。俺もこれは十分に予想していた。ドラゴンがいてウンディーネがいるんだからな)
だが、彼女らはきっと釣りというものの本質を見失っているだろう。
そうだ、彼女達は忘れている。自分達は、別に魚を獲らなくてはいけない食糧難に見舞われているわけでも何でもないってことを。
広く深い青海から、とても大きなのっぺらぼうの海坊主が姿を現していた。それはウンディーネの仕業だ。その透明感を湛えた海坊主の中には魚が見えていて、それを狙ってシュタッと貫通したドラゴンが魚を銜えてデッキに戻ってくる。
釣りという、あくまでその時間、自分と向き合い、魚と向き合う一対一のそれを、真琴に理解してもらうこと自体が無謀だったのかもしれない。
ドラゴンに至っては、すっぱりと結果に向かって一直線だ。
(だが、この量の魚をどうしろと言うんだ。限度があるだろう、限度が。しかしドラゴンの鱗ってのは光の加減であそこまで色が違って見えるのか)
青みを帯びた黒紫色のドラゴンばかりではなく、それに金を帯びた銀色のドラゴンまで参加しているとなれば・・・。
せめて小魚だけであってくれれば干物にもできたものを、段々とヒートアップしてきて、今や大きな魚が沢山びちびちと甲板で跳ねている。
「大丈夫ですわ。多すぎたらそのまま市場に持っていって売りますから」
「お願いします」
慰めるかのように、ガーネットがその魚達を見下ろしながらカイトに声をかけてきた。サフィルスは自分もその海坊主に突っ込んではみたものの、自慢の白い翼がびしょ濡れになったので閉口したらしい。
『やっぱりやーめた』
そう言って、今度はのんびり甲板にある大きな椅子に寝転がりながら有閑マダムの如く飲み物片手に寛いでいる。
「きっと一種の飛行訓練みたいな気分になっちゃってるんでしょうね。ドラゴン族って、何かあったら駆けつけて、みんなのご飯の調達もしてあげたりするものですから」
「虎も、・・・たまに何かを追いかけはじめてそうなることがあります」
はあぁっと溜め息をつきながら、カイトは自分の思いを理解してくれているであろうガーネットと目を見交わして苦笑した。
ミザンガ王国からパッパルート王国内にある守り人の通路を経由し、ゲヨネル大陸へ戻ってきた遥佳達だ。
遥佳はドラゴンやペガサスに乗せてもらっていたので、ヴィゴラスはずっと荷物持ちをさせられてしまった。
湖の傍にある家に戻ってきて、荷ほどきをリリアン、ガーネット、サフィルスが手伝ってくれた間も、遥佳はヴィゴラスと口を利かなかった。おかげで三人がジンネル大陸にいる真琴のところへ戻ってしまった今、本気で気まずい。
こうして三人でお茶を飲んでいても、遥佳はさっさと自分のティーカップを持って、テーブルのない一人掛けソファの所へ行ってしまうときたものだ。
ヴィゴラスは、とても悲しい。
「何故、俺はここまでハルカに無視されるのだろう」
「お前が悪いんだろ。何をしたか知らんが、さっさと謝って来い」
ヴィゴラスと同じテーブルについているイスマルクは、基本的かつ常識的な解決法を提示した。
(また何をやらかしたんだ、このトリ犬は。まさかと思うが入浴してるところに乱入したんじゃあるまいな)
そんな愚かな幻獣でも、遥佳はちゃんとヴィゴラスの為にご飯も用意してくれているし、こうやってお茶も出してくれる。後はきちんと謝ってしまえば遥佳も許すだろう。
イスマルクによる真っ当なアドバイスだが、ヴィゴラスにとっては不本意だったらしい。唇を尖らせて反論した。
「謝ったら二度とやるなと言われてしまうではないか」
「やるのかよっ!」
やはりこのグリフォンを迎えに行ったのは間違いだったのではないか、あのまま異国の地で朽ち果ててもらうべきだったのではないかと、イスマルクは思う。
しかも図々しくまたやるつもりとは、どこまで反省のないトリ頭なのか。
「で、何やって怒らせたんだ? お前はいい加減、自分が非常識だってことを自覚しろっ」
小さく怒鳴りつければ、ヴィゴラスは落ちこみ始めた。
「何故なのだ。やはり俺なのがいけなかったのか。お前にやらせるべきだったのか」
「だから何をだ?」
苦悩の光がその黄緑色の瞳に浮かんで、狂おしげにイスマルクを見つめてくる。
「だが、俺には・・・っ。しかしイスマルクならばハルカも良かったというのかっ」
「だから何をだ? と、そう言っている。何をやったのか白状しろ。遠慮なく罵倒してやるから」
イスマルクが促せば、ヴィゴラスはまさに取調室で打ち明け始める小悪党のような哀れさを漂わせた。
「実はあの晩、ハルカは・・・」
「ヴィゴラスッ!」
仁王立ちになった遥佳が、頬を真っ赤にして叫ぶ。
すると、嬉しそうにヴィゴラスが立ち上がった。
「やっと俺を見てくれた。やっぱりハルカの瞳は愛らしい。まっすぐ俺を見てくる時が最高だ」
次の瞬間には遥佳の前に移動しているヴィゴラスは、幸せの意味を間違えない。自分の幸せがどこにあるかを、ちゃんと知っている。
「そうじゃないでしょっ。何を言うつもりだったのっ」
「だからあの晩、ハルカは誰でもいいか・・・」
「黙りなさいっ!」
ふるふると涙を浮かべて睨みつける遥佳を、ヴィゴラスは褐色の腕でそっと抱きしめた。
(あなた、まさか私が泣いてたこととか、全部言う気じゃないでしょうねっ!?)
それがあり得るところがヴィゴラスだ。
遥佳にしてみれば、心細さと恐ろしさに縋りついて泣く自分を、ヴィゴラスはご機嫌でキスして撫でてあやしていたわけだから、まさに今までの関係が逆転現象すぎて受け入れたくない。
まるでむずがる赤ん坊をあやすかのように、ヴィゴラスは遠慮なく抱きしめて何度もキスしてきた。
「ハルカは意地悪だ。何を言うつもりかと問いながら、俺が答えようとすると止めるのだから」
「ヴィゴラスッ!」
ちょっと恨めしそうに詰りながらも、ヴィゴラスはすりすりと遥佳の頭に恍惚の表情で頬ずりしている。
「だけどそんなところも可愛い。やっぱりハルカが一番だ」
「なあ、ヴィゴラス。お前なあ、ちゃんと人の気持ちを察しようという努力をたまにはしてみたらどうなんだ? ハールカの顔を見てみろ。どう見ても怒ってるだろ。怒ってる人間相手に可愛いも何もないだろ? お前、それをユーリ様に特訓させられに行ったんじゃなかったのか? 修行とやらはどうなった」
二人の間にはどうしようもない温度差があると、イスマルクは思った。
「怒られるのは嫌だが、ハルカは怒っていても可愛いのだから仕方ない」
「おい、ヴィゴラス。家出してまで学びに行ったものはどうなったんだ? よく思い出せ」
しょうもないなと、イスマルクが空になったカップを指でくるくるさせながら問う。
「シルバータイガーの失敗に学ぶなら、俺は遠慮が過ぎたということだ」
「いつお前が遠慮なんてしたよっ!?」
イスマルクだって愕然としてしまうものだろう。
(ああ、もうどうすればいいのかしら。ヴィゴラス、私のこと好きすぎて、自分のハッピー気分で舞い上がっちゃってる)
当たり前のように遥佳を抱きしめてくるヴィゴラスは、遥佳が無視しようが何しようが、その心を変えない幻獣だ。常に遥佳を好きでい続ける。
だから許してしまうのだろう。
「大体なぁ、お前はハールカにフラれて家出したってことをよぉく思い出せ。普通は潔く諦めて、もう遠くから眺めとく程度に留めとくもんだぞ」
イスマルクがそこを指摘すれば、ヴィゴラスは当然のように言った。
「遠くから見ているだけでは触れないだろう。愚かな奴だ」
「触るな、変態っ」
さわさわと、遥佳の黒髪をヴィゴラスの手が撫でていく。
「それにキスだってできないではないか。せっかく人の形になっているのに」
「するな、変質者っ」
遥佳の頭に触れるだけのキスが落とされる。
どうすればいいのだろうと、遥佳は思わずにいられない。
(だけどこの変わらない愛情に、・・・私こそがヴィゴラスを手放せないんだわ)
だけど一度、セクハラはよくないことを教え込まねばならない気もする。
もしかしてドラゴンとペガサスにはまだ一緒にいてもらい、ヴィゴラスを教育してもらうべきだっただろうかと、今になって遥佳は後悔していた。
ミザンガ王国の第三王子ゲオナルドが遥佳達を訪ねて行けば、その屋敷は無人だった。
(そっか。まあ、そりゃ立ち去るよな。俺にこの居場所がバレたなら。悪いことしちまったな。せっかく遊びに来てたっつーのに)
両親や兄達から寄ってたかって、再度お招きし直してきちんとおもてなししろと、そう責められたのだが、こうなっては仕方あるまい。
(ちゃんと礼ぐらい言っておきたかったんだが仕方ねえ。どこにいるかも分からねえしな)
これでも感謝しているのだ。もしかしたら会って招いても断られるかもしれないと思い、その時の為にと贈り物を持ってきたのだが、渡す相手はもういない。
(いつかまたやってくるかもしれねえしな。これはその時に使ってくれや)
ゲオナルドはそれを屋敷の門の内側、それこそ小さな物を置ける棚の中に置いて立ち去る。
感謝の気持ちを表そうと彼なりに悩み、遥佳にとって一番役立つであろうものを吟味したつもりだ。
持ち帰るのは、あまりにも虚しすぎた。
寂寥感はあったが、それこそが人の手の届かぬ女神の姫君に相応しいのだと、そう思いながら。
その日、変な顔をしてカイネが綺麗な紙と布に包まれた物を持って帰ってきた。
「なあ、ユーリちゃん。あっちの屋敷にな、こんなのが置かれてたんだが」
「え? なあに?」
ディッパ達が戻ってくるまでは広い屋敷は疲れるだけだからと、レイスの持ち物である小さな家の方に戻っていた優理だ。
渡されたそれを見れば、綺麗なメモ紙もついていた。
『親愛なるハールカ様
感謝のしるしです。どうぞお受け取りを。 ゲオナルド』
見上げれば、カイネも複雑そうな表情だ。
お受け取りも何も、遥佳はもういないのだから、宛て先不明な小包である。
「なんや。お、見慣れた筆跡やな。そらそうや。俺が真似したったやっちゃ」
ドレイクが、そんなことをのたまう。
「一人でつっこんでてつまらなくないか、ドレイク?」
「レイス、やってくれへんやん」
それはともかくとして、これをどうすればいいのだろう。
四人は、うーんと小さく唸った。
「もういないもの。私がもらってもいいわよね。何かしら、王子様がくれたものならとっても高いものよね。どんな高級品かしら、うふふふふ」
「なあ、何でんかんでん金に換算すんのって寂しいこっちゃで」
「高い物って素敵よね。タダでもらえたなら最高よ」
うきうきした様子で、遥佳がその薄布を解き、その内側の綺麗な模様が描かれた包み紙も広げる。
そうして現れたのは・・・。
「何、これ?」
「ユーリ、それは下着だな。要は、胸と腰と尻に当てるものだが」
見知っていたレイスが冷静に説明する。
そう、それは今、巷で流行している胸が大きくなり、腰がキュッと締まり、お尻が大きくなるという噂の下着だった。
はらりとメモ紙が落ちる。
『これで貧乳に悩んでいた女官も一気に爆裂乳になったそうだ。今や、ミツバチのようだとまで言われている。どうか役立ててほしい』
三人の男達はそっと視線をずらした。
こんな下着如きで赤くなる程の初心さはないが、それでも遥佳がこれを受け取らなくて良かったと思う。
やはり同じ顔でも優理と違って遥佳はとても繊細に思えたからだ。
ぽんと、ドレイクが優理の肩を叩いた。
「ええやないか。役立てぇや。なかなか高いんやで、それ」
「えーっと、たしか普通の男の一ヶ月の稼ぎが消えるとかいう噂だったな、それ一つで。何でも細分化された構成が胸や尻を引き上げて、色っぽい形に持っていくとかいう話だったぞ、ユーリちゃん」
「使っても無駄だとは思うが、努力は大事かもしれんな、ユーリ」
「・・・・・・王子に生まれてどんな贈り物センスなのよ」
優理はその紙を包み直し、ぐいっとレイスに押しつけた。
「買い取って」
「・・・こういう物は扱ってないんだが」
しかし、優理は力をこめた発音で再び言った。
「買い取って!」
「・・・しょうがないな」
ゲオナルドが心をこめて悩み、選びに選んだ贈り物は、そうしてレイスに買い取られた。
その後、下着がどこに行ったかというと・・・。
「いやぁん、こんな高いの、本当にいいのぉ? もうっ、これで私も更にナイスバディーん。もっともっと悩殺させちゃうわぁ」
「頑張ってくれ。あの客はかなり金を落としてくれる。一組しか手に入らなかったんだが、それならお前にと思ってな」
「任せてっ。アルマン様はどこまでも私のト・リ・コ」
「ああ。期待している」
誰にでも裏の顔はあるものだ。
堅苦しいことで有名なミザンガ王国第二王子アルマンだが、実は彼の密かなストレス発散は、とあるいかがわしいお店のモリーちゃんだ。
アルマン本人は変装しているので身元はばれていないと、思いこんでいる。
だが、レイス達が経営しているその風俗店は、チープに見せかけて壁の厚みも、他の客とかち合わせない造りも、実はそれなりに金をかけてあったりした。おバカっぽい扇情的な衣装にしても、下品な化粧にしても、頭の悪そうな会話に至るまで、全ては高給に支えられた彼女達の自己演出だ。
勿論、アルマンに相応しく堅苦しい王子妃とはうまくやっているが、たまにこうして奔放で頭の悪そうなモリーと馬鹿なことを鼻の下を伸ばしながらでれでれと楽しむのがいい。
「おお、モリーちゃん。君はなんて素敵なんだ」
「うふふふふ、アリーちゃんたらぁ。ねーえん、このお尻もいいと思わなぁい?」
「ああ、至福の触り心地・・・」
そうやって普段の自分ではあり得ないぐらいに乱れ、淫らでいかがわしい世界を堪能し、場末の店にそんな自分を置いてくる。
そうして彼はまた、第二王子として堅苦しく生きていけるのである。
「ゲオナルドッ、またチーフが歪んでいるではないかっ。どうしてお前は妃殿が戻ってきてくれたというのに反省がないのだっ」
「兄上っ、いえ、その・・・。申し訳ありません、すぐ直します」
なんだか最近、更に兄上のチェックが厳しいんだよなぁ、何なんだろなぁと、そうぼやくゲオナルドは知らない。
その元気の源を作ったのが、自分が神子姫に贈った高級下着にあることを。
貧乳に悩んでいた女官が爆裂乳になったという下着は、もともとセクシーだったモリーちゃんを、セクシークイーンに押し上げたのだ。
ほほほほほと、笑いが止まらないモリーちゃんは一層アルマンに露骨なサービスをし、アルマンは更に元気になっていた。
そうして第三王子ゲオナルドが棟に戻れば、パパ大好きな幼児が駆け寄ってくる。
「おとーさまぁ。ドラゴンして」
「へいへい。ほぉら、ドラゴンだぞぉ」
かつてお馬さんを喜んだ子供は、もう馬では駄目らしい。ドラゴンがお気に入りなのだ。
背中にルドルフをおんぶして走り回れば、きゃはははと両手をあげて喜ぶ姿は可愛らしいのだが、いかんせん疲れる。
ドラゴンが飼いたいとは、子供とはなんて無茶な要求の多い生き物なのだろう。
「あの、ゲオナルド様。どうなさいましたの? なんだかお疲れですわ」
「ああ、ルディー。お前の笑顔だけが俺の憩いだ」
ゲオナルドはとても悲しい。
アルマンの口うるささは今に始まったことではないが、国王夫妻と王太子など、自分の顔を見るとブツブツ言ってくるのだ。
「まったくお前という奴は。女神様の姫君に向かって、あんな粗雑な対応をしていたとは」
――― 愛人上がりの下賤な娘、顔など見る必要はないと誰より粗雑な対応をしていたのは父上では?
「聞けばあなた、神子姫様にお茶を淹れさせていたんですって? 神子姫様と気づかなかったにしても、そんな失礼、ひどすぎるでしょう」
――― 貴婦人たる者、茶の一つも淹れられなくては恥ずかしいと、常々言い続けていたのは母上では?
「あそこまで全てを見通す神秘の力を目の当たりにしておいて、どうして気づかなかったのだ」
――― 全てを脅迫し尽くす恐るべき小娘をどうにかしろ、追い出せと喚きたてていたのは、兄上では?
自分達だって遥佳にそこまで丁寧な対応などしていなかったばかりか、食事の時には末席を用意してきたくせに、ネチネチと嫌味を言い続ける。
ゲオナルドはちゃんと自分の棟では遥佳と対等な席で飲み食いしていた。
だから自分はセーフだと思うのだが、あまりにも自分達がひどい対応をしていたのが恥ずかしくて滞在していた事実を明かせないのが、よほど悔しいらしい。
女官長を含めた女官達からも、ゲオナルドはぐちぐち言われ続けていた。
「神子姫様と分かっておりましたら、それこそ最高のおもてなしをさせていただきましたのに」
――― だから知らなかったんだって。
「滞在いただけたならこれ以上ない誉れですのに、全くおもてなししていなかったばかりか、雑巾の絞り汁入りのお茶を出していただなんて。同じく何も知らなかったとされるディリライト首長邸に比べて、なんと情けないこと。おかげでどこにも自慢できません」
――― 俺だってんなもんを淹れる奴がいるたぁ知らなかったっつーの。
「しかもアイナーティルディ様の不遇をそこまでお知りになってしまわれただなんて。呆れられて当然ではございませんか。本当に恥ずかしくていたたまれません」
――― どれもこれも女官達の質が悪いだけで、俺、全く悪くねえだろうがよ。
言えるものなら言いたい。だが、言ったらさらに活火山化するのが分かっている。
それは奥向きだけではない。
政務エリアで出会う高官や将軍達とて、ゲオナルドの顔を見ると言い始めるのだ。
「どうしてお気づきになりませんでしたのか。あれほどにもあの若さで高貴な品性が漂っておられたお方ですのに」
「ちょっと待て。あの時、
『小娘如きが偉そうなものですが、あれでは妃など荷が重いのでは』って、ぼやいてたのは誰だよ」
「そもそも庶民の占い師などと殿下が言うからではありませんか。素性は明かせないながらも、とある姫君だと仰っていただけたら、こちらとてあのようなことは・・・」
「よく思い出してくれないか?
『見た目も何もかも、教養のなさと品性のなさが表れている娘ですな』って言ってたのは誰だよ。大体、素性を明かせないからにせよ、占い師だと名乗ってきたのは神子姫様なんだが?」
自分達のやらかしたことなど忘れたフリで、彼らは掌を返して責めてくるのだ。
けっこうゲオナルドの精神はサンドバッグ状態でボロボロだ。
(ルディーだけじゃねえか、俺の理解者は。他の奴らなんざ俺を叩きのめして喜んでるとしか思えねえ)
やっと戻ってきた妃アイナーティルディと息子ルドルフの笑顔だけが、ゲオナルドの癒しだ。
けれども再婚してから、こうしてゲオナルドが弱っている様子をちょくちょく見るようになり、アイナーティルディは自分の知らなかったゲオナルドを知ることができて嬉しかったりする。
遥佳がゲオナルドの部下達に報告義務を課したおかげで、アイナーティルディにもゲオナルドが言い忘れている予定連絡や、行動報告がなされるものだから、とてもやりやすくなっていたのだ。
(それもこれも全ては神子姫様のおかげね)
そう思って、アイナーティルディはこっそりと微笑んだ。
ゲヨネル大陸で迎える誕生日には、色々な種族の女性達が食べ物を持ち寄ってきてくれた。
せっかくだからと、遥佳も手でつまめるスティックタイプのケーキを作ってみる。
「姫様、これもらってもいいの?」
「いいわよ。これならみんな、手で持てるでしょ? 転ばないように遊んでね」
集まってきた幻獣達だが、子供達は美味しいものがあるという認識だ。お誕生日パーティという概念がなかったので、お祭りになっていた。
「ウンディーネはケーキとか食べられないの?」
「残念ですけれど。ですが甘い水を作り出すことはできますわ」
その日は、様々な幻獣や妖精が集まって、楽しくお喋りをする。皆は、色々な音楽を奏でてくれたし、歌ったり踊ったりしていた。
「どうかこの哀れなサテュロスと踊ってくださいませんか、姫様?」
「私、あんまり踊るの得意じゃないけど、それでもいい?」
「おお。それこそワンステップだけでも。我らにはこの上ない喜びなのです」
山羊の足を持つサテュロスはとてもダンディな幻獣だ。そして踊り上手でもある。
「うわぁ、なんかとっても踊り上手になったみたい」
「それは光栄です」
自分が踊っているとはとても思えない程に、遥佳が見事なステップを踏めてしまったのはリードが良かったからだろう。
「おいおい。ずるいぜ、サテュロスの旦那。姫様と踊るだなんて皆がやりたくても遠慮してたのによぉ」
「そこで怖じ気づくからいかんのだよ。そりゃ姫様とて皆と踊るのはお疲れになるだろうが、一番に申し込んでしまえば大丈夫ではないか」
「ひっでぇ。・・・姫様、お疲れだろ? 何なら俺の背中で休憩なさらねえか?」
「・・・ありがたいんだけど、それはさすがに悪すぎるわ」
「そんなこたねえよ。すっげぇ嬉しい」
くすっと笑って、だから遥佳はケンタウロスの背中に乗せてもらう。馬の下半身を持つ彼らは、だからとても目の位置が高いのだと、改めて遥佳は実感した。
「なんて高いの。ケンタウロスって、これだけ背が高ければ、何でも見えちゃうわね」
「そうでもないかも。俺の背中にいるお可愛らしい方の姿は見えねえし」
「・・・・・・もうっ」
そんなことを言いながら軽く走ってくれたものだから、遥佳もまるで風になった気分になる。
「地面を駆けるってこんな感じなのね。なんてケンタウロスってば速いの。凄いわっ」
「へへっ」
そうして家の前に戻ってくれば、空から赤紫色に輝く鳥達が降りてくる。孔雀のように豪華な尾羽がとても特徴的だ。
「おっ。フェニックスだ」
「初めて見たわ。とっても綺麗。凄いわ」
その赤や橙、金や桃色や青色の炎を纏う姿で、フェニックスは華麗な空中でのダンスを披露した。
「なんて素敵なの。見て、イスマルク、ヴィゴラス。とってもキラキラしていて綺麗よ。どのフェニックスもなんて綺麗なの。もう言葉が見つからないわ」
「う。俺もあれぐらいの動きなら・・・」
「いや、無理だろ、ヴィゴラス。何でもかんでも張り合うんじゃない。だが、まさかフェニックス達が踊るのを見られるだなんてな」
紛れもない遥佳の感嘆を受けて、フェニックス達は誇らしげだ。
やがて踊りを終えたフェニックス達は適当な木陰に舞い降り、人の姿になった。まさに炎を纏ったような髪をしていて、とても鮮やかだ。
「ああ、そうだ。皆が一気にお祝いを始めてしまったから言いそびれてたな。お誕生日おめでとう、ハールカ」
「ありがとう、イスマルク」
ヴィゴラスが買い求めた飾りベルトを見たイスマルクは、それに似合うようなワンピースを優理に相談して買ってきていた。
それを誕生日に贈られて、今日の遥佳はそのサーモンピンクのシンプルなワンピースに銀の飾りベルトをしている。
「お誕生日おめでとうと言うのか、ハルカ。おめでとう」
「ありがとう、ヴィゴラス。あなたもお揃いのお誕生日ね。おめでとう、ヴィゴラス」
「・・・とても特別な気分がする」
ゲヨネル大陸ではあまり誕生日といったものは重視していないらしい。
だからだろう。あまり意味が分かっていない子供達が、
「うわぁ、虹だぁ」「あっちにもっ」
「追い掛けようっ」「どれが一番色が多いかなぁ」
と、ウンディーネとシルフによって作られた虹を追いかけていく。
「姫様。どうぞこちらへ。土の妖精がテーブルや椅子を作ってくれていますわ」
「わぁ、まるでおとぎ話みたい」
地面が隆起し、椅子やテーブル、大きな日よけパラソルといった形になっている。そこには様々なご馳走が並んでいて、誰もが竪琴を奏でたり、笛を吹いたり、思い思いに過ごしていた。
皆、楽しい曲やめでたい曲を選んでくれているのが分かる。
「なんか一生分の夢を見た気分だわ。やっぱりゲヨネルってとても素敵ね。こんなにも祝福に満ち溢れているんだもの」
そんな遥佳の感情が、大気に溶けて広がっていく。
――― ああ、やはりこの方は特別だ。
――― なんて優しい波動なんでしょう。
――― 見ろよ、木々の葉すら喜んでいる。
――― 空気が澄んでいくわ。
その日は、遥佳が疲れて居眠りしてしまうまでどんちゃん騒ぎが続いていた。
可愛らしい菫の花が刻まれた銀のティーポット。フォークとスプーンだって全てはお揃いだ。
「今日はお疲れ様。とっても素敵な誕生日だったわ」
「とても珍しいものばかり見たな。だけどこうして穏やかに過ごす一日の終わりはとても落ち着くよ。なあ、ヴィゴラス?」
「俺はハルカさえいればどうでもいい」
三人共、既に寝間着だが、今日はとても動いたり喋ったりしていたので、ちょっと咽喉がまた渇いていた。だから寝る前にお茶をしようということになったのである。
「寝る前だからハーブティーだけどね。本当にこのティーセット、素敵だわ。ありがとう、ヴィゴラス」
「いいのだ。・・・だが、これならいいだろう、イスマルク?」
「いいって何がだ?」
機嫌良くイスマルクが訊き返せば、真面目な顔でヴィゴラスが言う。
「ハルカに宝石ばかりじゃらじゃらつけたら重いだろうと、お前は言った。だから花ならいいのかと思ったが、いつも花を探しに行っていたなら、それこそ他の奴が花壇を作ってハルカを一人占めしてしまうかもしれない。だが、こうやって花のついたティーセットと花のベルトがあるなら、外に出なくてもハルカは花を眺められる」
「すまん。何が言いたいのか、全然分からん」
どこか嫌な予感を覚えるイスマルクだ。
「分からん奴だな。外に出なくても花は用意したし、だからこれでハルカをこの家の中で俺が一人占めできると思うのだ」
「一人占めできる筈ないだろ」
きっぱりと言われて、ヴィゴラスは戸惑うような視線を遥佳に向けた。
まるで迷子になって帰り道が全く分からないというかのような気配が漂っている。
「だけどこれならハルカも気に入ったと言ってくれた。なら、俺は外にハルカを連れて行かれないですむ。そうだろう、ハルカ?」
「そうだろうって言われても・・・。私は外に連れて行かれているんじゃなく、単に、外に行ってるだけなのよ?」
くらりと、眩暈を覚える遥佳だ。
自分を常に好きだと伝えてくるヴィゴラスの気持ちはとても嬉しい。だけど、時にその思いは自分の常識をぶち抜きすぎている。
だから遥佳は言った。
「ねえ、ヴィゴラス? 私ね、他にもあなたから誕生日プレゼントが欲しいわ」
「何だ? 何でも用意しよう。ダイヤだろうが、エメラルドだろうが、ルビーだろうがーーー」
「ううん、違うの」
毎回あれこれと宝石を飾り付けられている遥佳にとって、そのプレゼントに意味はなかった。
「私をどこにも閉じ込めないで。そうしてね、ちゃんとお外に出かけて色々な人と交流するの。それを約束して? それが私への誕生日プレゼント。私もあなたへの誕生日プレゼントとして、同じことを約束するわ。ちゃんとお外に出て、色々な人と交流しましょ?」
「なんだと・・・? そんなプレゼント、ただの苦行ではないか」
当初の予定をひっくり返されたヴィゴラスが、震えながら床に膝をつく。
「苦行じゃないわ、ヴィゴラス。そうしてみんなで幸せに暮らしましょう? ね?」
「・・・そんな。せっかくこれでやっと俺だけがハルカを独占できると思ったのに」
「できる筈ないだろ」
イスマルクは無情に言い捨てた。
「何でもいいって言ったわね、ヴィゴラス?」
「うっ、・・・そんな。受け取り拒否というものがあると、ユウリ殿が・・・」
「約束するんならほっぺたにキスしてあげる」
「約束する」
がっくりと項垂れながら、涙目のヴィゴラスが遥佳と約束する。
幸せそうではあったものの、その背中には哀愁が漂っていた。
ミザンガにあるレイスの家。その日はちょっと豪勢な料理が並んだ。
「どしたんや。なんや今日はごっつぅ手間かかってそうな飯やないか?」
「へへーん、今日は私のお誕生日なのです。だから夕ご飯はご馳走モード」
食後のケーキも用意してある優理だ。
「え? そうだったのか? ごめんな、ユーリちゃん。何も用意してない」
「いいの、カイネさん。物なんてもらっても仕方ないもの。大事なのはその時だけで心に消えていく思い出よ」
「それを言うなら、その時だけで腹に消えていく食べ物よ、だろう」
詰め物をした鶏の丸焼き。フルーツサラダ。カリカリに揚げられたポテト。色とりどり野菜のゼリー寄せ。黄金色に輝くコンソメスープ。ウォッシュチーズとライ麦パンは優理がお気に入りの組み合わせだ。
けれども誕生日だからと、詰め物は全くケチっていないし、鶏も美味しい農場のものだ。フルーツサラダにしても、かなりの種類の果物を使ってみた。
「ほならとっときのワイン出したるわ。これなぁ、当たり年言われる希少なワインなんやで」
「え? そうなの? どんな味かしら」
するとレイスが手を軽く上げて止める。
「グラス持ってくるから待て。それをコップで飲もうとするな、ドレイク」
とてもいいワインなのだ。そこらの安酒のような飲み方をされたのではたまらない。
「俺がその栓は開けよう、ドレイク。お前、よくコルクを落とすからな」
カイネもコルク栓抜きを取りに立ち上がった。
(真琴はロードニア島とか言ってたし、遥佳も何だかパーティしてそうだけど。・・・甘いわね。なるべく安上がりで、それでいて高い満足を得る。それが賢いやり方というものよ)
だが、ドレイクの出してきたワインの値段を知ったら、安上がりとはとても言えなかったことだろう。
何はともあれ、三人の中で一番地味な誕生日だったが、優理はかなり満足していた。