ダリウスの場合 2
異世界人という珍しい立場の彩香嬢の周りをうろついているメンバーは様々だ。が、学園で決まって彩香嬢よりも黒々とした、濡羽色の髪の毛を持つ男が目に付く。あれは恐らく……。
本当は放っておいたら良いのだけれど、アディが不安がるからここは仕方なく手を出す事にした。
アディには一応伝えてあるけれど、彼女は頑なに彩香嬢には近寄らない。嫉妬してしまうのが自分で許せないらしい。勿論私も近付いて欲しくはないらしいのだけど、愛しい人を守るのは恋人の役目だから、今回だけは目を瞑って貰った。
そりゃあ、私だって他人の色恋なんて放っておきたいよ。惚気を聞くのと、都合の良い様に手出しするのは全然違うもの。でもきっとこれが一番上手く行く筈なのだ。私の記憶と、アディの予想が一致しているのだから。
アディの推測によれば、彩香嬢は精霊の愛し子である可能性が高い。彼女の本来の役割とは、攻略対象達と共に旅をして龍脈を弄って整えて貰い、姿を消した妖精達に呼び掛けて戻って来て貰う……というものらしい。
古竜様が狂った場合に荒れた龍脈を正常にし、自然を元に戻す為に性急に妖精を呼び戻すのが必要だったのだろうけれど、龍脈も自然も正常な今では無用の長物でしかない。
少なくとも、龍脈の早期対処を主張した肩書きとは言え聖女であるアディの力の方が何倍も価値がある。
それでも、彼女はヒロインであり、自然と彼女の周りには人が集まる。彼女自身が礼儀正しいので好かれるんだろう。きっとその内、いや今ですら本気で好意を寄せる者が居るかも知れない。しかし、それでは不安だ。それは用意されたメンツではないから。
攻略対象である私と私の側近達は、其々婚約者との仲を真剣に考えていて、各々なりに可愛がっている。私から見れば足りない愛情表現ではあるけれど、見ていれば愛情があるかどうかは一目瞭然で。誰も彩香嬢に余所見はしていない。このまま順調に行けば、学園卒業後に勤めるべき部署へと配属して、職務が落ち着いたら結婚の運びになるだろう。
それは私にとっては喜ばしい。
いつだったか茶会で脅した通り、私は浮ついた者は好ましくない。
一人をきちんと愛せない者が調子良く他へもちょっかいを出すなんて言語道断だ。そんなの、誰も愛していないし、誰からも本当の意味で愛されないと思うのだ。まあ、何が愛だなんて分からないけれど。愛の中身が執着なのか情なのかなんて計れないだろうとは思うけど。
政略的な婚約者を持つこの世界においては、話して触れ合って、それでもお互いに歩み寄れないなら正規手続きを踏めば良いのだ。代替え案を模索すれば良い。子供の立場では難しいかも知れないけれど、けれど、真っ向から否定するのは違うと思うのだ。
そんな私の性格もあって、実はアディに対しては少しだけ危機感があった。
だって、私の体をゲットしてモテモテ……みたいな事を言っていたから。私的には体なんてどうだって良いけれど、あれは前世の男性だった記憶が色濃く残ってるんだと思う。それは今男の私でもちょっと分からない感覚だけどね。
でも、例え偶然で必然の婚約関係だと言っても、他に目移りされるのはやっぱり嫌だ……と思っていたのだけれど、アディは持ち前の美しさでちやほやされているのに、全く気にしていない。モテモテになりたいんじゃなかったの?! と見ていた私はアディの感覚が謎過ぎて、そして面白かった。まあ、彼女に殆ど男性は近寄らせなかった訳だけど。
アディはあれだけ頭が回るのに、口説かれているのは全く気付いてない。多分感覚が男だから、同じ男から口説かれても相手にしてないだけなのかも知れないけれど。それなのに、私には照れたりもじもじしたりするんだから、あーもー! 早く帰りたくなって来た……。
学園内を探し歩いて、お目当ての濡羽色の髪を見つけ、私は早足で彼を追いかけた。彼は逃げるのが上手くて、曲がり角で姿を隠すのもお手の物だ。魔法行使禁止区域の筈なのに、すいすいと姿を消すのだから、捕まえるのは骨が折れる。
「良い加減に捕まってはくれないだろうか、メノウ殿! 」
息も絶え絶えに叫べば、消えた筈の角から、胡散臭げに眉を寄せた顔が覗く。その名の通り瞳は瑪瑙の様な赤茶だ。
「……殿下が俺に何用でしょう」
「やっと御目文字出来ました、メノウ殿」
「要件を伺いたいのですが」
「うーん……。端的に言えば、早い所彩香嬢を番にして貰いたいと言うか……」
「はっ?! 」
冷めた表情だった彼が驚いた顔は、年相応に見えた。まあ、見た目通りの年齢かは甚だ疑問だけど。
「……言っている意味が分かり兼ねる」
「そのままの意味です。彼女は天性に人を惹きつける力がある。放っておかれては困るのです」
「例えそうだとしても、貴殿が困る意味が分からない。こう言っては何だが、婚約者殿と日々問題無く過ごしていると聞く」
「まあ、それは間違いありませんが」
それを聞いて、彼はまた眉根を寄せる。でも、アディと私が仲良しなのは否定出来ないし。
「このままここで話していてもなんですから、個室へ移動しましょう」
「……仕方ない」
そうして、私と彼は高位貴族が使用する個室へと移動した。乱暴に席に着いた彼の対面の席に腰を下ろす。
「貴殿は私達の事は御母堂から聞いておりますか? 」
「……変わった者だとは聞いている」
「変わったついでに助言すると、このままでは彼女は複数の人物から卒業間近求婚されます」
「…………何故分かる」
「私達が彼女と同じ故郷の魂を持っているから……という事では納得して頂けませんか」
「…………」
彼は整っている顔だと言うのに、惜しげも無く顰める。勿体ない。黒く艶やかな髪も、長い睫毛も母親譲りなのに、こうも表情を険しくさせていたら魅力半減だ。
「まあ、実は確定ではありません。予定としてそうなっていた、と言うのが正しいですが。只の興味ならそれまでですが、きちんと対話しないと後悔する事になりますよ。無理強いせずに、彼女の意見を聞いてお互いに知って行って欲しい所です。今後の彼女の立場はとても危ういのは薄々気付いているのではないですか? 」
龍脈が正常な今、精霊や妖精に愛される愛し子の彼女は正直……何処へ回せば良いのか難しい。異世界人、そして愛し子と言えど平民。かと言ってメディエーヌ様が保護して陛下が託された以上、そのまま平民の暮らしはさせられず、何の成果も実績もない彼女を貴族にするわけにもいかない。
嫁ぐとしても騎士爵か男爵に嫁げたら良い方だろうか。勿論、彼女が望むなら平民との婚姻だって吝かではない。
彼女の得るべき功績を私達が奪ってしまった訳だから、それ相応の助力は惜しまないとは考えてはいるのだ。
彼女が誰かと結ばれて事態が収束するならば良い。けれど、捻じ曲がったこの世界の進行を予定調和まで持って行かなければ、アディの……彼女の憂いは晴れないだろう。
「まあ、私も馬に蹴られたくはないので、ここで終いにしますが、メディエーヌ様には恩が有りますから。デートに誘うならアベーヌの森の湖がお勧めですよ、妖精が沢山おりますから、きっと彼女も喜ぶでしょう。……此方に来てから外へ出た事がありませんから」
私の言葉で、彼は痛ましそうに目を閉じた。
彼女の境遇を憂いているのだろう。たった一人、寄る辺は無く、それでも懸命に笑っている少女の事を。
本来なら賓客でもあるのだし、年の近い私やアディが色々と面倒を見てあげられたら良いのだけれど、ゲームの舞台が終わるまでそれは出来ない。
だから、後は隠しキャラであるメノウ殿に頑張って貰わないと困る。
卒業までに好感度を上げる? ゲームであればそれは彩香嬢がする事であって、メノウ殿には関係ないし、正体を偽って側に居る時点で彼の好感度は上限に近い筈。彼は本来ここに居ないのだから。
彼が彼女の好感度……いや、心をモノにして貰わないと困る。
ゆっくりと瞼を開けた彼は、何の感情も見えない静かな視線を私に向け、そして口の端をくいっと上げると、そのまま席を立った。
「随分と余計なお世話だったが、一応頭の隅には置いておく。お礼にお節介な王子殿下に一つ教えてやろう」
私は彼の言いたい事に当たりを付けて、先に続く言葉を待った。
「この世界で、魂交換の秘術など無い」
そう言うと、彼は振り返る事も無く部屋を出てしまった。
ああ。
「やっぱりね」
そう呟いた私の口角はきっと緩く上がっているんだろう。