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藤倉君のニセ彼女  作者: 村田天
本編
9/32

9.心臓の受難



 最初の一ヶ月を越えたら急に楽になった。

 わたしも、周りも状況に慣れてきたのだ。必要以上にジロジロ見られることは減ったし、たまに聞かれても適当に返せるようになってきた。


 しかし、慣れて来た頃は油断しやすい、というのは本当だった。





 空き教室で瑛太とふたりでお昼を食べる。空き教室は何個かあって、机があるところもあるけれど、ここはそれすら無いので過疎地だ。人目を気にせず遠慮なく適当な振る舞いができる。


 教室に入った途端、小さく緊張がほどけたように彼とわたしの距離が空く。


 ふたりで黙ってそれぞれお昼ご飯を食べた。すぐに食べ終わったけれど、まだ時間はある。


 学校内で王子ともてはやされる彼は眠たげな顔で壁を背にだらしなく足を伸ばして寝転んだ。


 窓を開けると風が抜ける。


「瑛太って、好きな人いたこともないの?」


「……えー……あるよぉー」


 てっきり初恋もまだかと思っていたので意外だ。


「……どんな?」


「……小学校の先生だった」


「せんせえ」


「うん、いつも水色と灰色の中間みたいな色のカーディガン着てて……そればっか覚えてる……ていうかそれしか覚えてない」


「そ、その先生からはなにも……?」


「あるわけねーだろ! 俺小五だぞ!」


「そうだよね、瑛太ならと思っちゃった」


「だから、中学まではもっと普通だったし……! 最近ちょっと異常だっただけだし……!」


「うん」


「尚の方はもう大丈夫なの? しつこいやつ」


「え、あっ、諦めてくれたよ。わたしのことはもういいって」


「……誰だったの?」


「え? いや、上の学年の人だし、瑛太は知らないと思うよ。来年はもう卒業するし」


「そっか」


 いまさら聞かれるとは思っていなかった。しかしさらりと嘘をついて乗り切ってしまうあたり、瑛太を騙すことにも慣れてきているのかもしれない。


「じゃあ尚の方はそろそろ俺と付き合うフリする必要がないんだ」


「え……あ、」


 そういうことに、なる。あまり追求されてもまずいことになるので、そこはさっさと無かったことにしたくて言ってしまったけれど、失敗だった。


 瑛太は頬杖をついて考えこんでいる。

 まずい、契約延長を、なんとか。なにとぞ。せっかく慣れてきたのに。しかし、普段優兄の作戦頼りなわたしに妙案はぽんとは浮かばなかった。


「でも、俺の方はまだ今別れたら前の状態とあんま変わんねーよな……」


「だろうね……前みたいに戻るだろうね」


「あれはもう勘弁して欲しいんだよな……」


 そのとき扉の方で音がした。びっくりしてそちらを見る。


「話は聞いたわよ」


 演技がかった声が聞こえて野田さんが現れた。


「野田さん、いつからいたの?」


「有村さんにちょっと用があって、入ろうとしたら面白そうな話をしてたので、盗み聞きさせてもらったわ」


 堂々と言う。もう少し悪びれろ。


「アンタたち、嘘の付き合いだったのね」


 瑛太が小声で「誰?」と聞いてくる。


「クラスメイト」


「仲良いの?」


「うーん……」


 ボソボソとやりとりしていると野田さんがよく通る声で言い放つ。


「ねえ! その偽彼女の役、次はあたしにやらせて!」


「は?」


 まさかな発言にわたしと瑛太は動きを止めた。野田さんは大きく頷く。


「そういうストレスの多い役にはあたしみたいに何言われても気にしない図太い女の方がいいと思うの。付き合ってるフリでしかないのに、この間みたいに藤倉周りの女に絡まれたら有村さんがかわいそうだし」


「あんたは、俺のこと好きなの?」


「ぜんぜんちがうし! 女がみんなあんたを好きだとでも思ってんの? 自信過剰、自意識過剰!」


 瑛太が不快そうに眉をゆがめた。


「じゃあ、俺と付き合ってるフリをするの、あんたになんの得があんの?」


 確かに。わたしが可哀想だから、なんて慈善的な理由ではないはずだ。


「……なんだっていいでしょ」


「よくねえよ!」


 野田さんは観念したように、ため息を吐いた。こほんと喉を整えて、少し照れたように口元を手でおさえて話し始める。


「あたしね……実は、昔っから目立ちたい欲求が人一倍強くて!」


「は、はぁ〜?」


 野田さんは語る。昔から目立ちたがりで、教室でふざけていたこと。昔は大声でふざけたことを言えば目立てた。でも、長じて運動や成績、容姿がいい人間ばかりが目立つようになり、自分はなかなか上手くいかなかったこと。

 劇団に入ったこともある。アイドルのオーディションを受けたこともある。お笑い芸人を志したこともある。動画を投稿したこともある。でもどれもいまいち上手くいかなかった。その分野で目立った人たちを眺めているばかりだった。

 そもそも自分は目立ちたいだけで、演劇にも芸能にもお笑いにも動画投稿にもそこまで興味が無い。だから駄目なんだ。それが分かった。

 それでも胸の奥にくすぶる“他人からどんなかたちでも良いから注目されたい”という気持ちが消えずに日々膨れ上がっていること。


「有村さんが、藤倉と付き合い出して急に注目されるようになって、羨ましかった……それでなんとなく、目立ってる有村さんとも仲良くなりたくて……話しかけてたんだけど」


 そんな理由で話しかけられていたのか。


「というわけなんだ。そのお役目! あたしにやらせてよ!  人から何言われても平気だからさ」


 一瞬言葉を失ってしまった。野田さんはニコニコしていてやる気満々だ。確かに、この間のあれを見ても彼女はたくましい。

 どんなかたちでも人から注目されているならば何か言われてもストレスには感じない。瑛太のことを好きなわけでもないので条件にも合致している。


「嫌だよ。俺だって誰でもいいわけじゃないし」


 彼女の提案はわたしが口を開く前に、瑛太によって却下された。


「は? なに贅沢言ってんのよ! あんたに選ぶ権利あると思ってんの?」


 瑛太、選ぶ権利、ひと一倍持っている方だと思うけど……。というか野田さん、仮でも付き合いたい相手にその態度……なんかすごい。雑にアクティブ。思い付いた時の爆発力はあるけど、思いやりがなくて計画性が乏しいタイプ。


「だってさぁ、フリったって、こうやって休み時間に話したりするわけだしさ、会ってて楽しくないやつ、話が合わないやつは嫌だし……」


「くぅッ! わがまま!」


「何が悪いんだよ! 嘘でも俺の彼女なんだぞ!」


 聞いててちょっと勝手に感動してしまった。条件が合えば誰でもいいわけじゃないんだ。


 野田さんがワナワナ震えてる。ぱっとわたしを見た。


「有村さんは? 迷惑してるんじゃないの?」


「いや、結構楽しいけど」


「マジで?!」


 驚きの声をあげたのは瑛太の方だった。なんでこっちが驚いてんの。


「瑛太、嫌だと思ってたの?」


「いや、そこまでじゃないけど……なんというか……必要にかられてかと……」


「そんなことない……」


「そっか……」


 ちょっとほのぼのしているところ野田さんの怒りの声が割り込む。


「言いふらしてやる! あんた達の関係嘘だって! 言いまわってやる!」


 臆面もなく悪役のように吐いた。しかし瑛太は動じない。


「別に……構わないけど。なんか聞かれたらそんなの嘘で、上手くいってるって言うだけだし」


 瑛太は普段からなんだかんだ、見られ慣れているせいなのか、妙な気の大きさがある。わたしのように小市民で生きてきた人間とは少しちがう。


「キィ」とおよそ聞かない悔し気な音を出して野田さんはのしのし扉の方へ向かった。個性なんだろうが、いちいち演技がかっている。


「あ、野田さん」


「なによ!」


「わたしに用事って、なんだったの?」


「そんなもの本当は無いわよ! 通りがかりに目立つふたりが食べてるのが見えたから覗いてただけだ!」


「……」


 嵐のような野田さんが去ると、教室は静かになった。


「でさ……三月までは念のため、付き合い続けた方がいいんじゃないかなー……とか。今別れたらまた来るかもじゃん」


「え、うん」


「尚、もうしばらく、彼女役頼める?」


「うん……でも、野田さん、大丈夫かな」


「本人達が付き合ってるって言ってんのに、知らん奴がひとりで嘘だって騒いでも、信じねーだろ」





 しかし、話はそう簡単ではなかった。

 偽りの関係はきちんと怪しまれ始めた。


 野田さんがどんな風に言いまわっているのかは不明だけれど周りが少しずつ疑いの目を向けるようになった。先に言いまわると宣言しているので正々堂々悪びれずに吹聴してまわっているようだ。まぁ、彼女はああいう人だから、ネタを持っていること自体が嬉しいんだろう。不思議と陰湿さは感じないので、困った面倒くさい人だなぁという感想だ。


 最初はそこまで信じられていなかったけれど、火のないところに噂は立たないと思うのか、そもそも偽の関係は本当に好き同士で付き合ってる人たちとはどことなくちがうのかもしれない。どうとは言えない違和感があるようだ。


 くうちゃんが聞いてきた話によると、こんなことも言われていたらしい。


「有村さんて、本当に藤倉のこと好きなのかな?」

「全然そう見えないんだけど」

「なんかおかしい。やっぱり嘘なんだ」


 逆だ。逆。

 確かにいつも教室に遊びに来るのは瑛太の方だったし、わたしは本人にバレてはいけない気持ちがあるので必要以上に好きな感じは出していなかった。そもそもが、分かりにくいんだけど。


 わたしはクラスの子にそれとなく聞かれたし、瑛太の方はそんな噂があるならと何人かに告白されたらしい。せっかく彼女がいるからそこそこ大人しくなっていた女の子達がチャンスを逃すまいとうごめきだしている。


 空き教室で食事を終えたあと、瑛太がぱんと手を打って立ち上がる。


「しかたない……イチャつくか」


 仕方ないのか。


「瑛太、どこ行くの」


「中庭」


 中庭に出て、いつもなら端っこに行くところ、わざわざ人の多いエリアに来た。


「尚、そこに正座して」


「え、ここ?」


 正座すると瑛太が頷いて、膝に頭をのせてきた。


「あー……気持ちいい……」


 上に青い空が抜ける秋の日和は気温は暖かだけど涼しい風が通っていて、そりゃ気持ち良いだろう。

 しかし、わたしの方はそれどころではない。周りは当然ジロジロ見てるし、瑛太は目を閉じていればいいだろうが、わたしは顔をあげているし、どんな顔をするのが正解なのか、分からない。


 心臓がボッボッボッボッボッと主張を始める。瞑られた目と形の良い鼻がいつもは見えない角度で近くに見える。髪の毛が風に揺れて手にあたる。


 しばらくその状態で耐えた。むかしの拷問に石抱くやつあった気がする。それを思い出した。絵面は和やかでもまったくリラックス出来ない。そのうちにやっと昼休みが終わる予鈴が鳴った。あらぬ方をぼんやり見て微動だにしていなかったわたしはようやく解放されると思って彼の顔を見た。


「瑛太……?」


 彼は気持ち良さそうに寝ていた。

 むしょうに腹が立って、えいと立ち上がって起こした。


「ん……?」


 ちょっとびっくりした感じに目覚めた瑛太はそれでもイケメンで、また腹が立つ。


 そして、わたしの心臓の受難はそれだけじゃすまなかった。


 放課後に教室に迎えに来た瑛太は「帰ろ」と言ってわたしの手をぎゅっと握った。


「当分、これで帰るから」


 瑛太は割と自分勝手な台詞を耳元で小声で言って、それから指を絡めた。





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