7.デートっぽいもの
起きた時わたしの周りの惨状は酷いものだった。部屋の両端に、昨晩わたしの着用する衣服のことで喧嘩した兄二人が寝落ちして転がっており、投げつけ合って散らばした衣類も相まって割と地獄絵図の死屍累々。
それでもわたしは起きねばならない。お弁当を作るために。少しでも寝れてよかった。
お母さんが起きて来たのでなんだかんだと手伝ってもらい、お弁当作成。玉子焼き多め。
それから急いで着替える。
わたしがバタバタしている背後で優兄が起きて来て、さっさとシャワーを浴びてデートに出かけて行く。
出る前に自室を覗くと陽兄がまだ口を開けて寝ていた。そのままにしておこう。
*
外に出ると良い天気だった。
寝不足も手伝って少し頭がぼうっとする。外を歩く親子連れや目的地に向かう人たちがなんだかすごくリラックスして感じられて、緊張でドキドキしているわたしにはどこか遠く感じられる。
「尚、こっち」
ほぼ同時に着いたらしく、待ち合わせ場所に向かう途中で瑛太に声をかけられる。本当に来た。
「お、おはよう」
「ん」
瑛太はやっぱりすごい。なんてことない格好なのに、ものすごいお洒落に見える。素材が良いと色々得だ。眩しいくらい格好良い。
歩いてても、目立つ。たまにすれ違う人が二度見したりしてる。
少し羨ましく感じて、それから隣にいて何か小さく劣等感を感じてしまう。
でも、くうちゃんが言ってくれたみたいに、好きな人は選べないし、彼が格好良くてもわたしには関係ない。はずだ。隣にいる人が格好良いから恥ずかしいなんて思うのは、隣にいる人が格好悪いから恥ずかしいっていうのと同じことで、ちょっと失礼かもしれない。訳の分からない屁理屈思考で緊張を紛らわす。
移動中もちらほら見られているような感覚で落ち着かなかったけれど、そのうち慣れて来た。瑛太があまり気にしていなかったのもある。学校に比べたら何か平和なレベルではあるんだろう。
遊園地は、駅からすぐ。電車に乗って移動して改札を出るともう観覧車とか、ジェットコースターのレールとかが少し遠くに見える。瑛太は機嫌よく早足で入り口に向かう。
園内に入ると彼は折りたたみ式のマップを手に取った。熱心に見ているのを後ろから覗き込む。
「なに乗る?」
「あれ」
瑛太が指差した先にはその遊園地の目玉である、一番怖くて、派手で、大回転する評判のジェットコースターがあった。
「いきなり?」
その時頭上から悲鳴が聞こえてくる。素早い乗り物が頭上でぐるんぐるんしている。
「あ、嫌いだった?」
「ううん、平気」
ジェットコースターは特別得意ではないけれど、嫌いではない。ただなんというか、最初からメインディッシュかと思っただけだ。
これはデートではないのだから、順番もへったくれもない。デートだったとしても順番があるのかは不明だけど。
近付くと悲鳴の音量が大きくなった。
すごい怖そうだけど、今からこれに自分が乗るのか。そこまで心の準備が追いつかないうちに順番が来てしまった。
どこかぼうっとしていたけれど、並んで座って安全バーを下ろした時になんだか我に帰った。目が覚めたというか。あれ、これ、もしかしてジェットコースターじゃないの。
ゴトン、ゴトゴト。
ジェットコースターがゆっくりと、高い位置へと動き出す。もうすでに怖い。
やがて、一番高い位置に辿り着いて一瞬だけ動きが止まる。
降下。回転。
ぎゃーーーー。ぎゃぎゃ、ぎゃーーー。
わたしは心中長い悲鳴を何度もあげた。それに乗っている時は何故か脳内に「ぎゃ」以外出てこない。そういう鳴き声の鳥になった気分だった。
隣を見ると瑛太はケロっとしていたし、すごく楽しそうに笑っていた。
「もっかい乗っていい?」
「う、うん」
思ったより怖かった。一回で充分だし、楽しさより怖さがわずかにまさったのでちょっと嫌だな、と思ったけれど言えなかった。これはデートじゃないから。
再度乗り込んだわたしはなんとか自分を落ち着けようとする。
心を無にするのだ。そうすれば降下など、回転など、なんてことはない。わたしは地蔵のような顔で回転した。
「もう一回いい?」
「え、また?」
そんなに好きなんだろうか……と思ってはっと気付く。
三回連続ジェットコースターとか、これは完全に阿呆の小学生男子の遊び方だ。
だとしたら男らしく付き合ってやらねばならない。彼はきっとこういった遊びに飢えているのだ。
わたしは人生初の三回連続ジェットコースターを体験した。もうあと数年は乗らなくていい。
瑛太は降りてから不思議そうに首をひねる。
「もう一回……」
「ご、ごめん。無理」
わたしはついに口元を押さえてしゃがみこんだ。
「え、わ、大丈夫?」
「トイレ……吐きそう」
近くにトイレが見えたので走って勢いよくリバースした。ジェットコースターばかりが原因でもない。寝不足と極度の緊張のせいもあった。デートじゃない。でも、最悪。
お手洗いを出てヨボヨボと歩いていると、少し離れた場所で待っていた瑛太が駆け寄って来た。
「ごめん。尚、見ててもぜんぜん表情変わんないからさ、なんとか変化を見つけたくて……つい」
そんな楽しみ方を……まさか……されていたとは……。このやろう……わたしは……玩具じゃない。思わず脳内で好きな人をやろう扱いしてしまう。
「そこ座ろ」
ベンチに座らされて、日曜の日差しに焦げていると瑛太が冷たい缶ジュースを買って来てくれた。数分それを頬に当てて、体力ゲージの回復を待つ。
「ほんとごめん、もう帰る?」
「いや、それは……せっかく来たし……」
「じゃあ回復したら、今度はもうちょっと優しい乗り物乗ろう」
「うん、もうだいじょう……わ」
勢いよく言って立ち上がって数歩行ったところで足元に段差があるのに気付けなくてズシャリと転んで大地に両手をびたんと着いた。
「だ……大丈夫?」
背後から心配そうな声がかかる。
「……もうあと五分休んでもいい?」
「好きなだけ休んで……」
*
お弁当は簡素なものだ。そんなに凝ったものは作れない。
玉子焼きと言われた時点でサンドイッチの線は無くなった。だからおにぎり。中身はツナマヨと、チーズおかか。
それからおかずは別のランチボックスに。玉子焼き。ウインナー。ちくわキューリとミニトマトの串。
「俺甘い玉子焼き好き」
瑛太は気持ちの良い食べっぷりではあったけれど、あまりバランスとか考えないようで、好きなものばかり連続して食べる。
美味しい美味しいと言って、玉子焼きを、わたしがおにぎりを食べてる間にふたつみっつぱくぱく食べる。わたしの視線に気付いて動きを止める。
「……食べていい?」
「どうぞ」
そんなに美味しそうに食べてもらえたら玉子焼きもわたしも本望だ。どうせ味見で食べてるし。
*
お昼ご飯の後はまた遊園地をまわった。
瑛太は遊び倒したいと言っていただけあって、ハイペースで色んなアトラクションを回っていく。もしかして制覇する気なのではと思う勢いだ。
わたしはだんだん、デートというより元気な子供のお守りみたいな気持ちになっていた。
しかし、夕方も近付いた頃、ついに体力が限界を迎えた。
「あ、あれも乗っていい?」
元気いっぱいに聞かれてぷしゅうと頭から最後の空気が抜けた。
「ごめん……ちょっと休んでいい?」
「え、」
思い切って言った言葉に彼は盛大に眉根をしかめた。申し訳なさで身がすくむ。
しかし、本当に休みたかった。近くのベンチにヨレヨレ歩いて倒れるように腰掛ける。疲れた……。
隣に座った瑛太が顔を覗き込んでくる。
「ごめん……。俺女の子と出かけたことなかったから……つい男と出かける時のノリで……」
先ほどの表情は不快ではなかったようだ。彼は分かりやすくしょげていた。
「うん……ごめん体力無くて」
「謝んないでよ。俺が気が利かなかったんだから……」
「でも……わたしは男友達と変わんないし……」
「男友達とは……やっぱちがうな」
言われてなんだか落ち込んでしまう。
彼女なら気を使われてしかるべきだけれど、友達として一緒に来てるのに、わたしときたら吐くわこけるわ、疲れるわで、これじゃ男子と遊ぶより不自由だったんじゃないだろうか。
「でも、尚の作ってくれた弁当美味しかったし、そもそも男同士だって、体力無い奴いたら合わせるべきだし……男とか女とかでなく、尚は尚なんだから、変なこと気にしないでくれよ」
「あ……」
わたしはちょっと気にしすぎていたかもしれない。陽兄ちゃんも言ってた。どうしたって男とはちがうのに、同じように遊ぶべきだと無理をしていた。
「言い訳させてもらうと、色々気付けなかったから……乗りたくないものとか、疲れた時とか、言って欲しい」
それもそうだ。もっと早く、色々言えばよかった。それでなくてもわたしは顔に出にくいのに。
無理しなければこんなに急激にバテることもなかった。友達でもそういうのを言うのは普通なのに。何か気持ちを隠したいのもあって反対方向に気張っていた。
「わかった。これからは言う。ごめんね」
少し気が抜けた。ふうっと息を吐く。
「あ、笑った」
「わ、笑うよ」
いくらわたしでも、笑わないなんてことはない。
「いや、今日あんまり笑ってなかったよ」
「そう……かな?」
かなり緊張していたから、そうだったかもしれない。普段から表情薄いのであまり気にしたことは無かったけれど、瑛太はちゃんと見ていたようだ。
「なんか、つまんないかなと思って、妙に焦って連れ回しちゃったかも……」
瑛太がぽつりとこぼした言葉が身体をじわじわまわる。
「……楽しかった」
小さな声で言うと彼は目を丸くした。
それから、困ったように首をひねってから、照れたように笑った。
「尚、ありがと」
瑛太の色んなものを含んだ「ありがと」を聞いたらなんだか色々どうでもよくなってしまった。
まったくもって上手く行ったとは言い難い上、素敵なデートとも言えなかったけれど、門をくぐった時と比べてわたしの心は緊張から解けていたし、瑛太本人とも近付けたような気がしていた。だから、来てよかったと、そう思う。