4.ニセ彼女、誕生
作戦はだいたい固まった。話し込んでしまってあまり眠れなかったけれど、どうせ今夜は興奮して眠れなかっただろう。
鉄は熱いうちに打て。ということで、わたしは翌日すぐに動くことになった。
寝不足なのか緊張なのか、ドキドキで頭をぼうっとさせながら藤倉君のいるはずの隣の教室へと赴いた。
「藤倉君」
隣の教室を訪ねると、藤倉君はどこにいるかすぐに分かった。そこに女の子の人だかりが出来ていたからだ。しかし、何かのギャグのように女の子の壁に隠され埋まっていて姿はよく見えなかった。周囲にきゃいきゃいと黄色い音声が飛び交い、なにが何やらわからない。
「藤倉君」もう一度呼んでみたがとても声が届くとは思えない。
しかして藤倉君はわたしの小さな声を聞きつけて「有村?」と返事をしてガタッと席を立って女山の中から出て来てくれた。そのまま背中を押されて教室の外に出る。
廊下を少し行ったところで藤倉君がはーと息を吐いた。
「助かった。最近いつもあんな感じで……」
「いつも……」
モテるとは思っていたけれど、よもや毎時間あんな感じとは思っていなかった。生活に色々支障が出そう。
「あれ、みんな何話してるの」
「誰が何を言ってるのかもわからない……」
「たいへんだね……」
「うん、でも助かった。何か用?」
無防備に笑顔を向けられてあやうくときめきそうになったけれど、得意の無表情でやり過ごす。彼はわたしが恋愛感情をいちミリも持っていないと思っているからこんなに親しげにしてくれてるのだ。勘違いは無用。
わたしは第一の作戦を切り出した。
「あの、ちょっとお願いがあって」
「うん?」
「今わたし、学校内でしつこい人に付きまとわれてて……」
「そうなんだ、大変だな……。でもそれ、俺が何かできること?」
「うん。その……お兄ちゃんに相談したんだけど……彼氏がいるって言えば、引き下がるんじゃないかなって言われて……でもそう言ったんだけど信じてもらえなくて……それにそこらへんの男じゃ、諦めないって言ってるの」
「えっ……と」
「藤倉君なら、絶対引き下がると思うの。それで……藤倉君としても、偽の彼女がいたら……」
「協力する!」
「ひぐッ」
急に両手をがしっと握られて変な声が出た。
「それ協力させて」
ものすごい速さで交渉が纏まって逆に戸惑う。
わたしが偽彼女を急に申し出たらおかしい。でも、わたしの方が困っていてそれに協力するかたちなら、双方に利益があるのでそこまで警戒されずに聞いてもらえるんじゃないかというのがお兄ちゃんの作戦だった。
正直この作戦は失敗覚悟だった。しかし、嘘さえバレなければ、失敗してもさほど失うものがないし、駄目でも話しかける理由にはなるだろうという理由で第一作戦になった。
それがあまりにあっけなく成功してしまった。まだ何層かしょうもない作戦があったのに。
「いや、俺それ協力したい! 敵意でなく好意ならなんでもしていいと思うやつ多すぎ」
藤倉君の、自分へ好意を向けてくる人への怨念はそのままわたしに突き刺さる。
というか、こんなに簡単に作戦が成功したのはきっと、彼自身が相当まいっていて、藁にもすがる想いでどこかに出口を探していたからに他ならないんだろう。
「俺もうこんな生活うんざりしててさ……そうしてくれたら俺の方が助かるよ。で、俺からそいつになんか言った方がいい?」
「あ、それは大丈夫。その……フリだけしてくれれば」
「分かった」
この穴だらけの作戦は、もしも怪しまれたらお兄ちゃんの後輩の演劇部の先輩がわたしのストーカー役をやるという不安たっぷりの予定が控えていたので、そこに深く突っ込まれなくてよかった。
「じゃあ、これから付き合ってるってことで、頼む」
「うん」
「でも、もし俺と付き合うことでそっちが嫌な目にあったりしたら、ちゃんと相談して?」
「あー、まぁ確かに……」
あるかもしれない。無いとはいえない。しかし、自分の欲望の為なんだからそこは目を瞑って耐えようと思っていたのに。藤倉君優しい。
「有村、ほんとありがと。俺自分のこと好きじゃない人間がこんなに有り難いなんて思わなかった!」
「はは……」
顔に出ないたちで本当に良かった。
今わたしは心の中でドン引きしていた。分かっててやったはずなのに、彼に感謝されて、自分のやったことに薄ら寒くなって引いてしまったのだ。
全部、嘘なのに。
「分かんないよ……ほら、もしかしてわたしに下心があったり……」
「ははは、もしそんなことあったら俺、人間不信になるよ」
冗談めかして言った言葉に、あり得ない破壊力で笑いながらさらっと返された。
これは絶対に、言えない。
わたしが嫌われるだけでなく、藤倉君が人間不信になってしまう。
*
帰りにさっそく藤倉君がわたしの教室に迎えに来た。周りは当然目を丸くして、謎の悲鳴があがった。
「有村、帰ろ」
「えっ、ありむー何? どういうこと?」
「有村さん、藤倉君と面識あったの?」
周りの大興奮を涼しいポーカーフェイスでやりすごして教室を出た。
大騒ぎされて注目されて、わたしは内心動揺していたけれど、当事者の藤倉君はいつも、こんなのをビシバシ受けている。側から見ていたものが、これからは自分にも降りかかる。他人事では小さく感じられていたことも自分事になると結構大きく感じられる。
わたしは少しの不安と、罪悪感と、嬉しさ、そんなのを胸にひとかたまりモヤモヤしながら藤倉君の隣に並んで歩いた。
一方の彼はほんの少し解放されたような表情で余裕が感じられる。心細い中でそこは心強い。
「有村んちどっち?」
「駅から一駅」
聞くと藤倉君も駅から一駅だった。ただし、わたしとは反対方向に。そこは残念だけど駅までは一緒だ。
藤倉君と並んで歩く。昼過ぎの長い影がふたつ、並んで道路に落ちている。嬉しいを通り越してなんだか不安。
「あ、そうだ。有村じゃなくて、なおって呼んでいい?」
「えっ」
突然藤倉君の口からわたしの名前が出て来たので心臓が止まりそうになった。
「その方がいいだろ」
「ソウダネ……」
「俺のことも瑛太って呼んで」
「ヨ、ヨブ」
緊張するけど。呼ぶよ。
「瑛太君は……」
「くん、はいらないよ」
「え、でも」
「その方が自然だろ。付き合ってるんだから」
やばい。やばいやばい。錯覚しそうになる。あまり顔が赤くならない性質で良かった。
「分かった……瑛太」
なんだか語尾が小さくなった。でも、元々声は小さい方だし、抑揚が無いのでこの溢れんばかりの動揺は隠せているはず。ちょっとゲロ吐きそうだけど口から出てないし隠せてるはず。
「瑛太、は、部活とかやってないの?」
もちろん本当は知っている。彼は入学してすぐはバスケ部でかなり期待されていたのに、何故か二学期になってすぐに辞めたのだ。
「うん、前バスケ部だったんだけど……女の子がたくさん来るようになって……俺がいると練習に迷惑かかるから……辞めたんだ」
そんな理由で……。度を超えたモテは日常生活を阻害するんだな。割と真面目にかわいそう。
「でも、さ。瑛太なら頼めば嘘で付き合ってくれる人たくさんいそうだけど」
「なんの見返りもなくそんなことやる奴いるか?」
心中ヒッと息を飲んだ。
確かに何かしら得がなければ普通はやらない。自慢したいとか。あと、本当は好きとか……。そういう理由だと嫌なんだろう。
「万が一いたとして、もし、好きになられたら? こんなこと言うと自信過剰な奴みたいだけど、俺は正直それが怖い……」
「た、確かに瑛太の方からそれを言われて、女の子がその気になっちゃったら……ストーカー化したりするかもだもんね」
全く笑えない自虐的な冗談を言いながら、わたしの心はグラグラ揺れる。
それは偽彼女が彼を好きになったら、振られる。付き合いは即終わりということだ。
わたしの場合、最初から好きなのだから絶対にそのことはバレてはいけない。
「だから俺のことを好きじゃない、ありむ……尚が相談してくれて、本当に助かった」
完全に信用されている……。もう少し疑った方がいいと思うけど。なんか複雑。
「じゃあ絶対好きにならないようにするね」
「はは。無いと思うけど、頼むよ」
冗談で軽く交わされた会話。
わたしと彼とではその言葉の中に含むものがだいぶちがうけれど。言葉は言葉のまま、ふたりの間を行き来して、空中に溶けていく。