お祭り
ニセ彼女からニセがとれて、本物彼女になったことはわたしにとっては大きな変化だったけれど、もともと偽物だなんて知らない周りからするとさほどの変化はなかった。
相変わらずほどほどに面倒くさい彼の女性関係と、日常は続く。
放課後、委員会の用事をすませて瑛太の教室に行ったけれど、いなかった。あたりを見回してから、自分の教室に戻り連絡してみようと扉の前まで行くと中から話し声がする。
半開きの扉から中を覗くとわたしの席に座る瑛太のすぐ近くにわたしは面識のない女の子が立っていて、にこにこしながら話しかけていた。
瑛太はスマホ片手にどこかぼんやりそれに相槌をうっていたけれど、突然女の子が顔を近付けて、彼は驚いたようにのけぞって避けた。
「あー、失敗」
女の子が笑いながら言っているところに入って「帰ろう」と声をかける。瑛太が女の子をひと睨みしてから機敏に動いて立ち上がり、一緒に教室をでた。
下駄箱から靴を出して乱暴にべん、と落とす瑛太のしぐさが少しイラついていた。
「尚、見てた?」
「うん」
「くち、あたってないからな!」
「見てたから知ってるよ」
「もう少し気にしねえのかよ!」
「うん。避けるの上手かったね」
「それだけかよ! 少しは気にしろ!」
*
夏休み直前。週末に瑛太と兄達と、ちょっと早めに開催される夏祭りに行くことになった。
もともとはバイトで忙しい陽兄の都合に合わせて三人で行く予定だった。優兄ちゃんは彼女がいることが多いけれどサイクルが早く、ちょうど狭間の期間だったので当日しれっとついてきた。
「あ、俺お好み焼き食いたいんだけど」
お祭りの会場に着いて突然言い出した陽兄に、優兄が簡素に「買えば」と答える。
「いや、ここから行ける距離に美味い店があんだよ」
「じゃあ行ってみようか」
陽兄が熱心に勧めるお好み焼き屋への道すがら、優兄が瑛太に話しかける。
「せっかくだし藤倉君、なんか相談とかある?」
「え、聞いてよ。優さん、尚が俺にぜんぜん焼きもちやかないんだよ……」
わたしの身内に変な相談するな。やめろ。
「この間だって、俺がよくしらん女に突然キスされそうになったのに……」
だから、そういうこと言うと心配するだろうが。抗議のつもりで袖をひっぱるけれど、どこか憮然とした顔で「尚が焼かない」とこぼすばかりだった。
優兄が「うーん」と考えてから笑って、わたしを手招きして耳打ちした。
「そ、そんな恥ずかしいこと言えないし!」
「なに、どんな猥褻で恥ずかしいこと言ったんだ優、俺にも聞かせろ」
「俺も聞きたい! ていうか、優さん兄とはいえ顔近付け過ぎじゃねえの?」
「また藤倉君だけ焼いてる」
「ついに身内にまで……おい藤倉、見ろ見ろ!」
陽兄ちゃんが調子に乗ってわたしの肩を抱いてきた。
「やめて! 本気でやめて! 殺意芽生えそう! 兄とか妹とか関係ない! ただ、殴りたい!」
半ば冗談にならない表情でこちらに向かってきたところを陽兄が慌てて離して、瑛太に荒っぽく回収される。どいつもこいつも、扱いが雑。
お好み焼き屋はお店の前でお祭り用のお好み焼きを売っていたけれど、店内で腹ごしらえをしていくことになった。
中に入るとソースのいい匂いが充満していた。お腹が減ってくる。店内は外のお祭りの喧騒と比べるといくらかのんびりしていた。
しばらくメニューをみんなで決める。タネがきたのでわいわいしながらそれを焼いて、優兄が柔らかい口調で話題を戻した。
「実際問題さ、藤倉君みたいな相手にいちいち焼きもちやいてたら、身がもたないだろ。その辺は理解してる?」
「してる……けど」
瑛太はだいぶ不満げな口調で続ける。
「でも、焼かないのおかしくねえか? 好きならつい焼いちゃうもんだろ」
とても理解しているとは思えない。
「瑛太、お好み焼き焼けたよ。食べよう」
「食う」
「好きだからつい焼いちゃうんだもんね。焼いてもらえてよかったね」
「つい焼いちゃったから食べなよ」
「……尚のバカ!」
「いらないの?」
「食うよ!」
瑛太の前に皿を置いて手を前に出す。
「瑛太、待て」
「犬じゃねえ!」
*
「藤倉くーん」
腹ごしらえも終えて祭の中心部に向かっていると声が聞こえた。
そちらを見ると同じ学校の女子達が五、六人でわさわさ近寄ってきた。二人きりだと声がかけづらいけれど、今日は兄達もいるので話しかけやすかったのかもしれない。しかし、遠慮してほしいことに変わりはない。
瑛太の表情がこわばる。ちょっとゲンナリした顔を隠そうともしない。
「藤倉君達もお祭り? みんなで一緒にまわらない?」
「いや……悪いけど……」
瑛太は苦い顔でそこまで言いかけて、動きを止めた。しばらく虚空を見つめてから口を開く。
「いいよ。陽さんたちもいいよね?」
「え、えぇ?」
陽兄ちゃんが怪訝な声をあげた。優兄も困惑した顔をした。
「きゃー! やったー!」
彼女たちの目的はもちろん瑛太なので、彼は神輿よろしく中央部で囲まれて離れて行った。
一瞬、大丈夫なんだろうかと心配したそれは、かなり無駄な心の動きだった。
そこから瑛太はわたしのほうを見なくなった。女の子達に話しかけられるまま、にこにこと受け答えして一緒に歩いていく。
「うわー、尚に焼きもち焼かせようってのか……ガキくっさ……」
陽兄が童貞らしからぬ大人な感想をもらすのに、優兄が苦笑いして「しょうがないねえ」とうなずいた。
こうなると藤倉軍団とその少し後ろを歩く有村兄妹、といった構図で、とても一緒に遊んでいる感じじゃない。
「聞いてはいたけどすごいモテかただね」
優兄がのんきな感想をこぼす。
「まだマシになったほうだよ……」
だいたいの女の子達はわたしのことなんて知ったことじゃなさそうだったけれど、そのうちの背の高いスラっとした女の子がこちらを気にした様子で遠慮がちに瑛太に言うのが聞こえた。
「あの、彼女は……いいの?」
瑛太はこちらをちらりと一瞥して、首を横に振った。
「兄ちゃん達一緒だし、大丈夫でしょ」
たしかに、変な人に絡まれたりとかはないけれど、そういう話ではない。瑛太もそれはわかっているんだろう。その子の話を聞かないように、反対隣の女の子の話に大げさに笑ってみせる。
わたしも最初のうちは呆れた気持ちで瑛太を目で追っていたけれど、彼がそのうちのひとりの女の子の肩を気安く抱くようにしたときに、気持ちが一気にこわばった。
笑いながら、ちらりとこちらを見て笑う瑛太を見ていたら、お腹のあたりがぎゅっとして、呼吸が浅くなった。
なんだろう。こんなのは、彼の子供っぽいあてつけじみた行動だと分かっていたはずなのに。それがものすごく自然な動きに感じられて、心臓がどんどん速度をあげていく。
なんだかその行動は、見栄えのする彼にとてもよく似合っていた。
そう思ったら瑛太の行動がわざとやっているように感じられなくなってしまった。ちょっとだけ脳が混乱する。
彼女はわたし。なんとなく心で再確認する。
だけど、もっとたくさんの女の子と遊べる立場と可能性を彼は持っている。
もし彼がそんな風に割り切ってしまったら、わたしは都合の良い彼女になりさがるのだろうか。まるで偽物の彼女みたいに。
そうやって見た彼は、わたしの知らない人に見えて、急に足が動かなくなった。
「尚?」
優兄が異変に気付いて声をかけてくれる。
「大丈夫?」
「……か、帰りたい……かも……」
思った以上に小さな声しかでなかった。
陽兄が舌打ちして、少し先にいっていた瑛太のところに行った。しばらくして、女の子たちを残して二人で戻ってくる。
わたしは浅い息が落ち着かなくて、優兄と通路を外れた場所に移動して座りこんでいた。
「尚、ごめん……」
戻ってきた瑛太が焦った顔で目の前にしゃがみこむ。
「大丈夫?」
兄ちゃん達もいる。こんな小さなことで、あまり大げさにしたくない。軽く怒ってすまそう。そう思うのに、なにか言おうとするとえずきそうで答えられない。
「藤倉君、これ見ても、焼きもちやかせたい?」
優兄の言葉に瑛太が黙りこむ。
「表情に出ないからって頑丈なわけじゃないんだよ」
まずい。そんなことを言われたら、泣きそうだ。慌てて口を開く。
「だ、大丈夫だから! もういいよ」
大きな声で言ったけれど、みんなあまり大丈夫とは思わなかったようで、むしろわたしが珍しく声を荒げたことで、殺伐とした空気は増してしまった。
「だいたいさ、藤倉。おまえのガキくさい勝手な都合で、嫉妬させるために利用されるあの子たちの気持ちも考えろよ」
立ち上がった瑛太は少し黙っていたけれど、陽兄をひと睨みして強い語調で言う。
「あいつらだって俺の都合考えてねえだろうがよ!」
「……」
「俺は放っておいて欲しいのに、話しかけんなって言ってんのに、用もなくしつこく来るやつらを利用してなにが悪いんだよ!」
兄達が顔を見合わせる。
「前に優の言った通りだな。こいつ、危ない」
「なにがだよ」
「尚と会ってなかったらろくでもないほうに行ってただろうな……」
陽兄の台詞に瑛太が言葉を詰まらす。
「藤倉君はさ、尚しか見えてないんだろうけど、さっきの女の子達全員にも、ひとりひとり心ってもんがあるんだよ」
「……わかってるよ。だから面倒くせえんじゃんか。いつもいつも……」
瑛太が苛立ちを隠そうともせず、頭を乱雑に掻いてこぼす。
「藤倉、おまえわかってない」
頭上で言い争う声を聞いていたら楽しかった一日が台無しになってしまった気がして、むしょうに泣きたくなってしまった。
「尚、どこ行くの」
「ごめん、ちょっとひとりになりたい……頭冷やしてくる」
立ち上がって場所を移そう。泣くならどこか、こんなとこじゃないところで。
たぶんわたしは全然大丈夫じゃなかった。
今まではなんだかんだ瑛太の側が拒絶していた。だから多少嫌なことがあっても気にしないようにしていられた。
そうではないところを初めて見せられて、自分でもびっくりするくらい簡単に心が凍りついてしまったし、涙が出そうになって驚いた。
しばらく行ったところで、耐えられなくなってしゃがみこんだ。
小さな橋の欄干に寄りかかるようにして座り込み、べそべそと涙をこぼす。中心部の祭囃子に向かって、目の前をたくさんの人の足が通り過ぎていく。
こんなところで泣いているのは目立つかもしれない。早くおさめて切り替えようと思うのに、喉の奥のかたまりはなかなかどこかにいかなかった。
目の前に人影が来て、しゃがみこむ。
「ごめん……二度としないから」
「……うん」
「俺……そんな顔させたかったんじゃないんだ」
瑛太が伸ばした手に捕まって、起きあがる。
すっかりしょぼくれたその顔はわたしの知っている彼のもので、やっと声がでた。
「バカ!」
「はい」
「バカ! バカバカ!」
「はい……」
「ほ、ほんとは……」
「え」
泣いてしまった後で気持ちがささくれていたからかもしれない。押し込めていた悪態が口をついて出た。
「ほんとは瑛太にキスしようとした子のことも、許せない。あんなの……あんなの……大バカだよ!」
ちょっと驚いた顔をした瑛太が口を開けて「だ……」と言ってこちらを見た。
「だよな! だよな! 俺もそう思った!」
「あたってたらと思うと……ムカつく……、ムカつく……」
「だよなー!」
「酷い……淫乱ゴリラだ」
「その通りだ!」
「いんらんキスマシーンゴリラ!」
「そうだ! マシーンゴリラだ!」
「わたしの……れし、なのに」
「……うん」
「うー……ゴリラ!」
「ゴリラゴリラ!」
最後のほうはなにか動物の名前を叫んでいただけだったけれど、瑛太が盛大に同意してくれたので怒りを吐きだせて少しすっきりした。
「わたしも、もう少し怒ったほうがいいかな……」
「え、うん?」
「その、わたしのほうからも、なにか言ったほうがいいかなって」
瑛太ひとりに任せていないで、もう少し保護してあげたほうが良いのかもしれない。彼が今日暴挙にでたのはたぶん、焼きもちのためだけではない。おそらくは鬱憤が溜まって、少しイラついていた。
言ってからお伺いを立てるよう瑛太の顔を覗き込むと、なんだかすっきりした顔で笑ってみせた。
「いや、いいよ。女同士はもっと面倒だろうし。今までどおり、俺が対応する」
「え、そう?」
「うん。俺ちょっと色々溜まってたみたい。尚が怒ってくれたから、リセットされた」
もしかしたら彼はたんに焼いて欲しかったわけじゃなく、ちゃんと一緒に考えてほしかったのかもしれない。それが意味がなくても。
前はともかく、瑛太の女性問題は今はふたりの問題でもある。傍目には前と同じでも、わたしと彼の関係は確実に変わったのだから。
わたしだけまったく気にしないというのもひとりで闘っているみたいで、疎外感というか、きっと寂しいことだ。
わたしもわたしで、なんとか気にしないよう必死だったので、ことさらに無関係のようにふるまってしまっていた。
「尚は今までどおり……いや今まで以上に俺とイチャイチャしてくれればいいから」
「うん。そしたら遠慮するかな」
見上げて言うと瑛太は笑って返す。
「周りはともかく俺が嬉しいだろ」
「……兄ちゃん達心配してると思うから戻ろう」
「そだな」
ふたりで妙にすっきりして兄達のところに戻ろうとすると、さっき女子の集団にいたひとり、瑛太に「彼女はいいのか」と聞いた子が兄たちと一緒にいて、なにごとかしゃべっていた。
わたしの顔を見ると申し訳なさそうな顔でぺこりとお辞儀する。近くで見るとすごく可愛かったのでちょっと緊張する。
「ごめんね。有村さん、一応止めたんだけど……」
さほど知らない子だったけれど、わざわざひとりで謝りにくるなんて、珍しいくらい律儀だ。
「え、いや……瑛太が悪いし」
「うん、まさか誘いに乗るとは思わなかった ……藤倉、彼女大好きって話だったし」
その子がじとっとした目で瑛太を睨んで彼が気まずい顔で黙り込む。
「わたし、有村さんと委員会一緒で、五月ごろ、一度だけ仕事変わってもらったことあるんだよ」
「え……あ、そうなの?」
たしかに委員会はべつのクラスの子もまざるけれど仕事上はさほど交流は無いしで、そんなことも一度か二度はあったかもしれないけれど、あまり覚えていなかった。
「ごめん、覚えてない」
「うん、ぜんぜん気にしてなさそうだった。でも私は本当に助かったし、覚えてたんだ」
「そうなんだ」
「うん。私、そのときからなんか有村さんに好感持ってたから……密かに応援してたんだ」
「そ、なんだ」
手を伸ばした彼女に両手でぎゅっと手を握られて、ちょっと照れる。
優兄ちゃんが言った「彼女たちひとりひとりにも心がある」というのが彼女のおかげでわたしもなんだかしっくりとわかったような気がした。
その子が「またね」と元気よく手を振っていなくなったあと、陽兄がしみじみとつぶやいた。
「良い子だったなあ……」
「えっ?」
「えぇ?!」
「陽……まさか」
「陽さん、女子高生だよ?」
「う、うるせえなぁ! 俺はただ、いい子って言っただけだろ!」
「陽兄ちゃん、今度あの子の名前聞いとくね」
「協力すんのかよ! やめたげろ」
「藤倉、どういう意味だ!」
週明けに件の彼女、橘さんには彼氏がいることが速攻で発覚するのだけれど、それはまた別の話。




