22.別れの理由
桜の蕾が一斉に芽吹いて路面を淡いピンクに染め終わった頃、わたしは高校二年生になっていた。
瑛太とは隣のクラスから、ふたつ離れたクラスに変わった。
わたしはくうちゃんとまた一緒だったし、今までとあまり変わらず呑気な感じに過ごせそうだった。
一週間ほど経って新しいクラスの雰囲気にも慣れて来た頃、廊下で瑛太と鉢合わせた。
「瑛太、どう?」
「うん、まぁ、前よりいい感じ」
「どの辺が?」
「モテそうな女好きのイケメンが何人かいた。そいつらと一緒にいると寄って来る女と勝手によろしくやってくれる」
……イケメンを風除けにしようってのか。
まぁ、でもイケメンはイケメン同士で群れを作った方が、もしかしたら学校社会では平和かもしれない。
「でも、全体的に、前より普通に話してくれるやつも増えた気がするな」
それはわたしも感じていた。偽彼女がどうとかよりも、あの頃が瞬間風速的にピークの時期だったのかもしれない。何か自然とブームが収束して、少し落ち着いて来ているみたいな気はする。
「一年生は? なんか騒いでたけど……」
「俺のことに限らずだけど……同学年の女が睨みきかせてるから、二年のフロアにまで来るやつは少ない」
「あぁ……」
わたしの方も桑野先輩は応援してくれたけれど、お互い学校で偽の関係を続ける意味は薄くなっていた。
「……尚の兄ちゃん元気?」
「どっち?」
「両方」
「……うん。元気だよ」
なんで急にそんなことを聞いたんだろうと、嫌な予感がした。
「瑛太のお兄さんは?」
「……元気。仲良くしてる。ありがとな」
瑛太が妙に素直にお礼を言った。
予感はどんどん胸に膨らんでいく。そうして、ふたりともずっと口にしなかったことを瑛太が口にした。
「三年生、卒業したな……」
「うん」
それからまた、瑛太が黙って、ふたりで意味なく窓の外を見た。遠くに鳥が飛んでいる。
ピヨピヨ、チチィ、そんな声が小さく聞こえる。
また瑛太と向き合って視線を合わせると、彼がどこか気まず気に笑って言った。
「別れる?」
答えられなかった。
拒絶出来る理由も無いけれど。
「尚の為には……その方がいいかなって……」
「……」
「俺、まえ陽さんに言われたこと、結構頭に残ってて……」
「陽兄ちゃんの言ってたこと?」
「尚は、向こうから来てくれる奴と付き合った方がいい。俺がその機会をつぶしてるって」
「それは……。でも、瑛太の方は……本当に大丈夫なの」
「大丈夫だよ。クラス変わって、色々変わったし……」
そう言われたら何も言えない。
「でも、これからも友達として、よろしく頼むよ」
偽物の関係の別れはどこか淡々と訪れて「また明日ね」くらいの気軽さであっと言う間に現実となった。
あまりに早く通り過ぎるようにそうなってしまって、わたしの気持ちが追いつく前に、急にぽっかりと空いた穴のように無くなってしまった。
*
「ただいま」
リビングで兄二人が揃ってたので座る。
「尚、どうしたの? 元気ないけど」
優兄がわたしの顔を見てすぐに目聡く気付いて言う。
ふたりが心配気な顔でわたしを見て来る。これは、黙っているわけにもいかない。仕方なく、まだあまり口に出したくない言葉を吐いた。
「別れた……」
「え、急だね」
「急でもないだろ。桑野もういないんだし……」
「あ、そうか……」
「うん……」
時間切れ、ということだろう。
そのまま今日話したことをぽつぽつ言った。
黙って聞いていた陽兄が口を開く。
「まぁ、あいつも少しは大人になったんだろ。どの道、尚の幸せを考えようともしねえ奴にはやれねえよ」
「陽兄………………相手に完璧さを求めてもしょうがないよ。そんなの求めてるから彼女できないんだよ……」
「妹の為を思って言ったのにその辛口コメントかよ!」
「まあ、仲良くはなったんだし、これからは友達として……頑張ればいいよ」
「……うん」
優兄が慰めるように優しく言う。
「尚は本当に付き合ってたわけじゃないんだから、失恋したわけじゃないんだよ?」
「そうだけど……」
でも、すごい失恋した気分……。
*
わたしと瑛太が別れたことはすごい速さで広まった。たくさん言い回ったわけでもないのに、拡散率がすごい。
ただ、瑛太の周りが以前と同じようになることはなかった。もちろん水面下のことは分からないけれど、見た感じは前ほど酷くない。
バレンタインで全チョコ拒否の偉業を成し遂げたのも効いているのかもしれない。あそこでバッサリ振られた子達がなんとなく他に目を向けたり、彼氏を作ったりしていた。
それから瑛太はわたしと付き合っているフリをしていた頃、彼女持ちの人として色んな人と世間話なんかをしたりもしていた。
一度友人のように普通に話した人を今更アイドル扱いはできない。彼は人間の尊厳を多少回復させていた。
友達として、と言ってもやはり関わりは薄くなった。瑛太の方は男子の友達を前よりたくさん作ったのもあってなおさら。
教室移動の帰り、忘れ物をしてひとりで歩いていたら、少し遠くの廊下の窓際で瑛太がイケメンと会話して笑っているのを見た。楽しそう。お似合いで余計に遠く感じる。
「尚!」
わたしに気付いた瑛太が軽く手を振る。それから街で戦地の旧友を見かけたかのように笑顔で駆け寄って来た。
「久しぶりだな」
別れて一週間くらいしか経っていなかったけれど、あまり顔を合わせる機会が無かったので確かにえらく久しぶりに感じられた。
「あ、瑛太、野田さんの話聞いた?」
「あぁ、見た。すげえな」
彼女は最近突然丸坊主にして登校して来てみごと校内の注目を集めた。そんな方法でいいのだろうかと思うけれど、見かけた本人がこの上なく満足そうにしていたので良いんだろう。
思い切ったよね、と言い合い、ふと気付く。
「あれ、別れたばっかなのに、あんまりなごやかなのもおかしくない?」
「あ、そうか」
「ていうか別れた理由……決めてなかったね」
「俺一度聞かれた時困ったよ」
「なんて答えたの?」
「……性格の不一致」
「それだと喧嘩したみたいだけど」
「だよなぁ。あ、そしたら俺の浮気でどうだ?」
「どうだ? って……何誇らし気にしてるの。それでいいの?」
「浮気するような奴はモテないだろ。好感度落ちるだろ」
「何陽兄みたいなこと言ってんの……現実は何故かそうでもないしマトモな人が遠ざかるだけだよ。それに簡単にそういうことを出来る相手として、今度は体方面から瑛太が特に苦手とする肉食のものすごいのに沢山狙われるだけ」
「お、おう……」
少し離れたところでそのまま待っていたイケメンを見ると目が合って、にっこり笑ってこちらに来た。
瑛太の隣に立って、にこにこ笑ってわたしに小さく頭を下げる。
「元カノ」
「知ってる。紹介してよ」
「え、やだよ」
「なんで?」
「お前軽いから」
「……は?」
思わず、軽いと言われたイケメンと顔を見合わせた。
*
「なーおちゃん」
放課後にひとりで昇降口を出ようとしてると声をかけられる。振り向くと昼間の瑛太の友達のイケメンがいた。
「ええと……」
「冴木」
「うん。あれ、わたし名前言った?」
「知らないわけないじゃん? 藤倉の元彼女の有村尚ちゃん」
まあそうか。あれだけ目立つ人間と半年間一緒にいたのだから、名前は校内に轟いていてもおかしくない。
「なおちゃん、好みのタイプなんだよね。オレ今フリーだし、他がいないなら考えてよ」
「本当に軽い……」
そう言うと冴木君は笑った。
「いや、俺前から藤倉といるとこチラチラ見かけてさー、なんか面白いなってずっと思ってたんだよ」
「……面白い……」
誉め言葉なんだろうか。微妙だ。
「うん、無表情なのに、ムスっとして不機嫌な感じでもなくて、変な感じだなって見てるとたまーに笑ったりするのがたまらない感じっていうの?」
「そんなの……言われたことないけど……」
「そりゃないでしょ。彼氏持ちだった……あ、やべ」
そこまで言って冴木君が廊下の方を見たのでつられてそちらを見ると怒った顔で瑛太がこちらに歩いて来ていた。
「なんだよ藤倉」
冴木君が悪びれるでもなく笑いながら瑛太に言う。
「尚は駄目だって言ってるだろ。他にしろよ。お前なら幾らでもいるだろ」
「幾らでもいるわけないじゃんね。もう別れたんだからいいでしょ……」
前半はわたしの顔を見て後半は瑛太の顔を見て確認するように言う。
「お前は駄目」
「誰ならいいの?」
聞かれて瑛太は上を見て考え込んだ。
「……なんていうか……もっと……真面目で信頼出来る誠実な若者だよ」
「お前なおちゃんのお父さんかよ……」
確かに。何者なんだと言う発言だ。
冴木君は不可解な顔をして頭をガリガリ掻いた。
「ってかさー、なんでふたり別れたの? ついこないだまで超仲良かったじゃん。バレンタインも彼女から以外受け取り拒否なんてしてさ。今だって険悪でもないし」
「え……っと」
「性格の不一致だって」
「んー、なんかちがうな。ちがうこと……」
冴木君が意外に鋭い勘を発揮する。
「性の不一致……もちがうよねえ。中庭でエッチしちゃうくらいだもんねー」
「そ、んなこと……」
「してねえよ!」
「んーオカシイ。なんっかオカシイ! 俺の勘がささめいている!」
ささやく、じゃないのか。冴木君、勘は鋭いけど日本語はおかしい。
「んー、教えてはくれなそーだね……」
「大した理由じゃないから……気にすんなよ」
冴木君は納得行かない様子で瑛太の顔を下から覗き込む。
「……そーお?」
「そうだよ」
それからわたしの方にぴょこんと移動して顔を覗き込んでまた「そーお?」と確認してくる。
「うん……」
「んんー」
冴木君は目を閉じてしばらく唸っていたけれど、やがて目を開けて頷いた。
「まぁ、いいや。またねー、なおちゃん」
なんとか諦めて引き下がってくれた。良かった。気付けばそこに瑛太と取り残されていた。
「帰ろっか……」
「うん」
別れたはずがいつのまにか流れで一緒に帰ることになっている。色々雑だったかもしれない。
「ちゃんと決めておけば良かったね……別れた理由」
「だな。でも……なんかある?」
「んん、と」
学生が別れた後も仲良くいられる理由なんて、あまり思いつかない。同時に心変わりとか……駄目だ。他の新しい相手がいないと変な感じ。
「なんか……考えとく」
「阿呆らしいな……」
「うん……ていうか瑛太、なんでお父さんみたいになってんの……」
「お父さん言うな」
「……」
「でも俺は尚の為を思って別れたんだから……変な奴と付き合って傷付くなら俺が気を使った意味がないじゃんよ」
「わたしの為に別れたなら……そもそもそんな必要なかったのに」
「え、でも陽さん……」
「うん。陽兄ちゃん言ってたよね。わたしは、結局自分から好きになった人以外見向きもしないって」
「まぁ、そうも言ってたけど……」
「それは本当だよ。だから別に、わたしが自分から誰か好きになるまで……」
「うん」
「瑛太がまだその……ちょっとでも……必要なら……」
なんだか恥ずかしい。だんだん声が小さくなる。
瑛太がこちらを見てまた「うん」と言って前を向いて歩く。
「じゃあ、それまで……出来たらもうしばらく……」
瑛太はそこから急に小さい声になって
「俺の彼女でいて」と言った。