21.学校にて
一緒に出かけた翌日。朝から着信があって、見ると瑛太からだった。そのまま折り返す。
「尚、昨日俺の買ったステッカー知らない?」
「……知るわけないじゃん、一緒に住んでるわけでもないのに」
「買った後に尚の袋持ってて、小さいからそっちの袋に入れちゃった気がすんだよ。後で帰りに回収しようと思って……もしかして袋捨てちゃった?」
「え、あ……待って。見てみる…………」
衣料品関係の紙袋はお母さんが纏めてる場所があるので、そこに突っ込んで置いたはずだ。スマホを耳にあてたまま移動して押入れをゴソゴソ探る。昨日入れたばかりなので出しやすい位置にあった。
「あったよ。瑛太が買ったなんに使うのかよくわかんない変ちくりんなステッカー」
「余計な感想は混ぜなくていいだろ! 尚、今日はなんかあんの?」
「今日はねぇ、わたしは学校に行くよ」
「……何しに?」
「ずっとないないと思ってた水筒をロッカーに置きっぱだったことを思い出したから……」
「もうすぐ春休み終わるのに今気付いたんだ……まぁいいや。俺も行くからステッカー、一緒に持って来て」
「わかった。……一応制服着た方がいいのかな」
「あー……だろうな」
この辺は学校によるのかもしれないけれど、うちの学校では休み中でも学校に行く時は基本制服着用だ。忘れ物くらいで面倒だけど仕方ない。瑛太なんてステッカーの為に着なければならないのだから。
電話を切って制服を着る。廊下で優兄に声をかけられる。
「あれ、尚どうしたの?」
「学校に忘れ物取りに行ってくる」
「……それだけ?」
「ついでに瑛太にも会うけど……」
「なんか可愛いと思った。いつも可愛いけどね」
表情なのか、前髪の感じなのか、優兄の謎のセンサーはあなどれない。こうやって小さなちがいとも言えないくらいの微細な変化を感じ取り、幾多の女の子にモテてきているんだろう。
玄関を出ると原付でバイトから戻って来た陽兄に鉢合わせる。ヘルメットを取って原付に跨ったまま言う。
「お、尚! どうしたんだ? 休みなのに制服なんて着て! 大丈夫か? 寝ぼけてるのか? まちがってないか?」
「忘れもの取りに行くの」
「そうか! 餃子貰って来たぞ! 今ここでひとつ口に入れて行くか?」
「……お、お腹いっぱいなんだ。帰ってからにする」
*
校庭では野球部が練習していた。サッカー部も。土を踏み鳴らす音と、ボールが地面に擦れる音。それから話し声と、色んな音がしていた。
誰もいない校舎に足を踏み入れる。いつもより静かで、学校も休んでいる感じ。
瑛太はまだ見当たらなかったので先に教室前の廊下に行き、自分のロッカーを開けて水筒を取り出す。いつもより、がちゃんという開閉音が響く気がした。
「お、有村か?」
担任の三輪先生がちょうどいて、わたしに気付いた。制服で来ててよかった。
「水筒忘れたんです」
「なんだなんだ。今頃気づいたのか」
「はい。昨日やっと思い出せました」
先生は苦笑いして、軽い溜め息を吐いた。
「お前もまぁ、色々と……大変だとは思うけど……頑張れな」
ぼんやりぼかされてるけれど、瑛太とのことだろうか。先生にまで知られている。でも、考えたら当たり前か。
「藤倉君のことですか」
ぼかされていた部分を取り出すと先生はちょっと口元を歪めて笑って頷く。
「うん。俺は正直お前みたいな真面目な生徒で良かったと思ってるんだ……助かってる」
「わたしが真面目だと、助かるんですか」
「俺も色んな学校いたからな。藤倉みたいなやつはたまにいたよ……。で、ああいうやつが調子に乗ってハーレム結成するとな、学校全体の雰囲気が悪くなるんだよ」
「あぁ……」
「それに若いうちはとにかく周りに影響受けやすいからな。藤倉は、あれで根が真面目な奴だから……悪いのと付き合って影響受けると……先生達も困る」
「……」
「お前らはまぁ……ほのぼのやってるみたいだし……そうすると周りも毒気を抜かれるんだよ」
結構周りの反応が殺伐としてることもあるんですけど……。まぁ、わざわざアピールすることでもないかと胸にとどめた。
「お前には職員全員を代表してお礼を言うよ」
先生が冗談めかして言って笑う。若い女の先生にはひとり瑛太と付き合ってから何故かわたしを嫌いっぽい人もいるし、割と無関心そのものの人もいる。あからさまに面倒だな、という顔をしてる人もいる。担任がこんな感じで良かったかもしれない。
下駄箱の方に戻ると瑛太がちょうど着いたところで、こちらに向かって小さく手をあげた。
「尚、水筒もう回収したんだ」
「うん、これステッカー」
手に持っていた水筒を鞄に入れて、代わりに瑛太のステッカーの袋を取り出す。
「さんきゅ」
「さっき三輪先生がいて……」
言いかけた時本人がこちらに来た。何か段ボールを持っている。
「お、藤倉もいたのか」
「なんすかその荷物」
「これは入学式の準備だよ。そうだ、藤倉。ちょっといいか」
先生は段ボールを少し離れたところに置いて瑛太を手招きした。
ボソボソとわたしには聞こえないくらいの音量で二、三言交わして瑛太が戻って来る。
「おまたせ。帰ろ」
そのまま一緒に校舎を出た。
「なに話してたの」
「ん? あー……本当にはしてないとは思うけど、学校でエロいことすんなよって……ほら、噂になってたから。そんなようなこと言われた……」
「……」
体育館の脇を通るとバスケ部の練習の音が聞こえた。ボン、ボンとボールの弾む音。キュッキュッという足の音。それから騒がしい声。
瑛太が横目で見ながらぽつりと言う。
「いいなー」
「あ、やっぱやりたいの?」
「あそこには戻りたくない。俺嫌われてるし」
「そうなんだ……」
「べつにバスケに特別思い入れがあるわけでもないんだけど……友達いないとああいう皆でやるボール遊び全般できねえからなぁ……」
「全然やってないの?」
「春休みに入ってから一度中学の仲間と集まってフットサルやったよ」
「良かったじゃん」
瑛太の中学の同級生は近隣なのでもちろんうちの高校にもそこそこいるのだけれど、距離を置かれて疎遠になったのか、別の高校に行った人の方が仲良しが多いようだった。本人もその方が気楽なんだろう。
「……でもなんかひとり彼女呼んでたやつがいて……」
「え、まさかまた……」
矢中君の悲劇があったのだろうか。瑛太が察して首を横に振る。
「そういうんじゃないよ。俺の友達の彼女はそこまでバカじゃねえ。ただ、女友達何人か連れて見に来てて、そのうちのひとりが俺のこと知ってたんだ」
「……」
「あの人は高校ですげーモテてる有名人だとかなんとかはしゃいで、写真とか撮り出すから、なんか変な空気になっちゃって……」
「あー……それは」
「周りの友達も俺がちょっと悩んでたこと知ってるから……さりげなく止めてくれてんだけど……でもそいつ全然気にしねえの……。ひとりではしゃいで、俺の高校での現状を言いまわって……彼女いるけど浮気しまくりだと思うとか、妙なことまで」
つまり、有る事無い事言われて色々台無しだったわけだ。瑛太は思い出したら落ち込んだのか小さくぼやく。
「中学の同級生もなー、どことなく変わった気がすんだよな。友達と遊ぶんだから彼女なんて一日くらい断ればいいのに……両方にいい顔しようとするから」
「両方にっていうか、むしろ彼女に見せたかった可能性もあるけど」
「あー……まぁ、そうなんかな……」
高校生になって彼女が出来たら夢中になってそちら優先になる人もいるだろう。もちろん人によるし、それとは別に男同士で遊びたい気持ちもちゃんとあるだろうけれど。少なくとも中学生男子と高校生男子は、少しちがう気がする。良くも悪くも、少しだけ大人っていうか。
「俺も尚連れてけば良かった……」
「……なんの意味も無いと思うけど」
「変なこと言われないですむだろ……。それに……尚はいるだけでいいんだよ……なんとなく」
安全祈願のお守りみたいになってるけど。そんなにご利益は無さそう。
「入学式の準備って言ってたな……三輪」
「うん」
「もう学年変わるんだな……なんかあっという間だったけど……」
「そうだね……」
「だな……」
そんな話になったら、ふたりともなんとなく思い出したように黙り込んでしまった。
休日の学校を出るといつもの街だった。
あそこはなんだか閉じていて、中に入ると安全だけど、とても狭い。