19.卒業式
少しだけ、眠い。
体育館では卒業式の練習が行われていた。
送る側なので卒業式にまったくしんみりさも緊張感も無い。そもそも練習だったのでなおさら。二年生ならまだしも、一年には我が身に置き換えるにも先過ぎる。
練習が終わって廊下の混雑を避けるために二年生が先に体育館を出た。一年生はまだ待機。もう整列はしてなくて色んなところにまばらに散らばってしゃべったりしていた。
「尚知らない?」
人混みの中少し遠くから瑛太の声が聞こえる。どこかで探されている。
周りを見回したけれど、人が多かったのでぱっとは見つけられなかった。
「尚見なかった?」
また、聞いてる。声だけ聞こえる。もちろん騒がしいのだけど、なんか声が通るし、わたしの持ってるセンサーが拾ってしまう。
「さっきその辺で見たけど」
「わかったさんきゅ。尚、ナオ、なーお。出てこいなーおー」
やっと姿を見つけてそこに駆け寄った。これ以上大声で阿呆みたいに連呼されたらたまらない。
「瑛太……かんべんして。ていうか猫の物真似みたいになってるよ」
「あ、いたいた。尚。探したじゃんよ」
瑛太は近寄って来て、捕まえたと言わんばかりに片手で肩を抱く。
「一体なに?」
「なにってわけでもねーけど、体育館で催し物があると帰りに高確率で女の先輩に声かけられるから」
「あぁ」
確かに、遠くで目立つ可愛い子が二年生男子に声をかけられて話しているのが見えた。先に出たはずの二年生が少数まばらに残っているのは部活で面識のある一年生と話したりが目的かと思っていたけれど、全部がそうでも無いらしい。
「そういうこと、さぁ行こう。俺の可愛い風除けしもべ」
何か、可愛いブタゴリラ、みたいな矛盾を孕んだフレーズだ。わたしの両方の肩に手を置いた瑛太が、ふざけてわたしの後ろに隠れるように身を縮めてヨチヨチ歩く。これは、完全に小学生男子の動きだ。
「俺の風除け小さいなー」
隣に来て今度は手を掴む。さすがに歩きにくかったんだろう。
「手まで繋ぐ必要はあるの?」
なんか……学校帰りはともかく校内のこんな短い距離でやってるとバカップルみたいで阿呆みたいなんだけど。
「なるべくイチャイチャしながら帰るんだよ! それが長生きの秘訣だから!」
なにか駄々っ子のように言い放って指を絡めて持ち上げる。そしてブンブンと振る。完全なる小学生男子そのもの。
正面で人と話していた野田さんがわたしと瑛太を見て動きを止める。
「アナタ達いつもイチャついてるから、今更そんなことしても珍しくもなんとも無くて目立たないわよ」
別に目立つ為にやってるわけじゃない……。
人は、ついなんでも自分基準でモノを考えて見てしまうというのが、彼女を見ているとよくわかる。
「野田さん、相変わらずだね」
「うん。ブレないな……」
「最近も……風はちゃんと防げてるの?」
「うん。まぁ、単に飽きられて来たのもあるだろうけどね」
クラスがちがうし、四六時中見張っているわけではないので分からないところもあるけれど、だんだん瑛太のモテは、異常にモテる人のそれから、普通にモテる人のそれに近付いて来ている印象はある。
その理由は単にイチャついてるからだけでなく、その内面のガキくささが周りも露呈して来たのもあるのではないかと密かに思っている。
*
やがて、卒業式本番の日が来た。
わたしはさほど関係が無かったのだけれど、在校生の中にも先輩との別れを惜しむ子はたくさんいる。練習の日とはちがって、少しのしんみりと、新しい門出を祝う明るさの混じり合った、不思議な空気が流れていた。
式が終わって三年生が校内に散らばっていた。そこここで、在校生と話したり、友達同士で別れを惜しむ姿が見受けられる。
一年の廊下にも卒業生は少しいた。それを横目に眺めながらトイレに行って帰る途中、どこかから瑛太の声が聞こえた。
「尚知らない?」
何か覚えがあるフレーズだ。しかもちょっと前回と比べて焦っている。
「は? どこ?」
なんでちょっとキレ気味なんだよ……。
何かしただろうかと怖くなる。
クラスメイトの男子が軽く困惑気味な顔で教室の扉の方からわたしを軽く指す。
「尚、どこ行ってたんだよ」
えらい急ぎ足で近寄って来る。何事だろう。
「あ、そうか。三年生がいるから」
「そうだよ。離れんなよ」
「ごめんごめん。でもトイレくらい行かせてよ。それくらいひとりでなんとかなるでしょ」
「駄目だよ。どこにいたって絶対あいつ来るだろ」
「は? なに、そういう話苦手なんだけど。……瑛太お化けの三年生にも狙われてたの?」
瑛太が盛大に眉根をしかめて首を横に振ってみせる。
「俺じゃなくて……」
「ん?」
「……ホラ、出たじゃねえか……」
瑛太がわたしの背後を指差して言う。
「やだ、やめてよ……」
おそるおそる振り向くと桑野先輩が少し離れたところにニコニコして立って、小さく手を振っていた。
それからなんとなく瑛太の方に顔を戻してびっくりした。
「わ、こっちも出た」
思わず口に出してしまった。
瑛太の背後に知らない三年生の女生徒が立っている。卒業生に挟まれた。
「藤倉君、ほんとに五分だけいいかな。何人かでいいから一緒に写真をって人達が……」
瑛太はじっと桑野先輩を睨みつけていて、動こうとしない。わたしの肩はガッチリ地面に押し付けられるようにホールドされている。その姿は彼氏というよりさながら番犬のようだった。
「すごいね。ふたりで話……させてもらえなそう」
桑野先輩が冷静に驚いた口調で言う。
「藤倉くーん……」
何人かの代表で来てるんだろう。女の先輩の方も困った声を出す。
「まぁいいか。ちょっと尚ちゃんの顔見に来ただけだし。元気にしてた?」
「は、はい」
桑野先輩はそのまま会話をすることにしたらしい。この人もたいがい神経が太ましい。先輩は瑛太の顔をちらりと見てから、わたしを見て含み笑いをもらす。
「俺が行くの比較的この近くの大学だから、これからも、いつでも会えるよ。尚ちゃん」
先輩はストーカーとして見たらかなり怖い台詞を吐いてふふふと笑ってみせた。すごい。どの道学校からはいなくなってしまうので、効果があるかは分からないけれど最後のエールを送ってくれてるのは分かる。
「先のことがちょっと気になるけど……別れたらすぐ連絡してね。迎えに行くから」
「来んなよ! 怖いわ!」
「尚ちゃん、頑張ってね」
「は、はい」
「本当にいつでも連絡してね。これは本当」
「しつけえぞ眼鏡!」
瑛太がイライラして幼稚な野次を飛ばし始めたので先輩は笑ってその場を去った。「卒業おめでとうございます」も言えなくて心苦しい。
振り返った時女の先輩はいなかった。場の異様な空気に引いたんだろう。
「瑛太、良かったの? さっきの先輩困ってたけど」
「尚に比べると俺の仕事たまにしかないのに……そんなもんに行けるかよ」
「まぁ、確かに」
瑛太の側からしたら最後の大仕事と言えなくもない。わたしからすると先輩の最後の大仕事ぶりの方に感嘆を覚えたけれど。