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藤倉君のニセ彼女  作者: 村田天
本編
18/32

18.くちびるにりんご



「厄日だよ」


 と言ってわたしは教室の自分の席に座り、後ろのくうちゃんの机に頭を埋める。


「厄日って、なおちゃん朝からどうしたの」


「朝から変な女に絡まれた……」


「ええー」


「本当に付き合っているのかしら……アナタみたいな庶民派の女と付き合うなんて裏に政治的な策略があるんじゃないかしらうんぬんかんぬん、みたいなことを……しらないよ……だとしたら藤倉君可哀想とか……ちなみにうちは父親が社長でお金持ちよとか……よく分かんない株式の話までされて……しらないよ……可哀想なのはどう考えてもわたしだよ……」


「大丈夫だった?」


「うん。……瑛太本人がたまたま通りかかったから、一緒になって誤魔化して走って逃げた」


「良かったねぇ」


「良くない……疲れた……みんな瑛太が悪い」


 くうちゃんに愚痴をボロボロこぼす。


「わたしがこの間珍しく見知らぬ男子に話しかけられて、やたらと可愛いとか気になってたとか言われて……そのすぐ後にその人が藤倉の女取ってやんぜみたいなしょうもないことを周りに言って息巻いてるのを目撃してやさぐれた気持ちになったのも全部瑛太が悪い……」


「それは……その告白して来た方の男子が悪いんじゃないかなぁ……」


 くうちゃん、意外と冷静である。


「あー瑛太が悪い……」


「なおちゃん、ちょっと屋上出ない?」


 落ち込んでいるわたしをくうちゃんが休み時間に教室から連れ出してくれた。けれどあいにく屋上の空は厚い雲に覆われていた。雨は降っていないけれど、いつ降り出してもおかしくない。台風の前のようなぬるい風が吹いていた。


 屋上の柵を掴んで座り込む。遠くを眺める。


「たまに落ち込むんだよね……本物彼女ならともかく、偽なのにこんな目にあってさ」


 みんなが羨む彼氏に愛されて辛い、とかではない。べつに愛されることもなく、嫌な部分だけを引き受け……ごく普通に辛い。

 そりゃあ、楽しいことだってあるし、得がゼロとは言わない。それになにより自分でやると決めて相手を騙してまでやっていることだ。

 だからこそ、くうちゃんくらいにしか甘ったれた愚痴はこぼせない。


「くうちゃーん、つらいよー」


「なおちゃんは、頑張ってるよぉ」


「ほんと?」


「本当にえらいよぉ」


「そうかな……」


「そうだよぉ……普通はそんなに我慢出来ないよお……」


「そうかな。えらいかなぁ……」


「うん、絶対えらいよぉ」


「えへへ……」


 はぁ。少し満足した。

 くうちゃんも半分冗談なので、くすくす笑っていた。


「わたし、もしこの恋が終わったら、次に好きになるのはもっと普通の人がいい……。それで、嘘ついたり、騙したりすることもなく、向こうもわたしのこと好きになってくれて、周りも誰も邪魔しないような……そういう恋愛をちゃんとしたい……。くうちゃんみたいに、もっと……」


「そんないいもんでもないよぉ……」


「それに、わたしはどうせ、ひとめぼれなんだよね。くうちゃんとはちがう……」


 くうちゃんは「うぅん」と唸って隣にしゃがみこんだ。


「ひとめぼれって言っても、なおちゃん、何度も見に行ってたじゃない? それでどんどん好きになったんだから、途中からはもうひとめぼれじゃないよぉ……」


「でも、話したこともなかったんだよ」


「どんな表情で笑うか、それだけで人柄って出ると思うんだぁ。それ、ちゃんと見ないとわかんないじゃない?」


 確かに笑顔ひとつとっても、優しい笑い方と嫌味な笑い方では印象はちがう。

 同じ状況で出てくる笑みが困った笑いなのか、馬鹿にした笑いなのか、楽しそうな笑いなのか。それから喋り方にも同じことが言える。誰に対している時にどんな顔で、どんな声で、どんなことを言うのか。断片的だったとしても、人によってちがいはある。


 瑛太は、最初に見た時から瑛太だった。

 そんなに元気は無かったし、楽しそうにもしていなかったけれど、やっぱり彼だった。


 だから最初にぼんやり抱いていた偶像的なイメージが崩れた後も、どこか「やっぱり」みたいな気持ちも少しあった。ずっと元気が無かったけど、話してみたらちゃんと明るい人だったから。


「なおちゃんは、そういうのを知ろうとして見ていたんじゃないかなぁ……」


「……そうかな」


「うん。だから内面知っても冷めなかったんだよ。ほんとうに見た目だけを好きになったなら……外から嫌なこと言われたり、辛いこともたくさんあったし、ここまで続かなかったんじゃないかなぁ」


 くうちゃんはいつも、やや強引なまでにわたしの味方に立ってくれて、慰めてくれる。他の女の子達と本当は何も変わらないわたしを、なんとかこじつけてちがうと言ってくれる。彼女の優しさでだんだんいじけた気持ちが小さくなって、元気が出てくる。


「ありがとう……! わたしが男ならくうちゃん好きになってる……!」


「なおちゃん……この間、男に生まれたら藤倉君のお兄さんの彼女好きになるって言ってなかった?」


「……だ、大丈夫! 恵麻さんにはどうせ振られるから!」


「なおちゃぁん……それちょっとひどくない?」


 くうちゃんが笑いながらちょっと呆れている。


「まって、信じて……やっぱくうちゃんだけ……!」


 男じゃなくてよかった……。

 とんだ二股キープのゴミクソ野郎になるところだった。ていうか、よく考えたらくうちゃんでも確実に振られるじゃないか。


 立ち上がったくうちゃんが笑顔でわたしに聞く。


「なおちゃん、藤倉君のこと好き?」


「……好き。すごく。すごくすごく好き」


 たまにくうちゃんがこうやって聞いてくれるのが、わたしはとてもありがたい。周りに対する演技でも無く、瑛太本人にしているように隠すでもなく、わたしの本当の素の気持ちを心置きなく言えるのが、嬉しかった。

 なんとなく片想いをしていた時の平和な日常を思い出せる。しがらみなく好きと騒げる片想いは、それはそれで結構無責任で楽しいものなのだ。


「戻ろうか」と言ってそこを出た。ふたりで黙って階段を降りる。自分たちのフロアに戻って来た。


 廊下の先を見てくうちゃんが小さな声をあげる。


「あ、藤倉君」


「あーっ! どこ行ってたんだよ! 尚、 お馬鹿!」


 本人には顔を見るなりお馬鹿扱いされる……。最近のわたしってサンドバッグにちょっと似てる気がする。


「屋上行ってた」


「何しに?」


「くうちゃんと……いろんな話」


 曇天に向けて偽彼氏の愚痴を吐きに……。


「あぁ」


 瑛太が横目でちらりとくうちゃんを見た。くうちゃんも瑛太にぺこりと小さく控えめにお辞儀をしたけれど、二人ともお互い興味が無かったようでそのまま話すこともなかった。





 雨は降りそうで降らないまま、お昼休みになる頃には空に晴れ間が覗いていた。瑛太が教室に来て一緒に扉の外に出る。


 どこで食べようか、と話して人の少ない非常階段になった。少ないというか、このスペースはふたり居るといっぱいなので、カップル席とか言われていた。


「瑛太、玉子焼き食べる?」


「食べる」


「どうせ盗られるから、多目に焼いてもらったよ……」


「ほんとに? やった」


 瑛太はわたしがお弁当箱を開けるところを身を乗り出して覗いていて、出て来た玉子焼きをお行儀悪くひょいと摘んで食べた。


「尚、なんか元気ない?」


「瑛太が悪い……」


「なにが?」


 玉子焼きを食べている間は割となにを言っても怒らないだろう。飲み込む前に早口で朝の恨み節をぶつけておく。


「瑛太が悪いんだよ……。社長の娘は政治的策略だと思ってるんだよ」


 瑛太は玉子焼きを集中して味わい、ごくんと飲み込んでからわたしを見た。


「何言ってんのかわかんないんだけど……今朝のヤバい先輩の話? 俺が悪いの?」


 ちゃんと分かってるじゃないか。


「あ……じゃあ、俺の本気も見る?」


「なにそれ」


「尚の本気はもう見せてもらったから、今度は俺が本気でイチャつくんだよ。絶対俺の方がすごいから!」


 相変わらず小学生のような思考だ。


「ねえねえ、尚。俺もなんかやってみていい?」


「……好きにしなよ」


 瑛太はそこから少し考え込んだ。胡座をかいたまま、顎の下に手をやって「うーんなんにしよっかな」と思考する。


 やがて「よし」と呟くとわたしの持っていたお箸を取り上げた。


「な、なに」


 それだけではなくお弁当箱まで取り上げられた。


 小学生男子のイチャつくって、お弁当のカツアゲなの?


 不可解に思っているとお弁当のコロッケを器用に箸で半分にして持ち上げて、わたしの口の前まで持って来た。


「はい」


 口を開くとコロッケが自動的に入ってくる。

 もぐもぐもぐ。喋ることが出来ずとりあえず口を閉じて咀嚼しているさまを瑛太はじっと見ていた。ごくん。飲み込んだ。


「じゃあ、次これ」


 口を開こうとすると続いてブロッコリーが目の前に来た。


 次々におかずが口に運ばれる。合間にご飯、それからパックのジュースも口元に運ばれる。


 いつまでやるんだろう。飽きないのかな。そう思ってちらりと彼を見ると、時々肩を震わせてくすくす笑っている。何が愉快なのかは分からないけれど、すごく楽しそうだった。


 お弁当箱が終わって、デザートの入った小さなタッパーが開けられた。中身はりんご。


「あれ? ……ま、いいか」


 瑛太が妙な声をあげて、うさぎになっているりんごを指でつまんだ。どうも、お母さんがいつも入れてるプラスチックの串を忘れたみたいで、フォークの類いが無かったので声をあげたらしい。


「ん」


 口元にりんごが持って来られる。


 しゃく。りんごを齧る。

 手からだと、さっきより少し恥ずかしい。


 口の中のものが無くなった頃合いを見計らって残りのりんごが口に入れられた。指がほんの少しくちびるに触れた。


 それから、あ、と気付いた顔で身を乗り出して、わたしの顔を覗き込む。


「な、なに……」


 瑛太はそのまま指先でわたしの唇を拭った。


 わたしは数秒、動けなかった。


「はい、ごちそうさまー」


 結局まるごと一食分を食べさせられた。瑛太はくすくす笑っている。


「ねえ、瑛太。楽しそうなところ、なんだけど……」


「え、なに?」


「ここだと、イチャついても誰も見ないよ……」


「マジか!!」



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