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藤倉君のニセ彼女  作者: 村田天
本編
15/32

15.バレンタイン



 つめたく冷えた空の遠くに、小さく鳥が飛んでいるのが見える。


 二月に入り、中盤にはおきまりのイベントが控えている。瑛太は二月の頭ごろからずっとブツブツ言っていて、憂鬱を隠しきれない様子だった。


「学校休もうかな……」


「家にいたってどうせ来るよ」


「怖いこと言うなよ……俺そういう話苦手なんだ」


 何も怖いことなんて言ってない。チョコはお化けじゃない。


「でも……彼女持ちにチョコあげることないよな?」


「わたしは彼女持ちにはあげないタイプだけどさ、義理とか、記念とか、友チョコとか、義理に見せかけた本命とか、色々あるからね」


「中学の頃義理チョコ家まで持ってこられて困惑したことあるんだよな……なんでそこまですんだろって」


「そりゃ本当は義理じゃないよ。義理って言っておけば振られはしないからね。それでいて可能性があれば上手くいくし……」


「ああ面倒くせえ……山にこもりたい……」


 陽兄ちゃんが聞いたら発狂しそうな拒絶反応だ。


「そしたら、帰りにうちに来る?」


「尚んち?」


「うん。優兄はバレンタインはいないだろうけれど、陽兄は絶対いるよ。夕ご飯食べて夜遅くに帰れば?」


「行く」


「学校はちゃんと行きな。どうせ休んでも机とか下駄箱とかに詰められるし、それ一日放置したらなんか汚いじゃない」


「分かったよ……」


「直接来る本命っぽいのは彼女以外からはもらわないって断りな。それから休み時間はなるべくわたしのとこに来てれば、向こうは渡しにくいから」


「なるほど先生!」


 瑛太は少し安心したのか「俺いい彼女持ったな〜」などと言いながら少し前を歩いて行く。


 付き合いだして四ヶ月が経っていた。

 相変わらずわたしは偽彼女で、進展は無かったけれど、たまにそれで良かったと思うこともある。


 もし本物の彼女だったなら、バレンタインに瑛太に本命チョコをあげようとする可愛い女の子にもっと嫉妬していたかもしれない。やめて。取らないで欲しいと。


 もっと感情を爆発させて、泣いて瑛太に無茶な要求をたくさんして、自分も辛くなっていたかもしれない。


 しょせん偽彼女。たまに辛くなることはあるけれど、反面、想われてはいないという感覚はわたしをいい具合に抑制して、関係を円滑に運ばせている気がする。それに、最初から恋愛関係ではないからこそ冷めて振られることもない。付き合っていないからこその余裕も存在するのだ。





 バレンタインの朝、朝ごはんを食べている背中に陽兄が歯ブラシ片手に声をかけてくる。


「尚、今日、藤倉来るんだっけ」


「うん」


「俺いねえからな」


「え、そうなの?」


「バイト入った。代わって欲しいんだとよ……彼女持ち様がよぉ……」


 そんな怨念のこもった声を出すくらいなら最初から代わらなければいいのに……。


「優はいると思うから」


「なんで?」


「女に浮気されて、別れたんだと」


 なにか生々しい。





 学校はどことなく浮かれていた。そこここで、カップル成立、不成立だとか、女の子のきゃいきゃい騒ぐ声、モテない男子の恨み声が聞こえてくる。


「バレンタインだねぇ……」


「なんか中学の時より断然盛り上がってるよね」


 くうちゃんとのんびり話しながら過ごす。

 瑛太は出来る限りわたしの教室に来て戦々恐々とした顔でベッタリ張り付いていたけれど、教室移動もあるので全部の休み時間に姿を確認していたわけでもない。トイレにだって行くだろうしわたしも行く。完全警護は難しい。


 授業が終わるとものすごい早さで瑛太が教室に来た。


「尚、早く。はやくはやくはやくー」


 一刻も早く学校を出たいのか、ぐいぐい腕を引っ張られ「ちょっと待ちなさい」と手で制す。おもちゃ売場に行きたい幼児か。


 しかし、彼の学校を出たい願望は静止出来なかったらしく、結局引きずられるようにして校門を出た。


「あれ? 瑛太、チョコは?」


 思ったよりすっきりしている。鞄以外は手ぶらだし。


「直接持って来た分は彼女以外からは受け取り拒否してるって言った。ロッカーは鍵かけて一日中開けなかった。机と下駄箱に投げ込まれてた分は通報した」


 通報。なるほど、チョコは先生に見つかると没収だから、逆手に取って利用したらしい。


 なんとか受け取らないように、結構頑張ったようだ。


 あげた相手が気の毒とは思わない。

 面識ある相手から直接ならまだしも、顔も知らない人の手作りかもしれない食べ物なんて、今日び受けとらない方が良い。勝手に置かれてたのなら尚更だ。

 それにモテない男子生徒が「俺の陰毛入りチョコを混ぜておいてやるぜ」なんて冗談を言っていた。乙女心だなんだと言ったって、使ってる牛乳がうっかり古いとも限らないし、とにかく危険なのだ。なお、市販の高級チョコに関してはこの限りではなく、素直にもったいないと思う。


 瑛太は本当に一個ももらわなかったのかな。だとしたらすごいけど。


「俺ちょっと飲み物買う。待ってて」


 一日闘っていたらしい瑛太が緊張から抜けて喉の渇きをうったえた。

 鞄から財布を出して口が開いたままの鞄をわたしに預けて行ってしまったのでなんとなく隙間を覗き込む。


 小さな四角い包装らしきものがひとつだけ見えた。


 もらってんじゃん……。


 しかも一個だけ。沢山より嫌なんだけど。


 いや、瑛太のことだから勝手に鞄のチャックを開けて入れられた可能性はある。だとしたら本人は知っているんだろうか。いや、今財布を出す時に開けて探ってたから、知らなければその時気付くはずだ。だとするとやっぱり、もらったんだろう。


 誰からなんだろう。断りきれない女の子とか、いたんだろうか。なんとなく幼馴染の子の顔が浮かんで打ち消す。

 いずれにせよ他人の鞄の中のことだ。チラ見しておいて聞けるようなことでもない。


 わたしはと言えば、こんなに拒絶反応を示している人に義理でもあげる勇気はわかず、最初から用意していない。

 本当は万が一嫌がられたら傷付くからだけど。一個もらってるなら、買えば良かったかな。






「ここ、うち」


「尚んちでけーな」


「古いんだけどね」


 お客連れなので一応先に玄関のチャイムを押した。


 お母さんがパタパタ出て来て目を丸くする。


「あら、わぁ、イケメンね? 尚ちゃんの彼氏? 学校の? へえぇ! そおぉ? あ、上がって上がって」


 大興奮で迎え入れる。事前に言ってあったのに何故そんなに驚いたようなリアクションが出来るのだろう。瑛太が目立つイケメンだからというわけでもなく、お母さん族の特徴な気もする。


「いらっしゃい」


 優兄がリビングにいて瑛太に挨拶した。


「うちの可愛い妹がいつもお世話になってます」


「あ、こっちがモテる方」


 瑛太が小声で確認してくるのでちょっと笑いそうになる。


「確かに顔かたちは似てるけど、雰囲気は全然ちがうな」


「でしょ」


 優兄ちゃんは服も髪もフェミニンな感じ、陽兄はワイルド系だ。


 陽兄がいると思っていた瑛太がふと気付いたように言う。


「あれ、今日は彼女とか、いいんですか」


「はは……うっかり浮気現場に踏み込んじゃってね……」


 さらに生々しい。


「それ悲惨すね」


 瑛太が言ってちゃっかりコタツに入る。


「尚は上手くやってる? 偽彼女」


「あ、はい。すげえ助かってます」


「それならよかった」


「どうだったんですか。浮気現場」


「あ、気になる?」


「まぁ、ちょっと」


「まずね、玄関先で……」


 瑛太が聞かなくていいことを聞くので優兄が現場の阿鼻叫喚をものすごい臨場感で語り出す。わたしの手前、エロ表現はかなりマイルドで抑えめにしているが、彼女が思わず口走ったたこととか、男の方の表情とか、まるで今まさに目の前で見ているものの実況のようで、彼の性格の執念深さを感じる。


「それで、そいつは出て行ったんだけど、慌てすぎて靴下片方忘れてて、床に転がってんの……俺その後話しててもその汚ねえ靴下ばっかチラチラ目に入ってさ……」


 話が佳境に入った頃お母さんが「夕飯出来たわよ」と入って来る。


「尚ちゃん、並べるの手伝って」


「うん。あれ、お父さんは?」


「残業で遅くなるから、先に食べてって」


「そう……」


「あ、そうだそうだ、瑛太君。玉子焼きが好きって聞いたから、たくさん作ったよ。甘いやつ」


「マジすか! ありがとうございます!」


 そんなに夕飯ぽくないけど、喜んでるからいいか。


 夕飯が並べられて、みんなで食べた。

 玉子焼きに合わせるとどうしても和食になる。ごはんに味噌汁、煮物、お浸し、お漬物、メインは角煮。所狭しとローテーブルに並ぶ。


 瑛太はやっぱり真っ先に玉子焼きに箸をつけていた。美味い美味いと言ってばくばく食べるからお母さんも嬉しそうにしていた。


 21時を越えた頃、瑛太がいとまを告げた。

 体勢を崩していた優兄が半身を起こして言う。


「じゃあ、車で送ってくよ」


「いや、俺もう少し時間稼ぎたいんで、普通に電車で帰ります」


 立ち上がって玄関に向かうので見送りについて行く。


「あ、そうだ。尚」


「ん」


 瑛太が鞄から小さな包装を取り出した。帰りにチラ見したやつだ。


「これ、世話になってるから。食って」


「え……」


「俺はそうでもないけど、尚は好きだろ。チョコ」


「うん……」


「女の方がチョコ好きなのに、変なイベントだよな……」


「あ、ありがと」


「またな」


 瑛太は笑って出て行った。


「天然で……あれなんだろうね」


 背後にいた優兄が、少し呆れた声で感想をもらす。


 わたしはその小さな包みを胸にぎゅっと抱いて、意味もなく涙が出そうだった。




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