02
01で、直したはずなのになぜか本文が変わっていなかったという事件がありました。
校則第14条:子弟制度について
新入生は希望すれば研鑽を積むことを目的として第四学年を師として師弟関係を結ぶことができる。
師となる生徒は第四学年からのみ選ばれ、留年したものはこの制度で師となることはできない。これは本来の目的から外れるためである。
師弟関係は、特別な事情がない限り、師の卒業まで継続する。
師弟関係にあるものには以下の特権が与えられる。
1.弟子にあたるものは師の講義を通常授業の代わりとすることができる。ただし、年度末の試験は通常通りに行われる。
2.弟子にあたるものは師の同行を前提として第一学年の時点でダンジョンに潜る権利を得る。
3.師にあたるものはいくつかの通常授業の単位を得る。ただし、弟子の成績不振などを理由にこの特権は剥奪される場合がある。
師弟関係は弟子と師の双方の合意の元、ともに入学式から90日までに教務課へと必要書類を提出すること。この時の代理は認められない。
もし仮に複数の弟子候補が存在する場合は、師となる人物が選択権を得る。また、複数の師候補がいる場合は、候補の内、成績が上位30位までの者を優先とする。
上記のものを適用してなお決まらない場合、決闘によって決定する。
第四学年の成績上位10位までの者には師となる義務が発生する。ただし、弟子希望がない場合はその限りではない。
季節は巡って秋。初々しい新入生たちが質の悪い先輩方に自分の能力を聞き出されたり、変な先輩に絡まれたり、無理やり師弟契約を結ばされたりするという様子が見られる昼下がり。俺はダンジョンと男子寮、女子寮を結ぶ道の途中にある小高い丘の上の一本の木の下で寝転がっていた。
手に持つ資料をぺらぺらとめくっていく。新入生たちのデータをまとめたプライバシーに踏み込んだものではあるが、情報収集とはもとよりそれを目的としたもの。いまさらその程度のことを理由に泊める理由はないだろう。
数ページめくり、目的の人物以外のところの情報に若干の頭痛を覚えながらもとりあえずとななめよみをして目的の人物の部分へと目を通していく。
ヘレン・ステラ・ハルフィス 放出型 能力詳細不明
金の髪を腰のあたりまで伸ばしており、お気に入りのサファイアの髪留めでまとめている。髪留めは5歳の誕生日に父親である王から送られたものであり、彼女の美しい髪を際立たせている。
優しげな顔つきで、透き通るような青い眼が印象的。微笑む顔に興奮しすぎないように注意。
身長は140センチ程度、体重は35キログラム程度という目測。
すでに乳房は膨らみ始めており、すらっとした美しい脚線美を見せているが、残念ながら普段はドレスを着用しており、さらに能力の関係上ゆったりとした服装で全身を覆うことが多く、ボディラインははっきりと目視することは難しい。
~~中略~~
護衛のアン・ハーバーの気配察知能力と、本人の視線に対する敏感さにより観察も少々難しいだろう。アン・ハーバーに関しては後述するものを参照すること。
サイコキネシスはかなりの腕前という噂があり、すでに能力による出力が200キログラムを超えているという噂もあるが、この件に関しては授業が始まった後でより詳しいものが提出できるだろう。
まだ信憑性は薄いが、能力が氷結能力などの氷に関する物の類であるという話があり、スノー・プリンセスといったような二つ名をつけられるのではないかという話がすでに水面下で動いている。
これはツッコミどころが多い。何だ興奮しすぎないように注意とは。ボディラインを目視することは難しいと言いながらスタイルに関しての記述があるのはどういうことなのか。
しかも容姿に関することだけで数枚あるんだが、こいつは実は小説家でも目指しているのではないだろうか。
アン・ハーバー 強化型 能力詳細不明
肩につかない程度の長さの黒髪を持ち、前述のヘレン・ステラ・ハルフィス様を守る護衛として、近づく輩に対して強気なこれまた黒い目を向ける。
彼女ににらまれて興奮し、踏んでくださいなどということは言わないように注意すること。
二次性徴が始まっているようで身長はすでに目測140センチ後半であるが、乳房の発達は見込めない。サラシのようなもので絞めつけているのではないかという意見もあるものの、信頼できる筋からの否定がある。
~~中略~~
とはいえ、全体的にすらっと引き締まった体形かつ本人の能力の系統の問題か体に密着するような動きやすい服装を好むため、そのボディラインを目視にて観察することは難しくない。
身体強化の腕前は十分なものであるという話があり、すでに一般兵相手であれば10人相手でも傷一つ負うことなく退けることができる。その能力は学園の中で妾の子供とはいえ王族一人を守るに値すると認められるほどと考えるべきである。
まぁ、もう慣れたものなのでツッコミは無しということで読むと、見たところこのアンという少女がヘレン姫を様々な面で守る盾ということのようだ。
読みたい試料を読み終えたので、資料をまとめて一つの山にし、枕の代わりに木の根上に中身のほとんど入っていない鞄を敷き、上着を脱いで横たえた体の上に掛ける。少し丸くなるように横になって、道を歩く人々を見るわけでもなくうとうとと昼寝を始めていた。
傍らには大きな黒猫が丸くなり、意識が遠くなっていくのと同時に小鳥が木にとまったり、ほかの猫たちが集まろうとしていることを自覚していた。
少しして、周囲の動物たちが一斉に離れていくのを感じる。それと同時に俺の意識は浮上し、近づく人の気配を感じ取る。
初めからそばで丸くなっていた黒猫は俺の襟首をくわえるとぐいぐいと反対方向に引っ張ろうとしている。――この学園に住まう猫たちにとって、人間は天敵なのだ。
猫たちは質の悪い人間が自分たちを能力の的代わりに使うことがあるということを知っている。それはほかの動物たちにおいても同様で、基本的に人の気配がするときにそこには現れない。
俺が動かないことにいら立ったのか、猫は俺の額を一度叩くと顔を踏み台に木の上にひょいと飛び上がったのがわかる。おのれネグロ(とある童話での人間嫌いな黒猫の名前)、動かないのがわざとだからと顔を狙ったな……!
「寝たふりするの?」
呆れたような声色でそういう人物。幼い外見で、赤い髪をポニーテールにしており、落ち着いた雰囲気の服装を身にまとったまましゃがみこみ、こちらをのぞき込んでいる。この少女こそがエリンであった。
エリンは、さらに一言こういった。
「アリーシャ様から、寝たふりをした場合には考えがあるとの伝言が……」
「はい、ごめんなさい。起きました。起きてました」
そもそもとして、アリーシャ様に頭が上がらないのは大前提として、このエリンに頭が上がらないのも事実である。過去の事件のことを考えると……。
「はいどうぞ」
「?」
差し出されるハンカチ……いったいどういう意味だろうか?
「額とこめかみにきれいに猫の足跡ついてるけど、そのままがよかった?」
「畜生! ネグロ、本当に変なところで嫌がらせのやり方がわかってる猫だ!」
ハンカチを受け取り、額とこめかみを拭う。すると木の根元の少し湿った場所でつけたのか、泥が付着しているのがわかる。
「ありがとう。何かの形で返す……」
「うん、期待しないでこれまでの分含めて待ってる」
俺はエリンにこういった日常生活の面で本当に多く世話になっている。
端的に言うなら、俺に生活能力が足りないということだろう。去年の冬までは週に一度くらいエリンが俺の部屋にやってきて掃除などをして行っていたほどだ……恥ずかしくなってやめてもらった直後にあの事件が起きたわけだが。
「それにしても珍しいね。こんな時期にあなたがダンジョン以外の目的で外出するなんて……その積まれた資料が理由? 読んでも大丈夫?」
「一応アリーシャ様にも提出予定だし、読んでいいよ。このばか騒ぎの元の資料だから」
資料は新入生に関しての資料をまとめたものだ。情報元はクラウス、あいつの情報収集能力は謎だが、その正確性は確かである。特に女子に関する情報は。
言い方を変えると男子に関する情報は並の情報程度も手に入らないことが多いが、本当に女子に関しての情報収集能力は高いのだ。あいつ曰く、「紳士同盟はどこにでもいる」とのことだがわかりたくない。
「何この引くくらいの男女での情報格差は……しかもプライバシーに踏み込みすぎじゃない?」
「良かったな、序盤はそれほどひどくない」
無言で数ページをめくる音と、明らかに引いているのが表情から読み取れる。
そらそうだよな。さすがに俺もスリーサイズ程度ならまだしも使っている日用品の種類とか、月経周期とか、体臭のこととか書かれているとドン引きしかできなかった。
「なぁ、紳士同盟って何なんだろうな……」
資料の最初のページには紳士同盟の署名が書かれていた。名前は聞いたことがあったが、ほら話でも何でもなく実際にこうした活動をしているのであれば、なんだか聞きたくなってしまう。
「変態同盟じゃない? 入手ルートは?」
「クラウス」
「わかった、私からそのこと含めてアリーシャ様には報告しておく」
どこかから「親友をそんなに簡単に売り渡すんじゃねぇ!」という声が聞こえた気がしたが、どう考えても変態とアリーシャ様やエリンのことを比べればアリーシャ様とエリンを優先するべきだろう。
いや、さすがにスリーサイズ程度なら適当にごまかしたけど、完全にこれストーカー以上の変態が情報元だよね?
「と、本題を忘れるところだった。伝言が二つと、忠告一つ。どれから聞きたい?」
「伝言からでよろしく」
二人で真面目な顔に戻る。流石に先ほどまでの変態に対する嫌悪感むき出しや思考放棄のままで会話を進めるわけにはいかない。
「伝言は『弟子を取ることに対しての制限を設ける予定はない』ことと、『あまり場をかき乱さないように』の二つね。二つ目は明らかに諦めてるような表情だったから、一応っていう雰囲気はあるけど……」
「そんなに信用無いかね?」
「ない」
「……」
即答である。実際自分でもあまり自信はない。今回は不干渉とはいかないだろうし、最低限表側に出ている必要はあるのだから。
「で、忠告としてだけど『何をどうごまかそうと、あなたはまだ13歳』以上」
「あー」
ものすごく耳に痛い。
心もいたい。
「じゃあこれは受け取っていいのかしら?」
「提出用に二部もらってるから大丈夫。なんというか、その、迷惑たぶんかける」
「――多少は回避する努力をすると信じてるから」
そういってエリンは立ち去っていく。
彼女のやさしさが、あまりにも痛かった。
エリンと別れた後、俺はダンジョン前の騒ぎの中心へと歩いて行った。
見てわかるものは中心にいる新入生らしき女の子二人と、屈辱にまみれた表情を必死に隠し、彼女らの見えない位置に逃げ出そうとする貴族らしき同級生。うん、ここに入っていかないのであれば、ただただ愉快な光景ではある。見世物としては最高の喜劇の類だろう。
次に聞こえてくるものに注意する。注意しなくても見えてくる心の声はあるが、とりあえず耳に入ってくる聴覚情報に注目する。
「いえ、必要ありません」
「あなたから教わることはなさそうです」
「アンがいるので」
熱烈な告白をするも、全くと言っていいほど取り合ってもらえていない。取り付く島もないとはまさしくこのことだ。え、ここに俺突っ込むの?
すべての情報を総括するならば、ここは正しく戦場だ。それも特に絶望的な……難攻不落を謳う城に向けて、武器も持っていない兵士が正面から単騎で突撃していくような、そんな絶望的な状況だ。(いや、そんな状況あってたまるか)
正直に言うなら、想像していたものの倍はヒドイ。貴族の名誉だとか誇りだとかは潰れてもいいと考える身だが、それでも同じ側の人間だと思うと同情の念は隠しきれない。
せめてと、俺はようやく中央の二人の女の子をまっすぐ見た。
金の神を腰のあたりまで伸ばし、青い髪留めでまとめている少女、ヘレン・ステラ・ハルフィス王女。そして肩につかない程度の黒髪を持ち、背は王女よりも少し高い、全体的にスレンダーな少女、アン・ハーバー。
情報としては変態同盟の資料で知っていたが、なるほど、書かれている通りの外見で、身体的特徴を持っている。ある事実に目を向ければ少し悲しい事実が顔をのぞかせるが、それは気にしないでおくことにする。
――そして、俺は納得をした。
自然と追い払われた男子生徒が後ろに下がり、二人の少女の目の前に自分が立つ形になる。ある意味での割符。とはいえ絶対に通じるものではない……意味に気づくだろうという予想の元での、とりあえず自分に興味を持たせるための曲芸。
何かを口にするでもなく、二人の少女とそれぞれ目を合わせる。
そのまま、口上は無しでわずかばかりの空間を舞台に、この物語を見せる。
語り手はいない。それでも、誰にでもわかるようにして紙や草木で作り上げた即興の人形での人形劇を演じる。題目は『ホイップルの物語』、彼女の愛した童話。
王女を模した紙人形、魔王を模した紙人形、倒れていく草の人形たち。
不格好な枝の人形のホイップル。苦しみ、傷つき、それでもなお王女と魔王の元へとその体を進めていく。
魔王と対面し、そして……。
場面は一転し、王女と魔王の人形だけが会話をする。言葉はないが、身振り手振りで言葉を交わす。
倒れ伏した枝の人形は、もう決して動くことはない。
演目が終わるころ、周囲は静まり返っていた。
『ホイップルの物語』の知名度はかなり高い。自分で思っていたよりもうまくできていたようで、漏れ出てくる観客の声からもしっかりと伝わったことがわかる。
俺は一礼してそのまま踵を返す。どうせこの場で言葉を尽くしても俺の真意は伝わらないだろうし、何よりこんなに人がいる場で話したいことでもない。
背後に多くの様々な視線を受けながら、俺は寮に戻った。
「――で、人形遊びのケイスさんや、面白い見世物だったみたいじゃないか。何も言わずに劇を講演し、そして何も言わずに立ち去っていく……『キャー、カッコイー』とでも言っておけばいいのかな」
完全に人を馬鹿にした表情でそういうクラウスにこぶしを叩きこもうかと右手を握りしめたが、ここで殴ったら完全に負けだと言い聞かせて何とか自制する。
確かにあの時は最高の方法だと思ったが、周囲の目線で考えると「何やってんのこいつ」である。これくらいなら、むしろ歯の浮くような美辞麗句を並べ立てたほうがマシである。
「それにしても、念動能力使ったのはわかるんだが、どうやったんだ? 物を浮かせて飛ばしたりとかはよくやるけど、あんなに細かい操作もできるもんなのかよ」
「あーあれは単純に曲芸の類だよ。練習すればある程度範囲を指定して力をかけることもできるのは周知の事実だと思ってるけど、それを本当に細かくしていくとこの大きさでも細かい操作できるんだよ。あとはものが壊れないように力を調整するだけだな。」
言いながら適当に紙人形を歩かせたり、宙を飛ばしたり、クラウスにドロップキックさせてみたりする。威力は皆無に等しいが……。
また、言葉にはしないが、ほかにも複数の念動能力を操作するため非常に難しくはある。
「なるほどなぁ……俺は強化型だし、能力も弱いけどそういう使い方もアリなのか。
でも、それなら自分自身にかけることはできなくても自分の装備を動かしたりとかはできるんじゃねぇの? できるんならいろんな人がやりそうだけど」
「要するに、念動能力で服とか装備を操作して、結果的に自分の体を動かすってことだよな?
不可能じゃないし、局所的には使えるだろうだけど、その労力はまた別のところにやったほうがいいな。細かい説明必要か?」
「いや、いいや。言い回しからして使い勝手悪いってことだろ? 俺は関係ないし、使ってくる奴もいないってわかればそれで十分だ」
理由は違うのだが、大きくは変わらないし、訂正するのも面倒なので放置することにする。俺は無駄な抵抗はしてみるが、無意味だと思った説明はしない主義なのだ。
「それにしても意外だったな。まさかケイスがあのバカ騒ぎの中心に自分から首を突っ込むなんてな。明日は槍でも降るのかねぇ!」
「ん? あぁ……一部では少し有名な話だから言ってしまうと、ちょっとかかわりがあってな」
そして俺はおそらく俺の人生観の半分くらいを決定したその出来事を説明し始める。
「不貞の王妃、ライナ……3年前に亡くなった第二王妃だな。彼女が7年前に不貞が発覚してからおよそ3か月の間下町に潜んでいたことは周知の事実だと思う。
公に言われてはいないが、その三か月の間別に彼女に特別協力した一派がいたとかそういうはないんだ。彼女は自力で逃げ出して、ある少年に出会った。先にネタ晴らしするとこれが俺だな」
まさしく目が点。驚愕が伝わってくるクラウスの顔を見ながら話を続ける。あの頃を思い出しながら。
「当時の俺はちょうど親を亡くした頃でな。能力者として目覚めてはいたが、親はいない。家も、金も、およそ必要なものこそ揃っていたが、いかんせん子供だし、保護者代わりの人が現れても能力をフルに使って拒否する……そんなやつだった。お偉いさんからしても、本人が嫌がっているうえに能力者。下手なことをして機嫌を損ねられたくなかったんだろう。どうせ数年もすれば学園に入るし、治安はいい場所だった。様子見名目での兵士の派遣だけだったな。
――そんな時、俺と彼女は出会った。
彼女からすれば、必死になって逃げこんだ家というだけだったんだろう。運がいい……というべきなのかな。俺の住んでいたそこは、兵士こそ巡回するが、その分誰もそこに人が潜むとは考えなかった。俺は彼女の数多くの話を聞き、彼女を母親のように接しながら過ごしたよ。俺は彼女じゃないからはっきりとはわからないが、彼女も俺を実の子のように接していたと思っている」
一つ、ある事実を……俺が彼女を受け入れた理由、俺が彼女以外の保護者を望まなかった理由を意図的に省いた。
「まぁ、さすがにいる人間をいないと偽り続けるのは難しくて、最終的に皆の知る通りにライナは王城へと連れ戻された。そして軟禁生活を続け、3年前に病気で亡くなったといわれている。それが俺の知る不貞の王妃の話だ。少なくとも巷で詩人の歌うロマンチックな話じゃないことは確かだな!」
このロマンチックな話というのは、不貞の相手が平民の青年で、二人で愛の逃避行を繰り返しながら様々な人の力を借りて危機を乗り越えていくというものである。
残念ながら真実は平民の少年と二人で親子ごっこを繰り返しながらただ隠れていただけである。これはこれで話になりそうだが。
「えっと、国中にお触れが出るほどのすさまじい大事件の裏側を聞いた気がするけど、いったんそこのツッコミは無しにして……ということはだ。お前があの王女を気にかけるのはその辺が理由か? 今のところ気にはかけても、そこまで関わりに行くとは思いにくいんだけど」
「あー、実は頼まれごとがあって……それ関係だ。王妃には感謝もしているからな」
「ってことは、『娘の助けをしてやってほしい』とかそういうのか? でもお前アリーシャ様の部下になるんだろ?」
「一度だけ。な?」
律儀だなーとぼやくクラウスを見ながら、俺は心の底であの願いを繰り返していた。『私の娘を、一度でいいから助けてあげてほしい――』あの狂気にもまみれた瞳と、あまりに無機質だったあの声を。
大きな笑い声が広い空間を反響する。
その場には、白銀に輝く急所を守る鎧、細かな装飾のなされた髪飾りを身に着け、鏡のごとく磨き上げられた盾を左手に持つ美しい女性……アリーシャ様がこちらを見下ろしながら笑い声をあげていた。
場所は貸し切りの闘技場、月一度の稽古と称した報告会兼ストレス発散の場である。
アリーシャ様を守る武装は、能力によるものだ。『武装招来』とかいう名前で呼んでいるらしい。因みにデザインは本人のもの。
それぞれの武装に強力な効果があり、鎧には全身を守護する防壁を、髪飾りは危険を感じ取る直感を与え、盾はあらゆるものに侵されず、ここにはない剣は物理法則を無視して敵を切り裂く。
聞いた話でしかないが、身体、頭部、左手、右手の装備を作り出し、その装備に強力な加護が宿るらしい。この加護はデザインなどによって勝手に決まるとか何とか。
「いやー、噂は聞いていたけど面白いことやっているよね。あ、その人形劇今度見せてね」
それを聞いている俺は満身創痍。いたるところに打撲跡があり、息も絶え絶えで事情を説明していた。
全力で戦ったのにこの結末。相手は手を抜いているうえにこちらの攻撃は一切通用していない……いやはやこれはヒドイ。
「あ、今回の総評としては……まぁいいんじゃない? あなたこうやって正面から戦うタイプじゃないし、私と相性悪いし、その状況でまさか盾まで使わされると思ってなかったから、かなりいい方だと思うよ? エリンと組まれたら流石に無傷は厳しいだろうし」
「結構余裕をもって受けていましたけどね。いってぇ……基礎能力が全く足りてない……」
頭では分かっている。放出型で、能力も直接戦闘にかかわりのない俺の場合、攻撃手段は己の肉体と、あとは念動能力によるものだ。ここまで防御能力が高い相手では出力が足りない。端的に言うなら、当てられても効かない。
「ケイス、傷の手当てをするから見せて」
エリンが倒れている俺の元に来ると、救急箱を開けて準備をしていた。
――しっかり打撲用のものがそろっている。俺の怪我は想定内ですよねそうですよね。
「慰めじゃないけど、あなたの『追憶』は戦闘向きじゃないわけだし、能力を鑑みてもこの戦闘能力は胸張っていいと思うわよ?」
「いや、別に負けたこととか、怪我したこととかはどうでもいいんですけど……たぶん俺、能力的にあと出力の上昇以上に戦闘能力上がりませんよね?」
エリンに全身を湿布と包帯まみれにされながら、アリーシャ様に尋ねる。解答を予想しておきながら。
「強力な技とかそういうのはもうないでしょうね。出力を上げるのが一番手っ取り早く戦闘能力あげる方法だと思うわよ」
予想はしていたが、はっきりと口にされると意外と精神的に来た。俺だって男の子である。自分が強くなりたいのだ。
「あの、そういえば深くは聞いてきませんでしたが、『追憶』とはどういう能力なのですか?」
そうエリンがアリーシャ様に尋ねる。こいつ……俺が答えないと知っていてアリーシャ様に聞いたな!
「エリンちゃんはまだ知らなかったかー。せっかくだから知ってていいと思うよ。ケイスの能力は端的に言うなら『追憶』。もう少しちゃんと説明すると他人の人生の追体験かな?」
そう、俺の能力はそういうもの。実際、やろうと思えば今の相手の思考も読み取れる。タイムラグはない。
だが、この能力はそれだけでは説明が足りないと言わざるを得ないだろう。大原則として、特殊型以外は他人に直接能力を働かせることができない。そして、念動能力が使えることから俺は放出型であるため、この原則から大きく外れているように見える。
「はい、ケイス説明」
「ここで振るんですか。まぁやりますけどね。
俺の能力は、確かに他人に関わる能力だけど、条件がいくつかあって、その条件と適用範囲からして恐らく俺が干渉しているのは他者ではないということ……らしい」
条件とは、『直接面識があること』『相手の本名を知っていること』『相手についてある程度知っていること』の三つだ。どれかが欠けるとそれだけ精度が落ちたり、そもそも追憶できなくなる。
そして、これが本人に直接干渉しているわけではないというのは、この能力がたとえ『死者』であってもつかうことができるからだ。
「え……やばい能力じゃない?」
「うん、特に副作用がやばいからあんまり使わせられないのよね」
「はい?」
エリンが敬語すら忘れてやばいと称するのはわかる。この能力を悪用しようと思えばいくらでもできる。プライバシーなんて皆無になるし、公に出ている人間の悪だくみなら一瞬で見抜けるだろう。
だが、それを差し引いても使いたくない理由がはっきりと存在する。
「この能力、もう一度言うと相手の人生の『追体験』なんだ。
さすがに全部ってわけじゃあないけど、相手の人生を決定づけるような大きい出来事は本人の視点で、本人の感覚のままに味わうことになる。
――こいつは一種の拷問だ。洗脳のような役割すらあると思う。俺はまだ13歳だけど、例えばその辺の老人を追体験すれば自分の人生の数倍の人生を歩んだのと同じなんだぜ?
俺という価値観は消えていくし、短いものでもやっぱり、思想的なものの影響は受ける。割り切れればいいんだろうけど、やっぱり見たものも自分だからな……絶対隠したいことを言うことはないと思う」
エリンが身をこわばらせたのが伝わってくる。
とはいえ、今更その辺の人ののぞき見をしたとしてもさして影響はない。ちょっとくらいの人生であれば、見てきたものの量からすれば誤差に等しい。
だが、それは普通の、「特に何かを強く志すわけでもない人間」の話である。狂気にも似た執着、あまりにも強い自我を持つ人物を追憶すれば影響は避けられない。
「今更だけど、納得した。なんというか……」
エリンが言葉を選んでいるのがわかる。俺自身、こうして困らせるつもりなどなかったのだ。にっこりと笑って自分の立場をはっきりさせておこう。
「大丈夫だって、今更っていう感じもあるし、今は今の自分が自分だって言える。もちろん乱用したいとは一切思えないけど、それでも大丈夫だって」
声はうまく言えたと思う。表情はよくわからないが、エリンの表情を見るにうまくやれたようだ。
ただ、視界の端で、アリーシャ様の顔がわずかに歪んだのがわかった。
本文中では書きませんでしたが、この『追憶』に関してアリーシャは「おかしい」と感じており、その利便性も含めて評価しています。
具体的な点を言うと、追憶は『他者』の人生をたどり、なおかつ『自分』にその記憶を見せています。そもそもとして他者(動物)に直接干渉できないはずであり、しかも自分にまで直接干渉していることから、これは本来≪特殊型≫に分類されるべきものです。
理由は決まっていますが、しばらく放置されるので一応。