表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

プロローグ

これは、春の司が生まれるまでの物語。

「ソウビ様に出会った日のことを今でも思い出すの」

 その話をすると、必ずウメは悲しそうな微笑みを浮かべた。


    * * *


 それは木枯らしの吹く晩秋の出来事だった。


 石畳を踏む裸の足が冷たさにピリピリと痛んで、ウメは思わず道ばたにうずくまった。

 夕暮れの街を点消方てんしょうかたが走り回り次々とガス灯を点していく。家路を急ぐ人々が忙しなく往来するのをじっと見つめて、ウメは泣き出しそうになっていた。父の姿を探してじっと目を凝らせば凝らせるほど、言いようもない虚しさに襲われて、胸の奥がジクジクと傷む。溢れそうになる涙を必死で堪えた。

 もうすぐ冬がやってくるというのに、ウメには帰る家がなかったのだ。

 たった一人の家族であった父親は、突然の病に倒れ亡くなってしまった。

 帰る場所もなく、行くあてもなく、気がつけばウメは浮浪児になっていた。

 五つになったばかりの幼子にとって、これから廻ってくる季節をたった一人で乗り越えるのは困難だ。

 それを、ウメも幼心にわかっていた。わかっていたからこそ、ウメは在るはずの無い父親の姿を探していたのかもしれない。

「おとうさん」

 たまらずに囁いた言葉とともに、ウメの瞳から涙がこぼれる。汚れた頬に筋をつけながら、それはぽたりと石畳に落ちた。

 闇に沈んでいく街の片隅で、ウメは膝を抱えて泣いた。

 誰にもかえりみられることなく、ここで一人死んでいくのだろうか。そうすれば、またお父さんと会えるかもしれない。

 そんなことを考えながら、ふと空を見上げた。

 吹きすさぶ木枯らしのおかげで、空には雲ひとつ無かった。真っ暗な空には無数の星がちりばめられている。

 ウメは抱えていた膝を投げ出して石畳に寝そべった。手も足もかじかんでうまく動かすことは出来なかったが、不思議と寒くはなかった。

 ざわめいていたはずの雑踏が次第に遠のいていく。

 泣きはらした重いまぶたを閉じようとしたとき、柔らかな声が空から降ってきた。

「ねえ、あなた。冬は好きかしら?」

 まるで歌っているかのようななめらかな声に、ウメはそっと目を開ける。

 そこには白い毛皮の外套を羽織った少女がいた。

 豊かな赤毛がガス灯の鈍い明かりの中で輝いている。

 天使が降りてきたのだと、ウメは思った。

「てんしさま?」

 消え入りそうな声で問いかけると、少女はクスリと笑って首を振った。

「いいえ。光栄ですが、違います」

 そう言うと、少女は外套を脱いでウメの体に着せつけた。肌ざわりのよい上質な毛皮は、冷え切った体を優しく温めていく。

 突然の出来事に驚いて、ウメは慌てて外套を押しやろうとした。だが、汚れた自分の手に気付いて萎縮するように呟く。

「よごれちゃうよ」

「良いのです。わたしよりも、あなたにこそ必要です」

 少女は汚れてしまうのも構わずに、ウメの体を抱き上げると近くに停めていた馬車に連れて行った。

「あなたさえ良ければ、わたしのお友達になってはくれないかしら」

 上品に整えられた車内で、少女は手を差し出した。ウメが遠慮がちにその手を取ると彼女は嬉しそうに微笑んだ。


 その少女は「ソウビ」と名乗った。

 冬の司となるべく、遠い街から王都へやって来たのだ。

 国王から与えられた高額の支度金のほとんどを貧しい家族に残し、両親が誂えてくれた上等な着物だけを着て、身ひとつで召し上げられてきた。

「ひとりで大丈夫だと強がったけれど、本当は心細くて怖かったの」

 後にソウビは語った。

 だから、わたしを拾ってくれたのだろう。

 どんな理由であれ、ウメにとってソウビは恩人だった。

 死にゆく定めにあった自分に居場所を与えてくれた恩人だ。

 だからこそ、ウメはその命を冬の司に捧げようと決意していた。


    * * *


 見事な薔薇が咲き誇る霊廟をウメはじっと見つめた。

 穏やかで、けれどどこか悲しげなソウビの微笑みが頭から離れない。

 彼女はいつも、なにかを諦めていたのだ。

 廻る塔に命を削られながらも、いつも故郷を想っていた。二度と帰ることは叶わないというのに。

 最後に会ったときも、ソウビは変わらずに微笑んでいた。

「次の主の良いお友達になってあげてね」

 ウメは、その言葉に涙をのんでうなずくことしか出来なかった。

 口を開いてしまえば、世界の守り主へ恨み言を吐いてしまいそうだったから。

 送り出された旅先でソウビの訃報を受け取ったのは、冬が終わって間もなくのことだった。


 ウメの心を映し出すように粉雪が舞う。

 献花台に積もった雪を払いのけ、そっと椿の花束を置いた。

「ソウビ様。勝手な願いだと言うことはわかっております。ですが、どうかツバキ様をお守りください」

 ウメの頬に一筋の涙が流れた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ