最初はただダンジョンによるNAISEIものをちょっと捻って社会主義やってみようかなと思っただけだったのに
そこでは、様々な人種が同じ、一つの民族として暮らしている。彼らは神の民としてある程度の人権を保障され、身分差なしに暮らしている。
「玉音放送が始まるよ!」
『諸君、マスターだ。今日は…………』
全てが管理されていた。ダンジョンマスターによって、そしてその配下のドールによって。労働も、宗教も、生死さえも! どういう形であれ、そこがダンジョンであることに変わりはないのだから。
そこは昔王国だった。王の圧政、臣下の失策、天からの災害。一言でいうならば、荒れていた。革命を担うべき勢力も、疲れ果てていた。そこに希望など無かった。ただ少しでもマシな社会に。そういう、誰かがどうにかしなければいけないけどどうにもできない、そんな国は突如として現れたダンジョンに支配された。
「私がダンジョンマスターだ」
彼は紛れもなく侵略者であった。しかし、希望を与えてくれる存在でもあった。圧倒的な武力、住居の建設、食料の生産、失業者への仕事! 確かに王国はかつての繁栄を取り戻したのだ。但し、そこに王は居ない。居るのはダンジョンマスターだ。それに疑問を懐く人間も居る。
が、
「粛清します」
革命など出来るわけがない。そこはダンジョンである、ダンジョンマスターの居城である、数多の侵入者を殺害する砦であり兵器である。もしもこの、一度完成してしまった体制を壊すのなら、それは外からの力しかない。だがダンジョンというのはダンジョン単体で完成するものだった。そこに何か居ることによるリソースが必要だが、それは達成されている。ダンジョンは貿易によって隣国に利益を与えた。住民の流失などの問題による戦争も生じたが、全てダンジョン側の圧勝だった。敗れた国はダンジョンとなった。こうして、緩やかにダンジョンが拡張されていく。世界をダンジョンで蓋うために…………
異世界人が、民主主義広げるのは、全然構いませんが、社会主義を広げるというのも、近代人としてどうでしょうか。こう、奴隷を解放するのとセットで。最初は空想的社会主義をダンジョンで実現できないかという考えだったのですが、空想的を実現的にするために共産主義を使わずにやろうと思うと、完璧な独自路線?? になりますからノープロットは勿論かなり考えて書かなければいけないので、面白そうとは思いましたが断念。何か最終的には国家主義みたいな形になった。人権思想という考え方が広まったのは神の下では平等的な考え方もあるはずでして、それを先取りしてダンジョンマスターが広めた的な。ダンジョンマスターは天皇制社会主義が一番都合良さそうだと考えてます。