お一人様ですか?
「………っ! あー、もう‼︎」
30手前でこんな全力疾走することになるとは。 体力落ちてんなぁ…… 歳をとったことを嫌でも自覚するわ。す、水分……… 俺はコンビニの明かりを目指しヨロヨロと歩く。
ピンポーン。
「いらっしゃいませぇぇ」
こんな夜中に混んでるはずもなく。 やる気のなさそうな店員の挨拶を耳にしながら店内を歩く。とりあえず水分、水分…………
バン‼︎
窓の方から聞こえた音に驚き、さらにそこにいたものをみて俺は絶叫した。
顔が隠れるほどの長い黒髪。 そこから覗く薄気味悪い笑顔。 その女は俺をみて笑っている。
「……ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」
深夜のコンビニに俺の悲鳴が響き渡った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「もー、逃げなくてもいいじゃないですかぁ」
後ろからついて来る髪の長い女は不機嫌そうにそう言っている。 俺はそれを完全無視、さっさと家に帰って寝よう。 寝ればきっと分かる、今この現状こそ夢なのだと。 疲れた時は悪い夢をみやすいとどこかで聞いた。 疲れているのだ俺は。 きっとそうだそうに違いない。
「むーー…… 先輩ってば!」
突然俺の横まで瞬間移動したそいつは、これまたクッソ憎たらしい、俗に言う怒ってますアピールをしながら俺の顔を覗く。 おいマジやめろ、そんなのにコロっと騙されるような歳でもないんだよ。 女が可愛い子ぶるのに限界があるように、男の反応にも限界があるんだよ。 んなキュンキュンできる歳でもねーんだよ、むしろ冷ややかな目しか出来ねぇんだよ。
「酷いじゃないですかぁ。 久しぶりに会ったのにいきなり逃げるだなんて!」
「……… あのな。 普通の『再会』ってのは。会ったら久しぶり! とか言ってそのまま飲みでも行くか? みたいな流れなんだよ」
「ふんふん」
「………それをお前は。 どんどん街灯無くなっていくなかで黙って後付けてきて。 振り返ったら不気味な笑顔かましやがって! もはやホラー映画だわ‼︎」
「ドキドキしました?」
「したわ! 恐怖と言う名のドキドキがな‼︎
悪びれる様子もなく笑っている。 10年ぶりに再会したこいつは、なんっにも変わっていない。
「てか、どこまでついて来るんだよ」
「そりゃ先輩の家まで」
当然のように答える。 それが間違いだと気づく様子もない。振り切るか? いや、恐らく無理だな。 こいつは意外と運動得意だった。実際今もこうして捕まったわけだし。
「ゆ…… 岸本。 お茶飲んだら帰れ」
「えぇ。 私出来ればお酒飲みたい!」
「茶を、飲んだら、か、え、れ」
「はぁぁぁい…… 先輩相変わらず厳しいなぁ」
その先輩、と呼ぶのやめてくれ。 もう学生でもないんだし。 上司と部下でもない、ただの……… ただの知り合いだ。
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「わ! 綺麗にしてますねぇ‼︎」
「でかい声出すな。 時間を考えろ、お隣さんに迷惑だ」
軽く頭を叩き、おとなしくテーブルの前に座らせる。 まったく、なんでこんなことに……そう思っているのに家に入れてもてなしている俺はお人好しなんだろう。
「で。用事はなんだ?」
「はて? 用事とは?」
なんだ、天然アピールか? 騙されねぇし可愛くねぇぞ。 さっさと用事を済ませて帰れ。 本当に用事がないなら今すぐ帰れ。女にこんなことするのはどうかと思ったが、俺は岸本を睨みつけた。
「こわぁい。 んー、用事と言ってもそんな大したことじゃないんですよ」
「そうか、帰り気をつけろよ」
「ちょ! 待って待って、待ってください‼︎ 重要だった、とっても重要でしたぁぁ‼︎」
「だからでかい声出すなっつの!」
ドン‼︎
お互いの声が相当うるさかったのだろう。 隣の部屋の方が壁ドンをするくらいに。 あーもう、なんだ今日は厄日か? 明日どんな顔で隣人と顔合わせればいんだよ‼︎
「……はぁ。 で、なんだ話って」
流石にこいつも常識はあるらしい。少し申し訳なさそうに(今更だが)小さめの声で話し始めた。
「あの…… 先輩って、まだ独身ですか?」
「見りゃわかるだろ。 この部屋に女っぽさが全くないことくらい」
「あー、ですよねぇ。あははは」
ですよね、だと。 なんだそれは、入った瞬間分かりましたけどねぇ。 みたいな意味か?流石に失礼だろ。 少しは気を使えよ。
「……じゃ。 彼女とかもいないですか」
「いたらお前を部屋には入れないな」
「…結婚のご予定とか」
「あったらお前を部屋には入れないな」
「……じゃ、じゃあ」
「待て」
俺は岸本の言葉を遮った。 この流れはダラダラと本題に行くまでが長いパターンだ。俺はそういうの嫌いだ、さっさと用事を済ませて帰ってほしいからな。
「結局何が言いたいんだ?」
俺がそう言うと岸本は俯いた。 さっきまでやかましいと思っていたやつが急に静かになると調子が狂う。 しかしその分、岸本の容姿をあらためて見ることができた。
髪は相変わらず綺麗なストレート。 少し太ったな、まぁ女性は痩せすぎよりはぽっちゃりの方が色々良いと思うが。 化粧は流石に覚えたか。厚化粧とは言わないが、少し濃いな。 お前は素でもそんな悪くないのだから無理に化粧しなくてもいいと思うぞ。
「……あきら先輩! お一人様ですか!」
「……はぁ?」
観察していたので少しボーッとしていた。 それを起こすように岸本が言い放った意味のわからん発言。 お一人様ですか? 見りゃわかるだろ。 お前が帰ったら独り身の部屋が完成することぐらい。
「わ、私。 そろそろ結婚を、考えていまして。 でもお見合いとかはやっぱり抵抗があって。 でもでも、親を安心させたい気持ちもあって。それでそれで……」
「……分かった。 要するに俺と結婚をしたいと」
「そ、そそうです!」
「却下。さぁ、お家へ帰りなさい」
俺は立ち上がり玄関へと向かう。 扉を開けて岸本を手招きする。 ようやくゆっくりできるな、今日は疲れがひどいのだろう。
「せ、先輩! も、もう少し真面目に」
「無理無理。 10年ぶりに会った人との会話が求婚とか重すぎて胃がもたれるわ」
俺は岸本の手首を掴み、無理矢理外へと追い出そうとした。 しかしなかなか力が強く上手くいかない。 くそ! 意外と非力だな、俺!
「私は本気ですよ! 誰でもいいとかそんなんじゃなく、あきら先輩がいいんです!」
「大丈夫、お前なら愛があれば誰とでも夫婦円満な家庭を築けるさ」
「……… やだぁ! 先輩じゃなきゃやだぁ!」
「お前は子供か! 駄々をこねるな、そして声を抑えろ!」
「初めてキスした人と結婚するって、決めてたんだもーん!!」
……瞬間、俺は岸本の手首を離した。 う、うっそだろ……… だ、だってもう10年以上前のことだぞ? お、覚えてるわけないじゃん。
「……なんの話だい?」
「私は嬉しかったですよ! キスしてみたいって恥ずかしそうに言うあきら先輩、今でも思い出すと可愛く思えてーー」
「時効だ。 幼いゆえの過ちだ。 忘れてしまえ、頼むから」
「俺、好きな人にしかこんなことしたいと思わないーー」
「やーめーろー!」
俺は岸本の口を手で塞いだ。 もごもごとまだ何か言ってるみたいだが聞こえない。 何も聞いていない、していない。 クッサイセリフもウブな態度もありえない。 夢だ夢、悪夢だ。
「とにかく。もう帰れ、遅いから」
俺はそう言って岸本を外へ出し鍵をかけた。「薄情者〜‼︎」と聞こえた気がしたが気のせいだと思っておく。
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「……ふぅ。まったく」
濡れた髪にタオルを巻いたまま、俺は煙草に火を付けた。 とんだ災難だった、まさか覚えているとは。
付き合っていたわけではない。 ただの部活の先輩と後輩、それだけだった。 でもあの頃の俺は、少し恋と言うものに憧れていたわけで。 なんか、恋愛してる人の真似事をすることに憧れていたんだ。 そんな時に岸本と仲良くなって、それであんなことして……… 結果逃げた。 告白もせず、卒業を利用して逃げた。 もう会うこともないだろうとどこかで安心してたんだ。 今考えるととても最低でカッコ悪い。しかしあれがいわゆる『初恋』であったわけで。 まぁ動機が『好きだから』ではなく『恋がしてみたい』と言うのもおかしいと今なら分かるが。
しかしあいつよく覚えてたな。 そういえばファーストキスだと言ってたな。やっぱりそういう記念みたいなのは覚えてるもんなのか? 実際俺も、忘れてはいなかったが。 ふと、当時を思い出し恥ずかしくなる。
「俺、だっせぇなぁ………」
ベットに横になって天井を一人見上げた。
10年ぶりに会った俺の初恋相手。 終わったと思っていた恋は、どうやら俺の自己完結でしかなかったみたいだ。 きっとまた、岸本は俺のところに来るのだろう。 恋と呼んでいいのか分からない俺との関係に、答えを求めて。