1章番外編 行き倒れの少年
私はその日、森の中で倒れている少年を見つけた。外傷は見当たらなかったから、魔物に襲われたわけではなさそうだ。恐らく近くの村から何処かに行こうとしていた際に、力尽きて倒れたのだろう。
私は彼を家に運んで寝かせておいた。いつ起きるのかはわからない。でも、もしかしたら夜には目が覚めるかもしれない。夕飯は温かいスープにしておこう。
彼が眠っている部屋に夕飯を持って行くと、もう既に彼は目を覚ましていた。
名前は、トライ レントというそうだ。ここらじゃ珍しいが、この場合、レントというのが名前のようだ。この村の村長がそうだったから似ている場所、もしくは同じ地域から来たのだろうか。そして彼は記憶喪失のようだ。焦らせて怖がらせてもいけない、とりあえず今は寝かせて置いてやろう。
彼が美味しそうに夕飯を食べる姿を見て、どこか懐かしく思えた。
日の出る前に私は起きて、毎朝畑仕事をしている。ここ一年程手伝いをしてくれる若者が居なくて苦労したものだ。冒険者になる為に街に行っているあの娘も手伝ってくれていたが今は居ない。少し気が引けるけど、彼に頼んでみることにした。
あの優しそうな彼は案の定、快く受けてくれた。前に何処かでした事があるようで、彼の手際は良かった。記憶喪失とはいえ、経験した感覚は忘れていないらしい。
そんな中、そうそうこちらに来る事のない魔物が現れた。今、村の駐屯所の兵士さんは村の近くで発生している別の魔物の対処で忙しいとちょうど昨日聞いた。なんてツイていないんだろうか。そうしていると、畑仕事を終えていた彼が、武器はありますか? と聞いてきた。
魔物との戦闘、嫌な記憶が蘇る。それでも今動けるのは彼しかいない。彼が動いてくれなければ畑だけでなく私達も無事でいられるかわからない。私はあの剣を渡した。この家に一つしかない武器である、あの人の形見を。
彼はあの人の剣を持って出て行った。彼が無事に戻って来られるよう、願うしかなかった。私はせめてもと思い、可能性は低くても村の駐屯所へ向かった。
結果は無駄だった。行って帰ってくるのに少し時間が掛かっていたが、私が帰った時にちょうど彼も帰ってきていた。
彼はリオンと名乗った男が助けてくれたから大丈夫だと言った。彼は運が良かったようだ、そのリオンというのは恐らく、近くの村から出たという噂の勇者様なのだろう。それでも彼の胸の辺りに少し血が付いていたのに私は気づいた。勇者様の魔法で治療されているようで痛みは無さそうだが、あのタイプの魔物との戦闘で血が滲むということは、それなりの攻撃を受けたに違いない。それでも彼は、私に気を遣って隠したがっているようだから、詮索はしないでおこう。ただ、本当に無事でよかった……。
その後、村長にレントを紹介しに行くことにした。
村長の家に行くと、村長は快く受け入れてくれた。村長は心臓が悪く、常に痛みが伴っていると聞いているのに……もしかしたら、レントと何かしら関係があるのかもしれない。レントの名前を聞いた時、驚きながらも喜んでいた様に見えた。
村長の家に入ると村長は、私にあの娘の迎えを頼んできた。あの娘は、私の家に今は住んでいるのだから私が迎えに行くのがちょうど良かったのだろう。
そのあと村長は、レントと二人で今後について話し合いたいから先に戻っていてくれと言った。村長の顔が真剣さを帯びたことから、私の推測は外れていたのかもしれない。それでもここは帰るべきだと判断して私は家に帰った。レントが何か言われていないか心配だった。
レントはその後、日が沈んでから家に帰って来た。それも深刻そうな、絶望したかの様な顔つきをして帰って来た。そして彼は心ここに在らずといった様子で、ろくに夕飯も食べずに、貸している部屋へと入って行った。
村長に何を言われたのだろうか。本当に今後についての話だったのだろうか。明日、言ってくれるかはわからないけど、レントに村長が何を言ったのか聞きに行ってみるとしよう。
翌朝になってもレントはずっと沈んだままだった。少しだけ朝食を食べたら、すぐに部屋へと戻ってしまったから、村長に何を言われたのか訊きそびれた。
それから私は村長の家に訪ねて行った。
私が村長に尋ねると村長は気が進まない様で、少し考えた後、その口を開いた。
村長とレントは、私の推測通り知り合いだったらしい。そして答えてはくれなかったが、何らかの真実を伝えたようだ。それでレントはあの状態になったのだと言った。それでも伝えなくてはならない事で、仕方のない事だったと言った。それから村長は真剣な顔で、『ワシはあとどれくらい持つかわからん。だから頼む、ワシが見てやれない分パレッタさん、貴女が見てやってはくれないか? こう言ってはなんだが、今のワシには貴女しかアイツの事を頼める人がおらん』
そう言って村長は、頭を下げて懇願してきた。そんな必死に頼む村長は今まで見たことが無かった。それが事の深刻さを示しているのだろうか。でも、たとえ村長から頼まれなくても私はレントの面倒を見るつもりでいた。
「村長、頭を上げてください。わかりました、レントは私が見ますから。安心して下さい」
「そうか……本当にありがとう」
村長は少しだけ目に涙を溜めながら、笑っていた。
それから家に帰って夕飯を作り、レントを呼んだ。やはり彼はまだ沈んだままだった。どれほどの真実を突きつけられれば、あの様な状態が続くのだろうか……。
彼は記憶喪失だと言っていたが、もしかしたらそれは嘘なのかもしれない。記憶喪失に関する事を話すと、いつも決まって痛々しい笑顔を浮かべていた様な気がする。でも、それを私が気にするのはどこか違うのかもしれなかった。私は、ただ彼を見ていてやればいいのかもしれない。村長はそう、私に頼んだのだから。
出来ることならその苦しみを聞いてやって慰めてやりたいけど、私は何もせず、ただ彼を見ていてやるのが正しいのだろう。それが今の私に出来る最善の事なのだろうから。ならせめて私は、彼が私の元を離れたいと言うまでは、支えていってやろうと思った。
次の日、私は彼をあの娘の迎えについてくるか尋ねた。そしたら彼はついてくると言った。少しでも彼の気分転換になればいいなと、私は思った。
馬車で移動している間、彼は私に多くの質問をしてきた。彼は彼なりにここを知ろうとしているようだった。
もし彼が旅に出たいと言ったら、私は快く受け入れて、旅に出させてやろう。我が子に似ている彼なら、恐らく言ってくるだろうから。
街に着いてから、あの娘を待つ間、彼は街の露店を興味津々に見て回っていた。
そしてあの娘が試験を無事終えて冒険者ギルドから出て来た。私はレントを呼び、彼女を紹介しようとした。
そしたらレントは彼女を呼んで少し離れたところで何かしら話していた。私が訝しんで見ていると彼等は帰って来て、自分達は知り合いで、偶然ここで会ったのだと言った。記憶喪失だと言っていたのに、彼は嘘が下手なようだ。少し笑ってしまった。
それでもここに来てから彼が少し明るくなった様に感じて、ここに連れてきたのは正解だったと思った。
それから家に帰った後、村長の訃報を聞いた。昨日話した事が村長の最後の言葉になってしまった。私がずっと若い頃から村長には世話になっていた。昨日話したばかりだというのに…………。流石に早過ぎるのではないか、そんな事も思った。まだ実感は湧いていない。
彼も彼女も驚きを隠せずにいた。
家で葬儀の準備中、私はこの娘の名前を初めて知った。アカツキ クレハちゃんと言うらしい。一ヶ月間も一緒に住んでいたのいうのに。もはや笑い話だ。
クレハちゃんも、村長の突然の訃報に悲しんでいた。一ヶ月間もここに居たのだからそれなりに関わりがあったのだろうから。それに彼女はかなり感情が豊かだから、余計に深く受け止めてしまうのだろう。
それに比べてレントはというと、何故かあまり悲しそうではなかった。村長があれ程まで気にしていたのだから、相当な関係だったと思ったのだが……どうしたのだろうか。
村長の埋葬の時、村長の名前を聞いたレントは急に声を上げて泣き始めた。
村長は前、彼に話をした時、知り合いである事を打ち明けてはいなかったのだろうか。どうやら彼等には複雑な関係性があるらしい。
それでも今、レントは深い悲しみに呑まれているのは事実だ。村長の遺言通り、そして私情で、私は彼を支えよう。そう決めていたのだった。
私は彼が泣き止むまで、ずっと背中をさすってやった。
彼は次の日、前と同じ様に落ち込んでいるのかと思っていたが今回はどうやら違うようだった。朝食を食べた後、話したい事があると言ってきた。
彼は世界を見て回りたいと言った。村長に、真実を伝えると同時に言われたのだと言った。
やはり彼は旅に出たいと言った。やっぱり、彼は息子に似ている。
一年前に亡くした息子に。
息子は旅に出たいと言っていた。だが、それは叶う事は無かった。あの、レントが初め倒れていた森で、本来そこでは見る事のない強力な魔物に襲われて死んだ。息子はそこでいつもの食材調達をしていたところだった。
夫も息子を助けようとして一緒に亡くなった。夫は村の駐屯所の兵士だったが、とても一介の兵士一人では太刀打ち出来る相手ではなかった。
そしてその魔物は二人が亡くなった後、やっと駆けつけた兵士達によって討伐された。
私は大切な人を二人同時に失った悲しみに明け暮れていた。それでも村長達が支えてくれていたから、今もこうして生きていられるのだと思う。
その失くした息子に、彼はどこか似ていた。だから私はこんなにも彼を気に掛けているのかもしれないと思った。
彼が世界を見て回りたいと言った時は本当に嬉しかった。彼が息子の意思を継いでくれたようで。
私情を押し付けている様にも感じたけど、そこは気にしない事にした。彼には彼なりの理由があって、世界を見て回りたいと言ったのだから。
だったら私は、彼を笑顔で見送ろう。
そう、誓った。
そして出発の朝は来る。
彼は、世界を見て回ったらまたここへ帰って来ると言った。そして、あの人の剣とあの子の意思も、共に帰って来てくれる事に喜びを覚えながら私はただ、待つ事にした。
私は彼の土産話を聞くのが楽しみになった。
彼等が無事にここへ帰って来られますように……ただそれだけを願って。
私は彼等を笑顔で見送った。