最終話
海は汚れた水から綺麗なものへと変わった。空を覆っていた紫も消え、明るい空が広がる。
地球では見慣れた景色。だが、久しく見ていなかった青空に、僕たちは全員で喜びの声をあげる。
海竜から武器を手に入れたが、これを使う機会はもう来ないだろう。
「……この島からすぐに脱出したいが、島にいる人間全員を連れてきたほうがいいだろう」
リーダーがぽつりともらすと、メンバーたちも明るく頷く。
僕はからかうように呟いた。
「お人よしですね。僕なら一人で逃げてしまいますよ。リーダー、優しすぎです」
「……いや、なんだかんだでお前も見捨てはしないだろう?」
リーダーの苦笑を返し、僕は手の中で、ダガーを遊ばせながら砂浜を歩く。横に並ぶキクミが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「あんた……結構あちこちやられてるわよね?」
キクミが僕の全身を眺めている。確かに服はぼろぼろで、骨もいくつかやられたかもしれない。
精霊魔法の行使により、疲労も溜まりまくっているが、極限状態には慣れている。
「大丈夫ですよ。それより、早く島を探しましょうよ」
「ほら、さっさと服を脱ぎなさい。一応薬草を塗ってあげるから」
「薬草って……疲労は溜まりますよね? 僕を疲労で殺すつもりですか」
「仕方ないじゃない。このくらいしか応急手当はできないんだから。……腕の傷はばれないようにしてあげるから」
静かにキクミは僕の手首を見やる。彼女の心遣いに感謝していると、ちょいちょいと声をかけられる。
「あの、サエキさん。治癒魔法は必要ですか?」
メンバーにいた女性だ。名前までは覚えていないが。
「治癒魔法ですか……? どんな効果でしょうか」
「傷を塞ぎます……」
尻すぼみする彼女に僕は出来る限りの笑顔を浮かべる。
「傷だけですか」
「あ、あのすいませんでした! 別にいいですよねっ。帰りますーっ」
「いえ、別に構いませんよ。お願いします」
逃げ出そうとした彼女の肩を掴み、僕は傷を塞いでもらう。
緑の光が僕の全身を包み、僅かに疲労が回復し、痛みも和らぐ。
「あ、あの私この程度の魔法しかないんですっ。完全に治せなくてごめんなさいっ」
「いえいえ、だいぶラクになりました。ありがとうございますね」
僕が微笑むと、女性は顔を真っ赤にした。
慌てたように頭を下げて、去っていく。僕たちは再び歩き出すがキクミからのプレッシャーが一段強まっていた。原因は不明だ。
「あなた……なんだか私に対するより優しい気がするわね」
キクミが僕のほうにジト目をぶつけてくる。ついでに、怒りのようなものを感じるが、女性の日とかだろうか。
「僕は基本、優しいですよ。親しい人には本音を見せるので、恐らくそれが原因でしょうね」
気を許すとつい、口調が悪くなる。本音で話すのはコウジ、キクミ、ヒミリア、リーダー、雇い主くらいなものだ。
「本音ね……ならいいわよ。ほら、細かい治療をしてあげるから、そこの岩に座りなさいよ」
キクミはいきなり怒りを霧散させ、笑顔満点で岩を示す。確かに手ごろな椅子のようになっている。
「別に大丈夫ですよ。これ以上やったって、それとも、僕の裸みたいですか? いやーん」
「ふざけないでちょうだい。あなたの裸なんて欠片の価値もないわよ」
冷めた目を返される。キクミは岩の前から動かなくなったため、僕は仕方なく座る。
キクミは薬草を集めたあと、上着を脱ぐ。半袖になった彼女は、脱いだ上着に薬草をすりつぶしていく。タオル代わりのようだ。
「ここの薬草ってこうやってすりつぶして、布につけて患部に当てるのがいいらしいわよ」
「キクミの服ってブランドものの高い奴ですよね。僕払えませんよ?」
雇い主に頼めば弁償くらいは余裕だろうが、迷惑はかけたくない。
「そんなもの気にするんじゃないわよ。この島じゃ、価値なんてないわよ」
「戻ってから請求しても無視しますからね」
「私をなんだと思っているのよ」
苦笑交じりに返され、僕の体へ服を巻きつける。
若干、キクミの匂いと熱が残っている。指摘すれば怒られるのは明白であるので、僕は黙って上着を羽織る。
「それでは、生き残っている人たちを探してみますか」
「そうね」
僕たちは島を探し始める。一人を見つけて、砂浜まで案内しようとしたところで、僕はふと思い出す。
「そうでした。ウンディーネ、全員が乗れるように船を改造できませんか?」
『……できない、といったら?』
「やれるように脅すだけです」
『もちろんできるさ……ただ、少し海竜と話しをさせてくれないか?』
「海竜と?」
ウンディーネはそわそわと僕のダガーを眺める。
もしかして……。
「新しいダガーに、海竜の魂があって、会話ができるとか?」
『ああ、そうだ。少しでいい。頼む』
使う機会はないと思っていたが、僕は海竜ノダガーに切り替える。
一際強い光を放った後、透き通るような青い刀身に変わる。アクアフィッシュダガーに似ているが、手に伝わる重量感はその比ではない。
海竜ノダガーは急に光を放ち、声を発する。
『ふぉふぉふぉっ! よくぞ俺を倒してくれたなっ! 感謝するぜ! いやー、もう、体の言うこと聞かなくってさ……どうしようかと思ってたんだよ』
「お礼は受け取っておきますが、もう少し静かにしてください。頭に響きます」
『……え?』
海竜は寂しそうな声を残し、ウンディーネと一言交わして静かになった。
『おまえは魔物だろうと関係ないのな』
どこか嬉しそうにウンディーネは僕に語りかける。
「いいから、船を大きくしてください」
『任せろ。海までも支配下に入れた今。私にできないことはない』
一瞬で船は倍ほどに膨れあがる。二人一組で、島を歩き回り、脱出の方法を見つけたことを伝えて案内していく。
不思議なことに、魔物もいなくなっている。結局一度もボルケーノドラゴンと戦うことはできなかった。
ほぼ半日近くかけ、ようやく全員を乗せ終わる。今まで全く関わってこなかった人も多くいるが、みんなで喜びを分かち合えばいいだろう。
一通り乗せ終えた所で、僕は桟橋に立っているウンディーネにお礼を言った。
「あなたのおかげで、問題なく脱出できそうです。生意気でしたが、本当にありがとうございます」
『……いや、こちらこそだ。一言多いが』
「まあ、元気で過ごしてください」
『早い所お前の世界を見てみたいものだな』
あれ、話が噛み合わない。
「どういう意味ですか?」
『私もついていく。お前のおかげで、ここにいても、駄目だと思えた』
「いや、だからって僕の世界に来ても意味ないでしょう? あなたも戻るべき世界に戻ってください、お願いしますから」
地球の水はお世辞にも綺麗とは言えない。
魔物なんて存在も一切いないので、ウンディーネと話が出来るような奴もいないだろうし、寂しい世界だろう。
第一、ウンディーネのせいで僕の世界がおかしくなったら嫌だ。
だから僕は、ウンディーネが嫌がるだろう言葉を放ち、彼女があきらめることを祈る。
「僕の世界に来たとしても、絶望しか待ってないと思うぜ。きれいな水なんてものはとっくになくなっています」
『やりがいがあるな。もう少し、お前を見ていたいと思えたのだ』
「よかったじゃない。好かれたのね」
キクミはふんと顔を逸らして、去っていく。どうしたのだろう? やっぱり女の子の日なのだ。
なのに、海竜との戦いを頑張ってくれた。キクミには後でしっかりお礼を伝えよう。
とはいえ、ウンディーネに興味を持たれるような人間ではない。
ウンディーネが操作する巨大船に乗り、僕たちは海の果てまでしばしの休憩。
それぞれが、これから戻れることを願い楽しそうだ。
地球に戻ったら、この力はどうなるのだろうか?
すべてが夢のようになくなるのか、引き継いだままになるのか。
普通に生活する分には困ることもないだろうし、僕は気にしないで船の縁に肘をつく。潮風が臭い。僕は海も船もあまり好きじゃない。
改めて船に乗る人間を見ると、ここには日本人しかいないのが理解できる。ヒミリアは……よく分からないが。
そんなヒミリアはうぅとつまらなそうに体育座りだ。船の動きに負け、ころんと僕のほうまで転がってきた。
「わたしは……どうすればいいのか」
体育座りのまま、ヒミリアは顔だけを僕に向ける。
ウンディーネの話のままでは、ヒミリアが日本に戻ったとしても居場所はない。
「僕の家にでも来ますか? 妹ってことにして、僕の主に交渉してやりますよ」
雇い主ならば、面白ければ引き取ってくれる可能性は十分にある。
「サエキの妹……それだけで、胸がいたい」
「お礼はいりませんよ」
「そうじゃない」
ヒミリアが睨んできたが、すぐに嬉しそうに目を細めた。それはそれでいいかもしれない、と言った様子か。
「ヒミリアちゃん、私の家も大丈夫よ。何かあったら来なさいな」
キクミがヒミリアの隣に座る。僕とキクミに囲まれたヒミリアは膝に顔を埋める。
耳が少し赤いので、嫌がっているわけではないな。
「うぅ……分かった。キクミ、ありがとう」
「僕はどうした僕は」
「サエキを雇ってくれてる人にお礼を伝える。いつも兄がお世話になっています、って」
「完璧な妹だな」
「でしょ」
ふふんと儚く笑ったヒミリアはそれから口を閉じて眠りについた。うっすらと目尻に涙が垂れているようだが、
「あなたたち、夫婦みたいねー」
キクミと仲良くしていた女性メンバーが、からかうような声をあげ、
「な、何を言っているのかしらね? あなたたち、さっさとどこかに行きなさいよっ、シャーッ!」
「キクミ、どこで式をあげますか?」
「あなたもふざけないのっ!」
キクミは目を回しながら、僕に吠える。それから、女性メンバーを追いかける。
「……とりあえず、日本に戻ったら酒だな」
「……私は大学の単位大丈夫だろうか……」
コウジは嬉しそうに、リーダーは額に手を当てて深いため息を吐いた。
それぞれ、地球に戻ったときのことを楽しそうに話をしていて、僕も色々と日本での生活を考える。
とりあえずは……雇い主がキレて一体僕に何を押し付けてくるかだよな。
一日一睡もしないでゲームとか付き合わされたら泣くぞ……。睡眠がないのは別にいいが、休みなくゲームをやるのは勘弁してほしい。
慣れていないから、一時間もやると頭が痛くなってくる。
「ねえ、サエキくん。日本に戻ってからどうにか連絡する手段ってないかしら? それより、あなたって、今どこで生活しているの? 闘技場?」
キクミが肩を上下させ、顔をうつむかせている。
「いえ、雇い主がいますよ」
キクミは僕の言葉に意外そうに目を丸くした。僕が他人に買ってもらえるような人間じゃないと思っていたのか。酷い奴だ。
「……へえ、そうなの。いなかったら購入してあげようと思ったのだけれど」
「はっはっはっ、僕なんて買ったらあなたの人生底まで落ちますよ?」
「そうかしら。凄く楽しそうじゃない」
キクミの冗談は妙に切れている。僕は雇い主の自宅の電話番号を思い出すために、視線を斜め上にあげる。
「僕の家の電話番号は確か――」
キクミに番号を教えると、それを一発で暗記した。
いくらかの言い合いこそあったが、僕たちはそれからも会話を弾ませていた。
会話に一段落がつき、僕はこれまでの出来事を思い出す。
色々と面倒なことはあったが、この島での生活も悪くはなかった。一緒に戦ってきたリーダーたちと知り合えたのが、何よりも嬉しいことだ。
問題があるとすれば、キクミに僕の出身がばれたことだ。
が、キクミが僕に不利なことをするとも思えない。何かされたらあきらめるしかない。
『そろそろ、世界の終わりにたどりつく。衝撃が予想されるから、皆何かに捕まれ』
ウンディーネのアナウンスに僕たちは少し緊張する。世界の終わりは、真っ暗な景色しかない。
「……掴まえてて」
不安を感じたのか、珍しく素直にヒミリアが僕の足にまきつく。僕も片手で彼女を押さえる。
船の先端が入り、そこからじわじわと闇に侵食されていく。
周囲は何も見えなくなり、船ががたつき、僕は懸命に耐える。
すっかり何も見えなくなった中で、僕は確かに目を開く。闇さえも見えないために、失明でもしてしまったんじゃないかと僕は僅かに恐怖する。
手を伸ばし、耳に意識を集中してみるが、物音一つ聞こえない。
ここはどこなのだろうか?
やがて衝撃はなくなり、僕は歩き出す。気づけば、ヒミリアも足からいなくなっている。
大げさに両手を広げてみるが、誰にもぶつからない。さっきまで多くの人がいたのだから、おかしいのははっきりしている。
だが、次第にその景色は薄れていく。
闇は消しゴムで消すかのように、少しずつ消えて行く。やがて、僕が手を伸ばすと、途端に現実感が体に戻ってくる。
目を襲う強すぎる明かりが、懐かしさを伝えてくれる。
僕は元の世界に戻れたのだろうか。
いまいち覚醒しない脳を自覚しながら、瞳を開くと見慣れた雇い主の顔が飛び込んできた。
慌てて、飛びついてきた雇い主を受け止める。
僕はベッドに寝かされているようで、雇い主に潰された。
「サエキ! ようやく起きましたか! 一体何をしていたのですか、全くもう!」
「ああ、久しぶりだな。どのくらい寝てたんだ?」
口調を戻す。俺が外と内で使い分けられるように、雇い主の前だけでは敬語を禁止されている。
戻ってこれたのだろう。手に伝わる彼女の熱は本物だ。これが幻影魔法とかだったら、俺は術者を十回殺す。
「一時間ほどです」
「わりと少ないな……。てっきりもっと寝てたと思ったんだが」
「行方不明になって一週間ほど経ちましたよ。なのに昨日庭で倒れてるのを見かけて即病院に運んできました! 慌てて電話したら、警察が来てびっくりでした」
「庭か……ていうか、番号間違えるなよ」
あの島に飛ばされる前はランニングをしていた。
ランニングといっても、雇い主が持つ広大な敷地の中でだ。記憶がつながっていく。
とにかく、戻れてよかった。
「そういえば、一緒に子どもいなかったか?」
「あっ、いました。先に目を覚ましてとりあえず家で保護していますが……もしかして誘拐とかしてないですよね? お金に困っているとか……」
じとっと雇い主が睨みつけてくる。僕は苦笑混じりに言い放つ。
「おうよ。誘拐してきた――」
「残念です」
雇い主が片手をあげると、僕を黒服の警備兵に囲まれる。
「じょ、冗談だって。彼女は俺の妹だ。名前はヒミリア。可愛いだろ?」
「い、妹……? まあいいです。それについてはまた後でいいです」
雇い主は首を激しく左右に振った後、指をつきつけてくる。
「とにかくですっ! 全くサエキのおかげ――あ、いやサエキのせいで学校に通えなかったじゃないですか! もう、主を心配させるなんていけませんねっ」
まったく心配した様子はない。むしろ嬉しそうだ。学校に通いたがらないもんな、この人。
長いツインテールをぶん回す雇い主は、笑みになりそうな表情を一生懸命引き締めている。
家に金が有り余っているから、将来は仕事をするつもりがないのだ。
ベッドから起き上がり、俺は軽く肩を回す。まるで、すべてが夢のようであった。というか、夢だったんじゃないのか?
腰にあったダガーはなくなり、ウンディーネの声も――。
『ここが貴様の世界か。水は……まあ、綺麗にするための施設があるのか』
……こりゃあ、日本での生活がより大変になるぞ。
「早く来るのですサエキ! 私を心配させたのだから、今日から二日間、ゲームに付き合ってもらいますからね!」
俺の表情が固まった。
「いや、ふざけるなよっ、俺を殺すつもりか! こちとら病人だぞ。怪我人だぞっ!」
「うるさいです。普段から頭が難病なんですから大丈夫ですっ。ほら、のんびりするなです!」
雇い主が俺の手を掴み、病院から引っ張り出される。
病院の前に用意されている、大きな車に問答無用で乗せられる。
俺は呆れながらも、久しぶりの感覚に笑みをこぼした。