第十八話
洞穴の中に二つの気配を感じる。洞穴に見張りが一人いる。中のほうでは何かが動くのが見えるが、認識できるほどではない。
僕は気配をなくして、さらに近くの茂みから中を窺う。
見えた……キクミが女に押さえつけられている。
キクミはどうにか暴れようとしているが、地面に倒されてしまう。
速やかに救出しよう。方法としては、筋肉男をとっちめ、瞬間移動並みのスピードで女をぶちのめすのが早い。
僕は一応返り血を簡単に洗い落としている。じっくりと見られれば気づかれるだろうが、一瞬なら大丈夫なはずだ。
仕方ない。僕の素晴らしい演技で、あいつらに隙を作るしかないな。
僕はダガーをニンジンダガーに切り替え、洞穴に突っ込む。男は黙って正面突破だ。
「た、助けてくださいー! 魔物が、いるんですよーっ!」
なるべく顔を隠しつつ、僕は大声をあげる。
「魔物だと!? ていうか、なんでニンジン? そして、なぜ棒読みなんだ?」
早くも筋肉男はいぶかしむが、外を警戒している。
「魔物は、いないよう、だ、が……!?」
筋肉男との間合い。僕はパラライズダガーを入れる。筋肉男はすぐに倒れ、女との距離は三メートルだ。
再度、パラライズダガーを発動し、流れるように女へ投擲する。女の回避は遅い。腕をかすめ、そのまま痺れに負けて倒れる。
「大丈夫ですか?」
僕は解放されたキクミに近寄る。
「こ、怖い! ママ、パパ! ここはどこなのっ!? ねえ、どこなのっ!?」
キクミは暴れながら涙を流して抱きついてくる。予想以上のパニックに僕は目を丸くする。
「落ち着ついてください。サエキです、まだ老けていません」
「いやだよ! 死にたくないよっ、誰かっ、助けてよ……っ」
すっかり口調が子どものようになり、キクミは肩を震わせている。彼女がどれだけ、過去を恐れているのか分かってしまう。
それなのに、僕に対して怖くないように振舞っていたのか……。そこまでする彼女の理由が見えなかった。
とにかく、僕は震えを止めるために、キクミの両肩を掴む。
「ひっ!」
両目が揺れながら僕を捉えた。しっかりと見つめ返し、僕をはっきり見させる。
「落ち着いてください。僕は最近あなたと知り合った、かっこいいお兄さんです」
僕が敵でないことを教える。キクミの震えは段々と治まり、呼吸も落ち着いてくる。
「……かっこ、いい?」
そして、そんな小さな冗談が飛び出す。一応は落ち着いてくれたようだ。
「なぜそこに引っかるのですか……まあ戻ってくれたなら構いません」
「……サエキ、くん、ね」
ぎゅっと袖を掴んでくる。まだ手の震えは激しい。
「少しは落ち着いたようですね。ゆっくり呼吸でもしていてください」
キクミは深呼吸をして落ち着こうと必死だ。
僕は痺れている二人にポイズンダガーを打ち込んでおく。麻痺がいつ切れるか分からないため、保険のようなものだ。
二人は最初こそ余裕ぶって喚いていたが、段々と呼吸が乱れ始める。毒の効果は呼吸困難に似ているようだ。
喉を押さえ、必死に暴れまわっている。恐ろしい、絶対に食らいたくない。
苦しみを紛らわすために暴れようとするが、二人は痺れでロクに体を動かせない。そうすると、また苦しみが襲い掛かり……その繰り返し。これは凄い地獄だな。
「助けてくれて、ありがとう」
「気にしないでください」
頼まれただけだ。
僕は筋肉男を椅子にして、隣を叩く。
「隣座りますか?」
「……遠慮しておくわ」
「まあ、座り心地最悪ですからね」
僕は筋肉男を踏みつけて立ち上がる。これが僕の普通なのだと、キクミに教えるために。
洞穴の壁を背もたれに、女を眺める。
「痺れた女ってのは中々エロイと思うのですが……どうでしょうか?」
「そんなこと考えてる場合じゃないでしょうが。どうするのよ、そいつら」
「生かすにはまず記憶を消さないとなりません。僕は記憶を消す方法をもっていません。キクミは持っていますか?」
「あるわけないじゃない」
「なら、殺すしかありませんね」
逆恨みで命を狙われる危険もあるし、他の人間を標的にするかもしれない。生かしておいてもいいことはない。
「少し質問いいかしら?」
「ええ、構いませんよ」
「あなたは、どうして私が誘拐されたのに気づいたの?」
「僕の下に太郎と闘技場出身の男二人がやってきましたからね。脅したらキクミを誘拐したなんて話を聞いたから、すっとんできましたよ」
「そう……太郎たちは?」
「全員殺しました」
僕が他人を殺したことに対して、キクミは一瞬喉から悲鳴をもらす。
普通に生活していれば、関わることはない。だから、僕はキクミに現実を教える。
「僕はこういう人間です。他人を殺したとしても心は動きません。これでもまだ僕をいい人だと断言できますか?」
「……分からないわね。人殺しは悪いことだって考えが私の中にある。でも、殺さなければ自分が殺されていたのなら、なんて考えたことはない」
当たり前だ。殺す殺されないなんて、普通の生活ではありえない。
道徳の授業で考えることはあるかもしれないが、模範的な答えが出て終わりだろう。
「僕は正当防衛のつもりで殺したんじゃなく、太郎を殺したくて殺しました」
「そうかしら? ……そう、なのね」
キクミは眉間の辺りを揉み解すような仕草を見せる。僕の下にいた筋肉男が毒で死んだようだ。女もすでに死んでいる。
死臭が酷くなる前に出よう。
「外に出ましょう。ここにいても気分が悪くなるだけです」
「……ええ」
洞穴から出るとキクミは解放されたように大きな呼吸をした。僕も久しぶりの連続殺人だったので、多少疲れがたまっていたようだ。
昔に比べれば随分温厚になったものだ
「僕からすれば、正当防衛で殺すとか殺さないとか、答えの出ない悩みだから考えるだけ無駄だと思いますよ。悪ってのは人それぞれ違います。僕にとっては人を殺した時点でどんな理由があろうと悪です」
「あなたが振ったんじゃない」
キクミの不満そうな目つきに僕は笑顔を返す。
「僕はそういう人間ですから」
僕は自分が悪であるのを自覚している。僕の命一つではまかなえないほどに、多くの人間を殺して生きている。
僕にとって都合が悪ければ殺す。自己中心的に生きている自覚は十分にある。
「私って、単純なのよね。私を助けてくれたあなたを、悪だと断定できないわ」
「人間そんなものでしょう」
自分にとって利点があれば、どんな悪いことでさえも受け入れてしまう人間もいる。
「彼氏が死んで悲しいですか? それだけはすみませんでした」
「彼氏じゃないわ。悲しさ、というか。うるさいし大嫌いだったけど、いざいなくなると、あんな奴でも多少何かを感じることはあるわね。これが……人の死、なのかしらね」
キクミは悩むように顎に手を当てる。考えが行き詰ったのか、髪をぐちゃぐちゃに掻いて、ぱんっと顔を叩いた。
まだ手は震えている。僕に対してか、今日の一件に関してか。判断は難しい。
「あーあ、今日は最悪な一日になったわね」
キクミは吹っ切るように笑う。前向きな性格は雇い主に似ている。雇い主の場合、マイナスのほうに前向きなんだよな。
雇い主は、無理やり笑顔を浮かべて吹っ切ろうとする。別名、思考放棄。だが、生きる上では大事な技術だ。
キクミと雇い主。違うとしたら、雇い主のほうが断然に大きいところだ。何が、とは言わない。
キクミが笑顔で言い放ち、それを合図に、今日の事件については蹴りをつけることにした。
太郎を殺してから二日が経った今日。僕はこの前見つけたウンディーネの祠の前に待機していた。
砂浜に出現した祠についてある程度の情報が集まっていた。
リーダーたちが一日かけて、島を探索した結果、北、西、南にも似たようなものがあり、そのどれに対しても「ウンディーネへの祈り」と書かれていた。
リーダーたちと相談し、その四つの祠で祈りを捧げてみることになり、現在に至る。
こういうのは同時に行うことで効果がある、なんてキクミが説明している。
ウンディーネは水に関する精霊みたいなものらしい。ゲームではよくある設定とキクミが教えてくれた。
予想通り、祈ることで天に向けて光の柱のようなものが上る。
北と西の祠は遠いので、まだ到着していないだろう。連絡手段がないのは、つらい。
「まだかしらね……」
キクミは長い祈りのせいで、苛立ってきているようだ。怒りの矛先をこちらに向けないでほしい。
「……うぅ」
ヒミリアも同様に祈りを捧げているが、今にも眠りだしそうな不安定な状態だ。時々僕の足を背もたれに休憩しやがる。軽いから別にいいのだが、甘やかしすぎるとすぐに人を頼るからな。時々足をどける。
あと、コウジも真剣に祈っている。今の僕のパーティ四人だ。
しばらく祈りを続けていると、別の祠からも光の柱が上る。南、西、北の順番だ。これで、一応全部の祠に祈りを捧げたわけだが。
何も起こらない。祈りが足りないっていうのか? ちょっとウンディーネとかいうのを連れて来い。ぶん殴ってやる。
これで今の僕達にできることがなくなってしまった。中央の森、第三層でも戦えるようになった。
が、森には、まだ戦えない魔物もいる。
特にボルケーノドラゴンが厄介だ。あいつに見つかった場合、僕たちは逃げるしかない。
そんな危険を冒して、探索して何もなかったと思うと気が進まないのだ。
僕の場合、命が危険に曝されていても、むしろテンションがあがるタイプなんだが、三人は違う。
と、祈りの途中でヒミリアが咳き込んだ。
僕はちらとそちらに視線をやる。咳き込みは一時的だけでなく、その後も中々やまない。
「ごほごほっ! な、なに、これ……いや、気持ち悪いっ」
ヒミリアが滅多に出さないような大声で体の前を手で払う。キクミとコウジも様子が気になったようだが、僕が祈りを続けるようにジェスチャーで指示する。
「ヒミリア、どうかしましたか?」
そばにより、しゃがんで顔を覗き込む。どこか呼吸のタイミングがいつもと違う。
「あ……あぁっ! やめて、なに、これっ!!」
ヒミリアは自分の体を抱き、震えを押さえ込もうとしている。僕が手を伸ばすと、様子を聞きだす間もなく、電池が切れたように崩れた。
「おっ、とと」
傾いた体を支えるようにして、抱きかかえる。ヒミリアの目元を隠す髪をずらす。顔色は別に悪くない。
目は完全に閉じていて、寝息のようなものが聞こえる。
死んではいないようだが、さすがにこの状況に不安を感じたキクミが近寄ってくる。
「いつもの、睡眠ってわけじゃないみたいね」
「寝てるのはいつも通りですが……色々と不安が残る倒れ方でしたからね」
立ちながら、いきなり眠ることは今までになかった。
うつらうつらと頭を上下に振ることはあっても、倒れるまで眠ったことはない。
眠りについてからは、呼吸も落ち伝いる。何事もなければいいのだが……。
「僕は先に洞穴に送っていきます」
ヒミリアを腕の中に抱えて立ち上がる。見た目通りの軽さだ。
「おうおう、行ってこい行ってこい。ヒミリアをちゃんと守っておいてくれ」
「コウジも大事な場面で足つらないでくださいよ」
「へへ、オレだって成長してるんだぜ? 足つっても動けるようになってきたんだよ」
そっちじゃなくて、足をつらないようには出来ないのか……。コウジは心配しながらも、キクミと二人きりになれるのを喜んでいるようだ。
お姫様抱っこでコウジたちの洞穴に向かっていく。
途中ゴブリンを見つけたが、ポイズン、パラライズで倒す。なるべく、衝撃を与えないようにしないと。
洞穴につくころ、ヒミリアはうめき声をあげて目を覚ました。とりあえずはホッとしたが、まだ状態はよくないようだ。
「着くタイミングでも見計らってましたか?」
「違う……ご、めん……」
いつもの生意気な言葉を待っていたが、返ってきたのは弱々しい言葉だった。こりゃあ、からかうのはやめだ。
「大丈夫ですよ。体調が悪いのなら、ちゃんと伝えてくださいね」
葉を敷き詰めて作ったベッドに寝かす。
「体調はどうですか?」
「少し体が重たい……後おなかすいた」
「木の実を取りに行きたいところですが、さすがに一人で残すのは危険ですよね……」
魔物が洞穴に入ってこないわけじゃない。それに、未だクリスタルを獲得していない人間もいるかもしれない。
第一、ヒミリアも幼い顔たちながら、可愛い顔つきだ。人によってはむしろストライクの可能性もある。
ヒミリアは残念そうに「……そう」と呟いて、寝返りを打つ。
いつもなら、使えない、とか普通に言うのに、マジで体調悪いみたいだ。
僕も洞穴を背に、適当に考え事をして時間を潰していると、
「……わたしは、記憶喪失って言ったけど。それは、嘘、だったのかも」
ヒミリアが独り言のように話を始めた。
「何か嫌な過去でもあったのですか?」
自分を、記憶喪失と思い込むことにより、過去の出来事から逃げているのかと、予想してみたがヒミリアは首を振る。
「そう、じゃない。さっきから、声がするの。この黒猫を通じて、変な声が……。それから、記憶が、少しだけ出てきたの」
黒猫が? ヒミリアを連れてくるときもヒミリアの周囲をぷかぷか浮いていた黒猫は、地面についている。
掴んで耳を押し当ててみたが、何も聞こえやしない。
嘘をついている、ってわけでもないようだし、ヒミリアにしか聞こえないのかも。
「猫は何を言っているんですか? 『魚でもくれー』とかですか?」
「この島の、中央に来い、って」
僕の心臓が一段高く鳴った気がした。
中央……森の第三層ってことか。
ヒミリアが倒れたタイミングから、祠に関係する何かがあるのかもな。
ウンディーネ、特徴は水の精霊だったか。ヒミリアが好きなのも、水だが、何か関係するのだろうか。
すべてを特定できるほど、情報はない。
「私は……記憶を失ったんじゃなくて、最初から、なかった、のかも」
最初からだと? それっておかしなことを言っている。
「なら、ヒミリアは僕たちがこの島に来たときに誕生したとでもいうのですか?」
なかったということはそのくらいしか思いつかない。ヒミリアは確かに小さいが、赤ちゃんではなく子どもだ。それも普通より生意気な。
「少し、違う。わたしの最初の記憶は……この島じゃない。けど……たぶん、サエキたちがいる世界とも違う気がする。まだ、よく分からない。分からないよ……」
魔物が生殖活動で増えるのではなく、この島で造られているとしたら、それを応用してヒミリアを生み出すことも出来るかもしれない。
もう一つ、彼女を魔物に近い存在だと証明する耳がある。ヒミリアの持つ長い耳はエルフに似ているそうだ。キクミが言っていたゲーム知識らしいので、アテになるかは分からないが。
僕の世界に尖ったような耳を持つ人間はいなかったはずだ。
だが、やはりありえないと思われる。この島にヒミリアに似た姿の魔物はいない。
人型で身長が近いものとしてゴブリンがいるが、ヒミリアは可愛い女の子だ。似ても似つかない。
可愛い女の子の姿の魔物が他にもいるのなら、信憑性がますのだがな。
手元の情報だけでは、ヒミリアについて予想しかできない。
「……何か、わたしの中に知らない力がうごめいてる気がする。気持ち悪いよ」
ヒミリアは生意気な面など取っ払って、一人の子どもとして恐怖している。
僕はヒミリアの小さな手を掴む。
「無理して思い出さなくても良いですよ。記憶なんてなくても、生きる上で大した問題はありません。ヒミリアの言うとおり本当になかったのかもしれませんが、この島では一緒にいるし、記憶が戻るまでは面倒見てやりますよ。とりあえず、少し休んだほうがいい」
「……面倒を見る、ふふっ」
ちょっと小馬鹿にするような声をあげた。少し調子が戻ってきたようだ。
寝る天才なヒミリアは、もう寝息をあげる。僕も休憩を取るために、横になると洞穴にコウジたちが戻ってくる。
「何もしてないでしょうね?」
疑いから入るのかよ。
「戻ってくるのが、早かったですね。コウジが何かしましたか?」
「何もできなかったよ……」
「何かする気だったの?」
「う、うわぁーっと足がつっちまった……。いてててー」
キクミのジト目にやられ、コウジは洞穴外へと逃げ出した。
「予定の時間が過ぎたのよ。そのうちリーダーたちも戻ってくるはずよ」
キクミはまだまだ元気が有り余っているようだ。
「コウジ、ヒミリアの面倒を見ててください。僕はキクミを連れてリーダーに会いに行ってきます」
「お、おう、分かった」
「なんで私もなのよ。あなた一人でいいじゃない」
「僕がいなくなった後に、何があったか話してもらうためですよ」
「とか何とか言って、本当は何かいやらしいことでもするつもりじゃないでしょうね?」
どうしてそうなる。
リーダーは一番遠い北の祠だったか。戻ってくる前に木の実を取りに行けるだろうな。
木の実を探している間、キクミに先ほどヒミリアと話した内容を伝えた。
キクミは考えるように顎に手をやる。
「これは……森の中央に行くのが手っ取り早そうね」
「それしかないと思いますね」
僕たちは木の実を回収し、リーダーのいる洞穴へ向かう。
ヒミリアについて考えているのだろうか、キクミは先ほどから顔をあげていない。
「いたっ!?」
「前、危ないですよ? 枝がたれていますので」
「ぶつかってから言うんじゃないわよ……」
前を見ないで歩くのがいけないんだろ。
キクミは赤くなったおでこをさする。
「リーダー、そっちは何か収穫はありましたか?」
洞穴に戻るなり、早速僕は訊ねた。
「……特にはない。そっちはどうだった?」
「ヒミリアが謎の声を聞いたらしいです。森の中央――たぶん、第三層のことで、何かがあるのは確かだ」
「……なるほど。中央を目指して調査を進めるしかなさそうだな。……私たち数名で行くのはどうだ?」
確かに大勢でいくよりかは安全だろう。僕はリーダーの考えに頷く。
「詳しい話はまた明日にしましょう。僕からはそのくらいです。何か用事があったらコウジのところに来てください」
「……ああ、頑張ろう」
洞穴に戻り、ヒミリアの横に木の実を置く。
「……いただきます」
寝ていたくせに食い物の匂いへの反応は早い。即座に起き上がり、オレンジのような木の実の皮をむいていく。
これなら、すぐに元気になりそうだ。
コウジがヒミリアの様子を見ると言ったので、午後からはサードになっていない武器の強化に行った。