93 空白の形
昼休み。
社内の休憩スペース。
コーヒーの匂いと、キーボードの音が遠くで混ざっている。
窓際の席に座って、
適当にスマホを眺めていると、
「彼女とかいないの?」
同僚が、軽い調子で聞いてくる。
視線は画面のまま。
「いない」
即答。
間を置かない声。
「欲しくないの?」
少しだけ笑いながら、続けてくる。
「……別に」
短く返す。
会話はそれだけ。
「そっかー」と流されて、
すぐに別の話題に移る。
周りの笑い声。
どうでもいい雑談。
全部、日常の音。
(……)
スマホの画面をスクロールする。
何も頭に入ってこない。
さっきの会話も、
特に引っかかるものじゃないはずなのに、
どこかに、引っかかっている。
“いない”
それは事実だ。
“欲しくない”
それも、間違ってはいない。
でも――
完全に本当かと言われると、
少しだけ違う気がする。
(……)
ふと、胸の奥にある“空白”を意識する。
何かがあった場所。
ちゃんと形を持っていたもの。
今はもう、そこにはない。
でも、
埋めようと思えば、埋められるはずなのに、
なぜか手を伸ばさない。
新しく何かを置く気にもならない。
そのままでいいと、
どこかで思っている。
コーヒーを一口飲む。
少し苦い。
視線を上げる。
いつも通りの風景。
いつも通りの会話。
全部、問題ない。
ちゃんと日常は回っている。
それでも、
その“空白”だけは、
形を変えずに残り続けている。
埋める気がないまま、
そこにある。




