72 リアルな喧嘩
放課後。
教室の窓から差し込む夕焼けは、もう赤というより、少し鈍い色に変わっていた。
空気が重い。
さっきまでの沈黙とは違う、張りつめた静けさ。
「心配してるだけだろ」
声が少し荒い。
言い方を間違えているのは分かっているのに、止められない。
「分かってる」
凛はすぐに答える。
その声は、落ち着いている。
だから余計に、食い違う。
「じゃあなんで――」
踏み込む。
止まれない。
「分かってるから嫌なの」
その一言で、空気が切れる。
「……は?」
頭が追いつかない。
意味が、分からない。
「優しいのが、しんどいの」
凛の声は小さい。
でも、はっきりしている。
逃げていない。
「意味わかんねえよ」
苛立ちがそのまま出る。
理解したいのに、できない。
「だよね」
凛は、少しだけ笑う。
いつもの笑い方に似ているのに、
どこか違う。
その瞬間。
目の端に、光が滲む。
夕焼けに反射して、わずかに揺れる。
涙。
でも、凛は拭かない。
隠そうともしない。
ただ、そのまま立っている。
「……」
言葉が出ない。
何か言えばいいのに、
何も出てこない。
教室の外から、部活の終わりの声が聞こえる。
日常の音。
でも、この空間だけ切り離されているみたいに遠い。
優しさで近づいたはずなのに、
その優しさが、
相手を追い詰めていた。
責めたいわけじゃない。
傷つけたいわけでもない。
ただ、分かりたかっただけ。
ただ、守りたかっただけ。
でも――
それが、重かった。
凛も、
ちゃんと分かっている。
だからこそ、否定できない。
でも、受け止めきれない。
どっちも間違っていない。
どっちも、ちゃんと相手を見ている。
なのに、
噛み合わない。
夕焼けがゆっくりと消えていく。
光が弱くなるたびに、
二人の影も、少しずつ薄くなる。
残るのは、
言葉にできなかった感情と、
どうしようもない距離だけだった。




