50 日常に戻る
次の日。
朝の教室。
窓から差し込む光は、いつもと同じ。
机の並びも、ざわめきも、何も変わっていない。
誰かの笑い声。
椅子を引く音。
日常の音が、当たり前みたいに流れている。
なのに――
少しだけ違う。
自分の中だけが。
席に座る。
なんでもない動作のはずなのに、
どこか落ち着かない。
昨日の夜が、まだ残っているみたいで。
ふと視線を上げると、
凛がいる。
同じ教室。
同じ距離。
でも、昨日と同じじゃない。
目が合う。
ほんの一瞬。
それだけで、分かる。
「おはよう」
凛が言う。
いつも通りの声。
でも、ほんの少しだけ柔らかい。
「おはよう」
返す。
たったそれだけ。
それだけなのに――
胸の奥が、静かに満たされる。
昨日、繋いだ手。
言えなかった言葉。
全部そのままなのに、
何かがちゃんと変わっている。
凛が、少しだけ笑う。
特別なことは何も言わない。
いつも通りにノートを開く。
その仕草すら、どこか違って見える。
(……これでいいのかもな)
思う。
無理に言葉にしなくても、
進んでいるものがある。
形になっていなくても、
ちゃんとある距離。
教室のざわめきが、いつも通り広がる。
日常が戻ってくる。
でも――
昨日までの“普通”とは、少し違う。
ほんの少しだけ近くなった距離。
それを、誰にも言わずに共有している。
その感覚が、
不思議と心地よかった。




