02 潜伏期間
昼休み。
教室は一気に騒がしくなる時間だ。
机を寄せて弁当を広げるグループ、購買の袋を誇らしげに掲げるやつ、スマホを囲んで笑うやつ。ざわざわとした空気が、朝の静けさを塗りつぶしていく。
その中で、俺は一人、窓際の席でパンをかじっていた。
外では春の風がゆるく吹いている。
校庭の端にある桜は、まだ満開には遠いけど、ところどころ薄いピンクが混じり始めていた。
(……平和だな)
ぼんやりそんなことを思いながら、二口目をかじったとき。
ふっと、視界が陰る。
「観察するって言ったでしょ」
聞き慣れた声。
「本気でやるのかよ」
顔を上げると、凛が立っていた。
相変わらず遠慮という概念を持っていない顔で、当たり前のように俺の隣の椅子を引く。
ギィ、と少し大きめの音が鳴って、周りの何人かがちらっとこちらを見る。
凛はそんな視線なんて気にもしないで、そのまま座った。
距離が、近い。
「で、どう?」
「なにが」
「体調」
「普通」
そっけなく返すと、凛は少しだけ眉を寄せた。
「心拍数は?」
「知らん」
「じゃあ測る」
「やめろ」
言うより早く、手首を掴まれる。
ひやっとした指先の感触。
けど、そのあとに伝わる体温は、妙に生々しい。
「……近い」
顔も、距離も。
凛はじっと俺の手首を見つめたまま、少しだけ身を乗り出している。
黒い髪がさらりと揺れて、頬にかかる。
「ドキドキしてる?」
「してねえ」
即答。
でも、ほんの一瞬だけ間が空いた気がした。
「嘘だね」
「なんで分かる」
「分かるから」
「適当だろ、それ」
凛は小さく笑った。
その笑い方は、からかってるのにどこか楽しそうで、妙に余裕がある。
手首を離される。
けど、その感触だけがしばらく残ったままだった。
「ねえ」
「なに」
凛は今度は窓の外に目を向ける。
風で揺れる桜の枝。
花びらはまだ少ないのに、なぜかやけに印象に残る。
「恋ってさ、自覚ないうちに進行するんだよ」
「怖いこと言うな」
「だから気づいたときには手遅れ」
「ホラーかよ」
「でも楽しい」
「どっちだよ」
凛はくすっと笑う。
その横顔は、さっきまでのからかう表情とは少し違っていた。
どこか本気で、どこか遠くを見るような目。
教室のざわめきが、少しだけ遠くなる。
パンの味も、よく分からなくなる。
ただ――
隣にいる存在だけが、妙にはっきりしていた。
その顔を見て、少しだけ思う。
(……まあ、退屈はしなさそうだな)
窓の外で、風が強く吹いた。
桜の枝が大きく揺れて、
まだ咲ききっていない花びらが、ひとつだけ空に舞い上がった。




