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1話。

天使は、また間違えてしまった。


天界にある神殿の広間で、天使は床に膝を着かされ、頭を下げていた。

壇の上では、大天使が頭を抱え、深い溜息を吐いている。見慣れた光景だった。


()使()は選んではいけない。

神への絶対的な信仰を持たなければならない。


しかし、この天使は違った。


透けるようなペールアクアの髪を無造作に左右で分けて束ねた彼女は、無意識に“選んで”しまう。神に背いてしまう。

何度もそれが露見しては、大天使や周囲の天使達に咎められてきた。


ーーなんで?どうして?


幼い頃、彼女が零した純粋な疑問が解かれることはなかった。

ただ「それが正しいから」と言われ、折檻されるだけだった。


輝いていたコーラルの瞳も、今は光を宿さず濁っている。


限界だった。

彼女も、同族の天使達も、位の高い大天使でさえも。


いつも通り叱責されるだけだと思っていた。

だが、その日は様子が違っていた。


大天使に傍使いの天使が慌てた様子で耳打ちをする。

目を見開いた大天使は、頭を下げ続ける彼女に告げた。


ーー熾天使が来る。


神の使いである熾天使。

天界で最上位に立つ存在。最下位の天使、それも落ちこぼれである彼女が、決して目にするはずのない存在だった。


騒めく壇上に、彼女は思わず顔を上げてしまう。


普段、彼女を見下ろしていた大天使ですら膝を着き、深く頭を垂れている。

その光景を、どこか他人事のように眺めた。


白に近く、まるで光を纏っているかのようなプラチナブロンドの長い髪を引き摺りながら、熾天使は現れた。


大天使達の旋毛を見下ろし、柔らかな笑みを浮かべる。

だが、頭を上げている彼女を視界に入れた瞬間、その笑みは侮蔑に変わった。


しかしそれも一瞬だった。

すぐに貼り付けたような微笑を浮かべ、熾天使は口を開く。


ーー羽根を。


それだけだった。


にこり、と笑い、熾天使は背を向ける。

その背中は、振り返ることなく遠ざかっていった。


顔を上げた大天使は、どこか同情の色を滲ませた目で彼女を見る。

けれどすぐに穏やかな笑みに戻り、周囲の天使達へ告げた。


「やりなさい」


何が行われるのか理解できず、彼女は小さく首を傾げる。


次の瞬間、数人の天使に強く取り押さえられ、床に顔を押し付けられた。


ーー羽根を、取る気だ。


抵抗しようと力を込める。

だが数人がかりで押さえ付けられれば、それも無意味だった。


やがて彼女は諦め、脱力する。


何もかも間違えてしまう彼女の、唯一の天使の証。

清廉なる象徴である白い羽根。


それがむしり取られるというのに、どこか現実味がなかった。


背に走った衝撃に、視界が白く弾ける。


数人がかりで毟られる己の羽を見つめ、彼女は伏せた顔のまま小さく嘲笑った。


ーー何が天使だ。醜い顔して。


天使達の嫌悪に濁った瞳。瞳。瞳。


彼女は目を瞑った。


天界に夜は来ない。

澄んだ空色に、淡い珊瑚を溶かしたようなマーブル色の空が続くだけだ。


床に投げ捨てられた彼女を、隠す夜はこの天界にはない。


真っ白だった羽根は、血と泥でくすんでいた。

大きかった羽根は、小さくなっている。


罰は羽根だけだったはずなのに、執行した天使達は身体までも傷付けていた。

必要のない、ただの暴力だった。


むしり取られて軽くなったはずなのに、身体はひどく重かった。


誰も居なくなった神殿で、彼女はゆっくりと身を起こす。

床に着いた手に力を込め、その掌を見下ろしながら、込み上げる笑いを抑えようともしなかった。


小さくなった羽根を抱き締め、彼女は歩き出す。

向かうのは、いつもの場所。


天使として産み落とされた時から、逃げ道として使ってきた場所だ。


天界と魔界の境目にある、誰も足を踏み入れない庭園。

手入れなどしたことはないのに、訪れるたびに整えられている庭園。


天界に夜は来ない。だが、出入りが禁じられている時間はある。

だからこそ、この時間に庭園へ足を運ぶのは初めてだった。



◇◇◇




天使はパーゴラドームに腰掛け、遠くの空を見つめていた。


天界と魔界の境目。

天界の朝焼けと、魔界の夜の帳が落ちたような空が、溶け合うように混ざり合っている。


その時だった。


花々や木々を揺らし、花弁や葉を舞い上げる風が吹き抜ける。

ざわめきに混じって、鈴のような少女の笑い声が響いた。


天使は軋む身体を無理に起こし、睨みつけるように声のした方を見る。


――後をつけられた?


先ほどの罰の痛みが蘇る。

心臓が大きく脈打ち、胸を内側から叩く。


押さえつけるように、守るように、むしられた羽根ごと胸に手を当てた。


やがて風はゆっくりと凪いでいく。

舞い上がっていた花弁が、ひらひらと落ちてくる。


その隙間から、黒い髪の“天使”がこちらを見ていた。





――否。


()使()に、黒い髪を持つ者は生まれない。




「……悪魔」



天使は目を閉じ、再びパーゴラドームへ腰を落とす。

羽根を毟られ、身体は痛みに重い。

飛んで逃げることもできない。


無様に命乞いをするくらいなら、黙っているほうがましだ。


そう思った。


「だ、大丈夫!?」


悪魔が慌てて駆け寄ってくる。

予想もしなかった声音に、天使は目を開いた。


「ああ、こんなに血が……」


怪我をしているのはこちらのはずなのに、まるで自分のことのように狼狽え、はらはらと涙を零す悪魔。


その姿に、天使は呆然とする。




――悪魔は皆、悪逆非道で。

それを罰する天使を、忌み嫌っているはずだった。



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