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カレー

幹也は明日からの帰省に備え、散髪に行った。


予約が前日、ぎりぎりになったため、朋子が車で送ったときにはもう17時だった。その枠しか空いていなかったらしい。


最初、幹也は、




「実家に帰省するのに別にいいんじゃない?」




と恥ずかしそうに笑った。




「いやいや、幹也がちゃんとしてないと、私が悪いみたいになるじゃん」


「、、、それって、なんか常識的なことなの?」


「常識って?」


「うーん、それをしてないとSNSで叩かれるみたいな」




幹也の口からSNSなどという言葉出て、そのあまりの似合わなさにくすっとしながら、




「常識って言葉を現代的に定義するともうそうなっちゃうのか」


「なっちゃうね」




夫の身だしなみは、妻の責任。


そんな考えはもう古いのかもしれないが、朋子は自分が後妻であることがどうしても判断材料に入ってきてしまう。


それに今の幹也の反応はスルーできない。それって常識なのか、と問うということは、きっと前の奥さんもそう口うるさく言っていたのだろう。




1度しか見たことがない、幹也の奥さん。


それは引っ越しのときにちらりとだった。


朋子は、その河川敷かなんかに設置されたブランコに乗り、華やかに笑う彼女の顔を見て、結婚をやめようとすら思った。


あまりにも、それはほんとうに、余っているなら周りに分けてあげて欲しいと思うほど、美しかった。綺麗だった。


そして分かってしまった。その笑顔はきっと、幹也にしか許してないのだということを。他の誰にも心を許さないといったような厳しさを目の端の力強さに感じた。そういった意味で、芸能人なんかよりも凄みがあった。




美人は3日で飽きるというが、美術館に展示された芸術品を、人々はもう飽きただろうか。そういう水準の美人だった。


その時は下品にも「逆にモテなさそう」と思って、自分のプライドを守ろうとする防衛本能に驚きもした。


美人は嫌いだ。


こっちの嫌な感情を引き出してくる。




そんなこともあって、あの美人な奥さんなら、いろいろ幹也にも注文してそうだ、と思ったのだった。




「うちの親はあんまその辺、気にしないけどなぁ」


「あ、それ旦那が言っちゃいけないセリフ、第32位くらいだね」


「32位ならもう言ってもいいセリフじゃない?」


「幹也の親が気にしなくても、私が気にするの」




そんなくだらないことを言い合う間にも、素直にスマホでヘアサロンを検索する幹也が、少し可愛くも思えた。


それが昨晩。




幹也を送って、そのまま家に帰る。


二人の実家がある仙台には、今日の夜中に出、明日早朝に到着する予定だった。


朋子は新幹線で帰ればいいと思っていたが、幹也が固辞した。


どうやら夜中のドライブが意外にも好きらしい。


子どもらしいところもあるものだと、朋子には新発見だった。




「冷蔵庫空にしないとな」




幹也にはおそらく、今日の夜の献立に何か考えがあったのだろうが、生憎急遽予定を入れてしまったのは朋子自身。




「洗い物は残したくないし、、、」




そう独り言ちて、はっとする。


いつも幹也の方が早く帰ってくるから忘れていたが、夫が亡くなってから、異常に多くなった独り言。それが出てしまっていた。




それに気づくと、どこからか冷気でも入ってくるかのように、肌寒く感じる。


幹也と話していて、楽しいとか、楽だと思うことはあったが、安心するとはまだ思えていない。それでも、途端に寂しいような、孤独を強めた感じがしてならなかった。




近所のバーバーとはいえ、幹也が帰ってくるまでまだ1時間ぐらいはある。




(バーバー、初めてって言ってたな)




いつもの美容室が埋まっていたらしい幹也は、バーバースタイルの店を予約したらしい。営業マンがよくするような、刈り上げスタイルになって帰ってくるのだろうか。


それは少し楽しみだ。




夕方のニュースで、猛暑日がどうのと言っている。


台風はまだ東北の方にいるらしい。


朋子は、台風と夏のぐちゃぐちゃな感じがあまり好きではなかった。


暑いのに、雨が降って、風が吹く。


それはどこか天邪鬼のような気がする。


理科的に言えば、海水温とか、上昇気流とか、冷やされてどうのとか、暑いからこそ台風があるのだ、と幹也なんかは不思議な顔をするだろう。


でも、朋子には寒くて、それであるからこそ雪が降る、目に映る色彩も暗い、そんな冬の方が好きだった。




(なんか、私、嫌いなものが増えたな)




美人とか、夏とか、あとは実家とか。増えたというより、嫌いなものを何故か考えている時間が増えた。小さいときは、もっと好きなことばかりで頭が埋まっていた気がする。




そう思ったとき、昨日の幹也の言葉がふと頭に浮かんだ。それは歯に挟まっていたわけでもないのに、突如出てきて嫌な食感を残す食べかすのように。





「もし仮にさ、僕に好きな人ができたら、この関係は終わるけど、そしたら朋子が僕のことを恨んでよ」




恨んで欲しい、その言葉はあまりにも幹也らしくなかった。


あまりにも浅慮な言葉だ。


恨んで欲しいとは、思っていて欲しいということだ。


幹也がよくいう、他人のリソースを食うものだ。




自分の都合で関係を終わらせておいて、それでも恨んでいて欲しい。


それは自傷行為の皮をかぶった他害だ。受身に思えて、しかしひどく能動的な心理だ。


まあ簡単にいえば、自意識過剰だ。


関係が終わった人間のことなんてかなりどうでもいい。


不快ですらある。




でも、そう言いたくなる気持ちも、分かった。


夫が死んだあと、災害とか事故とか事件で親族を亡くした人の映像を見ることが多々あった。怒っている人もいれば、途方に暮れている人、前を向いてがむしゃらに進んでいる人、さまざまだった。


何も関係のない人から見たら、「いつまでそんな暗い話をしているんだ、もういいだろう」と言うかもしれない。


でもそんな不謹慎な意見も、実は憧れから出ている言葉ではないか、とも思う。


何かを失って、失ったことに執着する、その姿は、ひどく輝いているようにも見えるからだ。本人はつらいだろう、周りの人間がなんでそんなに幸せそうなのか、恨めしくも思うだろう。




でも、生きる意味がある。


本当は、そんなもの誰も与えてくれない。


でも、自分は、夫が亡くなったことで、この悲しみが朋子という人間を存在させていることを実感する。悲しんで、その痛みをなんとかしようとしているうちは、天命のような仕事を与えられている気がする。悲しみに寄りかかるでも、それを蹴り飛ばすでも、結局は悲しみを利用している。




自分は一生、「彼を失ったから今こうなっている」という言葉の上に立っている。


それ以外の自分はいない。それは、もしかしたら、とても楽なことなのかもしれない。




だから幹也はああ言ったのだ。それは優しさなんだと思う。


幹也を恨んでいるうちは、本当の苦しみは訪れない。


生きていける。




(ああ、もう、今日は駄目だ、生理でもないのに。きっと実家に帰るのはイヤなんだ)




朋子は両の手首で自分のこめかみをぽんぽんと叩いて、




「、、、カレーにしてやる。このクソ暑い、そして二日目も存在しない、洗い物も大変なカレーにしてやる」





幹也が帰って来た時、朋子の第一声は、




「ぶははっはははははははは、、、、ひぃぃぃぃぃ」




声にならない声だった。




「、、、な、なに?別に変じゃなくない?」


「ひぃいぃぃぃぃぃ、おかしい、、、おかしい、、、ガリガリボディビルダーじゃん!」


「矛盾がすごいな、、、」


「だって、、、だって、、、そんな切らないって言ってなかった、、、?ひぃはははははっ」


「いや、だって、せっかくバーバーに行ったんだから、どうせなら行くとこまで行ってみようかと、、、そんな笑わなくても、、、」


「絶対似合わないだろうから、がっつりしないほうがいいんじゃない?って私言ったよ?」


「そう言われたから、なんか、逆にそうでもないよって思って、反骨心が」


「ここにもいたか、天邪鬼が」


「ここにもってなに?」


「なんでもない、今日はカレーだよ」


「だよね、カレーの匂いしてたもん。っていうかなんで?今日の夜には出るんだけど、、、それに暑いし」


「ね、天邪鬼いたでしょ、ここにも」




朋子は自分の鼻を指しながらそう言った。


カレーは、幸運にも食べきれる量で作ることができた。


二人で鍋を洗いながら、朋子が、




「夏のカレーって、夏の暑さのおかげで存在できてるよね、だからインドで存在感強いんだよね」


「唐突だね、それに意味が分からない」


「じゃぁ、冬のカレーこそ本当のカレーなのでは?」


「同意してないんだけど、、、。勝手に、じゃぁ、で話を続けられても困ります。それに冬のカレーも寒さがスパイスです。生姜多めにすればなお合います」


「え、じゃぁ、カレーは気温から一生逃れられないの?」


「そういうもんでしょう」


「そういうもんかぁ」




カレーを食べると眠くなる。


荷物は午前中に準備をしてもう車に積んである。


二人は深夜の出発まで仮眠を取ることにした。


朋子はベットの反発が妙に心地よく感じた。カレーを食べていつも以上に重い体をゆったりと支えられている気がして、すぐに眠りについた。

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