母親のいない家
このまま,サバイバル生活をして生きることに限界を感じていた俺は、
ユイに懇願して、ユイの家に案内してもらうこととなった。
ユイは小学生のような見た目だから、きっと母親があるはず。人妻への妄想が広がる。
「……ここ、ユイの家なのか?」
ボロボロの小屋だった。屋根の一部は抜けており、壁にはヒビ。とてもじゃないが、誰かが暮らしているとは思えない。
「うん。ここ、わたしとお母さんの家だよ」
ユイは何でもないように答えたが、内心、言葉を失っていた。こんなところに、小学生ぐらいの少女が――しかも母親と二人で暮らしている? 人通りもなく、村の影すら見えない山の中で?
(やっぱり、この世界……変だ)
それでも、言葉が通じる存在というのはありがたかった。いきなり異世界に放り出され、あてもなく彷徨っていた廃れた心への唯一の救いだった。
「ユイ。君のお母さんに、ちゃんと挨拶したいんだけど……今、家にはいるのか?」
「ううん。お母さんは、昼間は外に行ってるの。草を集めにね」
「草?」
「食べる草」
俺は目を丸くした。畑もなければ薪小屋もない。食糧は野草で、自給自足すら成り立ってない。だが、ユイはそんな生活を「普通」のように受け入れていた。
「……いつ戻ってくるの?」
「夜には」
「そっか。じゃあ、それまで待たせてもらってもいいかな。ご挨拶もしたいし。」
「うん、いいよ」
ユイはにこりと笑った。その笑顔になぜか背筋が凍る気がした。
結局、その夜、母親は戻ってこなかった。
「今日は遅いのかも」とユイは言ったが、翌日も、またその次の日も、母親が現れることはなかった。
「ユイ、本当に……お母さんはここに住んでるんだよな?」
俺は、なるべく優しく聞いた。だがユイの笑顔は変わらなかった。
「うん。ちゃんといるよ。毎日、話してるもん」
その言葉に、ゾクリと恐怖を覚えた。
ユイは母親と「話している」と言った。しかし、家の中にもう一人分の布団しか見当たらない。日用品すら、一人分しかないのだ。
ユイが小さいからと納得していたが…
(まさか……いない? 最初から……?)
俺は家の周囲を探った。家の裏に回っても、人の気配など一切ない。
(やっぱり……ユイの母親なんて、存在してない)
食事はちゃんと出てくるし、俺が寝ている間に母親が置いてきてくれると聞いていたが、一度も話し声を聞いた覚えがない。
ユイの指から放たれる蜘蛛糸のようなものが、俺の身体に絡みついて、俺がこっそり移動しようとしても、すぐに気づかれてユイも一緒についてくるので
トイレすら1人でできない。
片時も俺から離れないユイが母親と会話していたとは思えない。
あの子は、たった一人でここで生活している。
(……もしかして俺、すごくヤバい場所に来てしまったのか?)
そして何より怖かったのは、ユイの表情だ。
母親の話をするたびに浮かぶ、あの笑顔。
今思うと、それは、まるで作られた仮面のようだった。
その夜。俺は眠れずにいた。
横で寝息を立てるユイの顔を見ながら、彼はふと考えた。
(俺、この子と……このまま一緒に暮らすことになるのか?)
ここには他の人間はいない。村もない。言葉の通じる少女と、壊れかけの小屋。
異世界の旅は、孤独と紙一重の生活から始まった。
俺は天井の穴から覗く星を見上げながら、ぽつりと呟いた。
「……人妻、どこいった」