間男の末路
「……君さ、旦那がいるのに、何で俺と会ってくれてるわけ?」
「……自分でも分からない。バカなのかも」
俺の問いに、彼女はそう言って笑った。
その笑顔に、俺はゾクリとした。
――人妻。それは男の理性を溶かす甘い毒。
俺は大学生。地元の喫茶店で偶然再会した彼女と、ほんの出来心でLINEを交換した。
年上の落ち着いた雰囲気。笑うときに目尻にできる皺。家族の話をしながらも、どこか満たされない空気。
すべてが俺の性癖に刺さった。
「旦那と、もう何ヶ月も……してないって言ってたよな」
「そんな話、しないでよ……」
「でも、俺とはしてる」
「……ほんと、バカ」
ため息混じりに俺の肩に頭を預ける彼女。
間男であることの背徳感。優越感。スリル。
理性なんて、とっくの昔に脱ぎ捨てていた。
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問題が起きたのは、ある晩のこと。
「今すぐ家に来てほしい。旦那、出張だと思ってたのに……急に戻ってきた」
電話の向こうの声が震えていた。
そして、こう続いた。
「……私のスマホ、どこかで見られたかも」
最悪の予感がした。
俺はすぐに行動に移した。
トーク履歴を削除。SNSを全てログアウト。LINEの名前も変えた。
そして、口実を練った。
(旦那に鉢合わせしても、全部“誤解”だって押し通す。感情より論理で、冷静に。こっちは学生。向こうは社会人。下手なことをすれば“嫁に手を出した暴力夫”の立場になるのはあっちだ)
この時、俺はまだ自分が“勝てる”と思っていた。
夜、彼女の家。インターホンも鳴らさず、彼女がドアを開けた。
「来ない方がよかったかも……」
「平気。話せばわかるさ。大人なんだし」
「……ほんと、バカなんだから」
彼女が言った“バカ”には、いつもの甘さがなかった。
そして――玄関の奥から、もう一人の男が現れた。
「……なるほど。お前が、か」
背広姿。目の下に隈。手には車の鍵を握っていた。
「まさか、本当に来るとはな。間男ってのは、案外バカなもんだな」
俺は一瞬で空気を読んだ。
このまま殴られる、あるいは警察に突き出される――それを防ぐには、「言葉」が必要だった。
「待ってください。これは誤解です。奥さんと話してただけで――」
「全てバレてるんだよ。舐めてんのか」
「……正直に言います。関係はありました。でも、それは奥さんの意思です。無理やりじゃない。感情の行き違いで――」
「感情の行き違いねえ……」
男は鼻で笑った。
「その言い訳、裁判で言えよ」
そして、ドアの外に出たと思ったら、男は車に乗りエンジンをかけた。
「……ちょ、ま、待てって! 話し合おうぜ! 警察はやめよう!」
俺は即座に車を止めようと車の前に立ち塞がる。
「安心しろ。轢く」
彼がそう言ってるような気がした。
「は?」
ギアが唸った。
駐車場の壁に追い詰められる俺。
すり足で逃げながら、叫ぶ。
「落ち着けよ!! 俺、未成年だぞ!? 前科つけたらあんたの人生終わるぞ!!」
「それでもいい……一回、死んでみろ!!」
男の怒鳴り声と共に
――ブオオオオッ!!!ドッカン !!!!!
ヘッドライトが、俺の視界を真っ白に塗りつぶした。
暗闇。
その中に、老婆の声が響く。
「……まったく、口は達者じゃが、間男は間男じゃのう」
「はあ……? 誰……?」
俺の質問には答えず老婆は続ける。
「死んだのじゃ、おぬし。現実を受け入れい。――だがまぁ、面白い魂ではある」
俺は混乱しながらも、周囲の空間を見渡した。何もない。
「で、これからどうなんだ。俺、地獄?」
「いや、異世界じゃ」
「……は?」
老婆は笑った。
「おぬしが異世界でどれほど通用するか見てみたい。能力はやらん。が、記憶と知恵はそのまま持たせてやる」
「……人妻は?」
「またそれかい」
老婆が笑うと同時に、空間がぐにゃりと歪んだ。
「――いてっ……」
目を開けた俺の目の前には、見知らぬ草原と、空を舞う巨大な鳥の影。
「ああ……まじで来ちまったか。異世界ってやつに」
そして、俺はこう呟いた。
「……この世界にも、人妻はいるのか?」