009 聞き届ける者
ようやく物語が動きます。前置きが長くて申し訳無い……。
転移魔法陣により転移させられた千咲は、鈍らの剣を片手にどう行動を起こすかを迷っていた。
最低でもダンジョンランクはC。千咲一人で生き抜くためには、迂闊な手を打つ事は出来ない。
変貌したダンジョンは石造りの通路となっており、壁面には棚の様な窪みが幾つもある。その棚にはみっちりと骨が詰め込まれている。人、動物、魔物……様々な生き物の白骨が見受けられる。
「まるで地下墓地だな……」
これだけの骨が積み上げられている事に、視覚で捉える以上に本能が恐怖を覚える。
幸いなことに千咲はまだモンスターと遭遇はしていない。が、ちんたらしていては直ぐにでもモンスターと接敵するだろう。
「ひとまず、移動だな……」
目指すは攻略では無く脱出。千咲は生き残る事だけ考える。
だが、かつてない程の圧迫感がダンジョン中から千咲に圧し掛かる。平静を装ってはいるものの、呼吸は荒く、先程から冷や汗が止まらない。
いつどこでモンスターと接敵するか分からない。そして、相手は間違い無く格上。緊張が身体を走るのも無理も無い。
慎重に歩を進めて行く千咲。けれど、そんなに簡単に行くほど、ダンジョンは甘くない。
「――っ」
出会い頭の事だった。
辻での出会い頭。充分に気を付けているはずだった。が、一歩踏み出した直後、甲冑を着込んだ乳白色の骸骨と鉢合わせる。
慌てて後退るも、骸骨兵士の反応も早かった。
骸骨兵士は千咲を視界に収めた瞬間に切りかかる。
「ぐっ」
慌てて相手の攻撃に剣を滑り込ませるも、衝撃で吹き飛ばされる。相手の方が膂力は上だけれど、持っている武器に差は無い。互いの鈍らは衝撃に耐えきれず半ばから折れる。
「くそっ!!」
千咲は即座に踵を返して走り出す。
膂力自体は骸骨兵士の方が上。どちらにせよ千咲に勝ち目はない。剣が折れただけで済んだのは僥倖だった。少しでも判断が遅れれば柔い身体を切り裂かれていた事だろう。
今のは運が良かっただけだ。何せ、千咲には骸骨兵士の剣筋が見えなかった。剣が無事でも継戦は不可能だ。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
死ぬ気で脚を動かす。どんなに必死に脚を動かしても、骸骨兵士にはいずれ追い付かれる。そのいずれは――
「――ぐっ!?」
――数秒後の事だった。
荒々しい足取りに振り返ってみれば、千咲の直ぐ後ろに骸骨兵士は迫っていた。
乱雑に振られた折れた剣は千咲の背中を掠める。鈍らな上に折れている。にもかかわらず、掠めただけの千咲の背中には無視出来ない程の傷が刻まれる。
バランスを崩しながらも、しっかりと地面を踏みしめて走る。
脚を止めれば死ぬ。どんなに痛くても、どんなに怖くても、脚を止めてはいけない。
「くそっ……くそっ……!!」
どうしてこんな目に合わなければいけない。どうしてそうそう起こるはずの無い階位上昇が起こる。どうしてこうも簡単に会敵してしまう。
「……っ!?」
どうして、こうも不運が重なる。
走った先、そこは丁字路。そこを通り過ぎる時、千咲は安全確認の為に視線を向けた。一瞬、ほんの一瞬だったけれど、しっかりとそれと目が合った。
骸骨兵士。それも、三体。
目が合ったと言う事は、向こうもこちらを認識したという事に他ならない。
千咲を追う死が増える。
死ねない。死にたくない。こんなところで、意味も無く、価値も無く、死にたくは無い。
必死に走る。必死に必死に、脚を動かす。
ああ、でも、死ねない理由って、特に無い。
此処で死んだとしても誰にも迷惑は掛からない。此処で死んでも誰も悲しまない。そりゃ、少しは悲しんでくれる人は居るかもしれないけど、その悲しみも時と共に忘れ去れる程の小さなか心痛。他の誰かが代用できる、心の穴。
此処で死ねない理由が、無い。生き残る理由が、無い。
じゃあ、なんでこんなにも必死に走っているのか。
「――っ、がぁっ!?」
一瞬緩んだ速度……は、特に関係は無い。一瞬だけ速度が落ちても、速度が落ちていなくても、追い付かれていた。
横合いから衝撃を受けて吹き飛ばされる。吹き飛ばされた先は壁であり、多くの骨を巻き込み、砕き、大きく身体は宙を舞う。
そのまま石畳の上をごろごろと無様に転がる。
思った以上に転がる事に千咲は違和感を憶えている余裕は無かった。
それ以上に千咲を苛むのは、体中に走る激痛。衝撃を受けた左腕は完全に折れている。骨は砕け、肉は拉げ、腕を通り抜けて衝撃は内臓を破壊する。
「げぇほっ……おっ……ぇ……っ」
びちゃびちゃと夥しい量の血反吐を吐く。
あぁ、これは考えるまでも無い。千咲は死ぬ。
「ぐぅっ、ぁ……っ。……くぞぉっ……」
がしゃがしゃと喧しい足音が聞こえてくる。
死が、形を伴って千咲に迫る。
「なんで……オレだけぇっ……」
握り締めた拳を石畳に叩き付ける。
そんな行動に意味が無い事は分かっている。そんな事をしても生き残れない事は分かっている。
「なんで……オレだけ……!!」
視界が滲む。それが溢れ出る涙のせいだと言う事に千咲は気付かない。
力があれば戦えたのに。力があれば逃げられたのに。力があれば倒せたのに。力があればこんな事にはならなかったのに。
馬鹿にされ続けてきた。千咲はいつも嘲笑の対象だった。それも辛かったけれど、関心を向けられない事も辛かった。本当に千咲を無能だと思っている人は、千咲とは関わろうとはしなかったから。
両親が居なくなってからは、ずっと独りだった。
いや、多分違う。周りを寄せ付けたく無かったのだ。だって少しでも誰かを知れば、自分の無能さに嫌でも目が行くから。自分で自分を比較してしまうから。
何でも無いみたいな顔をして、心の奥底ではずっと、戦える人に憧れていたから。
だって、千咲が強ければ両親を助ける事が出来た。千咲に力が無かったから、両親は自分を護って死んだ。
『護ったって言っても、こんな無能を……』
『せめて二人が生きてくれてたらなぁ』
『人材の埋め合わせも楽じゃないしね』
『ステータスはともかく、会社には必要な人材だったからな』
葬儀の時、誰かがそう話していた。放心しながらも聞きたくない会話は不思議と耳に入って来ていた。
『まったく。あの二人も面倒を押し付けてくれる……』
『本当よねぇ。ステータスが高いならともかく、これじゃあ将来も見込めないし』
『さりとて、責任の放棄は世間体も悪いしな。まったく、とんだ穀潰しだ』
『数年の辛抱とは言え、使えない子にお金をかけるくらいなら、募金に出した方がよっぽど有意義だわ』
『違いない』
預けられた親戚の家でこれ見よがしに言われた。
誰も自分に期待していない。誰も自分に興味は無い。
冬華達のパーティーに入ったのも数合わせ。美郷が構うのもただの話し相手。時雨がちょっかいをかけて来るのもただの暇潰し。
誰も、千咲に期待はしない。
見向きもされ無い事を怖がるくせに、他人と自分を比較したく無いから他人に興味を示さない。ああ、当然だ。千咲という人間が周囲に愛されないのは当然なのだ。
千咲が周囲に向けているのは羨望と勝手な劣等感。そして、自分の方から他人に線を引いているのだ。そりゃあ誰も千咲に興味を示さないし、期待なんてしない。
「どぉして……オレだけっ……っ!!」
身動ぎした瞬間、先程まで頭があった場所に剣が振り下ろされる。剣が石畳を叩いた音で、骸骨兵士達の存在を思い出し、慌てて距離を置こうともがく。
「ぐっ、っぁぁぁぁぁああああああああああああああああああ!?」
しかし、もがく脚を戦槌が砕く。
無防備な腹を槍が貫く。
折れた腕を剣が斬り落とす。
そして――
「がはっ……」
――折れた剣が、千咲の喉笛を切り裂く。
「がっ、ぁっ、は……」
ごぽごぽと血が溢れる。声が出ない。呼吸が出来ない。痛い、苦しい、怖い。
夥しい量の血が千咲の身体から流れ出る。
分かっていた。目を背ける事も難しい当然の結果。
千咲は此処で死ぬ。
何もなせず、何者にもなれず、誰から愛される事も無く、誰に必要とされる事も無く、ただ無意味に、無価値に、誰にも看取られる事無く、此処で死ぬ。
「ぃ、ぁぁ……」
声にならない音が漏れる。
間近に死が迫る。死の恐怖は千咲の精神をどん底にまで突き落とす。
死ねない理由も無い。生きている意味だって無い。死んでも価値は無く、生きていても価値は無い。
それでも、どん底まで落ちた精神は千咲の飾りの無い本心を引っ張り出す。
死にたくない。
死ねない理由も無い。でも死ぬ理由も無い。
生きている意味だって無い。でも生きていたい。
死んでも価値は無い。なら生きていたって良いはずだ。
生きていても価値は無い。それでも千咲は生きていない。
涙に滲んだ瞳で、迫り来る死を前に千咲は声にならない声を上げる。
「ぁ、ぁ……ぃいぁぅ……っい……!!」
『まだ死にたくない、か。良かろう。其方の望み、確と、この妾が聞き届けた』
誰かの声が聞こえて来た。誰の声だかは分からない。だが、その声は笑っているような気がした。