005 御剣時雨
家に帰れば、千咲はスーパーで買った半額シールの付いた総菜とおにぎりをテーブルに置く。
千咲が住んでいるのは築数十年のボロアパート。部屋は狭く、設備はぼろい。その部屋にも必要最低限の物しか置いていない。生活感はあるものの、そこに充実した営みの痕跡はない。
千咲は安い総菜を食べながら、ぼーっと携帯端末で次のバイトや割の良いバイトを探す。
どれもダンジョンに関するバイトだ。普通のバイトでは生活費に加えて学費を稼ぐのは難しい。ダンジョンという一攫千金、にはならなくとも普通のバイトよりは割が良い。
千咲が高校生活を全うするためには、ダンジョンで稼ぐしかない。
例えそれが、どんなに惨めでも。
「はぁ……」
溜息を吐いて、千咲は食べ終わった総菜の容器をごみ箱に捨てる。
明日は休日。とはいえ、休んでいる余裕等無い。明日は珍しくギルドが公募をかけたバイトがある。朝早くからの仕事だ。そろそろ寝た方が良いだろう。
さっとシャワーを浴び、ぺらっぺらな煎餅布団に潜る。疲れもあってか、千咲は直ぐに眠りに付いた。
一人で居る事の方が多い春花は、学校でも、ダンジョンでも、家に帰っても独りぼっち。美郷は話しかけてくれるけれど、美郷と毎日会う訳でもない。基本的に、千咲は独りぼっちだ。
「はぁ……」
もう一度、溜息を吐く。
寝ようとすると、いつだって良く無い事を考える。考えたく無い事、考える必要が無い事が頭の中をぐるぐると巡っていく。
「……はぁ」
布団を頭から被って、必死に目をつぶる。
「どうして、オレばっかり……」
満足に眠れぬまま、夜が明けた。眠りが浅かったのか、眠れたと思ったら意識が浮上し、また眠れたと思ったら小さな物音で目が覚めてしまった。
頭の中がふわふわするけれど、仕事をする分には問題は無い。
千咲は身支度を済ませ、今日のバイト先へと向かう。
電車とバスに揺られ、千咲は街から遠く離れたダンジョンへ到着する。
今日の仕事場はダンジョンランクBの高ランクダンジョン。とはいえ、千咲は戦闘をしない。ギルドのメンバーがダンジョン内で戦闘を行い、モンスターを間引く。そうして、間引かれた区画の魔物の素材をはぎ取ったり、鉱石を運び出したりするのが千咲達の仕事だ。
それまで、千咲達はダンジョンの外で待機している。
「また来たのかーい、少年」
地べたに座って自身の仕事開始を待っていると、不意に声を掛けられた。
千咲に声を掛けたのは、小柄な女性だった。
彼女は、今回のバイトの募集を掛けたギルドのメンバーである、御剣時雨。身の丈以上の大きさを持つ大剣を操り強大な敵を何体も屠って来たベテラン中のベテラン。小柄で可愛らしい顔をしているので、よく未成年と間違えられるけれど、実際は成人しているので『お酒もがんがん飲めるぞー』と本人は言っていた。
時雨に声を掛けられたものの、千咲は特に反応を示さずに視線を下げる。
時雨はランクAの上級冒険者。声を掛けられるだけでも目立つので、千咲としてはあまり声を掛けて欲しくない相手ではある。
しかして、時雨は気にした様子も無く千咲の隣に腰を下ろす。
「少年。ボクは甘いお菓子を持っているよ。どうだい、一緒に食べないかい?」
そう言って、時雨は手にコンビニで買ったデザートを千咲に差し出す。
「……」
千咲はちらりとしぐれの持つデザートを見やるけれど、直ぐに視線を外す。
切り詰めた生活をしているので、デザートなんて暫く食べてない。時雨のお誘いは甘くて魅力的ではあるけれど、時雨に構われるのはあんまり好きではない。
何せ、相手は高ランクの冒険者だ。知名度も高く、見た目も可愛らしいので、彼女は自然と人の目を集めてしまう。
ただでさえ悪目立ちをする千咲からすれば、時雨に構われるだけで好奇の視線に晒される事になる。千咲は目立てば目立つだけ、悪意に晒される事になる。それは、千咲の望む事ではない。
失礼な話だが、美郷のように知名度が無ければある程度応対はする。何せ、やっかまれたとしてもパーティー内だけの話で終わるからだ。だが、時雨の知名度は国中に轟いてしまっている。変なやっかみを受けて困るのは千咲だけなのだから。
「あー、美味しいなー。ぱくぱく、うまー」
しかし、千咲がどれだけ冷たく素っ気ない対応をしても、時雨は気にした様子も無い。
下手な芝居をしながら自分の分のデザートを食べて、千咲の気を惹こうとしている。
どうして、時雨が千咲の気を惹こうとしているのかは分からない。大した接点も無いので、本当に分からないのだ。
「ほらほら、少年。このデザート、すごく美味しいよ? あー、一人で食べるの勿体無いなー」
なんて言いながら、時雨は自分の分を瞬く間に平らげ、千咲の分として買ったであろうデザートの包装を剥がす。
「ひゅーん。あー、チーズタルトひこーきが不時着するー。あー、着陸先を決めないと、乗員全員が犠牲になっちゃうー。あー、どうしようかなー」
なんて独り芝居をしながら、包装を剥がしたチーズタルトを飛行機の玩具で遊ぶ子供のように振り回す時雨。
本当に何がしたいんだこの人はと思い、思わず視線を向けると、時雨は薄く笑みを浮かべて千咲の口元にチーズタルトを押し付ける。
「んぐっ……」
「ふじちゃくー」
「……」
不本意ではあるけれど、口を付けてしまったので千咲が食べるしかない。
千咲は時雨からチーズタルトを受け取り、そのまま齧りつく。
「どー? 美味しー?」
「……まぁ」
「ふふー。そーだろー?」
千咲がチーズタルトを食べれば、時雨は満足そうに頷く。
千咲もまた、時雨どうこうは差し置いてもチーズタルトの味には満足していた。千咲は生活費をギリギリまで切り詰めているので、デザートやお菓子の類いは買っていない。久し振りに食べた甘味は、飢えた千咲の舌に暴力的なまでの刺激を与える。
ただ、あんまり甘い物を食べたくはない。甘い物、美味しい物はあんまり食べたくないし、その味を知りたくも無い。
だって、一度知ってしまえば、一度味わってしまえば、また味わいたくなってしまうのが人間だ。
細々と生きていく必要がある千咲には甘味を買う余裕なんて無いのだから。
「……ていうか、いんすか?」
「んー? なにがー?」
「こんなとこで油売ってて」
「あー。だいじょぶだいじょぶー。ボクが居なくてもよゆーだからー。ボクが行ったら、皆の仕事奪っちゃうよー」
「……そっすか」
時雨の言葉に少しだけ心がささくれ立つ。
分かってる。それが僻みだという事が。強くなれない自分が、その強さに見合った余裕と自負を持っている時雨を羨んでいるだけだと。
分かっているのだ。分かっているけれど、自分が持ち合わせない力を持つ時雨と、力を持たない自分を比べてしまう。そんな比較をしても無意味だと言うのに。