025 めそめそした声
ひょこっと姿を見せた角兎を前に、千咲はぎゅっとステッキを握って臨戦態勢を取る。
「あんま力むな大将。肩の力抜け」
「わ、分かってるよう……」
そう言われても、危険を前にして肩の力を抜く事なんて出来ない。
「うぅ……」
千咲が弱腰になっているのが角兎にも伝わったのだろう。
ダンダンッと後ろ足で地面を叩いた後、千咲に向かって突進する。
「いっ!?」
豪速で飛来する角兎に驚きながら、千咲は慌てて横っ飛びで避ける。
千咲が避けてしまったから、背後に居たバルギースに角兎が飛び込んでしまう。
「へっぴり腰だな」
だが、角兎程度の速度でバルギースが怪我をするはずも無い。
正面から突っ込んできた角兎の角を素手で掴み、元居た位置へとぶん投げる。
びぃっと悲鳴を上げながら宙を舞い、最初の位置に戻される角兎。
「大将。アンタ、俺の攻撃がちゃんと見えてたろ。しっかりと見てりゃ大袈裟に避ける必要はねぇよ」
「わ、分かってるけど!」
確かに、バルギースの攻撃を何とか目で追う事は出来た。だが、何とか、である。千咲が生きているのはバルギースが手加減してくれていたところが大きいだろう。
とはいえ、角兎はバルギースよりも弱く遅い。余裕をもって避ける事が出来るけれど、攻撃が来ると思ってしまうとどうしても身構えてしまうし、何より自分を殺そうと思って放たれた攻撃が怖い。
だから、必ず避けられるように大袈裟に動いてしまう。
「大将びびり過ぎだろ」
「だ、だってぇ!!」
最初に変身した時は気分も高揚していたし、戦う以外の選択肢が無かった。だから、恐怖を覚えながらも戦う事が出来た。なにせ、戦わなければ死んでしまうのだから。
だが、今は無理に戦わなくても良い状況だ。お金を稼ぐためには戦った方が効率が良いのだろうけれど、宝箱さえ見付ける事が出来れば、その中身にもよるけれど、その稼ぎで学費を賄う事が出来る。
千咲は無理に戦う必要が無い。ディギトゥスが戦えと言うから戦っているだけだ。
千咲がへっぴり腰なのを良い事に、角兎は再度千咲に突進してくる。
「わわっ!?」
突進してきた角兎を、千咲は慌てて回避する。
「だから、んな大袈裟に避けなくて良いんだって」
「だから分かってるんだってば!!」
分かっていても怖いものは怖い。
「慌てず、冷静にだ。アンタなら出来る」
再度角兎の突進を軽々止めたバルギースは、先程と同じように角兎を初期地点に戻す。
「大将。アンタは、アンタが思ってるより強ぇ。自信を持て」
「自信って言ったって……」
そんなもの千咲には無い。何せ、物心ついた時から千咲にレベルは無く、馬鹿にされる対象だったのだから。自信なんてあるはずも無い。
ステッキをぎゅっと握り締め、千咲は角兎を見やる。
二度も攻撃を躱され、物のように掴んで投げられた角兎は怒り心頭。きぃっと怒りの声を上げて千咲に三度突進をする。
千咲に向かって突進してくる角兎を、千咲は避けたい気持ちを抑えてしっかりと動きを見る。
自分に向けて突進してくる角兎の角はとても鋭利で、突き刺さればひとたまりもない事は明白だ。
自分に向けられる害意が怖く無い訳が無い。その害意で人は簡単に死んでしまう。千咲のように弱っちい存在であれば尚更だ。
「やっぱり無理ぃ!!」
声を上げて、千咲は角兎の攻撃を大袈裟に避ける。
「はぁ……ダメだこりゃ」
三度千咲を通り越してバルギースに突進してきた角兎を、バルギースは拳で頭を叩く。それだけで、頭蓋が割れ角兎は絶命する。
「うぅ……っ」
涙目になりながら蹲る千咲。
「大将……アンタそんなんでこれからどうすんだ?」
「……別に戦わなくても生きていけるし。宝箱さえ見付ければ、お金だって稼げるし」
「それは非現実的だって話だったろ? だったら、頑張って戦うしかねぇだろうが」
「無理!!」
「無理なもんかよ。アンタは曲りなりに俺と戦ったんだぞ? 戦えねぇ訳ねぇだろ」
「無理なものは無理!!」
ずずっと鼻を啜り、バルギースに背を向けながら駄々をこねる千咲。
ステッキで地面をずりずりと擦って意味も無い模様を描く。
千咲は何度もダンジョンに入った事があるけれど、まともに戦った事が無い。戦ったのは、この間の骸骨が数度目くらいだ。
根本的なところで戦いに向いていないけれど、そもそも戦いの経験があまりにも少ない。
こればっかりは、直ぐに直ぐどうこうなる問題では無いのかもしれない。ゆっくりと慣れていくしかないだろう。
「はぁ……大将。まずはオレと戦闘訓練でもして――」
「――っ! やっぱり! このめそめそした声は貴女だったのですね!」
バルギースの言葉を、喜色を含んだ言葉が遮る。喜色を含んでいる割にはあんまりな物言いではあるけれど、今はそんな事は問題では無い。
問題は、明らかに千咲――マジカル・ピーチを目的としている事だった。
びくっと身を震わせながら、千咲は声の方を見やる。
そこには、喜色満面の笑みを浮かべた聖羅と微妙な表情を浮かべた聖羅のチームメイトが立っていた。




