023 怖じ気
とある休日の昼下がり。千咲は一人でダンジョンへと来ていた。
「はぁ……」
溜息を吐きながら、千咲はダンジョンの中へと入る。
この間の夜、ディギトゥスに自分で稼いでみないかと言われた。多分、もう一度あの素っ頓狂な恰好に変身して戦えって事なのだろうと思ったけれど、案の定その通りであった。
「はぁ……」
もう一度溜息を吐きながら、あの夜の事を思い出す。
「其方は戦える。であるのなら、此奴のように戦って稼いだ方が効率が良い。そうだろう?」
「それは、そうだけど……」
「此奴のように強くなれば、それこそ一攫千金だぞ?」
バルギースの生前のランクはA。今よりも高ランクのダンジョン攻略が可能であり、荷物持ちとは比べ物にならない程の稼ぎを得る事が出来る。
それは、千咲も分かっている。充分に分かっているのだ。
「よもや其方……恐れているのか?」
「ぅ……っ」
「おぉ。図星だのう」
千咲の反応を見たディギトゥスは、愉快そうに黄金の双眸が弧を描く。
「くくくっ、此奴、其方との戦闘が余程恐ろしかったと見える」
「まぁ、抑えてたとは言え、殺しに行ったのはマジだからな」
初めて本気の殺意を受けた。そして、殺されそうになった。実際死にかけた。
戦闘直後は興奮状態と言うのもあったし、怪我でそれどころでは無かった。
気を失って病院で目を覚ましてから、あの戦いの事を思い出して心底から恐怖を覚えた。
何せ死にかけた。死が迫る感覚。一瞬のミスで自分が終わる恐怖。あんな恐怖と戦い続けるなんて、自分には無理だと思った。
戦える力は貰った。けれど、戦いに向いている精神性を持っているとは限らない。
その点、千咲は別段好戦的な性格でも無ければ、戦いに向いている心を持っている訳でも無い。
そういった者が居ないわけでは無い。戦いに向いていないと思ったら冒険者以外の仕事を選ぶ。それは悪い事では無い。皆が皆冒険者になってしまえば世界は成り立たないのだから。
ともあれ、千咲は戦いに向いている性格ではなかった。だから、戦いたくなかった。そうじゃ無くても、あんな素っ頓狂な恰好をするのもお断りである。
「……そうだよ。別に、オレだって死にたい訳じゃ無いし」
拗ねたようにそっぽを向く千咲。
馬鹿にされるのは分かっている。それでも、無理に戦うよりは良い。
「じゃあ、なんであの時助けに入ったんだ?」
「あの時……?」
「俺と戦った時だよ。死にたくねぇなら、どうしてあの時俺に立ち向かったんだ?」
あの時、千咲にはバルギースと戦わないという選択肢があったのだ。ランク的にも戦闘経験においても、千咲がバルギースに勝てる確率は万に一つの確率であった。
あの場において、千咲の戦うと言う選択肢は最適解では無い。それでも千咲は助けに入った。
「なんでって……」
改めてそう言われると、千咲にも理由は分からなかった。戦える自分に酔ったわけでは無い。力の差は歴然だった。死ぬような体験をした後に、死に急ぐような事はしない。
にもかかわらず、千咲は助けに入った。万に一つの可能性に賭けた様子はない。それが無謀と知りながら、千咲は戦う事を選んだ。
「……何でだろう?」
言われて考えてみるけれど、どうしてあの時自分が助けに入ったのかも分からない。助けに入らなければ良かったと思うくらいには後悔していた。
思い起こしてみればあの時どういう行動原理を持っていたのか分からない。どうして戦うという選択をしていたのかも分からない。
気付いたら、踵を返して割って入っていた。だから、あの時の行動原理は分からない。
「なんだ。自分の心の内訳すら分からぬのか?」
馬鹿にしたようにディギトゥスは触手のように蠢く長髪でぽんぽんっと千咲の頭を叩く。
「教えてやろうか? 妾は其方の深層心理まで潜れるからな」
「無粋な事すんじゃねぇ。そう言うのは自分で見付けるもんだ」
ディギトゥスが答えを言おうとするけれど、バルギースはそれを止める。
「別に、教えてくれて良いけど……」
「駄目だ。大将は自分で気付くべきだ」
「だそうだ」
頑として譲る気配の無いバルギースに肩を竦めてみせるディギトゥス。
「まぁ、其方の心の内訳は置いておくとして、だ。ランクDのダンジョンであれば今の其方の稼ぎよりも多く稼げるだろう。其方の困窮ぶりを考えるに、そうしない手は無いと思うが?」
「そりゃ、そうだけど……」
千咲だって、戦った方が多く稼げる事くらい理解している。
それでも、あの時の恐怖をどうしても思い出してしまう。まぁ、その恐怖を与えた相手と一緒に過ごすというのもおかしな話ではあるけれど。
「其方が足踏みする理由は分かるけれど、現状を維持したところで其方の未来に幸福は無い。丁度良く其方に武術を教える事の出来る師がおるのだ。恐怖を乗り越えて前に進め」
ぐいぐいっと手に持った馬鹿みたいに大きなリボンを押し付けて来るディギトゥス。表情は良く分からないけれど、うじうじとしている千咲を面倒臭く思っているに違いない。
「此奴も今でこそ強いが、最初の戦闘は恐怖を覚えたはずだ。それを乗り越えなければ、此奴程に強くなる事も出来ぬのだぞ?」
「あ? 俺は戦いでビビった事ぁねぇぞ? ビビってたら勝てるもんも勝てねぇからな」
「……この野蛮人はさて置いてだ」
「自分で例に出したんじゃん」
「やかましい」
千咲がもっともなツッコミを入れるけれど、ディギトゥスはぺしっと伸ばした髪で千咲の頭を叩く。
「ともあれだ。其方が学校を無事に卒業するには、今の収入では不十分だ。運に頼るにも限度がある。そうなれば、其方が強くなり戦って稼ぐしかあるまいよ。誰の力も借りずに生きると言うのであれば、それが一番効率的だと思うが?」
「そうだけど……」
「……ええい、まどろっこしい。選択の余地など無いのだから腹を括れ面倒臭い。バルギースの上納を拒むのであれば、其方に戦って稼ぐ以外の道は無い。それとも何か? 戦う以外に効率的な稼ぎ方があるのか? あ?」
苛立った様子で千咲に詰め寄るディギトゥス。
「無いけど……」
「では戦え。うじうじするな。次の休日にダンジョンに行くぞ。ああ、休日にバイトを入れて逃げようなどと思うなよ? もしそんな事をしてみろ。一日中下痢になる呪いをかけてやる」
余程苛々したのか、早口でそうまくし立ててディギトゥスは千咲の中に戻って行った。
「ま、腹ぁ括りな大将」
そう言って、バルギースも千咲の身体の中に戻って行った。
一人きりになって静かになった室内で、千咲は一つ溜息を吐いた。




