002 桃花千咲
千咲は普通の男の子だ。普通の家庭に産まれ、普通に育ち、普通に生きて来た。そうやって普通に生きていれば、成長に合わせてレベルは上がるはずだった。
だが、千咲のレベルは5で止まってしまった。経験値も溜まらない。理由は謎。千咲本人も家族もどうしてレベルが上がらないのか分からなかった。
それでも、両親は普通に接してくれた。両親からすればレベルなんて関係無い。千咲は自分達の可愛い子供なのだ。レベルが低いからと言ってその愛が無くなる訳ではない。まぁ、レベルが上がらないので、将来の事が不安にはなったけれど、普通の仕事に就く分には何ら問題は無い。
だから、千咲に変わらぬ愛情を注いできた。千咲もそれが分かっていたから、レベルの事なんて気にしなかった。
あの日、までは。
ダンジョンは突如として発生する。なんの前触れも無く、時間を問わず、場所を問わず、発生する。
あの日、家族三人で遠出をしていた。ネモフィラという花が綺麗に咲く観光名所があるので、それを見に日帰り旅行に行っていたのだ。
ネモフィラの花が咲き乱れる公園。そこに着いた途端、ダンジョンが発生した。
ダンジョンは異次元に繋がるゲートが発生するタイプと、地形にそのまま発生するタイプの二種類がある。
ゲートタイプだとゲートを潜らない限りはダンジョンには入れない。なので、発生しても巻き込まれる事は無い。
だが、発生タイプのダンジョンはその場に出現する。なんの脈絡も無く、その場所が書き換わるのだ。
千咲は両親共々ジェネレートタイプのダンジョンに巻き込まれた。ダンジョンランクはB。千咲の両親は戦う事なんてした事も無かったのでランクはD。それに、職業も戦闘職では無い。そして、千咲はランクEの無職。生存は絶望的だった。
千咲が生き残ったのは運が良かったからだ。両親が身を挺して自分を護ってくれて、死に体になりながら必死にダンジョンの中を駆けずり回ってくれたから生き残る事が出来た。
生き残った千咲に、千咲を保護してくれた人は言った。
「ご両親の分もしっかり生きなさい。それが、護られた貴方の責務よ」
千咲は助かった。違う。千咲だけは、助かったのだ。
両親は命を賭して、千咲を護ってくれたのだ。
その日から千咲は独りぼっちになった。
親戚の家に預けられたけれど、その親戚はステータス至上主義であり、ランクも低く職業も無い千咲には無関心だった。
安いボロアパートに千咲を一人で住まわせて、必要最低限のお金だけ毎月渡した。
「高校に行くなら自分で学費を稼ぎなさい。お前のような無能を高校まで通わせる義理は無いからな。稼ぎが必要なら、ダンジョンにでも潜るといい。同意書のサインは書いてやる」
そう言われたのが中学三年の頃。未成年もダンジョンに潜れるけれど、それには保護者の同意が必要である。そのサインだけは書いてくれると言うのだから、保護責任者としての必要最低限の事はしてくれるのだろう。
ダンジョンにしかない鉱石や、魔物から取れる素材などを換金する事が出来る。
だが、恐らくは厄介払いだろう。ダンジョンで野垂れ死んでくれれば、世話をする義理も無くなるのだから。
中学生でも高ランクになって活躍している者は居る。それに、ランクEのダンジョンであれば危険性はかなり少ない。出て来る魔物だってナイフ一本で仕留められるくらいだ。
だが、千咲はそうもいかない。レベルは上がらない。職業も無い。ランクはE。例え最低ランクのダンジョンでも、千咲にとっては命懸けだった。
生活費を切り詰めてナイフを買って、頑張って魔物と戦ったり、ダンジョンの中で採れる鉱石等を集めた。たまに何故か宝箱があるのだけれど、その宝箱には値打ち物が入っている事があり、一回だけ金が入っている事があったが、それでも高校三年間の費用には全然足りない。
戦って、戦って、戦って。時には大怪我をする事もあったけれど、なんとか生き延びて、戦って、戦って、戦って、戦って、必死になってお金を稼いで、なんとか高校に入学する事が出来た。
それでも全然足りないから、バイトをして、空いた時間でダンジョンに潜り、必死になってお金を集めた。
毎日毎日、休む間も無く働いた。高校には行っておいた方が良いと思ったから頑張って入学したけれど、今となってはなんで高校に入学したのかも分からない。
夢も希望も無い。千咲、ただ生きるためだけに、生きている。
高校に入ると、冬華にパーティーに誘われた。高校の授業の一環でダンジョンに潜る時間がある。その際、一人でダンジョンに潜る事は禁止されており、最低でも五人でパーティーを組まなければいけないのだ。
数合わせだと分かっていたので断った。ランクも冬華達の方が高いので、冬華達に合わせてダンジョンに入ったら確実に死ぬ事は分かっていたから。
だが、他に空いている者が居らず、このままでは授業にも参加できないと言われたので、千咲は渋々了承した。
その結果が今である。
現在も授業の一環でダンジョンに潜っている最中だ。
千咲達が居るのはジェネレートタイプのダンジョン。ジェネレートタイプはダンジョンマスターというダンジョンの主を倒せば機能停止するのだけれど、暫くするとダンジョンマスターが復活するのでダンジョンとして再起動する。
ダンジョンマスターが不在の間にダンジョンを取り壊せばダンジョンが再起動する事も無いのだけれど、ランクの低いダンジョンはあえて取り壊さずに放置している事がある。その方が定期的に鉱石や素材を集められるし、初心者を育成するための練習場にもなるからだ。
ただ、高ランクのダンジョンは踏破された際に直ぐに破壊される。ダンジョンは放置しておくと増えすぎた魔物が溢れ出す事がある。そのため、高ランクのダンジョンから溢れた魔物は低ランクの者からすれば手に負えない化物だ。
間引きの管理をするにもリスクが伴うし、高ランクのダンジョンマスターを倒すのに犠牲が出る事は珍しく無い。リスクを考えれば、一度ダンジョンを踏破出来た時に破壊するのが一番だ。
だが、人里離れた場所に発生したダンジョンはその限りでは無い。国が管理し、高ランクの者を派遣して間引きをし、ダンジョン内で採れる鉱石や魔物の素材を採取しているところもある。リスクが少ないのであれば、利益を求めるのは人間の性だろう。
ともあれ、今回千咲が潜っているのは低ランクのダンジョン。余程の事が無い限りは死ぬ事は無い。
「……おい、ちゃんと付いて来い。はぐれたら死ぬぞ、桃花」
「……」
背後を振り返り、千咲がしっかり付いて来ているかを確認する冬華。
「ど~する~? お手々でもつなぐ~?」
馬鹿にするようにひまりが言うけれど、千咲は何も返さない。
「それより、リードでも付ける? そっちの方が楽でしょ」
「良い考えですね。昨今では安全性を考慮して、子供にリードを付けますし」
「ぷぷ~っ。千咲、今度首輪とリード買ってきな~? わたしがリード持ったげるから~」
言って、けらけらと楽しそうに笑うひまり。
千咲はそっぽを向いて、小さく溜息を吐いた。
此処までして、此処まで言われて、ダンジョンに潜る理由があるのか。今の千咲には分からなかった。