019 お礼
バルギースとの戦闘で追ったダメージは千咲が起きた時点で回復しきっており、入院はほぼ検査のためであった。
目を覚ました翌日には千咲は退院する事となった。一日だけだったので千咲のお見舞いに来る者もいなかった。そもそも、お見舞いに来るような仲の良い間柄の者も居ない。千咲の保護責任者である親戚もまた、報告を聞くだけ聞いてお見舞いに来る事は無かった。
「……そういや、あの林檎って誰が持って来てくれたんだ?」
自分にお見舞いに来てくれるような間柄の者は居ない。けれど、千咲の病室には林檎があった。
「あぁ、アンタに助けられたっつう女が持って来たぜ」
「おわっ!?」
病院を出て直ぐに突然バルギースが現れて驚く千咲。
「ど、何処から出て来たんですか!?」
「あ? 何処って、アンタん中からだよ。俺はアンタの使い魔だからな。用がねぇ時はアンタん中に居る」
「そ、そうなんですね……」
自分の中に他人が居るというのは少し変な感覚だけれど、そう言えばもうすでにディギトゥスが住んでいるという事に気付き、一人増えたところでもう変わらないだろうと結論付ける。
「出て来るだけでも魔力は消費するからな。必要無ぇ時はアンタの中で休んでんのさ」
「なるほど」
「で、林檎を置いてった奴だが、大人の女だったな。ボス部屋でアンタのとこに来てたぜ」
「って事は、合同演習の人かな。でも、オレ助けるような事したかな……?」
「さぁな。林檎美味かったし、いーんじゃねーの? 貰えるモンは貰っときゃ」
そう言いながら、何処から取り出したのか林檎を丸かじりするバルギース。
「そうですね。オレも林檎なんて久々に食べたし。それにもう食べちゃいましたしね」
「……」
「どうかしましたか?」
「……いや。やっぱ敬語止めねぇか? なんか気持ち悪ぃし」
「気持ち悪いって……」
「ともかく、敬語は無しだ。分かったか?」
「……まぁ、そっちが、良いなら……」
「よし」
千咲が渋々頷けば、バルギースは満足げに頷く。
別段敬語が悪い訳では無い。バルギースにも誰にでも敬語を使う上司が居た。だが、それはその者の性分であり、無理をした敬語と言う訳では無かった。
千咲の場合は無理をして敬語を使っているように思えた。性分でも無い事を無理強いなんてしたくは無いし、そもそもバルギースは千咲の部下だ。敬語なんて使う必要は無い。そもそも、本来ならバルギースが敬語を使う立場だ。本人が望んで無さそうなので、敬語を使ってはいないけれど。
「んで、これからどうする?」
「どうするって、いったん家に帰るよ。学校にも行かなきゃいけないし」
「勉強熱心なこった」
時刻は既に十一時。今から行ってもお昼休みに着いて、午後の授業を受けるだけだ。
それに、退院直後だ。一日くらい休んだところで誰も文句なんて言わないだろう。
「……勉強遅れたくないからさ」
今日行けなかった分の授業の内容を教えてくれるような友人は居ない。どうしても高校は卒業したいので、頑張って授業は受けなければいけない。
「ふーん。ま、無理はしなさんな。やった俺が言うのもなんだが、重傷だったんだからよ」
「大丈夫。今日は座学だけだから」
とはいえ、バイトは変わらず入れている。昨日、一昨日とバイトに行けていないのでお金を稼げていない。何としてでもお金は稼がなくてはいけないのでバイトには行かなくてはいけない。
一旦家に戻り、制服に着替え、教材の入ったカバンを持って学校へ向かう。
「俺も付いてくぜ。出ずっぱりも疲れるからな」
そう言って、バルギースは人魂のようになって千咲の中に入った。本当に千咲の中を出入りしているのかと改めて実感する。
学校に到着する頃にはお昼休みになっており、生徒達は各々自由に過ごしていた。
教室に入っても誰も千咲には気付かない。扉も開けっ放しだったので、扉の音で誰かが反応する事も無い。
千咲は誰にも気付かれずに自分の席に座り、午後の授業分の教材を引き出しに入れる。
携帯端末で荷物持ちのバイトの募集を探しながら午後の授業が始まるのを待つ。
『大将は金が入用なのか?』
そうやって時間を潰していると、突然頭の中にバルギースの声が聞こえてくる。
突然の事にびくっと驚くけれど、ディギトゥスも同じ事をしてくるので直ぐに順応する。
『まぁ。学費も稼がないといけないし、食費とか、色々お金かかるし』
『親は?』
『居ない。二人共オレを助ける為に死んじゃったから』
『なるほどな。……大将、ダンジョンには一人でも入れんのか?』
『オレは未成年だから無理』
『そうか。なら、適当に荷物持ちの仕事を受けろ。んで、後は俺に任せろ』
『え、なんで? 何するの?』
『いーから任せろ。仕事の時間になったら説明すっから』
『……わ、分かった』
一体何をしようというのかは分からないけれど、ひとまず頷いておく。バルギースは林檎を切り分けてくれたりしたので、多分優しい人なのだろうけれど、人相が悪くて語気が強いのでちょっと怖い。それに、自分を瀕死に追いやった相手でもあるし、付き合いだって浅い。少し距離を測りあぐねている。
「桃花! 来てたんですね!」
「――っ!?」
バルギースとの会話に集中していたため、突然かけられた大きな声に驚く。
声の方を見やれば、そこには安堵した表情を浮かべる竜胆の姿があった。
千咲と目が合うや否や、竜胆は早足で千咲の元へと歩み寄る。
「もうお体は良いんですか?」
「あ、ああ……」
千咲が頷けば、竜胆は安堵の息を吐く。
「本当に良かったです。あの時、かなりの重傷でしたから……」
「……そう言えば、お礼言って無かったな。ありがとう。治してくれて……」
そう言えば竜胆に魔法で治して貰った事を思い出し、千咲は素直にお礼を言う。
「――っ。い、いえ。お礼を言うのはこちらの方です」
「……お礼?」
お礼と言われ、千咲は小首を傾げる。
竜胆には回復して貰ったけれど、千咲は特に竜胆に何もしていない。
何かお礼を言われるような事をした覚えも無い。
「転移魔法陣から私達を出してくれましたよね? あの魔法陣、モンスターの居る箇所にランダムに跳ばすタイプの物だったんです。私達は桃花が魔法陣から出してくれたので、冬華と合流する時にモンスターと戦闘をしなくて済んだのです。だから、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げてお礼を言う竜胆に、思わず面食らう千咲。
「つきましては、桃花。放課後に予定はありますか?」
「え?」
「お礼をしたいのです。何か、桃花が好きな物をプレゼントします。私は桃花の好きな物を知らないので、一緒に買いに行きましょう」
笑顔でそう誘われ、千咲は迷う事無く答えを返す。
「え、行かない」
「え?」
まさか断られると思っていなかったのか、驚いたような声を上げる竜胆。
「今日バイトだし、それに、傷治して貰ったんだから、それでトントンだろ」
「いや、でも……怪我、治ったばかりですよね?」
「ああ。でも、二日もバイト行けなかったから、今日は絶対外せないんだ。だから行かない」
千咲の答えを聞いて、竜胆は苦い顔をする。
だが、それ以上食い下がるような事は無く、素直に引き下がる。
「分かりました。気が変わったら、声を掛けてください」
「ああ」
竜胆の言葉に頷くけれど、千咲としては気が変わる事なんて無い。生活費を稼ぐ事の方が大事なのだから。