018 赤髪の男
千咲が目覚めたのは病室のベッドだった。
見慣れない天井に困惑していると、ぶっきらぼうな声がかけられる。
「おう、目ぇ覚めたか、大将」
聞き覚えの無い男の声に驚きながら声の方を向くと、そこには柄の悪い赤髪の青年が座っていた。
端整な顔立ちではあるけれど目付きは悪く、子供が見たら泣き出してしまうので無いかと思うくらいに人相が悪い。
「だ、誰ですか……?」
千咲もびくびくと怯えながら赤髪の男に声を掛けている。
「あ? 俺の顔を忘れたってのか? ……って、そーいや、あんときゃ顔なんて無かったわな。悪ぃ悪ぃ」
少しも申し訳なさそうにせず、赤髪の男はサイドテーブルに置いてあった果物ナイフを取る。
咄嗟に、刺されると思ったけれど、赤髪の男は果物ナイフの隣に置いてあった籠の中から林檎を取り出し、見た目とは裏腹に丁寧な動作で林檎を切り分けていく。
「まず初めに言っておくが、でけぇ声だすなよ。面倒臭ぇからな。分かったか?」
「は、はい……」
「よし。んじゃまぁ、改めて自己紹介だ。俺の名はバルギース。アンタと戦った骸骨将軍だ」
「え? ……えっと、何かの冗談ですか? だとしたら全然面白く無いですけど……」
「冗談でも何でもねぇ。俺はバルギースだ。アンタ……マジカル・ピーチだったか? ソイツに鎧ン中に極光放たれて無様に負けを晒したバルギースだよ」
マジカル・ピーチと言う名前を知っている者は恐らくそこそこ居る。聖羅もそうだし、聖羅のパーティーメンバーや聖羅から事情を聞いた者もマジカル・ピーチの名を知っているはずだ。
名が知れてしまっている事は別段おかしな話では無い。だが、どうやってバルギースに止めを刺したかを知っているのは、三人しかいないはずだ。バルギースを倒した千咲。千咲の中で様子を窺っていたディギトゥス。そして、千咲に倒されたバルギース。
「え、じゃあ、まさか……」
「ああ。俺があのバルギースだ」
「え、えぇ――」
「だぁから、でけぇ声出すなっつったろ」
思わず大きな声を上げてしまいそうになった千咲の手を、あらかじめ予想していたのか赤髪の男――バルギースが即座に手で塞ぐ。林檎を剥いていたので仄かに果物の香りがする。
「落ち着いたか?」
バルギースが問えば、千咲はこくこくと頷いて見せる。
「ったく……だから最初に言ったじゃねぇか」
「ご、ごめんなさい……」
だって倒したはずのバルギースが居るなんて誰も思わない。それに、骸骨では無くちゃんと人の見た目をしている事にだって驚いている。加えて言うのであれば、バルギースがちゃんと現代的な恰好をしているのにも驚きだ。柄物のシャツを着ているので、人相も相まって凄く柄が悪いけれど。
「そ、それで、バルギースさんは、何で此処に?」
「さんなんて付けんな気持ち悪ぃ。呼び捨てにしろ。後、敬語使うな」
「でも……明らかに年上ですし……」
「俺はアンタに負けたんだ。その上で軍門に下った。だから、アンタが俺にへりくだる事ぁねぇ」
「そうは言いましても……」
「ま、ちょっとずつ慣れてきゃいいさ。で、なんで俺が此処に居るかっつうと、アンタが最後に俺を吸収したからだ。俺の魂がアンタの中にあって、今はアンタに隷属してる形になる」
「えっと……つまり?」
「簡単に言や、アンタの使い魔ってとこだな」
「使い魔……」
にしては、ちょっと柄が悪くて怖いと思ってしまう。
「でも、なんで骨じゃ無いんですか?」
「魂の形が反映されてんだろ」
「魂の形?」
「ああ。骸骨ン時は俺本来の姿じゃねぇからな。俺本来の姿はこっちだ。こっちのが男前だろ?」
「どっちも人相悪い」
「あ?」
「あ、やべ」
つい思った事を口にしてしまった千咲。
怒らせたかと思ったけれど、はっと楽しそうに笑うバルギース。
「それくらいハッキリ言うのが一番だ。アンタは俺の大将だからな。うじうじされるよりずっと良い」
そう言って、フォークに林檎を刺して千咲に差し出す。
差し出された林檎を躊躇いながらも空腹には敵わずに千咲はぱくっと食べる。何時間寝ていたか知らないけれど、お腹がすくくらいには眠っていたらしい。いや、よく考えれば初めての本格的な戦闘のせいでかなりの体力を消耗していたのだろう。お腹が空いて当然だ。
「……そう言えば、バルギースさんは手加減してたんですか?」
「お、気付いてたか? いや、アンタ必死だったからな。気付く暇も無かったろ。っつーことは、あの底意地の悪ぃ奴がばらしやがったな?」
底意地の悪い奴と言われて一瞬誰だか分からなかったけれど、千咲の知り合いで該当人物は一人しかいなかったので直ぐにディギトゥスの事を言っているのだと分かった。
「なら、隠しても仕方ねぇわな。アンタの言う通り、あん時の俺ぁ手加減してたぜ。何とかアンタを殺さねぇように、必死に抗ってよ」
「どうして、手加減なんてしてたんです?」
「そら、あんなクソみてぇなとこから出るためだよ。あの場で死んでりゃそれで解放されるからな。あんなとこに居るくれぇなら、さっさと負けてもういっぺん死んだ方がマシだ」
「手加減してた割にめっちゃ強かったですけど……」
「そら、俺だからな。強ぇに決まってる。ま、だからって訳じゃねぇが、半端な奴に負けるつもりは無かったんだが……」
言って、バルギースはじっと千咲の目を覗き込む。
「多少気合の入った奴に負けるなら、それでも良いかって思えたんだ。ま、アンタの仲間になるのはちと予想外だったが、俺としては文句は無ぇ。こうして美味いモンも食えるしな」
バルギースは籠に入った林檎を手に取ってそのまま齧り付く。
どうやら千咲の為に切り分けてくれただけのようで、自分で食べる分には切るなんて面倒な事はしないらしい。
「だいぶへっぴり腰だったが、アンタには最初に戦った五人には無い気合があったからな。アンタになら殺されても文句は無ぇ。そう思ったから全力で手加減したんだよ」
「なるほど……」
気合が入っていたかどうかはさて置き、あの時のバルギースへ立ち向かう姿勢を評価してくれたのだろう。
だが、逆を言えば、あの時にああいう行動を取っていなければ、バルギースは本気で千咲を殺しにかかってたという事になる。そうなれば、千咲はなすすべなく死んでいただろう。
やっぱり、強さは大事だ。せっかく力を貰ったのだから、死なないように強くならないといけない。
生きる理由は無いけれど、死ぬ理由だって無い。まだ死にたくないから、強くならなくちゃいけない。
我知らず、ぎゅっと布団を握り締める千咲。バルギースはそれに気付いていたけれど、特に何を言うでも無く切り分けた林檎を千咲に差し出した。