御柱くんとわたしの明日
戦いを終えて。
御柱くんは、座るわたしの前に跪く。そして。
「終わったよ。僕のお姫様」
そんなふうに王子様然と振る舞ってみせた。
それは少しだけ大袈裟で、加減ができていなかったけれど。
御柱くんのいつもの振る舞いで、いつものようにしようとしてくれる御柱くんで。
それでぷつん、と緊張の糸が切れたのだと思う。
「い、伊勢崎さん?」
ぽろぽろ、ぽろぽろ。
涙、こぼれて。いつまでも止まらない。
顔が上げられなくなる。
だけどそのとき、ふわりと。そっと背中を支えて抱き寄せられた。
思わず立ち上がって、御柱くんに体を預ける。揺らぐことなくわたしを受け入れてくれるそこはわたしの特等席。
そこは御柱くんの匂いがして。そして感じるのは彼の鼓動。
とくん。とくん。とくん。
そのリズムは穏やかで。背中を撫でられる優しい感触と一緒になって、わたしを安心させてくれる。
それがやっぱり気持ちよくて幸せで。
いつのまにか、びっくりするくらいに涙は自然と止まっていた。
落ち着いて、多幸感に包まれて。そうして首をもたげるのはイタズラ心。
結局いつもの感じになっちゃうと、わたしは御柱くんに包まれて、ふわふわしちゃうから。
たまにはわたしが彼を振り回してみたいだなんて、そんなことを思っちゃうのです。
ぎゅ、っと強く抱きしめ返してみたり。
からだ、わざと押し付けるみたいに。
ふふ。御柱くん、ちょっと困ったかな。
鼓動、少しだけ速くなってる。
……でも、流石。
きっと照れてるはずなのに、それでも背中を撫でるリズムは変わらない。
こんなところも頑張り屋さん。それとも負けず嫌いって言えば良いのかな。
もっともっと。キスしたり、色んなことをお話ししたい気持ちもあるけれど。
今はこうして。
御柱くんに甘える幸せを感じていたかった。
-◇-
それから。
それから二人で幻想の街の中を歩いた。
御柱くんがかき分けて踏み固めてくれた、ひとひとりぶんの通り道。
そこをぎゅっ、ぎゅっと足で踏みしめて一歩ずつ前に進んでいった。
御柱くんのちからで雪をどかすことも、わたしの炎で雪を溶かすこともできたけれど、あえてそれをすることなく歩いて行った。
まるでできなかった雪遊びをするみたいに。
御柱くんが雪をかき分けるのを応援するのも、手を繋いでもらって慎重に歩くのも楽しくて。
他に誰もいない、静まり返った雪の街。
息切れをした二人の呼吸がやけに大きく響いて。二人で顔を見合わせて笑ってみたり。
そんな風な幸せな時間が流れて、わたしたちは青い扉にたどり着く。
御柱くんの部屋への入り口。
そして現実との境界線。
越えたら元に戻れるし、きっと越えたら元には戻れない。
「伊勢崎さん」
彼は真剣な目をしてわたしに声をかけた。
それはまるで幸せな時間に区切りをつけるような雰囲気で。
でもわたしは。
「うん。なあに? 御柱くん」
もし何かの理由で彼が別れを告げるとしても絶対にそうはさせないから、なんて。強く手を握りしめて言葉を返す。
けどそれはやっぱり意味のないことだった。
「僕はたぶん、現実に戻ったら倒れるから。どうにかして助けてくれると、嬉しい。僕はまだきみと生きていたい」
そんなことを御柱くんが言ったのだから。
ずっと戦っていた御柱くん。
自分が犠牲になることを選んでしまう御柱くん。
わたしとの再会をかつて諦めてしまった御柱くん。
そんな御柱くんが生きたいと。
そう言ってくれたから、わたしはすごく幸せで。
だからわたしはこう言うの。
「当たり前だよ! 御柱くん!」
思わず溢れる炎はそのままに。
わたしはいちばんの笑顔を見せるのだ。
-◇-
それから。
二人で一緒に扉をくぐって、現実の街に戻ってから、それから。
宣言通りに御柱くんはぐったりと気絶して。
空が白む街の中、わたしはお母さんに電話して。
声も出せないくらいの剣幕で怒られたけど、なんとか御柱くんのことを伝えることができた。
朝とも言えない時間でもお母さんは車を出してくれて、御柱くんを市立病院に担ぎ込んでくれた。
わたしにできたのはそのくらい。
現実の世界でできたことは少ししかなくて。
でも、これが御柱くんを助けるために、わたしにできたいちばんのこと。
何もかもをしてあげる気持ちがあったとしても、何もかもを叶えることはできないから。
きっとひとりでは、御柱くんを病院に連れてくことすら難しかったから。
だからお母さんに頼った。そして何も言わないで夜遅くなったことを叱られた。
「でも、それでいいよね。御柱くん」
病院のベッド。そこで横になっている御柱くんの髪をさらりと撫でる。
あの日から一週間。
御柱くんはまだ目を開けることはなくて、寂しさを感じることもあるけれど。
御柱くんがそこにいるから大丈夫。
学校がそろそろ春休みになることだとか。
お母さんに課された門限の厳しさだとか。
御柱くんに話したいことは尽きなくて。
だから、うん。大丈夫。
「あ、空気の入れ替えするね。最近はいい天気だよー」
もう街に雪は降っていない。
人々の感情を穏やかに凍らせた白い雪は、あの日を境に少しずつ融けていった。
それはきっと良いことばかりじゃないだろう。
激情のまま衝突が起きて、取り返しのつかないことも起きてしまうかもしれない。
青白い炎のように、何か良くない気持ちの淀みが溜まってしまうこともあるかもしれない。
それでも。
それでも心は心のままに。
誰かに何かを強いられるのではなく、せめて心だけは自分のもののままでいるのが良いと、わたしは思う。
ざあ、っと風が吹いた。
風は外から室内に吹き込んで、舞い込んでくるのはひとひらの花びら。
それは降る雪に別れを告げて。
「おはよう、伊勢崎さん」
わたしたちの明日を告げる桜色の花びらだった。
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