王子と公爵令嬢の恋は報われない
週に一度王城に招かれて行われる、婚約者とのお茶会の日。
向かい合って座るギルバート殿下に、そういえばと前置きをしながら私は口を開いた。
「今大陸中で人気のとある恋愛小説を殿下はご存知ですか?」
それは、貴族も多く通う学園に入ることになった平民の少女が、その国の王子と恋に落ち、様々な困難を乗り越えながら密かに愛を育み、最終的には悪辣非道な悪役令嬢である王子の婚約者に嫌がらせを受けながらも彼女の悪事を学園の卒業パーティーで暴くことに成功し、めでたく結ばれるというある意味現実離れした、しかしある意味夢のような物語である。
身分違いの真実の恋が結ばれる、というところが流行っている要因だそうだ。
私の問いに、唇の端をつり上げ、彼は頷き答える。
「勿論知っている。そしてその夢物語の影響で、真実の愛に目覚めたらしい貴族の中に、婚約者を悪役に仕立て、婚約破棄騒動をおこす者がいる、ということもな」
「それで、殿下はその波にはお乗りにならないのですか?」
まるで明日の天気のことでも尋ねるかのような、そんな軽い声で、私は尋ねる。
もしもこの発言を他の者が聞いていたなら、とんでもないと青褪めることだろう。
それはつまり、婚約者である私を差し置いて、身分違いだが真実の愛を捧げる少女が他にいると暗に言っているようなものなのだから。
しかし二人きりの時間を気遣ってか、会話の聞こえる距離に従者はおらず、誰も私を咎める人間はいない。
それは、当の本人も含めてである。
彼はこの不敬な発言を気にした様子もなく乾いた笑い声をあげ、
「確かに私はミーシャを好いているが、そのような愚かな行為をするような男に見えるか?」
あっさり認めたうえ、恋する相手の名前まで出した。
驚きはしない。
彼が同じ王立学園のクラスメイトの少女を好ましく思っていることを、私は知っていたから。
聞けばミーシャは現当主と一度だけ関係を持ったメイドとの間にできた子らしく、それを最近知った男爵家が市井で生活していた彼女を娘として引き取ったそうだ。
ミーシャは同性の私から見ても、子リスのように可愛らしく、愛嬌がある。
そして相手に婚約者がいようがお構いなしに男子生徒に声をかけまくり、距離感も近くボディタッチも多い。
そんな彼女に、結構な男達が鼻を伸ばしている。
彼女の存在のせいで、一体何組のカップルの間に亀裂が走ったか。
女子生徒たちに彼女を注意してほしいと言われ、何度も苦言を呈したがいまいち伝わらない。
正直あんな子がいいのかと殿下の異性の見る目のなさに心の中で引いたけど、それは本人も自覚しているらしい。
けれど殿下は、あからさまに彼女を口説いたり、反対に私をないがしろにしたことはない。
むしろ私への贈り物は欠かさないし、まだ学生の身だが王族として出席するパーティーには必ず私を伴って出席される。
はたから見ていても、殿下がミーシャのことを好いていると気付く人間は、ミーシャ自身を含め皆無と言っていいだろう。それだけ、彼は自身の行動に気を付けていた。
クラスメイトとして、ただ一緒に時間を過ごし、二人きりになることもなく、ミーシャを贔屓することもない。
それでもほんのわずか、瞬き一つするほどの時間、彼がミーシャを恋い慕う瞳で見つめていることに、婚約者としてずっとそばにいる私だからこそ気付くことができた。
けれど彼を咎めることは、私にはできなかった。
なぜなら、私もまた、彼と同じだったからだ。
「勿論殿下が一時の感情に身を任せて行動するような方ではないと、何年も一緒にいる私はよく存じております」
予想通りの答えとはいえいささか残念な面持ちで答えれば、殿下はにやりと意地の悪い笑いを見せた。
「そう簡単に未来の王妃たる資格を持つ君を手放しはしないさ」
「その真意は?」
「私だって王族として国を守るため、好きな相手と結婚することを諦めているのに、アーサーを慕っている君だけ愛しい人と一緒にいさせるものか。一蓮托生だ」
やはり私の気持ちは、同じように彼にもお見通しだったようだ。
私が恋しているのは、同じ学園だが騎士科に所属する、子爵家三男のアーサー様だ。
好きになったきっかけは我ながら単純だけど、変装してこっそり王都で遊んでいる最中、ごろつきに絡まれた時に、アーサー様が颯爽と助けに入ってくれたことだ。
しかも名前も告げずに去ってしまった。
まるで物語のヒーローのようで、すぐさま調べさせると、後日それがアーサー様だということが分かった。
変装していたこともあり、私が殿下の婚約者でもある公爵家の令嬢ラフィーナだとは気付かれなかった。
しかし直接お礼を言う訳にもいかず、彼の姿を見るたびに胸がときめき、悶々とする。
こちらも細心の注意を払っていたが、殿下にはばれていたみたいだ。
「あんな評判の悪い男のどこがいいのか、私には分からないな」
ため息交じりに殿下にそう言われ、彼には言われたくないと思ってしまう。
けれど殿下の言う通り、アーサー様の素行は決して良くない。
訓練はサボりがちだし、成績も下から数えた方が早く、可愛い女の子がいたらすぐに声をかける。
殿下には及ばないがそれなりに整った顔立ちなので、なんだかんだ言いつつモテるのだ。
それを知ってもなお彼のことが好きなのだから、相当厄介な感情だ。
初恋だから余計に、かもしれない。
茶化すような声で、私は彼にとある提案をする。
「殿下、両親は私が説得致しますので、正式な手続きを踏んでミーシャを代わりに婚約者に据えてはいかがですか? まるで物語のようだと国民は支持してくれるかもしれませんよ」
しかし、彼はどこまでも冷静だった。
「ミーシャの能力と性格で、王妃が務まるわけがないだろう」
好きな相手だというのに、辛辣だ。少なくとも、恋をしたからと言って目が曇るタイプではないらしい。
「あら、彼女だって殿下への愛の力で、努力次第ではいい線行くと思いません? でしたらいっそのこと愛妾として召し上げるのはいかがですか? 代わりにと言ってはなんですが、私はアーサー様を私の専属騎士として雇い入れます」
「ラフィーナ、君はそんなに死にたいのか? あれを専属にするなど、凄腕の剣士を差し向けられた日には、君は名ばかり騎士のアーサーごと瞬殺されるぞ。それに愛妾など迎えれば、それこそ国民の心証が悪くなる」
私の案はあっさりと却下されてしまった。
当然、通るとも思っていなかったけど。
「諦めろ。私は共に国を支えていくのは君以外ありえないと考えているし、君も自分の立場に誇りを持っている。違うか?」
彼の問いに、私はうっすらと微笑んだ。
そう、諦めるしかないのだ。
別に殿下に不満があるわけではない。
初めて彼と会った時、クルクルの金の髪がふわふわしていそうで、ついでにまつ毛もくるっとカールしてて、まるで天使みたいな可愛い美少年だと感じたのは覚えている。
だけど話してみると外見とは裏腹にしっかりしていて。
「僕はこの国をもっと良くしていきたい。だから、どうかこの国の王妃になって一緒に国を支えてくれないか?」
穏やかだけど静かに炎をたたえた瞳でそう言われ、私は臣下として、王妃としてこの国を共に支えようと決めたのだ。
それからは怒涛の連続だった。
やるべきことは多く、遊ぶ時間もなく、全てが王妃教育にあてられた。
勿論殿下もそれは同じで、お茶会では常に二人とも目の下に隈を作っていた。
それを互いに見ながら、勉強の進行状況を報告し、励まし合ってここまできたのだ。
そんな感じなので、もはや私と殿下は恋をする相手というよりも、戦友に近い。
そしてあらかたの教育を終え、私たちは学園に通うようになった。
学園には高位貴族の他に、男爵や子爵と言った下位貴族や、平民出身の者も多くいて、これまでに接したことのない人間とのやり取りは、とても新鮮に思えた。
だからこそ普通ならありえないような相手だと分かっていても、新鮮さゆえにそれぞれ別々の相手に恋に落ちてしまったのかもしれない。
「学園生活も後一年足らずですね。それが終わるまでは、殿下もどうぞ秘めたる恋をお楽しみください。私の方も、胸が苦しくて眠れない日々を過ごしながら残りの生活を満喫いたしますわ」
「くれぐれも周りに勘付かれないようにな」
「お互い様ですわ」
そう言って私たちは、小さく笑い合った。