88.国境
私というのは身軽なようで、馬でならと思っていた経路を自走することで屋根の上まで来ることができた。
子犬ではなく狼なのだと、王太后は言ってくれた。
ちゃっかり眷属とした灰狼も、心の中の崖にいる。
私は処刑人として動くとしよう。
散らした護衛達にも交代で休息を取らせると思えば、すでに国境を目視できたので、ジーオ達はこれ以上国境方向へと移動しないのかもしれない。
ジーオ達が拠点とするのは、ポギャロと別行動となった四角が一つの広場だろう。
(行くか‥‥‥)
屋根から屋根へと移動する私は、確かに歩幅というものが大きくなっているように思えるのに。
大人ならば、と歩数なんてものにうんざりしているのでは。
お子さまは扱いにくいのだと、心の中では眷属達も燎原を見つめている。
何もかも置いていく、それをするのならば、私は一人、そうなるのだろう。
燎原も、燎原を眺める崖も、眷属達も、魔女もいない、それなら私は誰なのか。
(誰となろうかね‥‥‥)
◇◆◇◆◇◆◇
国境の上部には、ゼルガルの御印のバッジをつけている護衛達が散っている。
作り変えられてしまった国境は、点と点を線で結んでは繋いでいくような見た目となっていて、点である部分は、円筒形だ。
(弓矢は所持していないようだけど、ナイフくらいは投げてくるかも‥‥‥?)
不審者ではあるのだが、どうか攻撃しないでくれ、と祈りながら地面へと下り立つと、円筒形な部分が目前となる。
(まあ、警戒するよね‥‥‥)
国境上にいる護衛達は、明らかにぎょっとしているのだが、私が円筒形に近付くことを止めはしない。
『ジモッチ、シアだよ。シュミルのところには、ミカシュが向かってくれた。ネズにはガヤディーが向かっていて、リンドウ領になるかもしれない。ソアさまには、まだ待ってて、って伝えてもらってる。アヤレイスと奥さまが、ネズに向かおうと待っているから、フリューゼンを出してあげてから、フリュージとミラナサーラとアヤレイスだそうな赤ちゃんも呼んできて?』
(お?)
おじさんの嗚咽らしきものと一緒に、石が擦れているような音がしてきたので、円筒形内部にある回転扉を動かしてくれているのだろう。
リュックからトートバッグを取り出し、待っていると、かたりと音がし、開いた扉の隙間から出てきたフリューゼンは、寒そうな半裸だ。
私が、中から取ってくれとトートバッグを差し出すと、フリューゼンは中から服を出していく。
「ヤマフジのご当主さまは、まだ出てきていない。アヤレイスと奥さまが、馬車で待っている。丸が一つの広場にミカシュが戻ってくる。ミカシュに先導してもらって、ネズヘ向かって?」
「わかった‥‥‥」
服を着終えたフリューゼンは、トートバッグからブランケットも取り出すと、寒いのだと肩に羽織って歩いていく。
円筒形の扉を開けて中に入ろうとすると、国境上から護衛が一人下りてきてしまった。
(‥‥‥だめ?)
護衛の方を見たままに扉の中へと進もうとしてみると、護衛は葛藤しているようだ。
(いい?‥‥‥だめ?‥‥‥先に入るの?)
護衛に続いて円筒形の中に入ると、もう一人下りてきた護衛が扉を押さえてくれているので、円筒形の中の暗闇に目が慣れるのを待たずに済みそうだ。
(あー‥‥‥るかな?あった)
フリューゼンの脱いだものをタオルで包むと、トートバッグに入れておく。
私が回転扉を押そうとすると、護衛は私に止まるように手で示し、扉を押さえている護衛に目配せしてから回転扉を押し始めた。
『縦に半分となるまで動かしてほしいです』
護衛が回転扉を押していくと、間の国側にある扉の無い出入口が見えてきた。
(よ!)
円筒形の外にいた馬は、覚えているのか、げぇ‥‥‥と態度で示してくれている。
国境と垂直に交わる角度となるまで回転扉を動かしてくれたので、通り道として狭くはあるのだが、回転扉を動かさずに間の国側から左の国へと移動することが可能だろう。
(こっちおいで)
手招きしてみると、馬は嫌々ながらという様子で円筒形の内部へと進んでくれたので、私も左の国側へと出ておくと、護衛達も一旦外へと出る判断をするようだ。
◇◆◇◆◇◆◇
国境上部へと戻った護衛がこちらを見下ろしてきたということは、ジモルル達が円筒形の内部へと入ったということだろう。
『ジモッチ、シアだよ。今、外には、私と、先にこっちに移動しておいてもらったお馬さまがいる。ジモッチ達は私が間の国から連れてきたことにするから、間の国の言葉で話すようにして、別呼称を使用しよう。国境と呼ぶしかない建築物の上にいるのは、間の国の第二王子殿下の部下の皆さまで、間の国の御曹司さまであるジーオもヤマフジに来てる』
ことりと音がし、開いた扉の隙間から顔を出したジモルルは、そおっと一歩を踏み出す。
(完成されてるな‥‥‥)
月明かりに照らされるジモルルは、美しい。
化粧もばっちりな女装中で、足元はきちんとハイヒールだ。
続いて出てきたフリュージは、ブランケットに包まれた赤子を抱えていて、ミラナサーラは赤子用品が入っているのだろう籠を持っている。
『お宿を目指したいんだけど、お馬さまも一緒に行く?一旦自宅に連れていく?』
ミラナサーラは、フリュージと顔を見合わせ、悩んでいるようだ。
『赤ちゃん次第なんだけど、さっと荷物をまとめることもする?まず、お宿で食事や入浴を済ませる?馬も、尿で検査したいね』
『うー‥‥‥まは、戻すか』
『そうね』
私が籠を受け取ると、ミラナサーラは馬の手綱を手に取り、馬もほっとしているようだ。
『ジモッチは靴とか大丈夫?』
ジモルルはしばし悩んでいたのだが。
(いけるか)
頷いたので、まずは馬を帰宅させるとしよう。
◇◆◇◆◇◆◇
『ヤマユリのババアは何か言ってなかったの?』
『アヤレイスなんだと!』
(それだけか)
赤子を収めた斜めがけのバッグに大事そうに腕を添えているフリュージが、大層不満そうに言ってくれるのでは。
『あるの?』
『ない‥‥‥』
『あるんでしょ?』
『‥‥‥ないって』
『ミラナサーラは?』
馬の手綱を引いて歩くミラナサーラは、少し考えてから言う。
『思っただけなんだけど、間の国で青な名をつけると、それでは、第一王子さまどうぞ、になってしまうもの?』
『私が勝手に思ってるのは、アイオライ、みたいに、アイオライトから取ったとしか思えないよ‥‥‥なものをつけることはしない、というものじゃないかな?』
ミラナサーラは、一応ね、とジモルルの方を見てみる。
俯せの状態で、馬に覆いかぶさるようにして鞍に乗っているジモルルは、何も発言しない。
ハイヒールで山道を歩くことになったので、足が痛むのだろう。
文字通りに、頭に血が上る、という状況になっていそうで、見ているこちらがふらふらしそうだ。
『俺達自身は?』
『それねー‥‥‥長いのよね』
(呼称かー‥‥‥)
『シアはもう留学を終えたのか?』
『そう。留学していたフユー・マツリカはもう左の国に移動済み』
『ジーオさんが送ってくれたの?』
『ううん。ジーオはジーオで用事があったんだろうね』
『今回も、来てみたらこれ?』
『そう。来てみたら、見えてきて、これ。急ですまんね』
『慣れすぎよ‥‥‥シアは何もかもシアの予定通りだ、なんて‥‥‥ヤマユリのババアは大慌て』
『胸糞悪いばかりだよ‥‥‥王がジモルルさんに、キリ家のヒナタだそうな存在をフリューゼンが連れていった、と吹き込み、ジモルルさんがヤマフジに移動すると、ヤマフジのおじさんが、フリューゼンが連れてきたようだがどこを使わせているんだろうな、と吹き込み、ジモルルさんはフリューゼンを連れて隠れた。ヤマフジのおじさんは、ジモルルさんに吹き込むと、すぐさまその赤ちゃんを奥さまのところから連れ出し、ヤマユリのババアに押し付けてから隠れたので、ヤマユリのババアは、ジモルルさんとフリューゼンが隠れる前に、三人を間の国側へと押し込めておいて、今頃、間の国の東部を目指しているだろうね』
ミラナサーラは、馬をそっと撫でてやりながら言う。
『この子が嫌がったから、歩きで向かったようだったけれど‥‥‥』
『歩きだと、どのくらいだろうね‥‥‥』
『それでも行くんだものね‥‥‥』
『どうせ、おじさんの妹とかなんだよ。売春も麻薬も、代々続く家業なんだ、として、隠れていた皆だって知ってたし、一緒に営んでいたんだよ?とする』
ミラナサーラもフリュージも動きを止め、ジモルルは、ぐんと頭を上げている。
(すごい体勢‥‥‥腹筋?背筋?)
私が歩き出してみると、ジモルルは頭を下ろし、二人も歩き出してくれたので、このまま続けておこう。
『フリュージが採用試験を受けるとなって養子に、なんて言ってあるけど、どうせ、愛人だなんて思わせてあるのは、奥さまとフリューゼンとフリュージとミラナサーラのような限られた範囲だけなんだよ』
『ずっとヤマフジ所属だったのに?』
『奥さまには死産だと言っておき、愛人だそうなババアは男児を連れている。生きている、それだけで、どれほどそう思わされただろうね‥‥‥だが、周囲から見れば、親戚に懐いている、だけ。どうせ、フリューゼンとフリュージがこれほどの男前なのは、おじさんの血統だ、ってことにしたいんだよ』
『愛人が産んでも同じようなのが出てきただろうが、ってことね!』
『そういうのだよ‥‥‥どうせ、陥れたとしかできない手段で、あれほどなど美人奥さまを妻とすることができたのを、ずーっと引け目に感じているんだよ。奥さまな美人さを思わせてくれる本物の愛人が女の子を産んでくれたから、奥さまの実子だとして戸籍を作っていると予想する』
『そこも周囲から見れば、母親のところにいるってだけ‥‥‥』
『どうせ、周囲には、奥さまは喧嘩するとすぐに離縁を口にするんだー、とか言って、奥さまやフリューゼンを戸籍に近付けないようにさせてるんだよ。仲良し夫婦についに女の子誕生!だとして、奥さまのところに祝いなんてものが届く‥‥‥』
うんざりするのだと、皆で溜め息となってしまう。
『この子、アヤレイスの妹ってことか?』
『私はそう予想する。アヤレイス、と言って押し付けておけば、ヤマユリのババアなら?』
『どういった子なのか、すぐにわかるな‥‥‥』
『奥さまが離縁の手続きをしてくれていると、皆でネズに移れているだろうね』
『フリューゼンも一緒なら、手続きすることは可能だからな‥‥‥アヤレイス?』
『男児を産んだのは君だけだ、ってことなような気もするし、フリューゼンが女の子だったらと用意していたような気もする‥‥‥』
『おじさんだからな‥‥‥』
生まれて間もないアヤレイスを抱くヤマフジ家当主を前にした奥さまは、いつも通り、なんてものを実行しているだけで精一杯なのだと、立ち尽くしていたのはもういつのことなのか。
あの時のヤマフジ家当主とは、まったく違った顔で赤子を抱くフリュージを見ていると、この子にはフリュージがいてくれる、そう思えるのだから勝手なものだ。
ロシーノはいなくなった。
ずっと、ずっと一緒にいたのに。
もういない、それが何なのかわからなかった。
私の言葉は呪いなのだとリンランは言っていて、悲しむ私は害悪なのだとギドロイは言っていた。
置いていく、そんな風に思えているのだと、バンラームを見ていて思った。
ゼルガルもまた、もう行くのだと、それを見送る私はお子さまで、いつまで経っても悲しいままだ。
そんなものは放っておけばいいのだと、恩知らずは平気で思うのだが、排除という行いをする側からしてみれば、それなりに困難を伴う行いなのだろうと、ここでもお子さまは崖から見下ろすばかりとなる。
眷属も魔女も、いなくなっても、私というのは崖にいる、そういう生き物なのかもしれない。
(人間ってやつは‥‥‥)
感謝というものは知っている。
フユーとして過ごした時間は、私にとって安寧というものだった。
どうか、そう願うのならば、もう簡単には死なないお子さまは、放っておけばいい、そう思ってもらえるように、駆け回るとしておこう。




