2. 惑星G112②
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君は大きな葉っぱを手に取った。
表面は滑らかで、触るとぬめりを帯びている。
匂いを嗅ぐと甘ったるい香りが鼻腔を満たした──まあ正確には、“そういう香りを感知した”のだが。
「これはいけそうだな」
君は慣れた手つきで葉を細かくちぎり、金属パイプに詰め込む。
火をつけて深く吸い込むと、紫色の煙が肺を満たした。
『ケージ、何をしているんですか』
ミラが呆れた声を出す。
「品質チェックだよ」
『品質チェックって……まさかドラッグとして?』
「そのまさかだ」
君は煙を吐き出しながら味わうように目を細める。
瞬時に分解されてしまうが、一瞬だけ感じる風味を分析していた。
『それは危険です。未知の成分が──』
「いや、これはなかなかいい線いってる。ベースはトリプタミン系だな。でも地球のキノコとは違う独特の後味がある」
君の脳内にかつての記憶が蘇る。
下層居住区の薄汚い路地裏で、仲間たちと回し吸いした安物のヤク。
純度の低い合成麻薬に混ぜられた謎の添加物。
それでも現実から逃避できるなら何でも良かった。
金がある時は上物を買い、ない時は床に落ちた残りカスをかき集めた。
『旅人よ、それは食用ではない』
植物の"意思"が困惑したように響く。
「知ってるよ。でもな、これを乾燥させて粉末にすると良いヤクになるだろうさ」
君は別の植物に目を向ける。
螺旋状にねじれた茎を持つ奇妙な草だった。
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君は螺旋草の茎を折ると、断面から琥珀色の樹液が滲み出た。
指先につけて舐めてみる。
苦味の中に微かな刺激がある。
「ミラ、これの成分分析できるか?」
『少々お待ちを……フェニルエチルアミン誘導体が主成分のようです。覚醒作用が期待できますね』
「やっぱりな。これは"アッパー"だ」
君は嬉しそうに茎を何本か採取する。
下層居住区では朝の目覚めに覚醒剤を使うのは日常茶飯事だった。
疲労した体に鞭打って工場で働くには必需品だ。
品質の良いものは高価で手が出ないから、皆が粗悪品で我慢している。
副作用で歯が抜けようが内臓が溶けようが関係ない。
みんな一日一日を懸命に生きる──そのために必要なのがドラッグなのだ。
『旅人、そろそろ十分ではないか』
植物の"意思"が遠回しに促してくる。
「まだまだ。こんな宝の山を前にして帰れるかよ」
君は奥へと進んでいく。
巨大なキノコが群生している場所を見つけた。
傘の裏側が虹色に輝いている。
「おお、これは期待できそうだ」
膝をついてキノコを観察する。
胞子が舞い上がり、君の周りでキラキラと光る。
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『ケージ、その胞子には幻覚作用があります』
「分かってる。でもこの色合い、この形状……間違いなく上物だ」
君は慎重にキノコを採取する。
かつて下層居住区で出回っていた"レインボー・ドリーム"という幻覚剤を思い出していた。
一粒で三日間は現実から逃避できる強力なヤクだった。
ただし使いすぎると脳が溶ける。
文字通り頭蓋骨の中身がドロドロの液体になって鼻から垂れてくる。
それでも求める者は後を絶たなかった。
「なあ、ところで」
君は作業をしながら"意思"に問いかける。
「前に来た調査団の連中はどうなったんだ?」
『それは……』
"意思"が言いよどむ。
『この星にも危険な場所はある。彼らはそこへ足を踏み入れてしまったのかもしれない』
「ふうん」
君は特に気にした様子もなく、次の植物へと移動する。
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目の前に奇妙な花が咲いている。
花弁が肉厚で、まるで唇のような形をしていた。
しかも定期的に開閉を繰り返している。
「なんだこりゃ」
『解析中……どうやら昆虫を捕食する食虫植物の一種のようです』
「へえ」
君が指を近づけると、花がぱくりと噛みついてきた。
鋭い棘が指に食い込むが、サイバネボディには傷一つつかない。
「おっと、元気がいいな」
『その花の蜜には麻痺毒が含まれています』
「麻痺毒か。薄めれば良い鎮痛剤になりそうだ」
君は花を引きちぎって袋に入れる。
別の場所では地面を這うように伸びる蔓植物を見つけた。
蔓の表面に無数の小さな目玉のような器官がついている。
「気持ち悪いな」
『光を感知する器官です。獲物の影を察知して絡みつくようですね』
君が近づくと、蔓がするすると動いて足首に巻きついてきた。
締め付ける力は相当なものだ。
「ったく、鬱陶しいな」
君は平然と蔓を引きちぎる。
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さらに奥へ進むと、巨大な球根のような植物があった。
表面が半透明で、中に蛍光色の液体が満ちている。
「これは……」
『強力な神経毒です。触れるだけで──』
君は構わず球根に触れた。
サイバネボディの皮膚から微かに煙が上がる。
「おお、これは強烈だな。純度100%の"メルト"より効きそうだ」
"メルト"は下層居住区で最も恐れられているドラッグの一つだった。
皮膚から浸透して神経を直接破壊する。
使用者は激痛と快楽の狭間で悶え苦しみながら廃人と化す。
それでも一度味わった快楽が忘れられず、ボロボロになりながらも求め続ける。
君も昔一度だけ試したことがある。
三日三晩のたうち回り、生きているのが不思議なくらいだった。
「ミラ、採取用の特殊容器ある?」
『ありますが……本当に持ち帰るんですか?』
「研究用サンプルって事にしとけばいいだろ」
君は慎重に球根の液体を容器に移す。
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『ケージ、もう十分ではないでしょうか』
ミラが何度目かの帰還提案をする。
『既に必要なサンプルは全て採取済みです』
「そうだな……」
君は名残惜しそうに周囲を見回す。
まだまだ面白そうな植物はたくさんある。
『そうだ、旅人。もう十分だろう。君の船に戻るといい』
植物の"意思"も露骨に急かしてくる。
さっきまでの友好的な態度はどこへやら、早く出て行ってほしいという本音が透けて見えた。
「分かった分かった。そんなに急かすなよ」
君はしぶしぶ踵を返す。
採取した"サンプル"で背負い袋はパンパンだ。
これだけあれば当分は退屈しない。
もちろん全部すぐに分解されてしまうが、一瞬の風味を楽しむには十分だ。
これは横流しではない。
なぜなら最低限の提出分は確保してあるからだ。
君は鼻歌を歌いながら船への道を歩き始めた。
──その足元から、ぽろりぽろりと黒い粒子が零れ落ちていく。
しかしそれに気づく者は誰もいなかった。
君も、ミラも、そして植物の"意思"も。
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ちなみに、君が持ち込んだ違法ドラッグの素材は帰港してすぐに全て没収された。
当たり前の話である。




