45.エルカ・スフィア⑦(終)
◆
通路を早足で進む。
君が先頭、ザッパーが最後尾。
ミラは二人の間をふわふわ漂いながら、せっせとスキャンを続けている。
角を曲がろうとした瞬間、君がピタリと止まった。
「こっちだ」
そう言って脇の扉を開ける。
物置らしい狭い部屋。
三人が入るとギリギリだ。
ザッパーが扉を閉めた直後、廊下から足音が聞こえてきた。
「ヴァスの野郎、どこ行きやがった」
「さあな。サボりじゃねえの」
男たちの声が通り過ぎていく。
完全に静かになってから、君は扉を開けた。
「よくわかりましたね」
ザッパーが君の頭を撫でる。
大きな手のひらが髪をくしゃっとする感触。
「勘だよ」
君はそう答えたが、ザッパーは内心で首を傾げていた。
──勘にしては鋭すぎる
金のない君が、どうやってこんな感覚器官を手に入れたのか。
例えば軍用の聴覚エンハンスなら最低でも数百万はする。
他の感覚器官のエンハンスにしても値段は似たり寄ったりだ。
──後で聞かないと
そんなことを考えながら、ザッパーは何も言わずに歩き始めた。
通信室はすぐそこだった。
『生体反応なし』
ミラの報告を聞いて、君はドアに手をかける。
黒い粒子がするりと鍵穴に入り込み、カチャリと音がした。
室内は薄暗い。
モニターの青い光だけが、ぼんやりと機材を照らしている。
「ミラ、頼む」
『了解』
ミラが端末に取り付く。
画面に文字が流れ始める。
取引履歴、顧客リスト、"商品"の詳細。
『ハッキング完了。データは惑星開拓事業団に送信済みです』
「よし」
君が振り返ると、ザッパーがモニターを指差していた。
「非常用ハッチはここから十分くらいですね」
そのとき。
けたたましい警報が鳴り響いた。
赤い光が点滅し、通路が血の色に染まる。
『侵入者発見。総員戦闘配置』
アナウンスが船内に響き渡る。
「ちっ」
君は短く舌打ちした。
「逃げるぞ」
◆
廊下に飛び出した瞬間、正面から銃を構えた男たちが現れた。
「いたぞ!」
発砲音。
君は反射的に身を伏せる。
まあ直撃してもへいちゃらではあるのだが、ザッパーへの説明の事を考えると余り人間離れした挙動を見せられない。
弾丸が頭上を掠め、壁に火花を散らした。
次の瞬間、ザッパーが前に出た。
腕がブレードに変形し、銀色の残光を引きながら男たちを薙ぎ払う。
血しぶきが壁に飛び散った。
「行きましょう」
ザッパーの声は冷静そのものだ。
君は立ち上がり、また走り始める。
曲がり角を曲がるたびに、新たな敵が現れた。
外惑星人の傭兵、改造人間、サイボーグ。
君は拾った拳銃で、正確に頭を撃ち抜いていく。
サイバネボディの反射神経が照準を自動補正してくれる。
君の詰めの甘さがこういうところに出ている。
ザッパーは内心で君の腕に疑念を抱いていたからだ。
『右の通路に五名』
ミラの警告と同時に、手榴弾が転がってきた。
金属の筒が床を転がる音。
『音響振動弾です。電子信号を傍受しました』
通常の破片手榴弾と違い、超音波と振動波を同時に発生させることで、船体を傷つけずに半径10メートル以内の人間の三半規管と内臓にダメージを与える──宇宙船や居住区での戦闘では標準装備となっている非致死性(だが極めて不快な)制圧兵器だ。
ミラのモノ・アイが激しく明滅する。
次の瞬間、手榴弾がカチリと小さな音を立てて動作を停止した。
『信号をジャミングしました。起爆装置を無効化完了』
ミラの淡々とした声が響く。
「ナイスだ、ミラ」
君が駆け寄って手榴弾を拾い上げ、来た方向へ投げ返す。
止まっている暇はない。
「ミラ、最短ルートは?」
『このまま直進。あと二百メートル』
再び廊下へ。
今度は向こうから重装備の男が現れた。
パワードスーツを着込み、ガトリング砲を構えている。
「死ね!」
砲身が回転を始める。
君は壁の陰に飛び込んだ。
弾丸の雨が廊下を埋め尽くす。
男のガトリング砲に装填されていたのは、船内戦闘用のフランジブル弾だ。
人体や軽装甲には致命的なダメージを与えるが、船体の二重装甲壁に当たると粉々に砕け散る設計になっている。
──ち、このままじゃここから出られねえな。俺の体なら盾にはなるか?
説明が面倒、心配させるかも──などとは言っていられない。
が。
ザッパーの右腕が肘から先で分離した。
銀色の液体金属が生き物のように床を這う。
まるで水銀が意思を持ったかのように、壁を垂直に登り始めた。
金属の表面に細かな波紋が走り、天井に達すると薄く広がって張り付く。
パワードスーツの男は、ガトリング砲の砲身を回転させながらこちらへと進んでくる。
轟音と火花に気を取られ、頭上の異変に気付かない。
天井を這う液体金属は、男の真上で再び形を変えた。
鋭利な刃物の形に収束していく。
そして──
音もなく落下した。
銀の刃が男の首筋、装甲の継ぎ目に正確に突き刺さる。
「がっ──」
男が短い悲鳴を上げた。
ザッパーが部屋から飛び出し、左手を伸ばす。
分離していた右腕部分が、まるで磁石に引かれるように彼女の元へ戻っていく。
液体が逆流するような光景だった。
銀色の流体が空中で螺旋を描きながら、ザッパーの肘に吸い込まれていく。
完全に結合すると、継ぎ目すら見えない。
男はガトリング砲を取り落とし、膝から崩れ落ちた。
◆
非常用ハッチが見えてきた。
赤く塗られた重厚な扉。
その前に最後の障害が立ちはだかっていた。
「逃がすかよ」
筋骨隆々とした大男。
腕には刺青、顔には無数の傷跡。
立ち居振る舞いが随分とこなれて居る。
明らかに只者ではない。
君は銃を構えたが、男は素早く距離を詰めてきた。
腕が振るわれる。
君は咄嗟に受け止めたが、衝撃で後ろに吹き飛ばされた。
──パワーが桁違いだ
壁に叩きつけられ、肺から空気が漏れる。
男が追撃しようとした瞬間、ザッパーが割って入った。
ブレード対拳。
金属音が響き渡る。
二人は激しく打ち合った。
ザッパーの斬撃を、男は素手で受け止める。
どうやら男の体も、相当な改造を施されているらしい。
だが君は壁に倒れたまま、じっと機会を窺っていた。
床に転がっていた金属パイプを、そっと手に取る。
男がザッパーの攻撃に集中している隙に、君は立ち上がった。
「おい、デカブツ」
男が振り返る。
その瞬間、君は男の顔面に唾を吐いた。
「なめてんのか」
男が怒りに顔を歪める。
──そんな余裕はねえよ
と君は内心で嘯く。
君の目的は挑発というより、言ってみればヘイト管理だ。
男の注意が一瞬、ザッパーから逸れた。
君はパイプを投げつける。
男は片手で払いのけたが、それは囮だった。
君は低い姿勢で男の懐に潜り込む。
下層居住区の喧嘩は、綺麗事じゃない。
君の突き上げるような頭突きが男の股間を捉えた。
「ぐぅっ」
男が苦悶の声を上げる。
やっぱりな、と君は思う。
──こういう男男した奴にかぎって、そこは生身なんだよなあ
悶絶する男の背後に回って首に腕を回す──裸締めだ。
「てめぇ!」
男が君を振り払おうとする。
だが君は離さない。
歯を食いしばり、総身に万力を込めて首を締め付け、ついでに背後から耳にかじりつく。
ルール無用のスラム・ファイトだ。
男の絶叫が響いた。
その隙にザッパーのブレードが男の左目に突き刺さり──
◆
「ケージとは戦いたくないですね」
ザッパーの言葉に君は口元の血を拭いながら、肩をすくめた。
「生きるか死ぬかの時に、綺麗も汚いもないだろ」
『脱出を急いでください』
ミラの声で我に返る。
君はハッチのレバーを引いた。
重い音を立てて扉が開く。
エアロックの先に小型の脱出ポッドが鎮座している。
三人は急いでポッドに乗り込んだ。
『発進準備完了』
ミラの声と同時に、ポッドが船から離れていく。
背後でエルカ・スフィア号が小さくなっていく。
君は深く息をついた。
「なんとか、逃げ切ったな」
ザッパーが君の肩に手を置く。
「ええ。でもケージ、後で話があります。体の事について。ただ借金をしたわけではないのですね」
その声には有無を言わせぬ響きがあった。
君は観念したように肩をすくめる。
「……わかったよ」
宇宙の闇の中を、小さなポッドが進んでいく。
とりあえず生きて脱出できた。
──まあ、とりあえずは
それだけで十分な君であった。