44.エルカ・スフィア⑥
◆
君とザッパーは向かい合って今後の事を相談していた。
ザッパーの希望通り、商品として拘束されている者たちを解放する方向で話を進めている。
「助けられたのはいいが、これからどう動くかが問題だな」
「まず船長を人質にとるというのはどうでしょうか」
ザッパーの提案を君は吟味する。
「それもいいけどさ、でも人質が効くタマかどうかが疑問なんだよなあ」
「確かにそうですね……」
ならず者にもならず者なりの仁義があるだろうが、人質に取った所で無視されてしまう可能性もかなり大きいと君は見ていた。
君は軽く首を回し、ポケットからコインを取り出して弄ぶ。
特に意味はない。単なる手慰みだ。
「全員ぶっ潰す──ってのは」
「シンプルですがかなりリスクもありますね」
今度はザッパーが否定的な感想を返す。
「有象無象、いくらいた所で問題にはなりませんが、中には少々手ごわそうな者も複数名いました」
「用心棒ってやつか」
君が知る限り、ザッパーの戦闘能力は非常に高い。
しかしそのザッパーをして手ごわいと言わしめる相手が複数いるというのは大問題だった。
「なあミラ、何か案はないか?」
君の横に待機していた球体の小型ドローン──ミラが、ふわりと浮遊しながらモノ・アイを青白く瞬かせて口を開いた。
『それでは提案させていただきます』
ミラは一拍置いて説明を始める。
『お二人だけで奴隷商人を制圧するのは危険ですし、まずは確かな証拠を押さえてみてはいかがでしょうか』
君はやや眉をひそめる。
「証拠……つまりここが人身売買の温床になっている決定的な証拠か?」
『そうです。この船が不正取引を行っている裏付けが取れれば、惑星開拓事業団や連合政府の監視機関に介入を要請できます』
連合政府とは地球を中心とした有人宙域の最高行政機関である。
母体は旧地球連邦といくつかの有力コロニー国家で、超光速航行・通信が一般化した後、植民地が乱立すると戦争・奴隷売買・テラフォーミング利権争いが絶えないと危惧した各勢力が、最低限の法秩序を維持するために結んだゆるめの連邦条約が契機となって設立された。
惑星開拓事業団は連合政府の公認パートナーと考えてよい。
未開惑星でのインフラ建設・資源調査を請け負う準国策企業の扱いをされている。
なるほどな、と君はうなずいた。
「確実なデータさえ押さえりゃこっちのもんだな」
横で聞いていたザッパーが、少し顔を上げる。
「ですが、どうやって証拠を集めるのですか?」
ミラはモノ・アイを回して続ける。
『船内には整備区画や通信室にサブ端末があります。そこからメインコンピュータにアクセスできれば、取引履歴を見つけられる可能性があります』
「ハッキングが成功すれば、奴らがどこと取引しているか一発でわかるわけか」
君はミラの提案を採用する事にした。
コインを軽く弾いてポケットに戻す。
「決まりだな。通信室へ向かう」
ザッパーは無言でうなずき、君の後へ続いた。
◆
同時刻。
〈エルカ・スフィア〉の警備員詰所では、用心棒たちが交代前の暇潰しに賭博をしていた。
その輪の外に、一体の異形が壁にもたれ沈黙している。
惑星S87から流れてきたウラル外星人、名はヴァス。
目も鼻も口もない暗褐色の仮面めいた顔、細身の身体には線刻のような筋肉繊維が浮かび上がっている。
ウラル人の骨格は炭化ケラチン質で軽量だが、一本一本がスプリングの役割を果たし、瞬間的に数十トンの出力を叩き出す。
しかしヴァスの恐ろしさはその怪力ではなく、サイレント・キリングの恐るべき練達の業にあった。
他の用心棒たちにとってもヴァスは恐ろしい存在だった。
これまで狩り取った首は100やそこらでは効かない。
男たちは自然と自然と席を空ける。
強者に対する本能的な距離の取り方だ。
ヴァスは船内巡回の時間になると静かに立ち上がり、無音のまま甲板区画へ向かうが──
不意に歩みを止めた。
──貨物リフトの奥、倉庫方向にわずかな空気の揺らぎ。波長が異なる密やかな声。会話。
侵入者。
ヴァスは腰の短刃レーザー・ナイフを抜いた。
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ミラの誘導で脇通路に滑り込んだ君とザッパーは、錠を解いた整備用ハッチから倉庫へ潜り込んだ。
貨物用コンテナが天井近くまで積み上がり、通路は迷路じみている。
ミラは浮上高度を微調整しつつ、レーザー距離計で周囲をスキャンした。
『熱源、右手二十メートル。パトロールと見られる個体が一名接近中』
◆
倉庫通路を抜けようとした瞬間、君の背筋を冷たい風が撫でた。
次の瞬間、身を屈めたヴァスが君たちへ襲い掛かった。
レーザー・ナイフの赤白いエッジが残光を引き、まっすぐにザッパーを狙う。
強者は強者を知る──君、ザッパー、ミラの三名で、ヴァスが最も手ごわいと見たのがザッパーであった。
「おいおいッ!」
君は反射的にザッパーの前へ飛び出し、ヴァスの手首をがっちり掴む。
刃は止まったがしかし。
君の腕は可能な限りの出力を絞り出していた。
だがじりじりと後退を強いられる。
──やべえ
君がそう思った刹那、風切り音。
ヴァスが縦に裂けた。
◆
肉片が落ちる生々しい音が反響し、薄紫の血がコンテナの側面に弧を描く。
誰が殺ったのか──いうまでもない、ザッパーだ。
いつのまにかヴァスの背後に立ち、禍々しい形状のブレードへと変形していた腕をゆっくり人型のそれへ戻す。
君は息を整え、立ち上がってザッパーを見た。
「相変わらずだなぁ、君は」
ザッパーは微笑とも無表情ともつかぬ顔で首を傾げた。
「アレは本来、こんな簡単にはいきません。一対一で対峙したい相手ではありませんね。あなたのおかげですよケージ」
そう言って、大きな手で君の頭をそっと撫でる。
ザッパーにとってそれは親愛と信頼の証であり、君はそれをよく知っている。
だから照れ隠しに鼻を鳴らしつつも、頭を撫でられるままにした。
ザッパーの長い指が君の髪を梳き、柔らかな圧で頭皮を撫でた。
「感触がかわりましたね」
君は片眉を上げ、苦笑とともに肩をすくめる。
「色々あったのさ」
ザッパーは撫でていた手をそっと止め、開いた掌で君の頬を包むように撫でた。
「無茶をしてきたのではないですか」
君は何も言えなかった。
“ギャンブルで負けが込み、生身の肉体を取り立てられた”などというクソのような話を元カノに話せる者がいるだろうか?
──んなしょうもないこと、言えるわけないだろ
だが君の沈黙をザッパーは(君にとって)都合よく受け取ったようだ。
「ケージ、これが終わったら私も何かあなたのために……」
囁きながらもザッパーが一歩踏み込み、その銀色の身体を君の胸元へ寄せた。
金属の長髪が胸甲に触れ、ふわりと微かな鈴音が鳴る。
いい雰囲気、というやつだった。
──が。
ミラが低く電子音を立てた。
『イチャつくのはその辺で。増援が来る前に用事を済ませましょう』
君はヴァスの残骸をちらりと見やり、深呼吸して頷いた。
「そうだな、続きは安全な場所でやるか。で、通信室はどこだ」
『左舷第二デッキ。残り百二十メートル』