43.エルカ・スフィア⑤
◆
ザッパーは床に散らばった鎖を片手で払いのけながら、息を整えるようにゆっくりと胸を上下させながら言った。
「殺し屋は廃業したんです」
相変わらずの無表情のままザッパーは続ける。
「少し思う所が出てきまして──主にあなたとの付き合いの中で生まれたモノですが」
君は黙って耳を傾けていた。
「それでも生きていくには金銭が必要ですから、護衛の仕事を探していたんです……とはいえ、よりによって奴隷商人に目をつけられるとは思いませんでしたが」
ザッパーは吐き捨てるように言ってから、手首をゆっくり回してみせた。
拘束を外して間もないせいか、まだ痺れが残っているらしく、金属の肌に微細なきしみが走る音がする。
「護衛の依頼だと聞かされて契約したら、実際は質の悪い運び屋の護送みたいなものでした。気づいた時には船の中で、連中は私がメタノイドだと分かると同時に電磁網を使って行動不能にしました。それからはご覧の通りです」
「油断しちまったわけだ」
「失望しましたか?」
ザッパーの問いに、君は「まさか」と首を振った。
「そのおかげで再会できたんだからな。全く、俺に何も言わずに消えちまってよ」
そういって君は溜息をつく。
そう、君とザッパーは確かに互いの身を案じて別れた(「鋼の恋」参照)。
だが君は何も、ザッパーという存在そのものとの永劫の別れを企図したわけではない。
男と女、そんな関係からの脱却をしようと考えていたのだ。
だがザッパーは何を曲解したか、君の前から姿を消した──別れの言葉一つも残さずに。
「いい恋だった、と君の前で今でも堂々と言えるけどよ。友達付き合いくらいはしてくれてもよかったじゃないか」
今更恨み節はどうにも恰好がつかない、というのは分かっていても、君は零さずにはいられなかった。
「そう……ですね。確かに私の出した結論は極端だったかもしれません」
ただ、とザッパーは続ける。
「あの時の私は、あなたの恋人でなくなった自分に価値を見出す事ができませんでした」
そうかい、と君は何か言葉を探すが──
──こういう時、気の利いた事が言えればいいんだけどな
普段はべしゃりで良く回る舌も、なぜかこの時は上手く動かない。
──俺はまだザッパーが好きなんだろうか
そんな自問に、君は頭で考える前に体が自答した。
「あっ……」
ザッパーが短く声をあげる。
その体には君の腕が回されていた。
◆
ひとしきりイチャつき倒した後、君はザッパーの隣に立ち、あたりを見回した。
この部屋には他に誰もいないが、ここが奴隷商人の巣窟であることは間違いない。
外へ出れば、武装した警備員や奴隷商人に雇われた破落戸共がうろついているだろう。
「それにしても、奴隷商人か」
呆れを含んだ溜め息をついて、君は天井を見上げる。
この船の構造がやたら頑丈なのも、生きた“荷物”を運ぶためだと考えれば合点がいく。
ザッパーは小さくうなずいた。
奴隷商人は希少な外星人を狙って売りさばく。
色々な種族がいるが、中には絶滅寸前の種族もいる。
そういった種族は高値がつくため、連中は星から星へ飛び回っては捕らえていく。
まるで廃品でも扱うような酷い人身売買の現場を、ザッパーは護衛という形で目にしてしまった。
そしてあろうことか、自分自身も“商品”として拘束されてしまったのだ。
君はその事実に腹立たしさを覚える一方で、また厄介な場所に踏み込んじまったな、と頭をかく。
「さて、どうするか。さっさとこの船から逃げ出すか? 俺も連中の正体は知りたくないし、騒ぎを起こして殺されるのはごめんだからよ」
正直なところ、ここで暴れ回るほどのモチベーションはなかった。
しかし、ザッパーは静かに首を横に振る。
「まだ捕まっている者がいます」
助けたいという事だろう、君は「マジか」と苦い顔で問い返す。
船内のあちこちには、“商品”として連行された外星人たちが監禁されているのだろう。
そんな者たちを助けに行くとなれば、当然大ごとになる。
「……そうは言っても、下手に目立って殺されちゃ元も子もない。君だって危ないだろ?」
君がそう言うと、ザッパーはまるで決意を固めるかのように両の拳を握り込んだ。
「私ひとりで構いません。もう油断はしませんから。でもケージ、あなたは逃げてください」
君の胸の奥が妙にざわついて、嫌な感触がこみあげてくる。
惚れた女から足手まとい扱いされるというのは、男としてのプライドがいたく刺激されるのだ。
「……ったく、仕方ねぇな」
君は頭をガシガシとかきながら、おどけたような笑みを浮かべる。
「惚れた弱みってやつか。OK、俺も手伝うよ。開拓事業団への点数稼ぎにもなるしな」
ザッパーは思わず息を呑んだ。
「開拓事業団……惑星開拓事業団ですか!?」
「そうだけど、な、なんだよ……」
君はザッパーの剣幕に驚いた。
「なんだよ、ではありません! 惑星開拓事業団がどういう組織だか知っているんですか」
もちろん君は惑星開拓事業団がその辺のマフィアも真っ青のおっかない組織だという事をよく知っている。
確かに惑星開拓事業団には共同体に不利益を与える無能者を、この広い大宇宙に合法的に始末させるという面がないわけではないのだ。
ただそういった扱いは、事業団員の多数を占めるEランク──“Echo”に属しながら、長い間そこから脱却出来ない者に対してされる。
惑星開拓事業団には上からS、A、B、C、D、Eと等級が振られており、C、B、A、S等級といった者たちは相応の対応で遇されている。
調査仲間を探すためのマッチングシステムもC等級から利用ができ、DランクとEランクは言ってみれば危険地帯調査のための鉄砲玉に過ぎない。
Eは“Echo”の頭文字。
意味は「残響」──形すら持たない儚すぎる存在。
Dは“Dust”だ。
塵──形もない存在から、卑小とは言えようやく形を得た。
そんな君の等級は現在は暫定C。
かろうじて人間扱いされているといった所だろうか。
なお、Cから上は以下の通りになる。
Cは“Citizen”──ここから人間扱いだ。
Bは“Buddy”──事業団にとって相棒に等しい存在(ただし、利益をもたらす限りは)。
Aは“Ace”──花形だ。太陽に突っ込んでも生還するとまで言われているが、無論それは誇張された表現である。
そしてSは“Star”──事業団員全体の内、0.0002%しかいない特別な存在。
◆
「ケージ……そんなにお金に困っているのですか……?」
ザッパーの心配そうな声に、君は内心で「滅茶苦茶困ってる!!!」と絶叫していた。
「まあ……少しだよ、少し。ちょっと稼いだら足を洗うさ……」
「ちょっと、とは?」
う、と君は言葉に詰まる。
君が知る限り、ザッパーという女には言い逃れが通用しない。
空気を読まないというか、聞いてほしくないと暗に伝えてもそれが通じないのだ。
しかし君がしぶしぶ額を伝えると、ザッパーは項垂れてしまった。
その額の余りの大きさに愕然としている。
「……まさかそこまでとは……」
「そんな額はとても……」
「いや、でもケージの事だから恐らく借金でしょう。債権者を始末してしまえばどうでしょうか……」
そんなことをぶつぶつ呟くザッパー。
闇堕ちしかかっているといってもいい。
君がザッパーを正気に戻すまで、それから数分を要した。




