42.エルカ・スフィア④
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「ケージ……?」というか細い声が、暗い部屋の奥から返ってくる。
君は思わず足を止め、その声の主をじっと探す。
暗がりに沈む室内は殺風景で、鉄臭い空気が肌を刺すように重たい。
床には雑多なパイプや箱が乱雑に積まれていて、そこを縫うように伸びた鎖が誰かを拘束しているのが見えた。
やがて君の視界が慣れてくると、金属的なボディを持つ“女”の姿がうっすらと浮かび上がる。
メタノイド特有の鋼色の曲線。
四肢と首とを拘束する電子錠をはめられていたのは──
「ザッパー……? おい、こんなところで何してるんだ」
君が声をかけると、女は苦しげに顔を上げる。
鈍い光を宿した青い瞳が、微妙に焦点を合わせるように微動した。
「お久しぶりです、ケージ……まさか、こんな所で再会できるなんて」
ザッパーが息をつきながら言う。
彼女はかつて鋼の殺し屋として名を馳せ、君とは惑星C66の下層街で顔を合わせた仲だ。
元恋人でもある。
今はその冷徹な眼差しも翳り、疲弊しきった様子でがっちりと拘束されている。
「君がこんなところにいるなんて、想像もしてなかったぜ。……ってか、どうしてそうなった?」
君の問いにザッパーは恥じるように目を伏せ、鎖が擦れる音をさせながら首を振る。
「ボディガードを始めたのですが、運悪く質の悪い依頼主に騙されまして……。結果的に、宇宙奴隷商人の手に落ちてしまいました」
「奴隷商人、ね。本当にどこにでもいるよなぁ」
君が言うと、ザッパーは肩を震わせる。
「まさか私が、こんな形で捕まるなんて思いもしませんでした。お恥ずかしい限りです……」
その声には悔しさがにじんでいた。
──まあザッパーは小細工するタイプじゃないしな
君はそんなことを思う。
君が知るザッパーはズバッと殺って何もかも解決! ……というようなステレオタイプな脳筋なのだ。
君は周囲を見回しながら、首輪や手錠の錠前に目をやる。
「君のそういう姿はそそるけどな、まあでも他の奴が君をこうしてるのは気に食わない。ミラ、こいつを外せそうか?」
君が呼びかけると、傍らを浮遊していた球形ドローンがモノ・アイを点灯させ、控えめに答える。
『少々お待ちください。暗号化された電子錠のようなので、解析には時間がかかるかもしれません』
「だとよ、暫くおとなしくしていてくれよ」
そう声をかける君に、ザッパーは小さく微笑んだようにも見える。
「ありがとうございます」
君は大げさに肩をすくめてみせる。
「さすがにヒーロー面する気はないけどな。……おっと?」
突然、君の袖口から黒い粒子が流れ出す。
まるで生き物のように粒子が蠢き、首輪の電子錠や手首のロック部に入り込んでいく。
その様子にミラが警戒の光を放ちながら言う。
『ケージ、これは……あなたの身体に寄生しているナノマシンでは?』
「かもしれないな。まだ正体はよくわからんが、便利っちゃ便利だ」
粒子が内部に潜り込んで数秒後、カチリと錠が解除される小さな音がした。
これまで頑強に閉ざされていたはずの束縛が、あっけなく外れる。
「なんで俺を助けてくれるかわからねぇんだよなあ。まあいいか! ザッパー、立てるか?」
君は膝を曲げて彼女に手を差し伸べる。
ザッパーが遠慮がちに指先を君の手へ預け、ゆっくりと身体を起こすと、薄暗い室内にかすかな金属音がこだました。
「本当に……ありがとうございます。ケージのおかげで助かりました」
「いいってことよ。だが、この後どうするかだな。脱出したいのはやまやまだが──」
そう、脱出をするにせよ足が必要だ。
しかし君は着の身着のままでこの船へ乗り込んだため、自前の船──シルヴァーはない。
『惑星開拓事業団へ報告をしましょう。ただ、助けがくるかどうかはわかりませんが』
ミラの言に君は頷く。
「ああ、まあ仕事に関する事は自己責任だったか」
「ケージは惑星開拓事業団で働いているのですか……?」
ザッパーが心配そうに言った。
惑星開拓事業団は言ってしまえば合法的なヤクザ組織である。
星系内の様々な問題を暴力で解決することを厭わない。
「まあね、ちょっと金が必要なんだ」
金が必要な理由は言わない。
というか言えなかった。
ギャンブルでスッて人体実験をさせられて──などとはとてもとても。
──俺にもプライドがあるからな……あったっけ? あったかも
◆
「それに、なにか以前のあなたとは違うような……」
ザッパーの言葉に君は軽く眉を上げる。
「格好よくなったって事かい?」
茶化すような口ぶりに、ザッパーは大きくかぶりを振った。
そして少し呆れた顔で、静かに言葉を継ぐ。
「隠し事をするとき、茶化す癖は変わっていませんね。それに、あなたはいつも格好良いですよ」
あまりにさらりと言われて、君は一瞬言葉を失う。
が、そのままバツが悪いような沈黙を続けるのも癪だったので、君はわざとらしく口の端を吊り上げて言った。
「まさか、ハニトラかい?」
生意気な笑みを浮かべたその瞬間、ザッパーは今度こそ露骨に冷たい視線を君へ向けた。
まるで「冗談はほどほどに」と言わんばかりの、刺すような眼差しに今度こそ君は黙り込んだ。




