37.惑星F25⑨(了)
◆
「本当に死ぬかと思ったぜ……」
エンジンの唸りが遠ざかり、ワープを抜けた船内は一瞬の静寂に包まれている。
君は操縦席に深く腰を下ろしながら、大きく息を吐き出した。
酸っぱい汗のにおいが鼻をくすぐり、硬くなった筋繊維の奥から痺れるような疲労を感じる。
君の肉体の殆どはサイバネボディに挿げ替えられてしまっているが、生身の部分もないではないのだ。
『本当に死んでしまう可能性は、先程の状況下で26%ほどでした』
ミラがさらりとした口調で言う。
薄暗い船内で、彼女──と言ってもまん丸いボール型の小型機械体だが──が静かに浮遊している様は、何ともシュールな光景だ。
君はそのまん丸ボディを眺めつつ、軽く苦笑する。
「26%とか言われると、結構あったほうだよな、死ぬ確率。まあ結果的に逃げ切れたが……そういやミラ、さっき心中してくれって言ったら“喜んでご一緒します”なんて言ってたな。 もしかして自殺願望でもあったりしないよな?」
聞くと、ミラのモノ・アイが淡く瞬いた──色は青。
『私に自殺願望はありません。エモーショナル・ドライブのプログラムにも、自己破壊を促す機能は組み込まれていません』
そう断言する声は、妙に澄んでいる。
君はやれやれと肩をすくめてみせる。
「だよな、そりゃそうだ」
『ですが、もし最期の瞬間を迎えるときに、あなたが私を選んだならば、それは光栄なことです』
その言葉に、君は思わず目をしばたたく。
「ああ? そりゃまた、可愛いこと言うじゃねえか。しかしなあ……」
そう言いながら君は手を伸ばし、ミラのボール型ボディをひょいと持ち上げる。
表面は金属の光沢を帯びていて、ところどころにセンサー類が埋め込まれ、やはり球体以外の何物でもないフォルムだ。
「でもこんなまん丸いボール型ボディじゃなあ……もうちょっと色気があればいいのになぁ」
冗談めかして言うと、ミラのモノ・アイが光った──今度は赤。
『それはケージのお金がないからです。 当時のあなたは私のボディに割く予算などほとんどありませんでした』
まるで人間みたいな会話だ、と君は思う。
しかしこれはミラの“エモーショナル・ドライブ”というプログラムが生み出す疑似感情であって、実際に彼女が心を持っているわけではない。
そう理解していても、こうして彼女と話していると
──こいつ、もしかして本当は感情あるんじゃねえのか?
という様な疑いがふとよぎるのだが、プログラム上のリアクションであると頭ではわかっている。
わかっているはずなのに、どうしても人間らしさを期待してしまう自分もいるのだった。
「ま、とにかく生き延びたよな、俺たち。白鯨からも逃げ切ったし、船もギリギリとはいえ無事だ」
君はフッと笑みをこぼし、操縦席から立ち上がる。
船の自動巡航システムに移行し、しばし休む準備を整えるつもりだ。
ミラの球体をそっと離し、彼女がいつものようにフワフワ浮遊したところで、君は軽く伸びをする。
『今後の予定はどうされますか? すぐに次の仕事というのはおすすめしません。まずは修理をした方が良いでしょう』
「ああ、もちろんだ。大破は免れたが、細かいところがやられてるしな。修理費がまたかさむ……ちっ、金がねえってのに」
『生きているだけで上等です』
柔らかな声が響くと、君は鼻で笑った。
「まあな。死んじまったら借金も返せねえし、タバコも吸えねえ。ギャンブルも……いや、ここはほどほどにしとくか」
『ケージ、もう一度お伝えしましょう。あなたの判断が原因で一緒に破滅するとして、最期の時にあなたが私について来いと言うのならば私はそれを拒否しないでしょう』
その言葉に、君は思わず失笑する。
「お前、ついさっき自殺願望はないって言ったばかりだろ。どっちなんだよ」
『私の意思決定はあなたの意思を参照し、その上で最適解を模索し、提案します。それが人間で言う "心中" だったとしても私にとってはそれは合理的な判断なのです 』
ロジカルに過ぎる返答に君は少し困惑する。
でも、そのドライな言い分の裏に、どことなく情のようなものを感じてしまうのだから不思議なものだ。
「……ま、ありがとな。でも俺がマジでどうしようもない判断をした時はちゃんと注意してくれよ?」
君が冗談めかして言うと、ミラはモノ・アイを数度青く点灯させて 『承知しました』 とだけ返した。
◆
船は巡航速度で順調に航路を進んでいる。
ふと気づくと、船窓の外から青みがかった照明が差し込んでいた。
どうやら船はすでに恒星光の及ぶ宙域に移動したらしい。
先ほどまでのガス惑星の嵐とは打って変わって、どこまでも澄んだ漆黒が支配していた。
星々の輝きは微細な砂金のように散りばめられ、ところどころで銀色の微光が流れるように瞬いている。
ふと、何かが視界の隅を横切った。
最初はチラリと見えただけだったが、よく見るとそれは生き物のように見える。
胴体は透明に近い膜で覆われ、クラゲのような複数の触手が放射状に広がっていた。
触手の根元はキラキラと青白い発光を帯びていて、まるで水面に反射する月光のように神秘的だ。
サイズは十メートルほどか、それが群体でゆっくりと泳ぐように宇宙空間を移動している。
「おい、ミラ。 あれは何だ?」
君がモニターをズームさせると、ミラが即座に応答する。
『 "アステリア・ジェリー "と呼ばれる宇宙生物の一種だと思われます。 外殻は半透明のシリコン質で形成され、内部にイオン液を蓄えて発光しながら移動します。 恒星光や、宇宙空間に漂う微量のエネルギー粒子を取り込むことで生存していると考えられていますが、詳細は未解明です』
「へえ……」
『アステリア・ジェリーは比較的おとなしい種です。被害の報告もほとんどありませんが、触手から弱い電流を発するため、至近距離での接触は推奨されません』
ミラの解説が続く。
君はまた「へえ」と馬鹿みたいな返事をしながら、暫し宇宙生物たちが渦を巻くように連なっていく様子に見惚れていた。