33.惑星F25⑤「白鯨」
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『ケージ、データ収集ドローンの放出準備が完了しました』
「おう、任せとけ」
君は操縦桿を握り、慎重に船を進めながら周囲の状況を確認する。
「しかし、すげえ景色だな。まるで、絵の具をぶちまけたみたいだ」
眼下に広がる光景はまさに圧巻だった。
色とりどりのガスが渦を巻き、混ざり合い、巨大な惑星を覆い尽くしている。
それはまるで、誰かが巨大なキャンバスに自由に絵筆を走らせたような、そんな景色だった。
『確かに視覚的には特筆すべき景観です。しかしガスの成分は場所によって大きく異なり、中には人体に有害なものも含まれています』
「そりゃそうだろうな。こんな派手な色してんだ、見るからにヤバそうだ。といってもスラムのヤクよりはマシだろ。ペンキのカクテルって知ってるか? 赤い色が一番キくんだぜ」
君は冗談めかして言いながらも慎重に操縦を続ける。
『ドローン放出の推奨ポイントを特定しました。船外カメラの映像をメインモニターに投影します』
ミラがそう言うと、操縦席の正面にある大型モニターに船外カメラの映像が映し出された。
そこには、周囲よりも一段と穏やかなガスの流れが見える。
「ここがいいってわけだな? よし、やってみるか」
君は操縦桿を微調整しながら、船をそのポイントへと誘導する。
『ドローン放出シークエンスを開始します。3、2、1、放出』
ミラの合図と共に船体下部から小型のドローンが放出された。
ドローンはまるで意思を持っているかのように、滑らかにガスの流れに乗りゆっくりと降下していく。
「順調そうだな」
君が呟くとミラが淡々と答えた。
『はい、ドローンからのデータ送信も正常です。ガス成分、気圧、温度、風速……様々なデータが送られてきています』
「そりゃ結構だ。このデータが金になるってんだから楽なもんだな」
『この惑星のデータは何度も更新されています。それだけ変化が大きいのでしょう。調査のたびに新たな発見があるため、未知の元素や新たなエネルギー源の発見に繋がる可能性も十分期待できます』
「いいね。それでエネルギー問題も解決ってか。いまはどこもカツカツだからな。このデータで一発ドカンと当てりゃ人類も安泰だ」
『あなたの言う「安泰」の定義が私には理解できません。人類は常に変化し、進化し続ける存在です。一つの惑星の資源に依存するような状態は決して安泰とは言えないでしょう』
「そりゃ、ごもっともだ。それにしても真面目だなぁミラは」
『ケージ、私が不真面目であることを求めるのならばコアのハックが必要となります』
それを聞いた君は苦笑しながら、操縦桿を握る手に力を込めた。
『ところでケージ、先ほどあなたが「昔は何でもかんでも虹色に見えた」とおっしゃっていましたが、あれは具体的にどのような状況を指しているのですか?』
突然のミラの問いに、君は一瞬言葉に詰まる。
「あー……昔、ちょっとな。色々あってヤクをやってた時期があってさ。その時の話だよ」
『違法薬物ですか。なぜそのような危険なものを?』
「なぜって……そりゃ、現実から逃げたかったから、かな。あの頃は何もかもが嫌になっててさ。生きている意味も分からなかった。だからせめて楽しい夢でも見ていたかったんだよ」
君は自嘲気味に笑った。
『理解できません。自らの体を傷つけ、精神を蝕むような行為にどのようなメリットがあるのですか?』
「メリットなんてねえよ。ただ、そうでもしなきゃやってられなかったんだ」
『しかし、それでは根本的な問題の解決にはなりません』
「ああ、そうだな。だから、今はもうやってない。……でもまあ、あの頃の経験が今の俺を作ってるってのもまた事実なんだよな」
君は遠くを見つめながら、そう呟いた。
『……』
ミラはしばらくの間沈黙していたが──
『あなたは過去の自分を否定しないのですね』
「ああ。どんなにクズみたいな過去でも、それがあったから今の俺がいるんだ。まあ今だってろくなもんじゃないけどな。でもなぁ」
君は少し言葉を詰まらせ、やがて口を開く。
「あんまり自分を否定したら、あいつらに悪いじゃねえか。あいつらの見る目がなかったって事になる。それはちょっとなあ、なんかダサいっていうか。俺はともかく、付き合った女たちはみんなイイ女だったしな、めちゃくちゃ気持ち良かったし」
ナニが、とは言わない。
『……そうですか』
ミラはそれ以上何も言わなかった。
◆
『ケージ、ドローンから興味深いデータが送られてきました。この領域のガス組成は、他の場所とは異なる特徴を示しています』
ミラの声が、その静寂を破った。
「ほう、そりゃ面白そうだ。詳しく教えてくれ」
するとミラは操縦席のモニターにドローンから送られてきたデータを表示させた。
そこには様々な数値やグラフが並んでいる。
勿論見たって何も分からない。
『この領域のガスには、未知の元素が含まれている可能性があります。まだ詳細は不明ですが、この元素が新たなエネルギー源として利用できるかもしれません』
「100いいねしたいくらいだ。でもその言い方だともっとちゃんと調べないとって感じだろ?」
『ええ。しかし、まだ確定したわけではありません。さらなる調査が必要です』
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それから数時間後、君は船外カメラの映像を目を皿のようにして見つめていた。
「なあ、ミラ。この辺り、何かおかしくないか?」
君が指差した先には、ガスの流れが不自然に歪んでいる場所があった。
『確かに、通常とは異なるパターンが観測されます。何らかの要因でガスの流れが乱れているようです』
「要因、ねえ……」
君は顎に手を当て考え込んだ。
『ケージ、無理に近づく必要はありません。ここは迂回しましょう』
「いや、待てよ。もしかしたら、これは……」
君は何かを思いついたように目を輝かせた。
ジャンク屋の老店主から言われた事を思い出したのだ。
──『白鯨と呼ばれている。特定の周期で姿を現し、星中を彷徨い始める。とにかくでかい。全長5000メートル、いや、もっとあるかもしれん。そいつを一目見た者には幸運が訪れるって話がまことしやかに語られておってな。多くの宇宙の海の男がそれを追い、そして帰ってこなかったんじゃ』
「ミラ、この歪みの中心に何かあるか調べてみてくれ」
『了解しました。スキャンを開始します』
ミラがそう言うと、船はゆっくりとガスの歪みの中心へと進んでいった。
『……何かいます』
しばらくしてミラが言った。
「何かって、なんだ?」
『巨大な物体です。しかし従来のセンサーでは、正確な形状を捉えることができません。まるで蜃気楼のように揺らめいていて……』
「蜃気楼ねえ……」
『ケージ、これ以上近づくのは危険です。引き返しましょう』
「いや、もう少しだ。もう少し近づいてみてくれ」
君はミラの制止を振り切り、さらに船を進めるように指示した。
『……ケージ、あなたの指示に従います。しかし何かあればすぐに撤退します』
「ああ、わかってる」
君はそう答えながらも、目はモニターに釘付けになっていた。
感じるのだ。
君は今、ビンビンと感じている。
今の君はかつてのギャンキチ(ギャンブル・キチガイ)の血を沸き立たせていた。
デカい役が揃いそうなあの気配、射精寸前のあの昂り。
そしてついにその瞬間が訪れた。
『……見えました』
ミラの声と同時に、モニターに巨大な何かが映し出された。
それはまるで巨大なクジラのような、そんな形をしていた。
しかしクジラっぽくはあるが、決してクジラではない。
体表はまるで金属のように硬質で、ところどころにガスを噴出する穴が空いている。
そんな巨体がゆっくりと、しかし力強くガスの流れの中を泳いでいた。
「あれが……白鯨……」
君は息を呑みながら呟いた。
『全長、約5200メートル。惑星開拓事業団が提供するデータにも記録はありません』
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『ケージ、どうしますか?』
ミラが君に問いかけた。
「どうするって……決まってるだろ」
君はニヤリと笑い、操縦桿を握る手にさらに力を込めた。
『危険です』
ミラがモノ・アイを赤く光らせて君に警告をする。
「だろうな……だから」
そう言って君は操縦桿を思い切り引いた。
すなわち転回である。
「逃げるんだよぉぉぉ!!」
そう叫んで、君は船を回頭させた。




