31.惑星F25③
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『ケージ、今回の仕事内容は私が得意とする所です』
自宅のボロマンションに帰る途中、ミラがそんな事を言った。
鈴が鳴る様な少女の声。
ロリコンが聞けばそれだけ股間を膨らませるだろう。
これはミラが設定した音声モデルだ。
別に君の趣味ではないが、ミラに任せたらそうなった。
君は歩調を緩めて答えた。
「そうかい? じゃあデータ収集は頼りにしてるぜ。俺は……どうするかな、他に準備出来る事ならしとかないとなとは思うんだけどよ、何かあったっけ?」
『必要なものは船の基本装備で事足ります。ドローンやカメラ、耐久シールドの点検などをしておきましょう』
「おう、了解了解」
そんなやり取りをしていると、君の頭の中に突然、スラム街の一角にひっそりと佇む「セコハン・ローズ」の姿がよぎった。
くたびれた外観の、なんとも怪しげな中古店。
あの店の老店主は色々と詳しかったはずだ。
惑星F25の環境に関する何かしらの情報を持っているかもしれない。
そう考えた君はミラに言う。
「あの爺さんにも聞いてみようかな。変なイキモノがいるって話だろ? いきなり出くわしてびっくりしたくないし。セコハン・ローズの爺さんはしょぼくれてるけど結構色々知ってるんだよ」
『セコハン・ローズ……古い機材や情報を扱う店ですね』
「そう。なんでも揃えてるって触れ込みだが、実際はろくなもんがない。あ、でもラジオは結構良かったな。まあでも聞きたい事があれば俺は昔から大抵あそこへ行っていた。惑星F25の事も何か教えてくれるかもしれねえ」
ミラのモノ・アイが微かに輝き、思案するかのように返す。
『情報屋という事ですね。現地の環境情報を事前に入手できれば、依頼も安全に進められるかもしれません』
君は頷き、マンションの方向からすぐに引き返してセコハン・ローズに向かうことを決めた。
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「セコハン・ローズ」は、スラム街の外れにひっそりと佇むジャンク屋だ。
この店の老店主の事は誰も「爺さん」としか呼ばない。彼の名前を知る者はいないし、その素性すら謎に包まれている。
この「爺さん」と君が出会ったのは、君がまだ荒っぽい仕事に手を染めていた頃のことだ。
ある夜、君はひとりの娼婦から依頼を受けた。
相手は金を払わないばかりか、女に暴力まで振るった。
「痛い目を見せてほしい」──その言葉に応じ、君はその男を叩きのめし、耳を千切り取って依頼者に渡した。
だが、それで事が終わるはずもない。
後日、当然のように報復が来た。
複数の男たちに囲まれ、君は殴られ、蹴られ、気を失う寸前まで痛めつけられた。
多勢に無勢、さすがの君も逃げるのが精一杯だった。
やがて、ようやく見つけた隠れ場所──それが「セコハン・ローズ」だ。
倒れ込むように駆け込む君を老店主は一瞥し、何も言わず奥の小部屋へと手招きして隠れ場所を提供した。
追ってきた男たちが店内に踏み込んできた時も、老店主は飄々とした態度で迎え、何事もなかったかのようにしらばっくれる。
この胆力はただ事ではない。
男たちはそれ以上を追及できず、顔をしかめて渋々と引き下がっていった。
男たちもこの「セコハン・ローズ」にどんな筋の客が集うかを知っていたからだ。
ここでの暴力沙汰は男たちにとってもまずいという暗黙の了解があったのだろう。
それ以来、君はことあるごとにこの店を訪れるようになった。
◆
スラム街の薄暗い路地を歩きセコハン・ローズに辿り着くと、何に使うか良く分からないジャンク品が店外に広げられている。
埃と錆に覆われ、どの品も薄汚い。
敷物として使われているシートすらもカビている。
「おい、爺さん!」
君は外から声を張り上げ老店主を呼ぶが、応えはない。
「ちっ……昼寝でもしてるのかな」
君はそう言って店内に足を踏み入れると、油と錆びた鉄の匂い──というデータが君の電脳に届いた。
──『毒性なし』
そんな声が聞こえてくるようだ。
「ああ、いたいた。爺さん、なんで返事しないんだよ」
君はわずかに顔をしかめながらも、奥のカウンターに座る老店主に近づきながら言った。
「ちょっと忙しくての」
老店主は何やら雑誌を読んでいる様だ。
紙ベースの情報媒体は珍しい。
とはいえ、下層居住区ではそこそこ出回っているものでもある。
「嘘つけよ、それポルノ雑誌だろ」
君はそう言いながらカウンター越しに老店主が読んでいる雑誌を覗き見た。
そこには全身が紫色の外星人の雌性体が、あられもない姿で股を広げていた。
「爺さんそういうのが好きなのか。まあいいや。惑星F25についてちょっと教えてほしいんだが」
老店主は一瞥もくれず、手元のボロボロになった雑誌を見ながら呟くように答えた。
「あのガス惑星か。仕事は選んだ方が良いぞ」
「選んでやってるんだよ。俺も色々調べたんだけどな、でも爺さんも昔言ってただろ? 情報ってのは──」
「ナマモノ」
老店主が語を継ぐ。
そうしてふっと笑いを漏らし、ようやく君に目を向け、ゆっくりと話し始めた。
「あの星には全長5000メートルを超えるクジラみたいな化け物がおってな。色々とあって、そいつを調べた。で、分かった事がある」
「分かった事?」
君が問い返すと、老店主は鼻を鳴らしながら低く笑った。
「そうじゃ。『白鯨』と呼ばれている。特定の周期で姿を現し、星中を彷徨い始める。とにかくでかい。全長5000メートル、いや、もっとあるかもしれん。そいつを一目見た者には幸運が訪れるって話がまことしやかに語られておってな。多くの宇宙の海の男がそれを追い、そして帰ってこなかったんじゃ」
「ふうん……クジラか。で、そいつは何だ?」
君は言った。クジラを知らないのだ。
「まあ、でかい魚だ。海の生物さ。この星にも海はあるからいるがね、スケールが違う。こっちのクジラは精々が30メートルあるかないかだ。が、F25の環境ならば、あれくらいの巨体がいてもおかしかないってわけだ」
君はそのイメージを頭に描こうとしたが、5000メートルという数字が実感を超えてうまく思い描けない。
地平線にまで届くような巨体が空を滑る様を、ぼんやりと思い浮かべるしかなかった。
「なるほど、そいつに出会ったら楽しい事になりそうだ」
老店主は肩をすくめ、疲れたように微笑んだ。
「楽しむのも結構だが、食われねえようにな」
その言葉に少し笑いながら、君は礼を言って店を後にした。




